アクロバット説

「それで、思いっきり日笠さんに反論喰らったんや?」

「喰らったいうほどでもないですけどね、めっちゃ笑われました」

 からりと笑いながら言う部長に、僕は苦笑を返す。

 フィールドワークから二日後の、九月六日、水曜日。放課後、第二生物室。

 僕ら──段下部長、春川先輩、そして僕は、いつものように、部活動に励んでいた。

 つまり、なにをするでもなく、生物室でだべっていた。

「でも、日笠さんが、ほんまに手紙を置いた人物やないって確実に証明できたわけでもないよな。その写真やって、たとえばやけど、去年撮ったやつやったとか、桃のアイス食べてるからそのアイスフェスに行ったように見えてるけど、実は別のイベントで撮影されたものやった、とか」

 絶妙に疑い深い春川先輩である。

「まず前者はないですね。アイスフェスは今年からのイベントです。正確には三年前——ちゃう、四年前にいっかい開催してるんですけど、感染症の影響でずっとやってなかったのが今年から復活したらしいです。そもそも、一緒に写ってたんクラスメイトで、中学からの知り合いちゃうはずですし。後者もないですね、アイスのカップに、ばっちりイベント名書いてあって、それ写真に写ってました」

「ほお。いや、まあ本気で疑ったわけちゃうけどな」

 言いながらざくざくと、バニラアイスクリームをスプーンで削る先輩だった。

 そう、今日は、なにをするでもないとは言いつつも、ある意味、理科系文化部っぽい活動をしていた。

 塩と氷を使ってのアイスクリーム作りである。

 凝固点降下現象を利用した、冷凍庫入らずのアイスクリーム作り。

 そもそも、現象部が理科系文化部であるのかどうかが謎なところではあるが、それはさておき。

 せっかくなので倉田さんにもらったかき氷機を使ってかき氷を作ろう、ということになったのだが、先輩たちが家庭科部に氷を恵んでもらいにいったところ、塩と砂糖と牛乳と、なんと生クリームまで頂戴したのである。いわく、在庫管理をミスって、期限が近いものが多かったらしい。塩と砂糖は期限がほぼないようなものなので、完全に施しだったが。ありがたい。

 僕と春川先輩はアイスを食べていて、段下部長はかき氷を食べている。

「でも、じゃあ、誰なんでしょうね? 手紙置いたの」

「そうや、そのことで、さっき晃の話聞きながら、思ったことあってんけど」

 春川先輩が、これまた家庭科部から借りている銀のスプーンを口から離してから言った。

「なんで、俺らが教室におるんやなくて、隣の準備室におるって、手紙置いた人物はわかったんやろな? あの手紙置いた意図はわからんけど、匿名にしたいことは確かやろ。もし、扉開けて、俺らが今日みたいに教室側おったら——あ、ちゃうわ、教室に電気ついとったら廊下からわかるか」

 春川先輩のお家芸、喋りながら自己解決だった。

 準備室の電気がついているかどうかは廊下からはわからないが、教室の電気がついていれば、扉のすりガラスから光が透けるので、わかる。

「もし、あの日も今日みたいに、俺らが教室におったら、その『差出人』はどうするつもりやったんやろ? 手紙をどこにも残すことなく立ち去ったんか、それとも、軽音部にでも置くつもりやったんか」

「わかんないですよね。僕らに向けた内容なんか、それとも、誰でもいいから誰かに見て欲しかったんか」

「まったく情報が足りんよなあ。そもそも、晃が言うてたように、手紙が三年前の文化祭のことと関わってるんかどうかもわからんし」

 あー美味かった、と春川先輩は両手を合わせる。ご馳走様でした、と続けると、部長へと視線を向けた。

「太一さんは、どう思います?」

「ん? なにが?」

「手紙置いた人物、『差出人』。誰やと思います?」

 んーと口ごもりながら、しゃくしゃくと部長はかき氷をかき混ぜる。ちなみにシロップは葡萄味の原液カルピス。

「誰とも言われへんな。誰にだってできるっちゃできるし」

「俺ら、嘘発見器ちゃいますしね。廊下で定期清掃してた倉田さんか、階段におった軽音部の宮本さんか柚木さんか、もしくは視聴覚室におった苑か、誰かが嘘ついとったとしても、そんなん見破られへんし。嘘をつく理由から探るにしても、まったく手探りやし」

「その四人が全員嘘ついてへん可能性もあるで。たとえばそこの」

 そう言って、部長はスプーンで黒い遮光カーテンのかかった窓を指す。

「窓伝いに、三階もしくは屋上から侵入した。せやな、屋上の柵にロープくくりつけておりる、とか。あのとき、窓の鍵かかってたかどうかは確かめへんかったやろ」

 柚木さんたちがいた階段は、屋上には通じていないが、反対側、西側の階段は屋上の塔屋へと通じている。

「……そんな危ないことしないでしょ誰も」

 春川先輩の呆れたような声に、いやわからんでーと本気なのか冗談なのかわからない口調で部長は返す。

「青春とミステリには、ときとしてアクロバティックさが要求されるからな。俺かてあっきーとはじめて会ったとき二階から飛び降りたし」

「あのときはやむを得ずでしたけど、危ないので二度とそんなことしないでください」

 つうかね、と春川先輩は顔をしかめる。

「無理無理無理、ぜったい無理。少なくとも俺みたいな腕立ても懸垂もいっかいもできないやつには無理です。いや、俺やなくても、だいたいのやつが無理でしょ!」

「確かに、自重支えられへんねやったらきついか。ちなみに俺はできる自信ある」

「僕もたぶん、できますね」

「え、まじで? 晃、中学のときサッカー部やろ? サッカー部ってキーパーやなくても腕力も鍛えなあかんの?」

「もうだいぶ筋力落ちましたけど、まあ、ぎりいまでもいける気します。サッカーってコンタクトスポーツですし、全身筋トレやってましたよ。シンプルにスローインとかありますし」

「スローインってなに?」

「外からボール投げるやつです」

 こうやって、とスプーンをいったん置いて、頭上でボールをふりかぶる動作をすると、あーあれね、と先輩は納得したらしかった。

「それでも、窓の鍵が開いていたのかどうかを知りようがないから、この侵入経路もなしやとは思うけどな。屋上の扉は施錠されてて、鍵管理厳重やから生徒は基本的にまず入れへんし」

「それはよ言うてくださいよ、俺が腕立ても懸垂もできへんことと、サッカーに関して無知という情報を無駄に開示しただけやないですか」

 あっさりとアクロバット説を取り下げる部長。

 でも、いまの話を聞いていて、ひとつ、閃いたことがあった。

「あの、もし、窓から侵入ができて、それが正解やったとしたら、僕らが聞いた扉の開閉音はフェイクやったってことになりますよね」

「そう……なるんやろうな」

 春川先輩が、僕の言葉に慎重に頷く。

「窓から侵入パターンやなかった場合でも、これって応用きくんとちゃいます? つまり、扉の開閉音が聞こえたのよりも前に、すでにあの手紙は置かれていたんですよ。それが柚木さんたちが階段でお喋りをするより前やったから、ふつうに階段をおりるだけで誰にも見つかることはなかった。倉田さんはワックスがけしてて、さすがに誰かが自分の隣を通ったら気づくけど、ずっと生物室のほうを見てたわけやないから出入りがあっても気づかんかったかもって言ってはったし」

「いや晃、それは成り立たんやろ。確かにそれやったら『俺らが聞いた扉の開閉音の前後に誰も通らなかった』って目撃証言と矛盾はせんけど、ほな結局いつ手紙を置いたんやって話になるやんか。窓からの侵入が不可能な以上、出入りできるんは扉だけ。かつ扉の開閉時に音は鳴る、は絶対動かん条件やろ」

「あ」

 秒で斬られた。

 それはそう。

「俺が電子レンジ運んでたせいで扉を閉め損ねてたから、そこから太一さんが扉を閉めるまでの時間やったら開閉音鳴らさんと出入りは可能やけど、それやったら扉閉めにいったときに太一さんが手紙に気づくやろうし」

「う……」

「それに、仮に、そのときに太一さんが手紙を見逃してたとしても、そのあとわざわざ時間経ってたから扉の開閉音鳴らすフェイクを入れる意味が『差出人』にはないしな。少なくとも、現時点の情報では思いつかん」

「そう……ですね……」

 完敗だった。

「あー、いや、でもやで、仮にあの扉の開閉音がフェイクやったとしたら、どういう方法でそれを鳴らしたんやろな?」

 かき氷をつついていた段下部長が、スプーンを持った手を止めて疑問を投げる。

 考えてみれば、窓の鍵問題を棚上げにしてアクロバット説を採用した場合でも、じゃああの開閉音はなんだったのか問題が生じるのだ。

「……えーっとですね、この1号館の扉って、基本的にはどこも、古いせいで軋んだ音鳴りますよね。それで、ワックスがけのついでに教室の戸締まり確認してた倉田さんが、他の教室の扉の開け閉めした音を、生物室の扉の音やって勘違いしただけやった、とか」

 これなら、開閉音は『差出人』の意図ではなく偶然の産物ともいえるので、なぜわざわざ時間が経ってからそんな面倒な真似をしたのか、の解にもなるのではなかろうか。

 一瞬、空中に視線を彷徨わせ、僕の仮説を検討した春川先輩だったが、すぐに断定した。

「ないな」

 きっぱりと否定される。

「晃、これまでの半年間で、他の教室の扉の開閉音を生物室の扉の開閉音やって勘違いしたことなんかないやろ? 扉が開いてる状態やったらともかく、閉まってる状態で、隣の教室の扉の音が鳴ったのを間違えるってことはない」

 まあそうか。

 なぜか、開閉音がフェイクだ、と閃いたとき、これだ、という手応えを感じたというか、いい線いってると思ったんだけどな。

「『差出人』が誰かって絞り込むんは、なかなか難儀そうやな。俺らはエラリー・クイーンやなければ裏染天馬うらぞめてんまでもないんやし」

 小説の名探偵の名をあげて冗談っぽくそう言うと、春川先輩はのびをした。

「それにしても『差出人』も、三年前のことに関係あるにしろないにしろ、私をさがして言うんやったらもうちょいヒントくれたらええのにな。これやとなんのことか見当つかんから、どうもしてやりようがないで」

 そしてポケットからスマホを取り出すと、画面をスクロールする。

「三年前のこと調べるにしても、あの学年って絶妙に知り合いおらんからなあ。せめて本番でジュリエット役やった先輩が誰かくらい、わかればええねんけど」

 以前の部長は、江波えなみさんというひとらしく、そのひとは、ジュリエット先輩たちのひとつ後輩だ。もうひとり、同学年に橋本はしもとさんというひとがいて、そのふたりでこの部は創設されたらしい。

 段下部長なら、以前の、空手部の知り合いがいるかもしれないけど、退部してからは部のひとたちとは疎遠になっているようだった。僕だって、中学のときのサッカー部の先輩が祥楓高校にいるけれど、いまはすれ違ったときに会釈する程度で、気軽に連絡を取ったりするような間柄ではもうない。

 ふと、かつての先輩たちのことを考えていたら、思い出したことがあったので、部長に尋ねてみる。

「そういえば部長って、ふたつ上のお姉さんいてるんでしたっけ」

「うん、ここの卒業生ちゃうけどな」

 そうやったら卒アルでも見れたんやけど、と部長は言い、まあまあ結構な量が残っているかき氷をすくって口に運び、顔をしかめた。

「……あかん、俺これぜったい作る量ミスった。頭キンキンする……。春川、残り食べへん?」

「やからはじめに言うたやないですか、食べられる量だけ削ってくださいよって」

 文句を言いながらも、春川先輩はスプーンを手に、部長の手元の溶けかけのかき氷をすくって食べはじめる。もうこれフローズンドリンクやんけストロー欲しいな、とぼやいてから僕のほうを見る。

「晃さあ、アイス以外になんか食べたい気分のものないん?」

「え? なんでしょう……うーん、あ、王道ですけど、たこ焼き最近食べてないんで、ちょっと、食べたい気しますね」

 僕がそう答えると、じゃあ次はたこ焼きパーティーするか、と春川先輩はつぶやいた。関西人三人集まってんのにいままでやったことなかったん意外やな、そういえば。これは段下部長の言葉。

 先輩たちは、やさしい、と思う。

 アイス作りがはじまったのは、家庭科部からの恵みのおかげだけど、その前に、日笠さんとのやりとりの流れで、ひさしぶりに食べたいものが浮かんだ、という話を、ふたりにしたからでもあったと思うから。

 ここ最近の僕は、先輩たちがなにか食べていても、自分は食べていないことが多かった。

 こういう気の使わせ方をしている、というのは、甘えている、ということで、はやくちゃんと大丈夫になって、この状態から脱したいな、と考える。

「でもさ、こうやってあらためて考えてみると、倉田さんらの証言に誤りがないとしたら、『差出人』がどうやって手紙を置いたんかって、けっこう難題やな」

 もはやほぼ液体となったかき氷を飲み干したのち、春川先輩は誰にともなくそう言った。

 そうなんだよなあ、と僕も無言で同意する。

 やっぱり、倉田さんたちの誰かの証言に嘘がある──なにか隠してる、と考えるほうが、自然かもしれない。

 とりあえず、おなじクラスの、柚木さんに、もういちど話を聞いてみるか。

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