思い出語り
眠らないように、眠ってしまわないように、の努力をひたすら続けていたのはおよそ一年と少し前のことで、そのころは、眠りたくなくても、眠たくて眠たくて仕方がなかった。それが、いざその責務から解放されると、今度は途端に眠れなくなったという、なんとも間抜けな話。ある意味、僕らしい、ともいえる。
一年前といえば、中学三年生のころ。そんなに必死になって受験勉強をしていたのかといえば、そういうわけではない。いや勉強せえや、という正論の指摘は受け付けない。
じゃあなにをしていたのか?
それが少し、説明が難しい。とくになにをしていた、というわけでもないから。
一年前の僕らの家は、なんというか、かなり不穏な状態にあった。端的に言うと、両親が揉めに揉めていて、離婚直前だったのである。
結果として、予想通りに両親は離婚した。そして僕は父親と、妹は、母親と暮らすことになり、いまに至る。
眠らないように、の努力をしていたのは、まだ、両親と妹と一緒に住んでいたころの、最高潮に自宅内が不穏だったころのことだ。
父も母も、声を荒げることはほとんどなかった。いつだって、できるだけ理性的であろうと努めている、そういうひとたちなので。離婚の原因も、わかりやすい大きな原因があったわけじゃ、たぶんなかった。些細なすれ違い、価値観の相違、そういうものの積み重ねらしかった。
ただ、やっぱりそれでも、夜毎に向かい合って、冷えた調子で話をする両親を見続けるのは、あまり気分のいいものではない。いっそ怒鳴り合いでもしてくれれば、堂々とやめてほしい、と言えたのかもしれないけど、あくまでもふたりは表面上は冷静であったので、僕らはなにも言えなかった。とはいっても、僕はまだよかった。
あまりよくなかったのは、妹だ。
ふたつ年下、当時、中学一年生だった妹は、冷えきった家のなかで、完全に萎縮していた。もともと口数が少ないほうだったが、さらに減った。というか、ほとんど喋らなくなった。
両親が夜な夜なダイニングテーブルで話している気配に、中学三年生だった僕は、少しずつ慣れ始めているところがあって、またやってるなーくらいで流して、普段通りともいえる日々を過ごしていた。
ある夜、僕は、トイレから部屋へ戻る途中、妹の部屋から電気が漏れていることに気がついた。午前二時と少し過ぎ。電気をつけっぱなしで寝てしまったのなら消してやるか、それくらいの軽い気持ちだった。
そこで僕は、自分の考えが甘かったことを知る。
妹は、眠ってなんか、いなかった。ベッドの上で、膝をかかえて座りこんで、ぎゅ、と耳の近くの髪の毛を引っ張っていた。
「
名前を呼ぶと、妹は、びくりと肩をふるわせてから、ゆっくり顔を上げた。泣いてはいなかった。でも、泣いてないだけで、たぶん、泣けないだけだった。
「なあ、『呪術廻戦』の新刊買うたん、言うたっけ?」
どうした、とは訊けなかった。だから、漫画の話題を投げた。わざわざ深夜にする会話ではないけど、でも、いつもどおりになるように、いつもの調子で、いつもみたいに漫画の話でもしようと思った。
ううん、と妹は首を横にふった。読む? と訊くと、うん、と頷いたので、僕はいったん自分の部屋へ戻り、スマホと漫画の新刊を取ると、再び妹に声をかけた。
はい、と言って手渡すと、表紙と裏表紙のあらすじを見て、妹はちょっと笑った。僕も、ちょっとだけ笑った。なんか読んでもいい? と尋ねると、妹はこくりと頷いた。カラーボックスにおさめられていた『宝石の国』を僕は選び、それからお互い、黙々と漫画に集中した。しばらくすると、妹が船を漕ぎはじめたので、電気を橙色に暗くしぼって、そっと部屋を出た。
その日以来僕は、できるだけ、妹が眠るまでは起きていることにした。
両親の話し合いがはじまるころになると、どちらかの部屋に集まって、それぞれ本や漫画を読んだり、音楽を聴いたりなんかして過ごすようになった。父も母も、そんな僕らの様子に、まるで気づいていなかった。
妹は、僕が同じ空間でとくになにをするでもなく過ごしていると、だんだん、眠たくなってくるようだった。僕は、妹が寝息を立てるまでは、できるだけ頑張って起きて、それから、両親の静かな話し合いが終わっているのを確かめたあと、ようやく自分も眠るようになった。
当時の僕はサッカー部で、そこそこ真面目に部活をやっていたので、とうぜん、相当な無理を身体に強いていたはずだったんだけど、そのときの体感としては、あんまり、しんどいとか、苦しいとかはなかった。ただ、疲れたなっていうのは、ずっとあった。
ある時期から、父と母は、毎晩の話し合い以外はお互いをいないものとして過ごすようになった。僕はふたりの連絡役となり、妹は、ますます、内側にこもるようになった。
やがて、これはそろそろまずいのでは、と危機感を覚えるようになった。妹のことだけじゃなくて、自分自身に対しても。
妹が眠ったあと、短い眠りに落ちているあいだ、嫌な夢をみるようになった。どういう機序でそんな夢をみるようになったのかはいまでも理解不能なのだが、ただ、とてつもなく嫌な夢だった。
内容として、妹、もしくは、自分の首が落ちる、という夢だった。生首が、ころり、と、リビングやダイニングに転がっていて、それを、父もしくは母が抱えあげる、というあたりで目が醒める。
次第に、眠ることが怖くなってきた。
馬鹿らしい、と理屈ではわかっていても、マネキンのようにフローリングの床に転がった首がいやに鮮明で、飛び起きるくらいに気味が悪くて、不快だった。
そんな日々が続いたとある夜、僕は、自分で自分の左耳に安全ピンをぶっ刺した。まぶたが閉じかかり頭がぼんやりしてきたのだけど、でも、どうしても眠るのが嫌で、痛み刺激で無理やり覚醒させようと考えたゆえの行動だった。
結果として、これが、両親の静かな争いを終わらせるきっかけとなった。
単純なことで、特に色気づいたような理由ではなく突然耳に安全ピンをぶら下げた僕を見て、ようやく自分たちの子どもの精神状態が危ういことに、ふたりは気がついたのである。
いやもうちょいはよ気づけや、翼なんかこの一ヶ月まともにご飯も食べてへんぞ。
ここではじめて、両親は声を荒げて喧嘩をするようになった。僕らの心身状態についての責任のなすりつけあいのような議論からはじまり、いままで堪えてたのだろう感情的な暴言。でも、そういったものが一通り終わると、なぜだかそのあとは妙にふたりしてすっきりしたような様子になり、淡々とむしろ協力しあって可及的速やかに離婚手続きが進められた。まじでなんやねんそれ、という感じだった。
そして僕らは、それそれ、別々で暮らすことになった。両親はもともと結婚の際、母の姓に合わせており、僕は父と暮らすにあたって、父の旧姓である緒方になった。中学校三年生の秋までは、僕は
離婚してからは、生活は落ち着いた。父はどちらかとういうとおだやかで口数が少ないタイプで、僕も、もともと家ではあんまり喋るほうではないので、僕らの二人暮らしは非常に静かなものである。受験勉強も滞りなく進んで、無事に祥楓高校に合格した。そして、高校生活がはじまった。
妹とは、ときどき、メッセージのやりとりをする。誕生日おめでとう、とか、遠足で奈良へいったときに撮った鹿の写真を送ってみたり、とか。『呪術廻戦』アニメみてる? とか。
母からも、定期的に連絡がくる。近況やら、体調なんかを尋ねられるので、学級委員やってる、とか、ふつうに元気、とか返す。
いったん落ち着いたかと思った調子が再度狂い出したのは、入学してしばらく経ってからのこと。受験も終え、一年F組にも慣れてきた五月くらいのことだった。
それまで気を張り詰めていた反動なのか、今度は、夜、眠りたいのに、眠れなくなってしまったのである。
これには、たいへん困った。というか、現在進行形で困っているのだけど。
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