反論と再検討
「あっはは、それでわたしが手紙を置いたって思ったんだ?」
「いやアイスクリーム食べにいってるとか知らんやん……」
結局、あれから僕は、日笠さんにぜんぶ話してしまったのだった。
木曜の放課後、部長と春川先輩と、三年前の消失の噂について話したあと、第二生物室に、謎の手紙が置かれてあったこと。手紙を置いた人物がすっかり消えてしまったような現場状況であったこと。日笠さんが手紙を置いた人物なのだとすると、いちおう筋の通る説明がつくはず……だと思ったこと。
「でも、やっぱりちょっと、無理筋じゃないかな。まずさ」
日笠さんは、右手の人差し指を一本立てる。
「『緒方たちが三年前の消失事件についてなんらかの情報を持っていること、を知っている人物が犯人』っていう前提に基づいても、だよ。わたしと緒方が階段のとこで喋ってたの、段下先輩と春川先輩、こっそり聞いてたんだよね、たしか。ふたりが盗み聞き——まあちょっと言い方悪いけど、ともかく内緒で聞いてたことを、わたしたち、ちっとも気がつかなかったよね。じゃあ、緒方が認識していないだけで、誰かが同じように聞いていて、その人物が犯人だって考えてもよくない?」
もっともな指摘であった。
「でもなんかあれだね、犯人って響きちょっと嫌だね……そうだ、『差出人』とでもしようか」
「あ、うん、それええな」
その呼び方、僕も使わせていただこう。
「まあでも、職員室前の廊下からわたしたちが喋ってた階段までで、死角になりそうな場所っていったら、段下先輩たちが隠れてた階段下くらいしかないから、それはないか」
日笠さんは、膝の上のリュックサックを抱え直した。
「そもそも、緒方は『差出人』が消えた——周囲にいた誰の視線にさらされることもなく生物室へ出入りしたって考えてたみたいだけど、そうじゃない可能性だってあるよね」
「まあ、ね」
「単純に、その場にいた人物だった可能性。用務員の倉田さん、階段にいた柚ちゃんと宮本先輩。視聴覚室にいた朝比奈先輩」
それから、とひと息ついてから、日笠さんは僕と視線を合わせる。
「第二生物準備室にいた、段下先輩、春川先輩、それと、もちろん緒方」
「あ」
指摘されるまで、考えてもいなかった。
段下部長も春川先輩も、迷うことなく『差出人』候補からは除外して考えていた。自分自身も。もちろん、僕が『差出人』じゃないのは、僕がいちばんわかっているけれど。
「でもやっぱり、部長と春川先輩と、それから僕には無理やで」
どうしてか、と尋ねられたので、あの日の現場状況を思い返しつつ話す。
「第二生物室の扉って、開け閉めのときめっちゃ音鳴るねん。その、手紙置いた誰かが生物室入ってきたときも扉の開閉音は聞こえた」
「そのとき、緒方たちは三人とも、準備室にいたんだよね?」
うん、と僕は頷いてから続ける。
「で、扉の音が聞こえて、それからまたすぐ閉める音が聞こえて、そのあと、三人ほぼ同時に教室に向かってん。えーっと、順番としては、春川先輩、段下部長、僕、やったかな。順番いうてもほんまに数歩遅れてついていった、くらいやから、そのときにテーブルになんか置くとか仕込むような時間はなかったで」
「うーん」
「それに、僕らにそんなことする理由ないやん」
「だったら、わたしにだってないよ。そうだ、聞きそびれてたけど、なんで緒方はわたしが『差出人』だって——や、違うな、わたしが『差出人』だとしたら、その動機はなんだって考えてたの?」
いちおうは、そこも考えてはある。というか、考えてはいた。
「その、消えたジュリエット先輩と、日笠さんが、知り合いやったんちゃうかなって思ってん。直接の知り合いやなくても、バド部の先輩の友達とか。……それで、親しいひとにとって、不本意なことがあったのに、それをうやむやにされたことを、誰かに知ってほしかった——気づいてほしかったんちゃうかなって」
それと、これは言うまいと思っていたけれど、言ってしまうことにする。どうせ外れていた説なのだし、もう隠す理由もない。
「あの日、職員室出たあと、階段で僕に噂話聞かせてくれたところから、そもそもそれが目的やったんちゃうかなって思ってた。部長が当時の在校生やから──あのひと留年してんのけっこう有名やし、そこから、もういっかいちゃんと調べてもらえる可能性がある。やから、僕ら現象部に、三年前の事件に興味を持ってもらえるように、仕込んだ」
数秒黙りこんで、僕の言葉を検討している様子の日笠さん。そのあいだに、電車が駅に着き、車両の扉が開く。扉の近くに立っていたひとが降り、僕らみたいな高校生二人組が乗りこんでくる。ひとを吐き出し、吸い込むと、再び電車は動き出す。次の駅と向かう。
「……緒方は、なんというか」
ふう、となぜかため息のあとに続けられる。
「お人好しだねえ」
「それは違う」
膝の上にのせたリュックサックに肘をつき、顔を両手で支えるような体勢になった日笠さんにならい、僕も、抱えたリュックに身体を預ける。
「わたしはね、クラスの出し物のネタになればいいかなって思っただけ」
一瞬、なんの話かわからなかった。
すぐに、なぜ、あの日、三年前の文化祭の話を持ち出したのか、に対する返答だと気づく。
「時計塔で脱出ゲームやるって決まったとき、先輩から聞いた噂を思い出したんだ。それで、あ、ちょうどいいじゃんって思った。うってつけだって」
「……つまり、日笠さんは、ホームルーム中からすでに、僕のシナリオ作りを助けようと画策してくれてたってこと?」
「そんなおおげさなものじゃないけど。まあ、でも、ギミック含んだシナリオ作りがひとりの担当って、負担大きいだろうな、とは思った。きっと、みんな、手伝ってくれるけど、あのときは流れ的に緒方に支持集まってたし、変に役割分担促せる感じでもなかったし」
「うわ、ありがと……」
めちゃくちゃ全方位に気を配っていてくれていた。なんだか、申し訳ない。
「んーん、せっかく緒方、ちゃんと考えてくれてたのに、余計な心配事というか……、厄介ごと増やしたみたいになっちゃって、むしろごめん」
「や、そんなことは、ぜんぜん、ないです」
なんで敬語なの、と笑われたので、僕もつられて苦笑する。
「それでも、ほんとに起きたことだったってわかったときは、意外だったな。てっきりさ、こう、よくある学校の七不思議みたいな、とくに根拠とかない話だと思ってた。たしかに、わりと最近の話で、しかも具体的に三年前ってはっきりしてるあたりが、引っかかりはしたんだけど」
「そうそう、僕もなんか引っかかる話やなーって。それで部長たちに訊いてみよって思ってん」
「そうだったんだ」
「うん」
「……ねえ、あのね」
「ん?」
「これはね、べつに、答えたくなかったら、スルーしてくれたらいいんだけど」
「うん」
日笠さんは、顔を支えていた腕を、ふっとほどいた。少し前屈みになると、リュックを抱えて座っている僕と、視線の高さが合う。
「緒方はさ、どうしたの?」
「え?」
「なにか、あった? 眠れない?」
不意打ちだった。
だから、咄嗟に、返事ができなかった。
いつもだったらできる、適当な返事が。
「……えっと」
「うん」
「なんとなく変やなって思ったんは、高校入ってすぐくらいで、酷なったんは、ほんまについ最近」
いちど話し出すと、もう、駄目だった。情けねえな、とは思うけど。でも、たぶん、ずっと、誰かに、聞いてほしかった。聞いてほしかったんだって、いま、気づいた。
電車が、駅へと辿り着く。扉が開く。ひとを吐き出して、飲み込んで、そうして、また、次の目的地へと走り出す。学校みたいだ、と連想する。そして僕は、口を開く。日笠さんは、すごいな、と思う。茶化したりせずに、どうしたのかって尋ねること。それって、簡単なことじゃないと思うから。少なくとも、僕はそう思う。
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