駆け引きの値打ちもない

 手紙を置いたのが日笠さんじゃないか、と考えた根拠は、いちおうある。

 まず、現場、とというとおおげさだが、とにかく現場の状況を振り返る。

 僕ら現象部の部室である、手紙が置かれた第二生物室は、1号館四階の東側、ほぼ突き当たりに近い位置にある。生物室より東側にあるのは、軽音部の部室である視聴覚室と、渡り廊下、階段のみ。

 配置としては、西から東へ廊下へ進んでいくと、まず生物準備室、生物室、次に階段、渡り廊下、突き当たりにあるのが視聴覚室。ただし、2号館へと続く渡り廊下は、普段封鎖されていて移動経路にはなりえない。

 その日は用務員の倉田さんが、1号館四階の西側から第二生物室の直前の廊下まで消毒とワックスがけをしていた。そして、こう話していた。ワックスがけをしている廊下を通って、生物室へ向かったひとはいない。

 となると、残る侵入経路は、視聴覚室からか、もしくは、階段かのいずれかだ。

 手紙が置かれたと考えられるドアの開閉音が聞こえたあとで、視聴覚室にいたのは軽音部の朝比奈先輩のみ。もう一方の、階段側にいたのは、同じく軽音部の宮本さんという二年の先輩と、柚木さん。朝比奈先輩は、誰の姿も見ていないそうで、宮本先輩と柚木先輩も、階段を通ったひとはいない、と証言した。

 ただ、全員がほんとうのことを話しているとは限らない。

 誰が嘘をついているのかを、確実に判断できる要素は、もちろん、ない。

 だけど、偏った見方に基づく考え方なのは重々承知であるのだけど、ここにひとつ前提条件を足そうと思う。

 、という条件である。

 さっき、ドーナツショップで検討したように、ジュリエット先輩の消失は周囲との摩擦のすえに起きたことで、それがおおやけにされることなく曖昧にされたのだとする。

 だとすれば、この手紙は、そのことを、三年前の事件について関心を持っている誰かに知ってほしい、解明してほしい。そういった目的のために置かれたのだ、と考えるのは、内容──あの日いなくなった私をさがして──からみても、至極自然なことではなかろうか。

 手紙が消失事件に関わる告発のためのものだったとすると、あのとき、あのタイミングで手紙を置いた人物は、僕ら——生物室にいる現象部員のうちの誰かが消失事件のことを知っていること、を情報として持っている人物に限られる。

 そして、先週の木曜日の放課後時点でそれを知っていた人物は、僕の知る限りでは日笠さんしかいないのだ。

 では、いかにして、誰から目撃されることもなく生物室に出入りできたのか?

 単純な話で、目撃されなかったわけじゃなく、証言のいずれかが誤っていた──嘘だっただけなんじゃないだろうか。

 視聴覚室にいた朝比奈先輩であった可能性は低いと思う。朝比奈先輩は、帰る前に視聴覚室の鍵をかけていた。もし日笠さんが、あらかじめ視聴覚室に隠れており(この時点でかなり無理がある気がするが)、タイミングを見計らって手紙を生物室に置く。それから視聴覚室に戻って再び隠れたのだとすると、出られなくなってしまう。祥楓高校の教室は、内側からであっても、施錠も開錠も鍵が必要である。朝比奈先輩は、僕らと一緒に昇降口へ向かう途中で、職員室へ鍵を返していた。

 じゃあ、反対側、倉田さんがワックスがけをしていた廊下のほうは?

 ワックスが乾いていない廊下を歩くのは推奨されない行動だ。だけど、なにがなんでも通れない、というわけではもちろんないので、たぶんどうしても通らないといけない、と説明すれば倉田さんは通してくれそうな気はする。だけど、足跡が残るのは避けられないし、そんな汚れは見当たらなかった。

 では残るは、宮本先輩と柚木さんがいた階段ルートだ。

 仮に、朝比奈先輩か倉田さんが、誰も通っていない、見ていないと嘘をついていたのだもしても、物理的に実行が困難な理由がある。そのあと出られなくなってしまうことしかり、足跡しかり。

 その点、階段については、宮本先輩と柚木さんの証言が崩れるだけで、通れない理由はなくなるのだ。

 ──柚ちゃんのノートめっちゃわかりやすいよ、今度見せてもらえるよう頼んでみよっか?

 さきほどのドーナツショップでの日笠さんはこう言っていた。

 日笠さんと、柚ちゃんこと柚木さんは、気軽にノートを見せたりするくらいには親しい仲みたいだし、「通ったのを秘密にしておいてほしい」とでも頼まれれば、柚木さんは、内緒にしてくれるんじゃないだろうか。一緒にいた宮本先輩まで嘘をつく理由はないかもしれないけど、でも、部活後に階段の踊り場で話しこむくらいには親しい後輩に口裏を合わせてほしいと頼まれたなら、呑むんじゃないか。

 以上、日笠さんが手紙を置いた人物ではないか、と考えた理由である。

 だいぶ弱いような気はするけど。

 なにしろ、寝不足であまり頭がまわらないのだ。

 あくびをマスクの下でひとつ。

 そんなこんなを考えながら、日笠さんと駅へ向かうと、ホームに着いた数秒後に電車が滑りこんできた。

「座る?」

 日笠さんに尋ねると、うん、と返事があった。ちょうど、入ってすぐ、右側の席が空いていたのでそこに座る。各駅停車の普通列車だからか、まだほかにも席は空いていて、帰宅ラッシュと呼ばれる時間のわりには、なごやかな車内だった。この沿線は、もともとひとが少ない、というのもある、

 並んで座り、なんともなしに流れてゆく窓の向こうの景色を見送る。沈みかけた陽が、いくすじかの光を伸ばしている。

 眩しさに目を細め、車内に視線を向けると、中づり広告がエアコンの風にあてられ揺れていた。この私鉄系列ショッピングモールの催事場の広告で『夏の名残のアイスクリームフェスタ 8月25日(金)〜9月10日(日)』とあった。いろとりどりはなやかで見目良いアイスクリームたちが紙面を飾っている。曜日ごとにフレーバーの違う限定アイスなんかもあるらしい。

 ふと、アイスが食べたいな、と思った。

 ここのところ睡眠欲に引っ張られて食欲まで減少気味なので、ひさしぶりのなにか食べたい、という欲求だった。帰りにコンビニかスーパーに寄るか。

「あれさ、先週、高町ちゃんと、こよりちゃんと行ったんだよねー」

 僕と同じほう、広告に視線を向けながら日笠さんがそう言った。

「木曜の限定アイス桃だったんだけどさー、めっちゃおいしかった」

「……待った、いま木曜って言った?」

 きょとん、とした顔でこちらを向く日笠さん。

「うん、木曜。あ、そういえばあれだね、あの出し物決めホームルームのあと。教室で高町ちゃんたちと喋ってるあいだに盛り上がってさ、ノリでいったんだよ。大正解だった!」

 弾けるような声で言いつつ、日笠さんはスマホを取り出した。見てほら、と向けられた画面を覗きこむと、写真が表示されていた。桃のアイスを囲み笑顔の日笠さんと高町さん。こよりちゃんこと織部さんはいつも通りの無表情だったが、どことなく嬉しそうに見える。アイスクリーム効果か。

 写真はSNSに投稿されたもので、日付はばっちり八月三十一日、例の手紙が置かれた日だ。アイスフェスは八月二十五日の金曜日スタートで、九月四日の今日までにあった木曜日は八月三十一日だけ。つまり、この写真は、八月三十一日に撮影されたことになる。

 しかも背景に催事場の時計が写りこんでおり、時刻は五時三十分。祥楓高校からこのショッピングモールへ辿り着くまでは、はやく見積もっても三十分はかかる。手紙が生物室に置かれた時刻は、五時過ぎ、十五分にはなっていたはず。

 ゆえに、日笠さんは、手紙を置いた人物にはなりえない。

 なんてこった。

 僕は思わず、頭を抱えそうになる。いや、実際に抱えた。

「どしたの緒方」

「……なんでもない」

「なんでもないひとがするポーズじゃなくない、それ」

 まあ、たしかに、仰るとおりです。

 戦ってもないのに、なぜか勝手に負けた気分。

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