祥楓記念会館内部

 祥楓記念会館、通称時計塔は二階建てに時計台である塔屋のついた建物で、僕らが立ち入りを許可されているのは二階まで。塔屋部分は、整備士さんなど特別に許可を得たひとしか入れず、教員たちでも入ることができるひとは限られているそうだ。

 ドアノブを握って、扉を押す。そういえば、この扉は内開きだ。家の玄関は、いまの家も前の家も外開きだったので、珍しいな、と思う。

「内開きのドアって、逃げられへんよな」

「は?」

 桐山が急に物騒なことを言い出した。

「前にさあ、いとこに借りた漫画であったんよな、そういうシーン。教会みたいなとこでな、怪我して追い詰められたが主人公が、肩で扉押して逃げようとすんねんけど、内開きやから開けられへんくて詰むねん」

「……そんでそれ、続きはどうなるん?」

「あれ……どうやったかな? 忘れた」

 まあでも主人公だからなんとかなったんだろう、たぶん。知らんけど。

「いまさらですけど、ここって土足でええんでしたっけ?」

 春川先輩の疑問に、土足で大丈夫、と部長が返す。

「二階に、作法室いうか和室あるから、そこだけ土足厳禁。あとはこのままでええで」

 なかに入ると、すぐにエントランスホールとなっている。正面に、二階に続く幅の広い大きな階段。入学以来、およそ半年ぶりにお目にかかったが、やはりなんというのか、重厚で立派な階段だ。踊り場で左右に分かれて、二階の廊下へと通じている。

 ぐるり、と、あたりを見回してみる。階段のあたりは吹き抜けになっているため、二階の廊下が一部見える。

「劇、ここでやってたんですか?」

 春川先輩が、部長に尋ねる。部長は、せやな、と頷くと、階段と踊り場に視線を向けた。

「玄関入ってすぐのところに定点カメラかまえて、大階段と踊り場を映す感じやった。ちょうど、いまこうやって見えてる景色が、あとで見た教室上映のとき映っとったやわ」

 階段と、踊り場に視線を向ける。二階の窓からさす光に、埃が反射して、綺麗だった。こうやって光に照らされたときだけは、塵芥ちりあくたも、美しく見える。不思議だな、といつも思う。

「——で」

 ここからが本題だ。部長が腕を伸ばして階段の上、二階をさす。

「ジュリエット役の女子生徒が、こう、ひとりで階段を上がっていく場面やってんな。流しのリハーサルやから、ストーリーわからんし、誰が何役か全員把握できたわけちゃうけど、そのひとは衣装着てたしさすがにわかったわ。踊り場まで来たら、右側——あ、向かって右側な、階段をのぼって、奥にはけたから、一階からは見えへんくなった」

 言い終えてから階段をのぼる部長に、僕らもついていく。部長、僕、春川先輩、続いてその後ろに日笠さんと桐山。

「で、はけたあと、すぐ次の場面で出てくる予定やってん。でも」

「いつまで経っても、出て来んかったと」

 部長の言葉を春川先輩が引き取る。

 それから、部長はさらに廊下を奥へ進む。少し後ろを、僕らも続く。

 左手に、さきほど部長が話していた、作法室へと続く扉が現れる。それを過ぎると、廊下はあっという間に突き当たりだ。そこがもう、建物の最奥の壁なのである。

 部長は突き当たりまで進むとこちらを振り返った。

「春ちゃんの言うたように、いつまで経っても現れない。それで、監督いうんか、メインで仕切ってた先輩が、二階に上がって様子を見に行った。——ところが、誰もおらへんかった。もぬけのからやったんやと」

 一瞬、空気が静まり返る。が、その沈黙を桐山がすぐに打ち破る。

「まあ、単純に考えたら、この廊下に姿が見えへんかったんなら、こっちの作法室にいるはずですよね」

「せやな。けど、リハ中は鍵かけてたから、入れるはずないねん」

 さすがに、そんな単純な話ではないらしい。

「緒方が持ってる鍵の中に、ここの鍵ってあるの?」

 日笠さんに尋ねられて、僕は鍵束をポケットから取り出す。じゃらじゃらと音が鳴った。鍵に貼られたシールを頼りに、作法室の鍵を探す。

「あ、あったわ、これやな」

 わかりやすく『作法室』と印字されたシールの貼ってある鍵をよりわける。他には、まずこの建物自体の玄関の鍵である『正面玄関』の鍵と、『会議室』『事務室』の鍵、それと『事務室裏口』の鍵がある。鍵束についている鍵は全部で四つ。

 ただし、祥楓記念会館にある鍵のかけられる扉は、この四つだけじゃない。もうひとつ、時計塔へと続く扉がある。この鍵は、教員ですら基本は持ち出せないので、当然、僕が借りている鍵束にもついていない。

『作法室』の鍵をさし、扉を開ける。この扉も、内開きだった。

 入学時のオリエンテーションのときは、一階部分のみの見学だったので、ここに入るのは今日がはじめて。

 扉を開けるとすぐ、靴を脱ぐスペースになっている。玄関みたいな。さして広くはないので、ぞろぞろと五人入るとけっこう窮屈。

「うわ、畳や」

 続く襖を開けると、四畳半のちいさな和室だった。

 いちおう、床の間もある。ちょっと感動。僕はいまの家も前の家も、和室のないマンション住まいだ。親戚付き合いがほぼなく、ゆいいつ交流のある祖母もマンション暮らしで、ザ・日本家屋に遊びに行って和室で寝る、みたいな経験がゼロだから、物珍しさでちょっとテンションが上がった。

「『サマーウォーズ』みたい」

「え、アニメの? あれさすがにもうちょい部屋広ない?」

 靴を脱いであがりこみ、畳をぺしぺし叩いていると、桐山からもっともな突っ込みが入った。

「でも、入れたとしても、ひとが隠れられるようなところはなさそうっすね。三年前は、鍵かかってたってことやったら、この作法室の中は確かめへんかったんですか?」

 五人全員が畳にあがったところで、春川先輩が部長に尋ねる。部長は「いや」と否定した。

「ここ、ほら、内側から鍵かけられるやろ。やから、実はもともと鍵が開いてて、そこにジュリエット先輩が入って自分で鍵かけたんちゃうかって話になったんよな、たしか。急に体調崩して咄嗟に、とか、ありえなくもないことやし。で、さっき話した、メインで女子の先輩が、鍵開けて確認してん。やけど、ここもやっぱり、誰もおらんかったって報告やった」

「鍵は、その女子の先輩が、ずっと持ってたんですか?」

 これは、日笠さんの質問。

「うん、そうみたい。いま、あっきーと日笠さんが鍵管理してるのと同じで、学級委員やったはずやし」

「そうなんですね」

 気になるところがあったのか、日笠さんは作法室内を見まわしてから、首をかしげた。

「でもこの部屋、リハ中は鍵かけて使ってなかったって、もったいないですね。小道具置くとか、衣装直しとかするのに、ちょうど良さそうな部屋なのに」

「お、日笠さん、正解。実際、荷物置きというか、女子の更衣室代わりになってたで」

「え? じゃあ、なんで、わざわざ鍵かけてたんですか? リハ中も開放してたほうが、なにかと便利ですよね」

「盗難予防策。文化祭のちょっと前に、二年のクラスやけど、盗難事件があってな。鞄とか貴重品置いてるところは鍵の管理徹底するよう、先生ら、わりとピリピリしててん。先輩らも、もし、最後の文化祭でそういうこと起きて後味悪くなったら嫌やからって、けっこう厳しめにそのへんは管理してたみたい」

「嫌っすねえ。つうか盗難とか、やっぱ、祥楓高校でもあるんですね」

 部長たちの会話を聞いて、桐山が眉をひそめる。

 まあ、どこの学校にだって、あるだろう。

 出来心、魔が差す、ということもあるし。

 事実、僕は入学して間もない五月の半ばに、見知らぬ先輩に財布を盗られかけたことがある。無事に未遂に終わり、犯人──というのか、相手とも和解してる。

 その件をきっかけに、段下部長と知り合って、で、現象部に入部することになったのだ。

「いまさらな疑問なんですけど、太一さんって、例のジュリエット役の先輩がいないって騒ぎになったときは、一階のエントランスホールにいたんですよね? その学級委員の先輩がこの作法室とかさがすのに、一緒についていったわけやないんですか?」

「うん、俺はずっと一階にいた。もうひとりの、二年の実行委員の先輩と一緒にな。実際に二階さがしたのは先輩らだけで、やから、これまで話した廊下にも作法室にもいなかったってのは、伝聞の情報でしかないよ」

「うーん、ほな、その当時の三年の先輩らが正しい証言をしてなくて、実はジュリエット先輩はずっとこの部屋にいましたって可能性も、とうぜんあるんですよね」

「まあな」

 春川先輩と段下部長の会話を耳に、僕はぼんやりと思考を巡らせる。

 本気でこの消失の謎を解くには、情報が不足しすぎている。どうとでも解を見つけられるし、でっち上げることもできる。

 結局リハ中にジュリエット役の先輩は見つからず、かつ、実際の劇には代役が立った。

 とすると、あまり愉快ではない仮説をひとつ思いついた。

「あの、本番で代役いうんか、ジュリエット役演じたのって、誰やったんですか?」

「あ、言うてなかったっけ? さっきから話によく出てきた、女子の学級委員の先輩」

 僕が尋ねると、部長はそう教えてくれた。名前までは、さすがに憶えていないそうだ。

 もう作法室内で見るところはなさそうなので、五人そろって退出する。忘れずに、鍵もかける。

 廊下に出て、いまと反対側、つまりは建物の入り口側の方向へと進む。一部吹き抜けになっている廊下を過ぎると、すぐに曲がり角となる。道なりに進むと、左手に時計塔へと続く扉が現れる。ここを通り過ぎると曲がり角となり、さっきとは反対側の吹き抜け廊下に辿り着く。

「この、時計塔へ入るための鍵は、鍵束にないんだよね?」

「うん」

 日笠さんの質問に、鍵束を取り出して見せつつ頷く。

 あらためて、二階の間取りを思い浮かべる。

 二階の造りは、左右ほぼ対称となっている。階段をあがって、踊り場から左手に進んでも、入り口側へ進めば、同じように、この時計塔への扉へ着く。

 建物の奥側へと進むと、右手へ進んだときは作法室があった位置に、会議室がある。部長に確認したところ、こっちは主に男子生徒が使用していたらしいが、作法室と同様、リハ中は施錠されていたらしい。

「わかりましたよ、俺にはこの謎が解けました……!」

 作法室を出て以来おとなしかった桐山が、突然立ち止まりそう言った。

「お、まじで? じゃあ桐山くん、発表どうぞ」

 部長が促すと、桐山はなんの変哲もない廊下を指さして宣言した。

「ずばりですね、このへんに隠し通路があったんですよ!」

「いやないやろ、あったらおもろいけどな」

「ですよね」

 そのとおり。

 ここはただの公立高校の一建造物であり、金持ちが道楽で建てたからくりびっくり屋敷ではないので、残念ながらそんなものはない。誰が設計したかは知らないが、隠し部屋や隠し通路をつくらずにはいられない建築家が設計したわけではないだろうし。

 そんな話をしながら、一階へとおりる。一階の階段の奥、裏側になる場所は、ロビーのようになっている。創立時の写真パネルが飾られており、数脚のイスとテーブルがある。

 エントランスホールの、玄関に向かって右手には男女別のトイレ。左手は事務室があり、いちおうのぞいてみたが、簡易のシンクと、細々したものが雑多に収められているキャビネット、それに事務机があるくらいで、たいした発見はなかった。

「なんか、あっさり終わってしまいましたね、フィールドワーク」

 春川先輩が、拍子抜け、とでもいった様子で首の後ろに手をあてながら言う。桐山の言ったような隠し通路でもありそうな気配があれば、もう少し盛り上がったフィールドワークになったかもしれない。

「ま、俺の三年前のうろ憶え記憶頼みフィールドワークやし、こんなもんやろ。なんか、これっていう説浮かんだら、毒チョコよろしく今度みんなで検討会でもしようか」

 隠し通路説以外で頼むで、と部長が念を押すと、桐山が派手に笑った。つられて、僕らもみんな笑う。

 急に気が抜けて、思わずあくびが出そうになったのわ、マスクの下で噛み殺す。

「じゃあ、今日は、とりあえず解散にします?」

「せやなあ」

 春川先輩の提案に部長が頷く。僕ら一年三人衆も同意して、その場は解散となった。先輩たちは、いつもの部室、第二生物室に寄るそうだ。僕はどうしようかと思ったけど、せっかくなので日笠さんと桐山に声をかける。

「どうする? どっか寄る?」

「俺、ドーナツ五個までやったら割引券持ってるで」

 桐山が自慢げにそう言って笑った。そんなわけで、次の目的地、決定。ありふれた放課後だ。

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