捜査もしくは準備期間

フィールドワーク

『大丈夫そう?』って日笠さんからメッセージが届いたのは、帰宅・夕飯・お風呂後、ベッドに寝っ転がってぼんやりしていた午後十時のことで、大丈夫かってなんのことだっけと一瞬考え、そっかそういや脱出ゲームのシナリオ担当だったな僕、と思い出す。ひとが消えた噂やら謎の手紙やらいろいろあってすっかり忘れていた。たった数時間前に決まったことだというのに。

『大丈夫、たぶんいける』と、とくになにも考えていなかったけど、返事をする。まあ、たぶんいけるってのは、ほんとだからいいだろう。

 ベッドから起き上がって、隣の本棚に手を伸ばす。ルイス・キャロルの論理パズル本を抜き出し、ぱらぱらめくる。さすがにそのまま使うのは駄目かなって思うけど、いくつかアレンジして、それをスタンプラリー的な感じで、教室や時計塔を探索しつつクイズやパズルをポイントごとに解いてもらい脱出を目指す、みたいな感じにすればなんとかなるんじゃないだろうか。それか、この手のパズル遊びはクラスの白井しらいが得意だから、一緒に考えてもらうか。

 メインのお話もなにか考えなきゃいけないけど、せっかく時計塔使えるんだし、そのへん絡めてつくればなんかいい感じになるだろ、たぶん。

 いろいろ考えたり、思い返すことが多かったせいか、頭がぼやーっとしてくる。これなら眠れるかもと期待して、再び寝っ転がってみるけれど、気まぐれでわがままな僕の眠りは、すぐにどこかに遠ざかる。ので、結局少し考えごとをする。

 文化祭、脱出ゲーム、シナリオ作り。大丈夫、できるって言ったし、これは、なんとかなる、たぶん。時計塔に、三年前の噂話。生徒がひとり消えたって——だからどうした? 仮に時計塔になにかひとが消える仕組みがあって、それがいまも作動するというのならさすがに困るが、もちろんそんなわけはない。だから、気にしなければいい。いいはず、なのだけど。

 あの日いなくなった私をさがして、か。

 寝転がったまま、机に手を伸ばす。机上の紙片をつまみ上げ、それを眺める。

 この手紙の送り主は、誰だろう。どこから来て、どこへ消えたというんだろう。

 あらためて、紙片を観察してみる。

 紙の色は白。大きさは学生証とか、定期のICカードよりもひとまわりちいさいくらい。紙質は、プリントなんかのコピー用紙に比べると、頑丈で厚みがある。

「……ん?」

 よく見ると、四角形の紙片のうち、二辺はやや傾いていた、というか斜めだった。定規を使わないで、鋏かカッターで切ったように。

 と、そこで気がつく。

 これ、切り取られたものの一部なんじゃないだろうか。

 文字の書かれている位置も、おかしいのだ。紙のかなり上方に記されている。

 まるで、なにかの文章の、最後の一文だけを切り取ったかのように。

 というか、これ、手書きだと思っていたけど、よく見ると、手書き風のフォントで、印字されたものかもしれない。

「……わかんね」

 前の文章を、想像してみようとしたが、見当もつかない。

 机の上に紙を戻して、寝返りをうち、うずくまるようにして横になる。

 一瞬だけ、眠りの尻尾をつかまえた、そんな気がしたけど、やっぱり気のせいで、沈みたいのに沈めない。諦めてからだを起こし、床に置いたリュックサックのなかを探る。部長に借りた本を開く。文字を読むことは、好きだと思う。文字を追うという旅をすること、それは少しだけ、僕に安心を与えてくれる。




「……なんか、予定より人数多くない?」

「ええやんべつに。人数多いほうが、なんか浮かぶ率も高いって、たぶん」

「そうそういいじゃん、多くて困るものとかそうそうないよ」

 三年前の文化祭の日、いかにしてジュリエット先輩は姿を消したのか?

 単純に『どうやって』消えたんか、気になるよな。春川先輩のその主張はもっともで、じゃあ、現場検証をしようと決まった。

 あの手紙が見つかった日は、おとなしくみんな帰宅した。なんやかんや、下校時刻も迫っていたし。朝比奈先輩と、踊り場にいた宮本先輩、柚木さんの軽音部の面々と、僕ら現象部三人組は、一緒に昇降口まで向かってそこで解散した。僕以外はみんな、自転車通学組なのだった。

 そして、今日、検証日当日。

 九月四日、週明け、気だるい月曜日。

 集まったのは、現象部メンバーだけではなかった。

 頼れるもうひとりの学級委員こと日笠さんと、なぜか、同じクラスの桐山がいる。

 日笠さんは、わかる。もともと僕があの噂を聞いたのは、日笠さんの口からだ。だから、木曜の夜、本を読んでるところでメッセージの返信がきたときに、いちおう、部長から聞いた話を伝えた。部長が当時文化祭実行委員で、その場にいたこと。劇にはなぜか代役が立ったこと。真相はわかっていないこと。

 で、近いうちに現場検証することになったことも報告したら『わたしも参加したい』と返ってきた。段下部長と春川先輩にも連絡して、日笠さん属するバド部が休みの月曜日に集合することになった、という運びだった。

 日笠さんには、生物室に送り主不明の手紙があったことは、話していない。なんとなく。

 で、もうひとりのこいつだ。

「ほんで桐山はどっから現れてん」

「うわなにそれ緒方、なんか冷たない? 土曜に部活終わりで日笠ちゃんと喋っとって、文化祭の話題なってそんで時計塔の話なって、謎の噂とかいろいろ聞いておれも気になるなーってなってん」

 そうですか。

 まあでも、実をいうと、ちょっと嬉しかったりもした。桐山とは、教室ではよくだべるけど、向こうはサッカー部の活動やらで忙しいので、放課後に遊ぶことは意外と少ない。

「でも桐山、今日は部活ないん?」

「昨日練習試合やって、今日は休みやねん、休息日」

「勝った?」

「勝ったで」

 相手どこ? と訊こうかと思ったけどやっぱりやめた。空しくなるような気がしたから。

 そんな話をしていると、職員駐車場を突っ切って、段下部長と春川先輩が近づいてくるのが見えた。部長が右手を上げて僕らに手を振る。

「ごめんお待たせー。お、なんか予定よりようけ人数おるな」

「どうも、緒方と同じクラスの桐山きりやま翔大しょうだいです。すみません、急にお邪魔して」

「や、もともと自分らが文化祭で使うんやろ、むしろ邪魔してんの俺と春ちゃんやし。俺、段下っていいます、よろしくー」

 今日はよろしくですーと笑いながら敬礼の真似事をする桐山。部長とははやくも打ち解けた様子だった。

「ご挨拶遅れました、一年F組の日笠ひかさ絵梨花えりかです。今日はよろしくお願いします」

「あ、どうも、三年の春川はるかわりつです」

 ぺこりと頭を下げる日笠さんに、春川先輩がお辞儀を返す。通常運転の部長に比べ、春川先輩はいつもよりやや控えめだった。

「じゃあ、それぞれ名前も聞いたところで、いざ行こか」

 部長に促され、僕らはぞろぞろと歩き出す。

「つうかほんま、九月なっても暑すぎるよなあ……あ、なあ、時計塔ってクーラーあるよな? ないとかないよな?」

「……え? どうやろ、知らん、あるんちゃう?」

 やけにファンシーなキャラクターグッズのハンディファンで、顔に風を浴びせていた桐山に尋ねられる。だが、残念ながら僕も知らない。なかったらどうしよう。文化祭は今月末、九月二十四日。いまよりいくぶんか涼しくなってるだろうけど、それでも、日中はそこそこ気温が上がるはず。熱中症なんかなったら洒落にならない。

「大丈夫、あるはずやで。建物古いけど、同窓会館やしひと集まることもあるから、ちゃんと改修はしててエアコンもついてる」

 段下部長の返答に、僕らは胸をなでおろす。よかった。ここにきて場所変更とか、さすがに手間だ。

 そんな話をしているうちに、いつのまにか、時計塔の前にいた。改修しているとはいえ、かなり古い建物である。時計塔の──ずっと時計塔と呼んでいるが、正式には祥楓記念会館の、狭義の時計塔の部分は三階くらいの高さがあるが、あとは二階建てで、全体としてはこぢんまりとした建物だ。まあ、校舎と比べるから、そう見えるのかもしれないけど。和洋折衷、とでもいえばいいのか、全体的に洋風の造りだけれど、屋根の感じだったり、ところどころが和風っぽい。

 こうやって見上げると、立派な建物だな、と思う。

 忘れ去られたように、片隅に佇んでいるのがもったいない。

 少し、親しみのようなものを覚えた。めまぐるしく過ぎる日々のなかで、追いやられているもの。気にも留められない、置いていかれた存在。

 時計塔の鍵をポケットから取り出す。さっき、職員室から借りてきた。うっかりせっかくもらった特別教室使用許可証を、日笠さんとふたりして持って行くのを忘れたけど、幸い担任のよっぴーがいたのであっさり借りることができた。

 僕は鍵穴に、鍵をさした。そして、まわす。扉を開ける。

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