消失

「つうか俺、その場おったんよなあ。その、リハーサル現場。一年のとき、文化祭実行委員やってん」

 部長がまず、そう切り出したところで、早々に春川先輩の突っ込みが入る。

「え、太一さん、実行委員やってたんですか?」

「うん、そう。なんで? 意外?」

「かなり意外っす。やって太一さん、一年のときいうたら、ほら、部活忙しかったんちゃいます?」

 実行委員とかやってる余裕あったんですか、と先輩は部長に続けて問う。

「んーそれがな、俺が入学したころって、運動部が文化祭実行委員やるんが伝統いうか暗黙の了解やってんな。文化部は自分らの発表と出し物で忙しくて、かといって帰宅部でもバイトとかで顔出せへんこと多いから。個人競技のやつとか、大会かぶってないやつが、適当に先輩から声かけられて引き受けててん。……ただ、あのころの休校措置やら部活自粛やらでそのへんぐだぐだなって、廃れた感じやな」

 段下部長は、ずっとこの謎の現象部に所属していたわけではない。

 もともとは、空手部だったのだ。

 めちゃくちゃつよかったらしい。

 はっきりと辞めた理由は聞いていないけど、なにか、怪我か病気がきっかけだったらしい。

 僕の現状も、違うけど、似たようなもの。

「ほんで、話戻るけど。とにかく、俺、実行委員で、それで当日のリハーサル立ち会い係やってんな。時計塔で劇したクラスの」

 文化祭は開始が九時からで、その前に、舞台発表系の出し物はリハーサルを行う。さすがに丸々通しでやるわけではなく、立ち位置や段取りの確認メインで手短なものらしい。その場に実行委員がひとりかふたり、お目付け役というか進行役として立ち会うのだ。

 その立ち会い進行役が、部長だった。

「また話逸らして悪いんですけど、時計塔で劇ってどうやってやったんですか? あそこ舞台つくってひと集められるほど広くないでしょ。雰囲気はあるかもしれないですけど、観客呼ぼうと思ったら、教室でやるほうがマシちゃいます? ……あ、ちゃうか、そもそも外部客いっさい禁止やったか」

 再び部長に質問を投げるも、春川先輩はその疑問を自己解決してしまった。

 祥楓高校の文化祭は、縮小傾向だった時期がある。

 というか、あのころ、全国どの学校でもそうだっただろう。

 感染症が流行っていたから、ひとが密集するのを防ぐために一般公開はせず、外部客を招かない対応で開催されていたのだ。出し物も、個包装されたもの含め飲食系は一切禁止で、かなり制限されていたらしい。

 生徒の家族など、ごく限られた来客の入場が許可されたのが去年からで、来客規制や出し物の制限がなくなったのは今年から。

「それが上手くてな、その場で観劇してもらうんやなくて、ライブ配信式やってん。生徒の観劇希望者にはホームルーム教室でシアター上映して、外部客は来場禁止やったけど、オンライン配信して生徒以外にも参加してもらっててな。盛り上がってたで。最後はコメントで反応組みこんだりもして、先輩らすごいなーって思った」

「でも、その本番は大成功やったとして、リハーサルのときにひと消えたってどういうことなんです?」

 春川先輩の問いに、部長はどう話すか考えをまとめていたのか、少し間を空けてから口を開いた。

「自分ら、時計塔いうか、祥楓記念会館って入ったことある?」

 僕と春川先輩は、ふたり同時に頷く。

「いうて、めっちゃ前にいっかい入っただけなんで、あんま憶えてないですけど。入学してすぐ、校舎案内のときにのぞいたくらいですね」

「あ、僕も同じです」

 言いながら、そんな曖昧な記憶しかない状態で、よくそこを文化祭で使おうなんてノリになったな僕らのクラス、といまさらながら思った。たぶん、クラスのみんなも、四月以来誰も入ったことないんじゃないかと思う。

「玄関入ってすぐ、エントランスホールになってて、大階段あったのは憶えてる?」

 またしても、春川先輩とともに頷く。

 エントランスホールは吹き抜けになっていて、正面に二階へ続く大きな階段があった。数人が手を伸ばして横に並ぶことができそうな、立派なやつ。踊り場から左右に別れて、二階につながっていたはず。

「その階段と踊り場を、舞台に見立てて劇してん。あがって奥にはけてもうたら、もう一階からは見えへんから、二階を上手い具合に、舞台の袖みたいに待機場所にしたりして使ってたんやけど」

 四月に入ったきりの時計塔の内部を思い返す。

 階段は幅が広く立派なだけでなく、手すりも洒落ているので、見た目がいい。というか時計塔──祥楓記念会館全体が、クラシカルで雰囲気のある建物だ。魅せ方を工夫すれば、確かにかなりよい感じの舞台セットになったのではないかと思う。

「劇の内容は、ロミオとジュリエットのアレンジ版やったな。で、ジュリエット役やってた先輩が、一階から二階に上がって、そんで奥の廊下へはけたあと、次に出る番なっても現れへんくて。で、おかしいなってなって、いったんリハ中止して、ひとりの先輩が二階に様子見に行ってんけど、

「……は?」

 思わず漏れた声は、僕のものだったか、春川先輩のものだったか。

 数秒の沈黙のあと、春川先輩が「……それで、その先輩は、いつ、どこで見つかったんですか?」とおそるおそる訊く。

「さあ」

 答える部長の声は、思いがけないほど冷えていた。

「わからへん。とうぜんリハは中断で、その場で捜索になった。……十五分くらい経ったころかな、先輩らに、見つかったからもう大丈夫、リハ途中やけど、問題ないから実行委員は次のクラスのと向かってくれって言われてな。まあ、リハいうても、もともと機材とか場所トラブルとかないかの最終確認だけやったから、それはべつによかったんやけど」

 でもなあ、と当時を思い返すように部長は目を細める。

「そう言われたそのとき、その場にジュリエット役をやってた先輩の姿はなかった。俺はちょっと納得できへんところあったけど、当時一年で、三年の先輩にそう言われたら引き下がるしかないし。もうひとりの、二年の実行委員の先輩もそうやったと思う。でも、想定外にそのクラスで時間取られて、正門の飾り作業手伝う時間とっくに過ぎてたこともあったし、とりあえずその場を離れた」

 それから、とひと呼吸置いて、部長は続ける。

「文化祭は予定通りはじまった。でも、やっぱりジュリエット役の先輩のことが気になったから、自由時間使って例のクラスの劇を観にいった。ホームルーム教室の、シアター上映な。さっきの、二年の実行委員の先輩も同じやったみたいで、たまたま教室で出くわしたから、一緒に観た。……けっこうおもしろかったな。素人高校生の文化祭劇にしては、ほんまによくできてたと思う。ただ、ジュリエット役は代役やった。

「いや大問題やないですかそれ、ほんまに消えてるやん」

 春川先輩の驚いた声に、そうなんよなあと返す部長の声は、対照的にのんびりとしたものだった。

 ただな、と部長は膝に肘を置き、頬杖をつく。

「でも、まじで失踪したとか行方不明なったとかではないのは確かやで。そうやったらさすがに文化祭どころちゃうと思うし。たぶん、先輩らの言ったとおり、見つかったんはほんまに見つかったんやろ。ただ、なんで本番の劇が代役になってたんかは、わからんかったけど。体調崩したんか、それとも想定外に怪我でもして、それを隠そうとでもしたんかな」

「そのあと……あ、文化祭終わったあとです。学校で、その先輩見かけたりせんかったんですか? どんな様子やったんです?」

 僕がそう訊くと、それがなーと部長は困ったように頭をかいた。

「あっきーも知ってるかもしれんけど、俺、一年の文化祭のあとすぐ入院してんやんか。退院してからもけっこう休んでたし、向こうは三年やしで、見かけたりすれ違ったりしようもなかったんよな」

 はっきりしたことはわからずじまい、とういうことらしい。

 まあでも、さっき部長が言ったように、ほんとうに失踪とか、刑事事件に相当するような状況に巻き込まれたんなら、もっと大事になっているはずなので、そういうことではないのだろう。

 ただ、文化祭に参加できなかっただけ。その程度のことと、いえること。

 春川先輩は、徐々にこの話に興味がわいてきたらしい。きちんと姿勢を正して座り直すと、部長に質問を投げかけた。

「ひとまず、太一さんが見かける機会がなかっただけで、そのジュリエット先輩は無事に見つかっとって、文化祭後も学校にふつうに通ってたとしましょう。……でも、リハの、いわば衆人環視のなかで忽然といなくなってしまった謎について、なんか合理的な解法は見つかったんですか?」

「先輩らからこういうことでしたって説明はなかったな」

「え、そんなことあります?」

 あるやろ、と変わらず部長はさして疑問に思ってる様子もなく返す。

「視線の密室といえなくもない状況やったわけやけど、ただの見落としとかすれ違いとかで起こり得る現象やろ。密室を破る方法なんか腐るほどあるねん。当時もそう思ったから、そこについてはそんなに気にはならへんかった。……ただ、なんで、本番でジュリエット役を演じた先輩が、本番で別の先輩になったのか、先輩クラスがなんで俺ら実行委員に詳しい説明をしてくれへんかったんか、はいまでもちょっと、気になるかな。いなくなったジュリエット先輩に、どんな事情があったのか」

 仮に消失自体が意図したものでない、すれ違いとか偶然の産物で、ただの勘違いであったなら、無事に見つかったあと劇の本番で代役を立てる必要などない。

 もしそうでなく、たとえば、急に腹痛に見舞われてひとの少ないところで休んでいた、本番は無理そうなので代役を立てた、とかなら、一緒に時間を割いて捜してくれた部長たちに、一言説明があるのがふつうじゃなかろうか。

 とはいえ、三年前の、まったく知り合いでもなんでもない先輩たちの話だ。

 そんな誰とも知らない他人の事情が、どうしてこんなに気になるのか。

 なにかが、どうにも引っかかるところがある。

 それが、なになのかわからなくて、気持ちが悪い。


 ──だいじょうぶ、べつに、気にせんでいいよ。


 いつか、耳にした言葉を思い出す。あのとき、僕は、だいじょうぶ、じゃないだろうと思った。思ってること、言いたいこと、いくらでもあるだろ。

 そうか、たぶんこれは、共感もしくは同調。ただ、僕がいまも処理しきれてない昔の出来事に、引っ張られてる。それだけのこと。

「まあ俺は単純に、どうやって消えたんか、も気になりますけどね」

 ぼんやりと黙った僕のフォローでもしてくれるかのように、春川先輩がそう言った。

「んー、ほなさ、あっきー、特別教室使用許可証もらってるやろ? ここで曖昧な場所情報頼りに議論したって結論出えへんし、みんなで実際に時計塔行ってみようや。案外、あっさり解決するんちゃう? 俺もそんな気にしてんかったとは言うたけど、わかったらすっきりするんは間違いないし」

 部長の言葉に、僕と春川先輩は顔を見合わせ、それから頷いた。

 こうなれば次の活動予定は決定だ。フィールドワークと洒落込もう。

 部長が、左手首に巻かれた時計に視線を落とす。スマートウォッチ。反応しなかったのか、画面を右手の指で叩いていた。なんやかんや、けっこう時間が経っているはず。

 そのときだった。

 悲鳴のような軋む音──つまりは、生物室の扉の開く音が、僕らの耳に届いた。 

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