三年前

「まあ、そんなあらたまって聞いてもらうような話でもないんですけど」

 そう前置きしてから、僕は話し出す。

「えっと、僕らのクラス、文化祭で時計塔使うことになったわけなんですけど。そしたら、時計塔といえば、気になる噂を聞いたって、日笠さんが言ってて」

 うん、と相槌を打ちつつ、春川先輩が部長の隣で丸椅子に座る。

「……なんか、三年前の文化祭の日に、生徒がひとり消えたって。それ、ほんまなんかなあって」

 言いながら、自分でもよくわからない話をしているな、と思う。よくわからない、というよりは、馬鹿馬鹿しいに近い。アホらしいとでもいえばいいか。

 まず『消えた』の意味が曖昧だし、出所がはっきりしない不確かきわまりない話だ。学校の七不思議で無条件にはしゃぐ年齢でもない。でも、そういう怪談話で盛り上がるのとはどこか違う、なにか嫌な手ざわりのものを、僕はこの噂から感じている。それがなになのか、なぜなのかわわからなくて収まりが悪い。たぶん、そんな感じ。

 ただ、その感覚をうまく話せなくて、喋りながらどうにもバツが悪くなってくる。

 三年生の先輩たちに、こんな噂話を持ち出してしまったことを、はやくも後悔しはじめていた。なんか適当に切り上げるか、と考えはじめた矢先に、

「ああ、それでか」

 と、納得したように、部長が呟いた。

「『三年前』なら、俺やったらなんか知ってるかもしれんもんな。当時、一年やったから」

 僕は首を縦に振って頷く。

 普通科の僕らの高校カリキュラムは三年で終わる。だから、在校生で、三年前の文化祭のことを知っている生徒はもういない——なんらかの事情があって、留年でもしていないかぎりは。

 段下部長は留年している。二年生を二回、過ごしたらしい。

 春川先輩が同じ学年にも関わらず、部長に敬語なのはそのためだ。もっとも、ほかの三年生のほとんどは、部長に対して、同い年のようにタメ語で接しているらしいのだけど。

「具体的にどこで、とか、なんで、とか、そもそも誰が、とかは聞いた?」

 部長に尋ねられ、僕は答える。

「えっと、時計塔で劇やったクラスがあって、そのリハーサルのときに消えた生徒がいるってことだけ、聞きました」

「ふーん、そっか。……その噂なあ、ほんまやで」

「え? まじなんですか?」

「うん」

 こともなげに、あっさりと頷く部長。ずっと黙って話を聞いていた春川先輩が、怪訝な視線を部長に向ける。

「俺、そんな話、いままで聞いたことないですよ。ほんまなんですか? というか『消えた』ってどういう意味です?」

「うーん、文字どおりの『消えた』やねんけど。『消えた』とうか『消失』かな」

「はあ?」

 いやいやいやそんなことあるわけないでしょ。そう言った春川先輩の声は、廊下から聞こえてきた賑やかな話し声にかき消された。少し、不思議に思う。いつもなら、廊下の声がこんなにはっきり準備室までは届かない。部長もそう気づいたらしい。

「春ちゃん、ひょっとして教室のドア閉めてないんちゃう?」

「いや閉め……てませんね。そうや、電子レンジ持っとったから開けんのめっちゃ苦労して、閉めるんあとにしよう思って忘れとった」

「なんでそれで俺の頭は叩くねん」

「つい思わずかっとなって、ってやつですよ」

 立ち上がった春川先輩を、部長が制した。

「ええよ、近いし俺が閉めてくるわ。春ちゃんは電子レンジここに運んどいてや、そこコンセント近くにないやろ」

「あんた俺に電子レンジ運ばせたいだけでしょ」

 入り口近くのキャビネット一角を指した部長に、呆れながら春川先輩は言葉を返す。つうかそこ置けなくないですか、と続けた先輩に、部長はちょっと荷物どけたらいけるって、と細々と置かれた物を適当に押しやりはじめた。

「あーもう、わかりましたわかりました、運びますよ」

 いったん机に置かれていた電子レンジを、再び持ち上げる春川先輩。明らかに腕が震えていた。先輩は、背はけっこう高いけどひょろりと痩せていて、正直、力仕事に向いているようにはあまり思えない。

「先輩、僕運びますよ」

「いやいいねん晃は座っといてくれ、もうここまできたらなんか意地やねん運びきったるわ」

 よろよろと心配になるような動きで電子レンジが運ばれる。そこまで言うのなら、とおとなしく見守っていようとしたが、キャビネットの場所空けが滞っていた。僕は立ち上がり、部長を手伝う。つまり結局はみんなして、準備室の入り口側に集まっている状態になってしまっているのだった。

 授業で利用されることがすっかりなくなっているここ第二生物室は、いまいる準備室含め、掃除も僕らでやっている。他の生徒どころか教師が来ることさえ滅多にない。とはいえ、当たり前だがここは部室である以前に教室で、そして学校の一部で、こんなふうに私物を置いたり好き勝手に使っていることは、あまり誉められたことではない。というか駄目だろう。でも、バレたところで多少の荷物は大目に見てもらえるだろうし、電子レンジやかき氷機だって、実験で使うんですとか適当に言えば、たぶん、なんとかなる。ゆるい学校なのだ。

 左手で、耳たぶのピアスに触れる。装飾具の類だって禁止されているけど、よほど派手じゃなければ、たとえば、これくらいだったらなにも言われないし。

「それにしても、いろんなもの置いてありますね、ほんとに」

「まあ歴代の先輩がいろいろ置いていってるからなあ」

 雑多に置かれた本やら漫画やらを、整理して場所を空ける。はやくしなければ春川先輩の両腕が限界を迎えてしまう。

「なんか同じCD三枚ありますよ」

「あ、それはなあ」

 僕の手元を見ながら部長が答える。

「このまえ、軽音部のあさちゃんからもらってん。先輩がメジャーデビューしたらしくて、その先輩の。みんなに配って布教してくれって三枚くれた」

「いやぜんぜん配ってないじゃないですか」と春川先輩。

「こういうの好みとかあるし、押し付けはあかんやろ……いや、嘘、ごめん。もらったこと忘れとっただけ」

 忘れていた罪悪感からなのか、部長は若干気まずそうにそう言った。続いて、僕の手から、三枚のCDのうちの一枚を引き抜くと、ケースを開いて中を眺める。僕は残り二枚を、ちょうど目線の高さあたりにしまう。あんまり目立たないとこに置くのは、その朝ちゃんという先輩に、申し訳ないような気がしたので。それから、いくつかの漫画雑誌を押しやって、

「春川先輩、これでたぶん置けます」

 と声をかけた。

 さんきゅ、と短く返した先輩が電子レンジをラックに押し込むのを手伝う。コンセントにコードが届くかも確かめて、無事に設置完了。

「そういや、晃ってふだん音楽とか聴くん?」

 いたわるかのように腕をぶらぶらとさせた春川先輩に尋ねられる。

「うーん、まあ、そこそこ聴きますよ。邦楽バンドが多いですかね」

「へえ、たとえば?」

「んー、『04 Limited Sazabys』とか『ハンブレッダーズ』とか。あ、バンドちゃいますけど『WurtS』とか」

「あー、俺もそのへん好き。『WurtS』あんま聴いたことないねんけど、おすすめある?」

 このへん好きです、と僕はスマホの音楽アプリを立ち上げて、春川先輩に示した。先輩は、僕のスマホに視線を向けつつ、憶えとこ、と自身もスマホを取り出す。

「太一さんは、聴くんほとんどインストバンドですよね」

「そうやけど、いうて俺もわりといろいろ聴くで」

 部長はそう言いながら、眺めていたCDをキャビネットにしまった。

「いるんやったら持って帰ってな、朝ちゃん喜ぶやろうし。ほんで俺は教室のドア閉めてくるわ」

 そういえば、それが部長が立ち上がった目的だった。そして、話の途中なのだ。僕らの話は、こうやって、たいていすぐに脱線する。

 部長が準備室から出て行き、しばらくするとドアが軋む音がした。それをBGMに、僕と先輩はさっきまで座っていた場所にそれぞれ戻る。

「先輩の家って、CD聴けるコンポとかあります?」

 ふと、思いついて尋ねてみる。もし、せっかくCDをもらっても、僕のいまの家じゃ、結局パソコンかスマホに取り込まなきゃ聴けないな、と思い至ったからである。

「あるよ。俺のってか兄貴のやけど。晃の家もあんの?」

「いや、前の家はあったんですけど。母が、アンプとかスピーカーとか、けっこうこだわるひとやったから。妹も楽器やってたし」

「そっか。晃はなんも楽器やらんかったん?」

「母に、ちょろっとピアノ教えてもらったことあるくらいですね。サッカーはじめてからはそっち夢中で、ぜんぜん触らんくなりました」

 そしていまは、ボールも蹴っていない。

 そんな話をしているうちに、部長が準備室へと戻ってきた。ありがとうございます、と僕と春川先輩の声が重なる。

「それじゃ、中断しとった話の続きといこか」

 部長は丸椅子に座ると、三年前の文化祭について、語りはじめた。

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