第二生物室および準備室

 さて。

 ここでとうとつではあるが、僕の所属している『現象部』なる部活動について説明させていただこうと思う。

 中学ではサッカー部に所属していた僕が、どうしてこの現象部に入部したのかというと、いわばなりゆきで、高校入学直後、四月の終わりのとある日に、部長に助けられた、というか、拾われた、というのか。それでなんとなく、そのまま居着いてしまった。

 では、現象部とは、普段いったいどんな活動をしているか? 

 端的に述べるととくになにもしていない。

 部室である第二生物室で、歴代の先輩が持ち込んだ本や漫画を読んだり、昼寝をしたり、ボードゲームや麻雀をしたり、といった具合である。ちなみに現在部員は三人なので三麻しかできない。

 現象学、という哲学の考え方があるらしいけど、たぶん僕らの部活の創設には関係がない。部室、生物室だしな。部長いわく「もともとは自然現象研究部やったんが、略称の現象部で呼ばれるうちに正式名称として定着してもうた」らしいが真偽のほどは定かではない。

 2号館二階一年F組の教室から、渡り廊下を経由して1号館へ。それから、階段をのぼる。

 階段をのぼってすぐの場所に、第二生物室は位置する。ちなみに、第一生物室もきちんとある。こちらは3号館三階に位置し、わりと近年に改装された教室のため、綺麗で設備も整っている。第一のほうが新しくて、第二のほうが旧教室、というのに違和感を覚えなくもないのだけど、とにかく、うちの学校ではそうなっている。

 背負ったままのリュックサックの横ポケットから、キーホルダーつきの鍵を取り出す。ジンベエザメのキーホルダー。おそらく歴代の部員の誰かが、海遊館で買ったものと思われる。鍵はさっき、職員室へ行ったときに一緒に借りた。職員室に鍵があった、ということは、おそらく僕がいちばん乗りのはず。

 扉を開けると、軋んだ音がする。ここの扉はずいぶんと痛んでおり、開閉時に必ず悲鳴をあげるのだ。再び音を鳴らせて扉を閉める。

 半開きの遮光カーテンのおかげで教室内は薄暗い。耐えられないほどではなかったが、それでも、まだ残暑厳しい季節、入り口横のパネルを操作してクーラーを作動させる。心地よい暗がりのなかを移動し、黒板の隣にある準備室の扉に手をかける。

 準備室は、ちいさな明かり採り窓しかないために、さらに暗い。

 部長が来たら、日笠さんから聞いた、三年前の文化祭の噂のことを訊いてみようと思う。だけど、来ないなら来ないで、しかたがない。わざわざ連絡するほどのことでもない。先輩たち、ふたりとも受験生だし。ここを自習室代わりに勉強している日もあるけど、ここで勉強しなきゃいけないという義務があるわけじゃ、もちろんない。部長から本を貸してもらう約束があったけど、帰り際にした口約束だったしな。忘れてても不思議じゃない。

「……さて、それでは」

 せっかくひとりなら、仮眠タイムとさせていただこう。

 リュックサックをおろし、狭い部屋のなかで存在感を誇っている黒いソファへ倒れ込む。それから、目を閉じる。眠れるかどうかは、わからない。でも、こうやって、光をさえぎりうずくまるだけでも、ずいぶんましな気持ちなる。

 視界を閉ざしても、遮れない記憶は、思考は彷徨う。時計塔。文化祭。日笠さんの声。——生徒が、ひとり消えたんだって。消える。いなくなる。なかったことになる。妹の声。母の溜め息。父の横顔。静かな諍い。俯いた妹。さざなみみたいな、言い争い。じわりと僕らを、蝕んだもの。


 あれって、ほんとにあったことだっけ、それともなかったことだっけ?

 

 がたん、と音が鳴る。古びた扉の開く音。生物室の扉の音だ。

 ということは、誰かが来たのだ。

 起こされる前に——いや、先輩たちなら起こすようなことはせず、そっとしといてくれると思うけど、とにかく身体を起こす。

「あ、悪い、起こした?」

 おそらくぼーっとした間抜け面なのだろう僕を見て、部長である段下だんした先輩にそう訊かれる。首を横に振る。続けて発しようとした、寝転がってただけですという言葉が、先輩の手元を見て思わず引っこむ。

 大きなハンドルと、鋭い、回転する刃がついた器具。

「……なんなんですか、それ」

「え? かき氷機。あっきー見たことないん?」

 それは見ればわかる。

 僕の質問が悪い。

 ちなみにあっきーは僕のあだ名。晃だから。こう呼ぶのは部長だけだが。

「なんで、そんなもん持ってるんですか」

倉田くらたさんにもらってん」

 ええやろ、と笑う部長。満面の笑み、という言葉がよく似合う。

 倉田さんは、祥楓高校の用務員さんだ。僕ら現象部とは顔馴染み。僕らの部活の数少ないまともな活動のなかに、倉田さんのお手伝い、中庭など敷地内の環境整備がある。もともとは自然科学部が行っていたのだが、あちらは近年けっこう本格的に物理系の研究活動に忙しく、学外発表なんかもしているので、僕らが担当することになった。

 とはいってもほんとにお手伝い程度で、倉田さんはべつに僕らがいなくても、なにも困らないと思う。むしろ植えてあるトマトなんかを頂戴するのをメインイベントとしているくらいなので、いないほうがいいかもしれない。倉田さんは、ありがたいよ、と言ってくれてはいるけれど。

「用務員室の掃除手伝ってたら出てきてん。使わんから持っていっていいよって」

「それで、来るの遅くなってたんですか?」

「そうそう。先生らに見つからんよう運ぶんたいへんやってんで」

 いやーこれはちょっとした冒険やったな、どこ置こうかこれ。部長は満足気に言いつつ、物のあふれた準備室内を見まわした。やっぱりここに置く気なのか。というか、なぜ用務員室にそんなものがあるのか。とりあえず、そこはいったんスルーすることにする。

「ほんでも、いざつくるってなったら、氷どうするんです? ここ冷凍庫ないし、コンビニまで走る気ですか?」

「んー家庭科部からもらうか、それかそれも倉田さんに頼むかかな」

 なるほど。家庭科部も倉田さんも、恵んでくれそうではある。

 部長は、キャビネットの一角に無理矢理スペースをあけ、そこへかき氷機を押し込んだ。そして、ぱたぱたとシャツの胸元をあおぎながら僕に訊く。

「文化祭、なにやるか決まった?」

「あ、はい、まあ」

「当てたるわ」

 いやさすがに無理ちゃいますか。と、思いつつも、もしかして、という期待のもと、段下部長の続く言葉を待つ。

「……せやな、まず、ホームルーム教室以外の場所を使うんちゃうかとみた」

「え、正解です。なんでわかったんです?」

 まあ単純なことやで、と言いながら、積んである簡素な丸椅子を引き寄せ座る部長。

「ここ、まだ空調効いてへんし、さっきクーラーつけたばっかやろ。てことは、あっきーが部室着いてからそんなに時間は経っていない。で、今日、俺、本貸す約束しとったやろ? なんやかんや真面目で礼儀正しいあっきーは、先輩と約束している日に意味もなく部室に来るのを遅らせようとはしない。てことは、なんらかのやむを得ない……おおげさかな、まあそこまでは言わんでも、なにかそれなりに外せない用事があったはず」

 ふむ、と僕が頷く準備室のその向こう、教室側から、再び扉の軋む音が聞こえてくる。もうひとりの先輩が来たのだろう。ということは、今日もめでたく部員三人、全員そろったことになる。

「毎週木曜の七限はホームルームで、今日のホームルームが文化祭の出し物決めなのは全学年共通で前から決まってた。文化祭実行委員は運営全般の取り仕切りで、クラスの催し物を仕切るのはだいたい学級委員の仕事。そしてあっきーは学級委員。七限後になにか用事があったとしたら、文化祭関係の可能性が高い」

 すっと右手の人差し指を立てて、部長は淀みなく続ける。

「ひとまずクラス内で出し物が決まったあと、まずやるべきことはなにか? 場所の確保やって考えるのが妥当やろ。ホームルーム教室以外の使用は申請がいるからな。有志の実行委員がおったら代行してくれるやろけど、残念なことにあっきーのクラスには実行委員がおらん。そのおかげで文化祭関連の雑務がぜんぶ学級委員にまわってくるって先週嘆いとったもんな」

 確かに、部長たちに愚痴を聞いてもらっていた。言いすぎたかな、とちょっと反省。先輩たちはやさしいので、つい、いろいろと甘えてしまう。

「うん、ホームルーム教室以外も使用する出し物ってのは、正解です。じゃ、僕ら一年F組は具体的にどこでなにをするのか、ここまで当ててみてください、部長」

「よっしゃ受けてたとう」

 ぱちん、と両手を打ち鳴らして、部長にやりと笑った。

「場所は、時計塔やろ。ほんで、展示か劇か……、ちゃうな、脱出ゲームとか」

「え、すごい、当たりです! 時計塔使って、脱出ゲームです」

 びっくりした。

 わりといろいろと察しがいい、というか勘のいい部長ではあるし、文化祭でできることなんかたかが知れてるといえども、場所含めてここまでピンポイントで当てられるとは驚きだった。

「え、ほんまに、なんでわかったんですか……って、は?」「──痛っ!」

  僕の質問は途中で強制的に封じられた。

 とつぜん頭をはたかれた部長の悲痛な叫びによって。

「いやいきなりなにすんねん、春ちゃん」

「それはこっちの台詞ですよ、太一たいちさん」

 なにすんねんいうかなにしてんねん、ですけど。

 そう言いながらなぜかやけに疲れた顔で立っていた春川はるかわ先輩は、現象部部員の最後のひとり。

 ちなみに、太一さん、とは部長のことだ。段下太一さんという。

 そして、とつぜん部長の頭をはたいたことのほかに、今日の春川先輩には、不可解なことがもうひとつ。

 なぜだか電子レンジを抱えていた。

 めっちゃ重そう。

 というか、よくその状態で部長の頭叩けたな。

「ええか、晃、太一さんが晃のクラスの場所と出し物当てられたんな、推理でもなんでもないで。このひと、こっそり聞いとっただけやから。晃が、もうひとりの学級委員の子と喋ってるところ」

「え」

 まじか。

 でも、いつ、どこでだ?

「用務員室の隣の階段で、晃、喋っとったやろ?」

「あ、はい」

 日笠さんと階段で話していたときのことを思い返す。

 あのとき、まわりにひとの姿なんか見えなかったような気がするのだけど。

「あそこの階段の下、いらん机とか物品いっぱい積んであるやんか。……その陰に、隠れとった。いや……まあ、実は、俺も、一緒におってんけど……」

 最後のほうは気まずそうに、というか申し訳なさそうに、小声になる春川先輩だった。

「なにしてたんですか、そんなとこで」

「倉田さんにかき氷機と電子レンジもらって運ぼうとしたら、足音したからとっさに隠れてもうてんなー。職員室側から聞こえたし、阪上さかがみとかやったらこんなん部室に運んでんの見られたら面倒やな思うて」

 僕の疑問に、段下部長が答えてくれる。

 阪上というのは、そう、なんというのか、規律を重んじるというか、あまり融通がきかないというか、そういうタイプの教師である。べつに、悪いひとではない。数学担当で、授業はかなりわかりやすいので、僕はけっこう好き。

「そんで、声であっきーやってわかったから隠れんと出ようと思ってんけど、ほら……、やけに真剣な調子で、立ち止まってずっと話しこんでるから、出るに出られへんくなったゆうか」

「言っとくけどな、俺も太一さんも、ぜんぶは聞いてへんで。時計塔の場所申請の話あたりまでは聞こえとったけど、そのあとは耳塞いどったし」

 よたよたと移動して、奥のテーブルになんとか電子レンジを置いた春川先輩は、妙に必死になって両手で耳を塞ぐジェスチャーを披露してくれた。続けて、あと俺はこれもしてたから、と言ってポケットからイヤホンを取り出し振ってみせる。

「あの、言っときますけど」

 たぶん先輩たちが勘違いしている気がしたので、訂正しておくことにする。これで僕の勘違いだったら、かなり恥ずかしいが。

「告白とか、付き合う付き合わんとか、そういう話してたわけやないですよ」

「あ、そうなん? 俺も春ちゃんもぜったいそっち系の話やと思ってた。付き合ってるわけでもなく?」

「ないですないです、学級委員同士なだけです。それにほら」

 僕は先輩たちの勘違いが面白くて、笑いながら続けた。

「もし告白するんやったら、文化祭終盤か終わってからでしょ。いま言うてあかんかったら、そのあと準備とか一緒にするん気まずすぎるやないですか」

「それは……うん、たしかに、そうやな……」

 先輩ふたりは顔を見合わせ、なぜかものすごく情けなさそうな顔つきになった。

「なあ、あっきー、これから俺あっきーのこと先輩って呼ぼかな」

「え? 部長、なに言うてるんですか?」

「こんな俺たちやけど、晃、これからもよろしくな」

「春川先輩までやめてください、怖いです」

 僕が引き気味の声を出すと、ようやく先輩たちは落ち着いてくれた。ひと息ついたところで、話を巻き戻す。

「日笠さんと──あ、学級委員の子のことですけど、話してたの、先輩らに聞いてもらっても問題ない話やったというか、むしろ聞いてほしい話やったというか……あれ?」

 喋りながら日笠さんとの階段横でした会話を思い出しているうちに、違和感に気がついた。

「僕ら、時計塔使う話はしてたと思いますけど、脱出ゲームやるまで言ってましたっけ?」

「あーそれは」

 部長が種明かししようとしたところを、春川先輩が引き取った。

「『展示か迷路か脱出ゲームか……』みたいな感じでいくつか候補あげて、反応見てただけやで。『そうです脱出ゲームです』言うたんは晃やろ?」

「……言われてみれば、そのとおりですね」

 非常に単純なことであった。

「それにな、途中からしか聞いてへんけど、晃が部室来るんが直行やなかった理由、なんでもええけどたとえば掃除当番やったとか、今日までの提出物あったとか、他にもいろいろ考えられるやろ。他の可能性除外できへん段階で断定されたら、なにかしらタネがあるはずやで」

「掃除当番は週替わりやからないやろ、今週入ってからあっきーずっといちばん乗りやったやん」

「たとえば言うてるでしょ、素直な後輩からかうのも大概にしてくださいって言いたいんですよ俺は」

 ごめんごめん、あんな綺麗に引っかかってくれると思わんかってん、と部長は僕に両手を合わせた。それから、

「そういや、俺らに聞いてほしい話ってなに?」

 と首をかしげた。

 それでようやく、そうだ、訊きたいことがあったんだ、と思い出す。

 寝転がってたところから飛び起きてそのまま話しこんでたから、準備室内は電気もつけていないことに気がつく。窓の向こうはまだ明るいといえど、日は徐々に暮れていく時間帯だ。立ち上がって、入り口近くのスイッチを押す。ぱちん、と間抜けな軽い音とともに灯が白く灯る。数回まばたきをして、目を慣らす。

「あ、そうや、その前にあっきー、忘れんうちに約束した本貸すわ」

 部長はそう言って鞄から一冊の単行本を取り出した。ありがとうございます、とお礼を言って受け取り、あらためて表紙を確認。タイトルは『名探偵のいけにえ』。

「部長大絶賛でしたよねえ。今年の本格ミステリ大賞とったやつでしたっけ。そんなにおもしろかったんですか?」

「めちゃめちゃおもしろかった」

 隣で、春川先輩も頷いている。それはたのしみだ。眠ることを諦めた夜は、だいたい、本を読んで過ごしている。変に寝なきゃまずいと焦るよりは、いっそ起きてやろうと思うほうが、気が楽だ。朝が近づいてから後悔するまでがセットだけど。

 リュックサックに本をしまい、再びソファへ座る。

 さて。

 鈍い頭を揺り起こす。

 まずはどこから話そうか。

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