第23話 地下室
昨晩の祝杯で飲み潰れたゴルドが起きないせいで、三人はもう一日宿場町にとどまることになった。
時間ができたベスは、「明日会うかもしれない盗賊を先に狩っておく」と言い出し、ハルオもそれに同行した。
街道の南側は、昼間でも薄暗い森が続いていた。
枝葉が絡み合い、風の音が吸い込まれるように消えていく。
「……なんだか、緊張してきました」
「そりゃそうさ。昨日の連中は末端だった。今度は“根っこ”を掘り起こすんだ。覚悟がいるよ。」
ベスは前を歩きながら、足元の枝を踏みしめた。
その動きは慎重で、まるで獣のように気配を消している。
ハルオも短剣を抜き、後ろに続いた。
(昨日よりも……体が軽い。)
緊張しているはずなのに、不思議と心は静かだった。
「ハルオ。」
ベスが小声で呼ぶ。
「この先で道が二手に分かれてる。どっちかに奴らが潜んでる。」
「どうやって見分けるんです?」
「見て覚えな。」
ベスは片膝をつき、地面に手を触れる。
土には靴跡が刻まれていた。一方は馬の蹄、もう一方は人の足跡が多い。
「右だね。行商人のふりをして襲うには、こっちが都合がいい。」
即断すると、ベスは森の奥へ進んだ。
空気が変わっていく。
湿った匂い、腐葉土のざらついた感触。
鳥の鳴き声が消え、代わりに聞こえてきたのは――かすかな金属音だった。
「……聞こえるか?」
「はい。何か打ってるような……」
「奴ら、武器を手入れしてやがる。」
ベスは剣を静かに抜いた。陽光を受け、刃が一瞬きらめく。
「気づかれる前に仕掛ける。ハルオ、援護だ。」
茂みを抜けると、崩れかけた石造りの廃屋が見えた。
焚き火を囲んで笑う男たちが五、六人。
腕には、黒い牙の刺青。
「“黒牙”……。」
ベスは視線を走らせる。
「全員で八。二人が弓、残りは近接だ。」
「俺はどうすれば?」
「弓を優先して倒しな。距離を取られたら厄介だ。」
ハルオはうなずき、短剣を握り直した。
鼓動が速くなる。だが恐怖よりも集中が勝っていた。
「行くよ。」
その声とともに、ベスの姿が風のように消えた。
金属のぶつかる音、そして悲鳴。
ベスの剣が最初の男の喉を裂き、その体が焚き火に崩れ落ちた。
「敵襲だッ!」
弓兵が矢をつがえるより早く、ハルオが影から飛び出す。
刃が閃き、弓を構えた腕を切り裂いた。
「ぐあっ!」
「よし、もう一人!」
ベスの声が飛ぶ。
ハルオは反転して二人目に向けナイフを投げる。
刃は正確に肩を貫き、ひるんだ隙に駆け寄り首を切り裂いた。
一方、ベスは三人をすでに斬り伏せていた。
血が飛び、森が赤く染まる。
「クソがぁ!」
斧を構えたリーダーが吠えた。だがその声には焦りが混じっている。
ベスの剣が唸りを上げ、斧の柄ごと叩き割った。
「地獄に行きな!」
刃が閃き、最後の一人が地に倒れる。
風が木々を揺らし、血の匂いが湿った土に溶けた。
ベスは黒鉄の牙飾りをいくつか集め、革袋に放り込む。
「黒牙の印さ。これを見せりゃ、ギルドも信じる。……でも八人だけじゃ少ないね。
なるほど、――あたしたちが先に掃除してたってわけか。」
「やっぱりそうなんですかね。」
「おそらくね。黒牙の下っ端どもさ。道理で襲い方が雑だった。」
ベスは牙飾りをもう一度見つめ、革袋の口を固く縛った。
「けど、本隊はまだ動いてる。八人倒しても、全体の数からすれば爪の先ほどだ。」
ハルオは地面の木箱に目を留めた。
「ベスさん、あれ……」
箱の中には金貨や宝石、そして横に鎖のついた腕輪。
まだ温もりの残る鉄の輪に、泥と血がこびりついていた。
さらに奥の部屋には、地下へと続く階段があった。
ベスとハルオは無言で見合わせ、ゆっくりと降りていく。
湿った空気が肌にまとわりつく。
狭い地下室には、血と錆の臭いが充満していた。
鎖に繋がれた女の腕は痣だらけで、目もうつろ。
檻の中では、幼い子供たちが互いに体を寄せ合い、震えていた。
「……くそっ。」
ベスが低く唸る。怒りがこみ上げ、拳を固く握りしめた。
「ハルオ、鍵を探して!」
「はいっ!」
机をひっくり返し、散らばる帳簿と銀貨の中から、錆びた鍵束を見つける。
「これだ!」
ベスがそれを受け取り、鎖の鍵穴に差し込んだ。
「よし……もう少し……っ」
乾いた金属音が響き、鎖が外れる。
女性はその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。
「大丈夫、もう安心だよ。」
ベスは優しく肩に手を置く。
「ここにいた人数は?」
「わ、わかりません……でも、昨日……何人か連れて行かれました。」
「どこへ?」
「……“峡谷の巣”って……そんな言葉を聞いたんです。」
ベスの目が鋭く光る。
「やっぱり、そこか。」
「ベスさん……その場所を知ってるんですか?」
「黒牙団の本拠――王都のさらに東にある断崖の谷さね。」
その声には冷たさと、どこか懐かしさが混じっていた。
彼女は最後にもう一度、地下室を見回した。
壁にはまだ血の跡が生々しく残っている。
解き放たれた女たちと子供を連れ、二人は静かに森を後にした。
夕暮れの空が赤く染まり、森の影が長く伸びる。
宿場町に戻る頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
救い出した女たちは疲れ切っていたが、誰ひとり言葉を漏らさなかった。
ただ、町の灯りが見えた瞬間――小さな安堵の息がもれた。
「もう少しで着く。しっかり歩きな。」
ベスが声をかけると、彼女たちは震える足を前に出す。
夜、町役場にて。
ハルオとベスは救出者たちを預け、事情を説明していた。
応対に出たのは、警備団詰めの中年団長。
彼は報告を聞くと眉をひそめた。
「黒牙……やはり動いていたか。」
団長は机の上の地図を広げ、トリス街道から王都さらに南へ指を滑らせた。
「報告では“峡谷の巣”に根を張っているらしい。あそこは昔から盗賊どもが潜む場所だが、
最近は王都の貴族筋とも繋がってるという噂だ。」
「貴族……?」
ハルオが眉をひそめる。
団長は声を潜めて続けた。
「黒牙は単なる盗賊団じゃない。裏で奴隷商や密輸の橋渡しをしている。
表では“交易組合”を名乗っているが、実際は闇の網だ。
それを仕切ってる男が――“黒牙の王(キング・ファング)”だ。」
ベスの目が細くなる。
「……」
「とりあえず大手柄だ。しばらくはこの辺も安心だろう。あとは任せて帰っていいぞ」
報奨金の金貨三枚を受け取り宿屋の部屋に戻ると盛大に寝ゲロを吐いたゴルドがまだ寝ていた。
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