39.束縛
狛実駅で1駅先の
さっき見た夢と同じように、電車の中で目を開ける。勿忘草畑が車窓を覆っている。お姉ちゃんがいなくなってから毎日のように見る夢だ。
「帰るの?」
また小花が散った白いワンピースを着ている長髪の女性が、微笑を浮かべながら語りかけてくる。わたしがお姉ちゃんを受け入れる準備をしたからだろうか、未来のわたしだとかつて名乗った彼女はもう「忘れないで」とは言わなかった。
「うん。お姉ちゃんが見つかったからね」
「そのお姉ちゃんと一緒じゃないのはどうして?」
「お姉ちゃんが一緒に帰る相手は花村結生だよ。花村結生がお姉ちゃんと知り合いだったらいいなっていうわたしの願望だけど」
「ふうん……」
あまりにも無謀な賭けとでも軽蔑しただろうか、未来のわたしは笑みを消して口をへの字に曲げる。
「本当に帰れると思ってるの?」
突然、未来のわたしとは違う、幼げなかわいらしい声が右から飛んできた。そちらを向くと、声の印象とは正反対、黒いパンツスーツとハイヒールをかっこよく着こなしたショートカットの女性が無表情で座っていた。わたしは思わず立ち上がって後ずさる。
わたしがよく見る夢の中では、彼女のような未来のわたし以外の登場人物も、時折現れる。そして、その登場人物たちに最近心当たりができた。
「時間警察……」
そう呟くと、ご名答、と彼女は抑揚なく称賛する。
「何、わたしはまだ帰れないって言いたいの?」
「ええ。だってまだこの時代でやることがあるんでしょ?」
やること? そんなのはもうない。花村結生のために人探しをして、お姉ちゃんを見つけて、お姉ちゃんを花村結生に託して――これ以上何をやればいいというんだろう。
「……見て見ぬふりをしてるでしょ。ずっとこのままだったら、貴女の未来はないわよ」
なんだかわたしの全てを見透かしたような、腹が立つ物言いだ。勘違いも甚だしい。
「それじゃ、また現実で」
「あ、ちょっと――」
文句の1つも言ってやりたかったのに、時間警察はぱっと消えてしまった。
突然、全身が硬直し、何かに引っ張られる感覚に襲われる。現実のわたしが、目覚めようとしているのだ。
「もう時間みたいだね。またね」
未来のわたしも、再会の約束と別れを告げてどこかへ行ってしまった。
目を開けると、そこは灯盛駅だった。現代の乗車駅である鏡後駅に着いたと期待していたので、つい拍子抜けしてしまう。電車から降りた途端、湿った熱風が頬に当たる。ブラウスの胸ポケットにしまった切符の日付は、2005年6月12日のままだった。
どうしてまだ帰し方駅にいるんだろう? 仕方なく切符を駅員さんに渡して駅構内を出る。すると夢で見たショートカットの女性が、再び目の前に現れた。
「ほら、帰れないでしょ?」
無表情なのに、時間警察の顔はどこか得意げだ。踏切をしきりに通る車のタイヤとアスファルトが擦れる音にも煽られてる気がして堪らなかった。
「早く帰してよ。わたしにやり残したことはないんだから!」
「ふうん。てっきり中谷美郷を見かけて舞い上がって、一緒に会話したり遊びたいって願望があるのかと思ったけど」
「別にないよ。人の感情を理解できないくせに適当なこと言わないでよ」
「それもそうね」
時間警察は小さくため息をつく。その姿は何だか儚くて、ささやかに吹く熱風ごときにも消し飛ばされそうだった。しかし、彼女の全身は一切揺らがず、しっかりと地に足をつけている。
「でも、貴女の意思がまだこの時代に縛られているに変わりない。これは確実に言えるわ」
「だからわたしに未練なんかないんだってば!」
「ふうん。ならどうして貴女は今も帰し方駅にいるんでしょうね?」
そう問われた瞬間、風は止んで踏切を通り抜ける車も途絶えた。世界から音が消えた。そのせいで時間警察の言葉が尚更痛く耳に響く。何も言えないで押し黙っていると、彼女は追い打ちをかけてきた。
「過去に囚われたままじゃ現代に戻れないからよ。常識でしょ」
違う。わたしは今、未来に目を向けている。
現代に戻ってしばらくしたらいつの間にかお姉ちゃんも帰ってきていて、伊吹くんに吐露したお姉ちゃんがいない世界への不満も、お姉ちゃん絡みで喧嘩した陽菜乃との仲違いも、家族の中でお姉ちゃんを覚えてるのは自分だけという孤独も――そういう過去のあらゆる悲しみや苦しみが全部記憶から消え去った、幸せな未来へ。それなのに……
「なんでこの電車は、いつもわたしを目的地まで連れてってくれないの」
お姉ちゃんがいなくなって間もない頃、わたしは何度か1人で電車に乗りこんで、帰し方駅へ行こうとした。しかし、小学生ほど幼い子どもには過去への執着が弱いから帰し方駅へ行くことはないという噂の通り、わたしは帰し方駅へ行けなかった。
今だってそうだ。現代に帰りたいのに帰してもらえない。
それじゃあもう何回か電車に乗って試してみる? いや、こんなことのために手持ちのお金をあまり減らしたくはない。
ああもう、どうしてダメなんだろう。どうせダメならいっそ――
「早く帰してくれないなら、わたしはここで消えたって構わないから」
「え?」
時間警察の顔に初めて感情が現れる。目をぱちくりさせて、わたしの宣言に酷くうろたえているようだった。
「それ、本気で言ってるの?」
「うん。理想を叶えられないなら消えたほうがマシだもん」
「そんなことしたら、本当の意味で孤独になるわよ!」
時間警察はついに声を荒らげる。
孤独。わたしが最も恐れてること。痛いところを突かれてしまった。
だけど、腹を決めなきゃいけない。過去のしがらみから解放されるなら、何だってやってみせる!
時間警察を振り払い、わたしは走り出す。行くアテはない。とにかく遠く、遠くへ。
時間警察は追って来なかった。
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