第34話
海名は顎に手を添えて、
「そう考える根拠は何かしら?」
「根拠と言えるほど大層なものじゃないが……、一つ目に気になったのは、コンクリート基礎が比較的新しいってことだ」
フェンスの柱を固定する、直方体のコンクリート基礎に目をやる。
「屋上もコンクリートでできているが、こっちは明らかに古い。酸性雨や風化の影響が至る所に見られる。僕が高校の四十四期生だから、この校舎は四十四年前には建てられていたはずだ。改築をしたという話は聞かないから、おそらくこの屋上は学校創立以来そのままだ」
僕はフェンスに軽く手で触れて、
「このフェンスは、おそらく校舎が建てられてからしばらく後に設置されたんだ」
海名は両者を見比べて、
「確かにフェンスを固定しているコンクリート基礎のほうが新しく見えるわね。けれど、それはコンクリートの種類の違いも関係しているのではないかしら?」
僕は頷く。一口にコンクリートと言っても、様々な種類がある。例えばフェンスの柱を支えるコンクリート基礎は、重く作られている。軽いと強風で吹き飛ばされる危険があるためだ。一方、校舎の屋上に使われているコンクリートは、重すぎると天井が落ちる危険があるため、一定の軽量化が求められる。また日常的に雨や直射日光に曝されるため、耐水性や耐候性が重要になってくることは言うまでもない。
同じコンクリートではあるが、そもそも両者は種類が違うため、見た目の劣化にも違いが出てくることは十分に考えられる。フェンスのコンクリート基礎のほうが新しそうだからと言って、フェンスが後に設置された証拠とは言い切れないのである。
「それにもし仮に綿鍵君の言うように、フェンスが学校創立からしばらくした後に設置されたとして、それが二十八年前よりも後の出来事だとは限らないわよね。ひょっとしたら、粥波さんが自殺をする二十八年前よりも昔の三十年前にフェンスが設置されていたということも考えられる。そうなると、粥波さんが自殺するときにフェンスはあったことになる」
「ああ。海名の言う通りだ。そこで気になった点、二つ目だ。このフェンス、異様に高いとは思わないか」
「そうね。高いとは私も思ったけれど……。それがどうフェンスが設置された時期と関係するの?」
「海名は知ってるか、屋上のフェンスが何メートル以上でないといけないのか」
「……人の身長より少し高い二メートル、いえそれだと簡単に登れてしまうから、余裕を持たせて三メートルと言ったところかしら」
「一・一メートルだ」
「え、それほど低いの?」
僕も初めて知ったときには軽く驚いた。けれど立ち止まって考えてみれば、その数字はそれなりに妥当なように思える。
「フェンスの役目はあくまでも落下事故の防止。本来はフェンスを自発的に乗り越えることは想定されていないんだ。成人の腰の高さは平均一メートルくらいだから、一・一メートルと言うと、ちょうど腰上の高さになる。フェンスが腰上まであれば、例えふらついて屋上から落ちそうになっても、全身がフェンスの外へ放り出される心配はほとんどない」
「なるほどね」
「とは言っても、海名がさっき感じたように、一・一メートルでは心許ないのも事実。そこで三メートル程度のフェンスを設ける学校が多い」
「けれど、これはどう低く見積もっても五メートルはありそうね」
海名が目の前に立ちはだかるフェンスを見て言った。
「ああ。異様だろ? 何が何でもフェンスの向こう側に行かせてなるものかという設置者の強い意思を感じさせるフェンスだ」
「あなたが何を言いたいのか分かったわ。つまり、これほど高いフェンスを学校側が設置したのは、粥波さんの自殺があったからだ、と言いたいわけね」
僕は頷く。
「粥波さんの自殺を重く受け止めた学校側は、今後二度とこういうことが起きないように高いフェンスを設置することにした。これが真実であれば、粥波さんが自殺した際にはフェンスがなかった、もしくはあったとしても乗り越えられるような低いものだったということになる」
僕の説明を聞いた海名は、顎に手を添えて少し考えるようにした後、
「そこまでして屋上からの飛び降りを防ぎたいのであれば、わざわざ高いフェンスを設置しなくても、屋上の鍵を閉めれば済む話じゃないかしら。そうすれば誰も屋上には出られなくなるでしょう?」
海名の疑問はもっともだ。けれど、僕はすでにその答えを見つけている。
「屋上に上がってくるとき、ドアノブを見たか?」
「ドアノブ?」
扉を開けたのは僕だ。海名が気づかなかったとしても無理はない。
「扉自体はかなり年季が入っているのに、ドアノブだけが妙に綺麗なんだ。おそらく壊れるか何かしてドアノブだけ交換したんだろうな」
「そのことと、屋上に鍵をかけない理由がどう関係しているの?」
「ドアノブが壊れるのはどんな理由が考えられる? 真っ先に思いつくのは、ドアノブを無理に扱って、という理由じゃないか?」
「そうね。それがもっともありそうね」
「じゃあ、ドアノブを無理に扱うのはどんなときだ?」
「……鍵がかかっていて、それでも扉を無理やり開けようとしたとき?」
「そうだ。扉に鍵がかかっていたら、無理に開けようとする奴もいるかもしれない。特にここは高校だ。過去にはやんちゃな生徒がいたとしても不思議じゃない。そいつは粥波さんの自殺の後に屋上が閉鎖になったことに腹を立て、ドアノブを壊して無理やり屋上へと入った。それを知った学校側は、屋上を閉鎖すれば再びドアノブを壊す生徒が現れていたちごっこになることを懸念し、屋上を解放して高いフェンスを設置することにした」
想像も多分に含まれているが、おおよそこんなところだろう。
「なるほどね」
海名に納得してもらえたようで何よりだ。粥波が飛び降りたときには、フェンスがなかった、もしくはもっと低いフェンスだった。これで僕がこの高いフェンスを登る必要もなくなった。
ほっとしていると、海名が「一休みしましょう」と言って屋上のベンチに腰掛ける。
「あなたも座りなさい。立ってばかりだと疲れるわよ」」
海名がベンチの隣を手でぽんぽんと軽く叩く。
断る理由はなかった。いや、断る度胸がなかったと言うべきか。
海名の隣に座って、ぼんやりと空を見上げる。曇っていて快晴からは程遠い。これくらいの曇り空でちょうどよかったのかもしれない。晴れていたら屋上はサウナのように熱くなっていて、フェンスの謎解きをする余力はなかっただろうから。
待てよ。晴れていたら金網のフェンスも熱かっただろうから、そもそも海名はフェンスをよじ登れと僕に頼まなかった可能性も――。
そんなこと考えている僕に海名が言う。
「お昼ご飯にしましょうか」
スマホを見れば、時刻は十二時半過ぎ。確かにそろそろ腹も空いてくる頃合いだ。
「そうだな。ここからだと、歩いて十五分くらいのところに定食屋があるな。そこでいいか?」
海名は首を横に振ると、
「お弁当を持ってきたの。多めに作ってきたから綿鍵君も一緒にどうかしら」
重箱の弁当……リアルで初めて見た。
海名はベンチの上で手際よく弁当を広げ、飲み物も準備してくれた。
遠慮なく頂くとしよう。
「味はどうかしら?」
「うん、美味いな」
文句なしの美味しさだった。中学の頃の付き合いで、海名のことは色々と知った気になっていたが、料理ができるとは知らなかった。
「準備するのはかなり大変だったんじゃないか?」
「そんなことないわ。料理は普段から作り慣れているし、好きだから」
それにしても本当に美味しい。お店の料理にも引けを取らない美味しさだ。
「よければ明日からも作ってこようと思うのだけれど」
「是非頼む、無理のない範囲で」
海名はこくりと頷いた。心なしか彼女の頬が赤くなっている。好きな料理の腕を褒められて嬉しいのかもしれない。
充実した昼食の時間を過ごした後は、屋上を詳しく見て回った。粥波が自殺した動機を知る手がかりが残っていないかと思ったのである。だけど、結局それらしいものは何も見つからなかった。事件の翌日ならともかく、すでに二十八年もの歳月が流れているのだ。何も見つからなくて当然と言えるかもしれない。
十五時を過ぎた頃、海名が「今日のところはお開きにしましょうか」と言った。
異論はなかった。僕は彼女の助手。彼女の探偵活動をサポートするのが役目だ。彼女が「今日は終わり」だと言ったら終わりなのだ。
別れるとき、彼女は僕に明日も今日と同じ場所と時間に集合するようにと伝えた。
どこに何を調べに行く予定なのかは言わなかった。これから家に帰ってじっくりと考えるつもりなのだろう。
だが、僕の考えは間違っていた。
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