第27話

 街が寝静まった夜、僕と海名は懐中電灯を片手にフェンスの穴をくぐった。

「ここからはできるだけ明かりを点けずに進むぞ。犯人に気づかれるかもしれないからな」

 巡回中の警備員に見つかる危険もある。

 僕らは懐中電灯の明かりを消した。辺りは真っ暗になり、足元も見えなくなる。

「安心しろ。ウサギ小屋までの道は覚えてる。ついてこい」

 懐中電灯を持っていないほうの手を繋ぎ、海名を先導してゆっくりと歩き出す。道を覚えているとは言っても、すいすいと歩く勇気はなかった。何かに躓いて転んでしまうかもしれないからだ。

「暗いな」

 後ろを歩く海名に聞かれないほどの小さな声で言う。周囲で明かりと言えるものは、遠くに見える街灯や、校舎内にぼんやりと光る非常灯ぐらいだ。

 暗闇にいると、時間の感覚が曖昧になる。

 日中であれば数分とかからず歩ける道を、もう何十分も歩いている気がする。

 ボーン、ボーンと、どこか遠くから鐘の音が聞こえてくる。

 暗闇に目が慣れてきたのか、ぼんやりとではあるが辺りの様子が分かるようになってきた。これだけでかなり歩きやすさが変わってくる。

 先ほどまでよりも早いペースで――とは言っても亀のような歩みであることには違いないが――僕らは暗闇を進み、実習棟の建物を迂回するようにして中庭にたどり着いた。

「あれがウサギ小屋だ」

 海名は見るのは初めてだろう。今は暗闇に沈んでいてよく見えないが、青いトタン屋根と金網の壁に囲まれた飼育小屋で、中は成人男性でも余裕で直立できるほどの高さがある。

 造りはかなり古く、あちこちにガタが来ているが、僕が通っていた頃から一向に修理される気配はなかった。いずれ大型の台風が来たら、あっけなく壊れてしまいそうな見た目をしている。

「少し周りを見ていてくれるか?」

 小屋にいるウサギの様子を確認しておこうと思ったのだ。早めに来たつもりだが、ひょっとしたら小屋の中ですでにウサギが殺されていることも考えられる。

「ウサギたちの様子は私が見てくるわ」

 海名が言う。

「犯人の接近にいち早く気づくことができれば、その分だけ余裕をもって対応できる。中庭にやってきた犯人を一刻も早く察知することが大切よ。中庭の地理に詳しい綿鍵君のほうが、周囲の監視に向いているわ。どこから犯人がやってくるか見当をつけやすいでしょう? ここは適材適所よ」

「分かった」

 僕は海名に場所を譲った。

「周囲の警戒をお願いね」

 海名は懐中電灯の明かりを点けて、ウサギ小屋の扉の金具を照らした。鍵が不要な昭和レトロの掛金で、丸い輪っか部分を指でつまんで直角に回すと、受座と呼ばれる金具を外せるようになり、扉を開閉できる仕様になっている。鍵がなくても、中に入ろうと思えば誰でも入れるのである。

 海名が扉を開けて中に入った。彼女の懐中電灯の光が小屋の中でちらちらと動く。

 僕は小屋から視線を外して、周囲を見回す。ここ中庭は、四辺のうち三辺を教室棟、渡り廊下、そして先ほど迂回してきた実習棟で囲まれている。犯人が校舎内に潜んでいて、窓ガラスをぶち破って中庭に侵入(この場合は侵出と言うほうが適切か?)してくるというような馬鹿げた想定をしないのであれば、犯人がやってくるのは、建物がない残りの一辺からか、自由に通り抜けができる渡り廊下からだろう。

 暗闇の中で目を凝らし、些細な変化も見逃さないように気を付ける。

 そうしてしばらく辺りを警戒していたが、背後の小屋から一向に海名が出てこないのを不思議に思い、振り返った。

 小屋の中は真っ暗で何も見えない。それに異様なほどに静かだ。

「海名!?」

 彼女は懐中電灯を点けていたはずだ。どうして小屋の中が真っ暗なんだ。それに物音一つしないのはどういうわけだ。

 まさか、犯人が小屋の中に潜んでいた? 

 小屋に入った海名は犯人に襲われ、懐中電灯を取り上げられ、スイッチを切られてしまった? 犯人は今も小屋の中で息を潜めて、こちらの様子を窺っている?

 いや、小屋の中で何かあれば、物音がしたはずだ。そんなものを聞いた覚えはない。

 一体、小屋の中で何が起きているんだ。

 僕は手に持っていた懐中電灯のスイッチを入れた。焦ってスイッチを何度か押し損じたことは、恥ずかしいので僕だけの秘密だ。

「……海名、何してるんだ」

 小屋に明かりを向けた僕は、中の様子を見てため息を吐く。

 海名が、ウサギを腕に抱えて撫でていたのだ。

「海名、聞こえてるだろ。何をしてるのかって訊いてる」

 海名はウサギを撫でながら言う。

「……ウサギが無事か確かめているの」

「無事か確かめるなら、見るだけで十分だろ」

「触診も大切だわ」

「僕らは獣医師じゃない」

 どうやら海名はウサギが好きらしい。ホームセンターで彼女が「人間小屋」などと言って犯人に怒り心頭だったのは、大好きなウサギが被害に遭っていたからだったのだ。

「ウサギたちは無事だったんだろ。早く出てきてくれ。犯人が来たらどうするんだ」

「……分かったわ」

 彼女は渋々と言った様子で小屋から出てくると、

「綿鍵君、一つ提案があるのだけれど」

「何だ?」

「ウサギを別の場所に移動させるのはどうかしら?」

「……理由は?」

「計画だと、犯人をこのウサギ小屋に閉じ込めるでしょう」

 僕が犯人を捕まえるために立てた計画(海名曰く『人間小屋計画』)は、海名が言うように、犯人がウサギを殺そうと小屋に入ったところで、僕らが外から扉を閉めて掛金をかけるというものだった。掛金を中から外すことはできないから、犯人は小屋に閉じ込められることになる。その間に僕らが通報して、一件落着というわけだ。

「犯人と一緒の空間にウサギが閉じ込められることになるわよね?」

「そうだな」

「最後の悪あがきにと、警察が到着するまでに犯人がウサギを殺すかもしれないわ」

 要するに、海名は大好きなウサギを守りたいわけだ。

 けれど、それは難しい。

「分かってると思うが、リスクが高すぎる。もし犯人が小屋に入る前にウサギがいないことに気づいたらどうする。犯人が小屋に入らず、僕らは犯人を安全に捕まえることができなくなる。言い方は悪いが、ウサギは犯人を釣るためのエサだ」

 エサに釣られて小屋に入った犯人を、そのまま小屋に捕らえる――これが安全かつ手軽な捕獲方法である。

「……そうよね」

 ここまで落ち込んでいる海名を見たのは初めてかもしれない。

 僕は小さくため息をついてから言った。

「分かった。ウサギたちは外に出そう。ちょうど近くの茂みに隠せそうな場所もあるし」

「……けれど、犯人が小屋に入らないかもしれないんでしょう?」

「大丈夫。他の方法で犯人を釣ればいい」

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