第17話
放課後、僕は舞川の部屋にお邪魔した。
防犯セキュリティの高そうなマンションの一室である。
「ウチは家賃の安いアパートでええ言うたんやけど、お父さんがな、ちゃんとしたセキュリティのとこ住め言うてうるさくてな」
「優しい父親なんだな」
「いやいや、そんなことないって。口喧嘩することなんてしょっちゅうやし」
口ではそう言うものの、話す舞川は楽しそうだ。いい親子関係を築けているのだろう。
「それにしても、すごく綺麗にしてるんだな」
白を基調とした部屋は清潔感があって、整理整頓も行き届いている。舞川自身の見た目は派手なほうだから、もっと目がチカチカするような内装の部屋を勝手に想像していた。ギャルは母親の真似をしているだけで、舞川自身はこういった落ち着いた雰囲気が好きなのかもしれない。
「物が少ないだけやって。飲み物は紅茶でええ?」
「ああ」
キッチンに立つ舞川は、どこか大人びて見えた。
紅茶のいい香りが漂ってくる。
「はい、どうぞ」
ティーカップを受け取り、一口飲む。芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
「じゃあビデオ持ってくるから。自分の部屋や思て、くつろいでな」
舞川は扉を開けて、隣の部屋に入っていく。おそらく扉の向こうは寝室だろう。
少しして、舞川が戻ってきた。ノートパソコンを抱えている。
「この部屋テレビないから、観るのはノートパソコンで勘弁してな、画面小さいけど」
ミスコンの映像が保存されたDVDはすでにハードディスクに入っているようで、舞川がノートパソコンを起動すると、キュイーンとDVDが高速に回転する音が鳴り響く。
「ほらほら綿鍵くん、もっとこっち来いや。そんなに遠くにいたら画面見えへんやろ」
ノートパソコンが一台しかないため、どうしても小さな一つの画面を二人で見ることになる。
……落ち着け。覚悟を決めろ。
僕は深呼吸をしてから、舞川のそばに寄った。肩と肩が触れ合うほどの距離である。
「ちょっと待ってな。ミスコン以外も映ってるから、早送りする」
舞川の吐息が頬にかかる。香水でもつけているのか、彼女から甘い香りが漂ってくる。
――集中しろ。画面だけに意識を向けるんだ。
早送りしているとは言え、映像が全く頭に入ってこない。ミスコンのシーンになるまでに気持ちを落ち着かせなければ。
家族以外の人とはしばらく距離を置いてきた僕だ。これほど他人のそばに寄るなんて、随分と久しぶりだった。しかもその相手が女の子ともなれば、緊張するなと言うほうが無理な話だろう(ひまりは幼馴染なので、緊張とは無縁の存在。今朝の接触はノーカンである)。
……言い訳だと分かっている。しかし、言い訳でもして気を紛らわせないと、この緊張をほぐせそうになかった。
……ふう。少し落ち着いてきたぞ。
早送り中の画面では、女の子たちが楽しそうに屋台を回る光景が映っている。舞川母の友達かもしれない。
「ここからやで」
早送りが終わる。
ビデオはステージの上を映している。
思い思いの衣装に身を包んだ女の子たちが、順番にステージに上がって、歌やダンスなどのパフォーマンスをしていた。出演時間は一人当たり三分のようだ。
「あ、これこれ。この人、粥波さん」
胸元の開いた赤いワンピース――女子高生とは思えないほど煽情的な衣装に身を包んだ少女は、確かにネットで見た彼女と同じ顔立ちをしていた。まず間違いなく粥波本人だろう。
彼女は艶やかな踊りを披露し、万感の拍手を背にステージを降りていった。去り際に見せた自信に満ちた表情は、モデル業で成功を収めている彼女だからこその表情と言えるかもしれない。
粥波の次にステージに上がってきた人物を見て、言葉を失った。
「これがウチのお母さんやで」
隣に座る舞川の顔を見る。
「ん? どうしたん?」
舞川が小首を傾げながら、こちらに顔を向ける。
至近距離で見ても、そっくりだった。
ビデオに映る彼女と、目の前にいる彼女――親子だと分かっているが、瓜二つである。ギャルメイクもそっくりなのだ。
「似てる……」
僕の独白に、舞川はにこりと笑った。
「せやろ。ビデオを何度も観て、メイクもめちゃくちゃ練習したし」
母親との思い出を大切にしようという舞川の意志の強さを改めて思い知った。
画面の中で舞川母は歌いながら踊っている。その姿が先日の舞川のライブに重なる。粥波の妖艶で大人びたダンスとは違って、彼女の踊りは緩急があって、見る者の感情をジェットコースターのように激しく揺さぶってくる。所謂エモい踊りってやつだ。
舞川はこの映像を参考にして、歌や踊りを練習してきたのだろう。
たった三分とは思えない濃密なパフォーマンスを成し遂げた舞川母は、観客たちから束の間の静寂、そして惜しみない拍手と称賛の声を受けながら、舞台を去っていった。画面越しではあったが、壮絶なパフォーマンスを目にした観客たちの戸惑いと興奮が伝わってくる。
「お母さん、すごいやろ」
僕は素直に頷くしかなかった。画面越しではなく実際に目にした人々の興奮は如何ほどだったのか、想像することすら難しい。
次の出演者がステージに上がり、パフォーマンスを始めた。舞川母が如何にすごかったのかがよく分かる。言い方は悪いが、今となっては他の参加者たちが引き立て役に見えるほどである。
「綿鍵くん、気になるとこあった?」
隣に座る舞川が顔を覗き込んでくる。
……顔が近い。鼻と鼻が今にもくっつきそうだ。
パーソナルスペースは人それぞれと言うが、舞川は間違いなく狭い部類に入るだろう。僕はどちらかと言うと広いほうなので、相性は悪い。……悪い、はずなのだが……不快ではない。
「今のところコレっていうのはないな」
本当なら繰り返し観て、見落としがないか確かめたいところだが、舞川の部屋に長居するのも気が引ける。
「よかったらDVDを貸してくれないか? 気が済むまで観直したくて」
舞川にとって大切なDVDだろうし、ダメ元でのお願いだったのだが、「もちろんええで」と彼女は快諾してくれた。
「――ほい、どうぞ」
ディスクから取り出したDVDをケースに入れて、舞川が手渡してくれる。
「本当にいいのか? 大切なDVDなんだろ?」
「ウチはいっぱい観とるからな。しばらく観んでも構へん」
「いや、そういうことじゃなくて、ほら、もしかしたら僕がDVDをなくしたり壊したりするかもしれないだろ」
「なーんや、それなら心配あらへん。元のデータは実家に置いてきたビデオカメラの中にあるから。いざってときは、また新しいDVDにダビングすればええ話や」
「そうか。それを聞いて安心した」
借りたDVDを丁寧に鞄に詰めて、玄関に向かう。
「じゃあね~、また学校で~」
ひらひらと手を振る舞川に見送られて、僕は彼女の部屋を後にした。
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