親子のライブ

第6話

 日曜日がやってきた。

「結構な人の数だな」

 舞川からもらったチケットを使って、僕はライブを観に来ていた。会場は地元の商店街にあるライブハウスだ。ライブハウスに来たのは人生初だ。中は思っていたより多くの観客で賑わっていた。二百人はいるんじゃないだろうか。こじんまりとした会場にこれほどたくさんの人が密集していると、熱気が半端ない。まだライブは始まっていないのに、立っているだけで汗だくになりそうだ。

 入場した際に受付で手渡されたチラシに目を落とす。ライブのタイトルは『MUSIC SUNRISE』。

 チラシには出演スケジュールが記されている。どうやら今夜は五組が出演するようだ。舞川の下の名前は、確か蓮香だった。おそらく三組目に出る『RENKA』が彼女だろう。他の出演者たちは『カルガモリーダーズ』や『ORERAHA』など、いかにもチームでバンド活動してますという風な名前だった。

 何気なくチラシの裏面を見ると、各出演者の写真が載っていた。やはり『RENKA』が舞川だ。他の四組は複数人で写っている。バンドを組んでいるのだ。

 舞香だけがソロ?

 何とも違和感のあるライブ構成だ。こういった場合、普通は五組ともバンドチームの演奏に統一するのが自然なように思える。一組だけがソロだなんて、歪すぎる。ライブ素人の僕がものを知らないだけかもしれないが。

 写真の舞川は、笑顔でピース、しかもカメラ目線だ。遠足を楽しむ小学生みたいで、学校で黙々と過ごしている彼女とは大違いだ。放課後に一緒に過ごした時間がなければ、瓜二つの別人だと思ったかもしれない。

 他の四組のバンドの写真は、カッコよかったりポップな感じだったり、どれも大人びていた。舞川の写真だけが子どもっぽくて、やけに浮いていた。目立って客に名前を覚えてもらえるという点では効果的なのかもしれないけれど、多分舞川自身はそんなこと微塵も考えていないだろう。カメラを向けられたから、反射的に笑顔でピースをしただけ――そんな気がする。

 会場を白く染めていた照明が次第に暗くなり、ステージだけが明るく照らし出される。

 一組目のバンドの演奏が始まった。メンバーは僕よりも年上で、大学生くらいだろうか。彼らの音が会場全体を熱く唸らせ、観客たちのボルテージが上がる。

 熱気が冷める間もなく、続く二組目がステージに上がった。メンバー全員が女性で、歳は大学生かもう少し上くらい。このチームもアップテンポな曲を次々と披露し、会場を盛り上げていた。

 会場の熱気に当てられたせいか、気分が悪くなってきた。二組目が演奏を始めて十五分ほど経っている。予定だと一組三十分の演奏だ。舞川の出演まで十五分ほど時間が残っている。一旦外に出て、休憩しよう。

 ライブ会場の外は、長い廊下になっている。会場内とは打って変わって、廊下は静かだ。

 耳を澄ますと、廊下の曲がり角の向こうから話し声が聞こえてきた。

「――純也じゅんや、本当に出るのか? 間に合わなくなるかもしれないぞ」

「……出る。母さんが電話でそうしろって。出番ほっぽりだしたら父さんが許してくれないだろうって」

「そうか……。分かった。だけど、順番を早めてもらえないか相談してみよう。少しでも早く病院に行けるよう」

「……ああ、ありがとな」

「水臭いぞ。俺たち仲間じゃないか――」

 会話を小耳にはさみながら近くのベンチに腰を下ろして休んでいると、

「ねえ、君。大丈夫?」

 話し声が聞こえていた方向とは逆の廊下から、女性が歩いて近寄ってきた。歳は四十歳くらいだろうか。人懐っこい犬のように、相手に壁を感じさせない雰囲気を纏っていた。

「体調悪そうだけど?」

 ベンチで休む僕を心配して、声をかけてくれたようだ。

「ライブに来たのは初めてで……少し酔ってしまったみたいです」

「ありゃ、それは大変だったね。ちょっと待っててね」

 彼女はそう言うと、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら廊下の向こうへと小走りで消えた。

 少しして戻ってきた彼女の手には、スポーツ飲料の入ったペットボトルが握られていた。

「はい。そこに自販機があったから。水分補給はこまめにね。ライブ中に熱中症で倒れるお客さんも多いから」

 手渡されたペットボトルを片手に固まっていると、

「ほら、早く飲んで。熱中症になったら大変だよ」

「どうして見ず知らずの僕に良くしてくれるんですか?」

 初対面の相手からいきなりペットボトルを奢ってもらって喜べるほど、僕は純真無垢ではなかった。むしろペットボトルの中に毒や睡眠薬を仕込まれているのではと疑ってしまう性格だった。パッと見た感じ、ペットボトルは未開封で、毒などを注入したような痕跡はなさそうだが。

 僕の人間不信の質問に対して、彼女は気を悪くした様子もなく答えてくれた。

「誰かが困っていたら助けるのは当たり前だよ。それに、私はこの店の店長だからね」

「店って……ライブハウスですか?」

「そう。だからお客さんの体調管理も仕事のうち。だからそんなに警戒しなくても大丈夫だよ」

 彼女の言葉を百パーセント信じたわけではなかったが、彼女が善意で僕に声をかけてくれたことは伝わってきた。

 ペットボトルの蓋を開けて、一口飲む。冷たい液体を口に含むのは、思っていたよりも気持ちよかった。

「少し落ち着きました。ありがとうございます」

「いいってことだよ。そうだ、よかったら少しお話していかない?」

 彼女は僕の隣に腰を下ろした。ライブを見られない僕を気遣ってくれているのかもしれない。

「あ、もしかして今すぐ会場に戻りたい? この時間だったら、二組目のカルガモリーダーズが演奏中かな。彼女たち目当てで来たなら、戻りたいよね? 個人的にはもう少し休んでからのほうがいいと思うけど」

「いえ、僕は三組目が見られれば、それで十分なので」

「三組目って言うと、蓮香ちゃんだね」

「知り合いなんですか?」

 彼女はくすりと笑って、

「一応店長だしね。出演者を決めるのは私だから」

「出演者はどうやって選ぶんですか?」

「うーん、一概には言えないかな。ざっくりとした説明をするなら、その日のテーマに合った子を選ぶってことになるね。例えば今日のライブのテーマは『MUSIC SUNRISE』――音楽の日の出。これから活躍しそうな、ライブ経験がまだ浅い子を中心に声をかけてるの。蓮香ちゃんに至っては、今日が初ライブだし」

 舞川が「記念すべきライブ」だと言っていたことを思い出す。

「今日のライブ、舞川さんだけがソロなのはどうしてなんですか? 他の四組はバンドですよね」

「ああ、やっぱり気になる? だけど、どうしても蓮香ちゃんを出してあげたくてね。最近ソロで活動している子が少なくて、ソロだけのライブってめちゃんこ組みにくいの。だから、どうしてもバンド中心のライブにソロが混ざって演奏するって形にしないと、ソロの子の出番を作れないから。本当ならソロだけのライブもしてみたいんだけどね」

「どうしても舞川さんをライブに出したいって……彼女、そんなに歌上手いんですか?」

「もちろん! それに彼女は歌だけじゃなくて――おっと、つい口が滑っちゃったけど、君の目で確かめてみてよ。他人の評価より、君がどう感じたかのほうが大切でしょ。感性は人それぞれだし」

 頷く僕に、彼女が続けて話しかけてくる。

「蓮香ちゃんのライブが目当てってことは、チケット、彼女から買ったんでしょ?」

「えーと、買ったというか、もらったんですけど……」

「へえ、そうなんだ。君が蓮香ちゃんの言っていた『すごいクラスメイト』ってわけね」

 すごいクラスメイト? 舞川は僕のことをどんな風に紹介したんだ?

「あの、舞川さんは僕のことを何て言ってました?」

 僕が『すごいクラスメイト』であるはずがない。この場で訂正して、誤解を解いておきたかった。

「名探偵ばりの名推理を披露して、彼女の大切なものを見つけてくれた『すごいクラスメイト』だって聞いてるけど?」

 名探偵ばりの名推理って……、ただニャーゴが持ち去ったペンダントを見つけただけだ。僕は名探偵ではないし、あんなの名推理でも何でもない。あの場に僕以外のクラスメイトが居合わせていたとしても、あれくらいの“謎解き”はできただろう。

「あの、実はですね」

 僕が事実を否定しようとしたところで、彼女が「あっ!」と声を上げた。

「蓮香ちゃんのライブ、もうすぐ始まるよ」

 手に巻いた腕時計を指差しながら、彼女は言った。

「私も楽屋のほうに戻らないと。演奏を終えた出演者に『おつかれ~』って声をかけて労うのも店長の仕事だから」

 じゃ、ライブ楽しんでね――彼女はそう言って、廊下の向こうへと姿を消した。

 今になって、彼女の名前を聞いていなかったことに気づいた。

 ……まあ、もう会うこともないだろう。僕は日常的にライブハウスに通うような生活はしていないのだから。

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