第7話 キミは何よりも美しい
美味しいものをたっぷり食べさせてもらい、映画を見ながらうとうとしたり、近くで本を読んでいるヒューゴの雰囲気を感じたり。
ゆっくりした時間が、体力面だけでなく、疲弊した気力をも徐々に回復させてくれる。
心からリラックスできる週末が、やっと戻ってきた。
なんて贅沢な3連休なんだ。
猛烈な日差しが弱まった夕方頃、「ちょっと外で飲もうか」とバルコニーのガーデンチェアに誘われた。出されたのは赤ワインで、大きめのワイングラスに夕陽が反射してより赤々としている。
「夕陽と赤ワインなんて、ヒューゴっぽい」
「そう?」
隣で、長い体躯をゆったりとガーデンチェアに投げ出し、全身を夕陽色に染めている男は軽くグラスを掲げた。
「うん。似合う」
いつもより薄いブルーの瞳が、とてもいいコントラストになっている。
「さっき、ソースを作るのに赤ワインを開けたからね。残り物……あ、言うんじゃなかった」
「ほんとだよ。せっかく良い方向に受け取ったのに。で、なんのソース?」
おれが問うと、「シュニッツェルのイェーガーソースで」とヒューゴは居住まいを正した。詳しく説明してくれるようだ。
イェーガーというのはドイツ語で狩人を指し、森で採れる野生のキノコで作るソースが元となったらしい。その他には特に決まったことはなく、生クリームを使用した白っぽいものから、デミグラスや赤ワインで作るブラウンソースまで多種類あるそうだ。ただし家庭やレストランではイェーガーアート、つまり『イェーガー風』と名付けられた料理はこのソース、と決まっていることが多いらしい。
「僕は例外で、シュヴァインシュニッツェルはクリーム、リンダーなら赤ワインと、使い分けるけど」
「シュヴー……ル?」
よく聞き取れなかった。
ははは、とヒューゴは大きく笑い、「ちがうちがう。シュヴァインのシュニッツェル、豚肉だ。リンダーは牛肉」
「前に、ザッハトルテの時にも思ったんだけどドイツ語話せるの?」
質問を続けるおれに、待った、と手で制止しながら目尻に涙を貯めて、「確かに僕はそうだけども。急に言うから笑い死ぬかと思った」なんて言っている。なにがそんなに面白かったのか。
「父がドイツ系でね、家で子供とはドイツ語で会話をするようにしていたからあまり意識できていない。日本語は意識して話そうとしているけど」
「すごい。おれなんて日本語しか話せないのに。英語は仕事で使うギリギリ最低限だし」
「ヨーロッパは両親のバックグラウンドが異なることが一般的だから、親の母国語を教えておくことはよくある。程度の差はあれ3,4ヶ国語話す人は多い」
「ダイバーシティとか言うけど、日本はまだまだだな」
「日本は不思議な島だね。便利で、治安が良くて、僕は恵まれていると思うよ」
「でも、同じ民族間で、区別したり優劣を付けるための差をわざわざ見つける意味がわかんねーよな」
「透みたいな考え方が主流になってきている感覚はあるだろ。だから、変化までもう少しじゃないか」
ヒューゴのこうした未来への前向きな考え方や、他者を理解する姿勢は、おれが尊敬するところだ。
こいつの落ち着いた気高さを垣間見せてくれる。まったくひけらかさず、でも堂々と威厳のある態度の軸には、人間への揺るぎない愛があるんだと、おれは思っている。
「今でも自分が区別されていると思う?」
「日本に住んでいる外国人の割合を知っているか?たった1%だ。だからマイノリティとして扱われることは当然」
「高校の時は傷ついたんでしょ?」
「それは当時、自分のことを日本人だと思いこんでいたからだ」
「その見た目でな」
「日本生まれだし、実家と言えば日本が思い浮かぶから、見た目のことは全く気がついてなかった。僕の落ち度」
「そうじゃないけど」
「スウェーデンに引っ越すまで僕たちはあの店で育ったんだ。僕らの子供の頃を知ってる常連さんもいるよ」
「あの店が実家なの!?」
「そうだ。涼子の母の実家で、元々は喫茶店だったんだよ。2階が家だけど今は1部屋を事務所にしてある。昼間はほどんとそこにいる」
「何年くらい住んでるの?」
「人生の半分はここだ」
「なんだよ。地元民じゃん」
そりゃ美味い店も知ってるし、知り合いも多いわけだ。
「透よりはね」
「おれも、マイノリティ扱いしているような態度取ってる?」
「透が?無い無い。言うとしたらジョークでだろ。透からはそういう意識が全く感じられない」
「分かってくれてるようでなによりです」
「まあ、僕も大人になって、自分が日本人の外見じゃないことは十分自覚してるよ。たまに忘れて、あ、ガイジンがいるって思うけど」
そう笑いながらヒューゴは残り少ないワインを2つのグラスに平等に注ぎ、空になったボトルを見て「もう無い」とすでに飲み足りない様子だ。
事実としてヒューゴの見た目の『違い』は無視できない。初対面では単純に美しいと思ったんだけど……でもそれは自分と異なることが発端でなく、例えば澄んだ川に光が反射しているのを見て綺麗だと感じることと同じ、自然なものだ。
おれは、ひっそり覚悟をした。
グラスを持つ手が震えそうになる。
「最初、声を聞いた時は驚いたよ。身体にズンって響くような。あの感覚は違和感と言えなくもないけど、どっちかと言えば特別感、かな。それに……
おまえの外見は、確かに興味を持つきっかけにはなった。髪や瞳の色をきれいだと思う。背が高くて筋肉質なところは単純に羨ましい。でもそれだけじゃ、男相手にこんな感情を持ったりしない。少なくともおれの場合は」
ヒューゴは、二人の間にあるテーブルにグラスをそっと置くと、おれの目をじっと見つめた。その瞳が少し揺らめいていて、おれの意を掴めきれない様子だった。
「急激に仲良くなって、なのに全てが自然で、昔から知ってる親友みたいに居心地が良くて。でも最近さ……」
ヒューゴは黙っておれが言葉を見つけるのを待ってくれている。
「おまえに触られると……もっと触ってほしいと思う。友達なのに、友達だと呼ぶことに違和感があって。一緒に居たい理由も、まだ、上手く説明できないのに。どこか本能みたいな部分かもしれないのは、嘘じゃない。
この1年、おまえに会うことが、おれの生きる目的になっていて……平日も全部、ヒューゴの時間を独占できたらいいなって」
おれは、この期に及んで核心を避けてしまった。
だれかに、気持ちを伝えるなんて人生で初めてのことで。
頭で理解していたより、ずっと難しい……。
隣から、深く、長い深呼吸が聞こえる。
どうか、最後まで言わせてくれ。
「ヒューゴの意思を一番に尊重するよ。友達として傍に置いてくれれば十分。それでも、こういう感情を隠しておくのは誠実でないと思ったから、言うことにした」
おれは懸命に笑顔を作った。大したことじゃないだろ?
何も変えるつもりはない。ヒューゴならきっと変わらず接してくれる。
どんな関係であれ、離れるもんか。
ヒューゴは無言のままチェアを離れ、おれの手を引いて立たせると、そのままふんわり抱きしめてきた。
まるでしっとりとした繭に包んで、慈悲深く全身全霊で守るような———
とても暖かいエネルギーが、おれにどんどん流れ込んでくる。
寛大さと、優しさを体温に変換するとこうなるんだろうか。
しばらくしてヒューゴは背に回していた腕をほどき、両手でおれの頬を挟んで少し上を向かせた。
「僕の、勘違いじゃなければ……」
囁く声が甘くて、背筋が震える。
そっと、ヒューゴが口付けてくれて。
触れただけなのに、唇からつま先まで痺れるような電流が流れて、目が開けられない。
唇は触れたまま、ヒューゴは微かにおれの名前を呟く。
許された喜びに胸が踊った。
もどかしさに耐えられなくなりヒューゴの唇を少しだけ舌でなぞると、驚くほど強い力で抱きしめられた。
そのまま持ち上げられて少し宙に浮いてしまう。
「おい、降ろせよ」
ヒューゴはおれの非難を完全に無視することにしたらしく、抱きかかえたまま寝室までどんどん進むと、どさりとベッドに落とした。
衝撃で、一瞬くらりと視界が反転する。
ヒューゴはおれに覆いかぶさり、両手首を掴んでマットレスに組み敷くと、そのままじっとおれを見下ろす。
おれがびくともできないほど力強く押さえつけているくせに、その瞳は柔らかで、限りのない情愛が今にも、零れそうなほど潤んでいる。
「13年」
ヒューゴはそう呟いて、ゆっくりと瞬きをした。光る雫がひとつ、ぽとりとおれの胸に落ちる。
どうして……
「説明しろよ」
問うが、ヒューゴははにかんだだけで、そっとおれに口付ける。
それからは何度もおれの名前を熱く囁き、時折は首や耳や肩に軽く口付け、その繊細な触れ方はまるで怖がっているようにも思えるほどで。
ずいぶん長い間そうしてからようやく両手首を解放して起き上がった。
「透が今、どんな風になっているか見せたい」
ヒューゴは上に跨ったまま射るような視線でおれを見下ろし、シャツを雑に脱ぎ捨てた。
その仕草におれは下半身がずくりと疼いてしまい身を捩った。
荒い呼吸を抑えようとしているのか、ヒューゴは震える熱い息を細く吐き出す。
昂ぶっている姿を見せられて、こっちだってたまらなくなってしまう。なのに、さっきから、ほんの微かに触れてくるだけなのが耐えられない。
「ヒューゴ、早く」
おれの懇願に、ぐっと下唇を噛み、ヒューゴは肩口に頭をこすりつけてくる。
「だめだ。弱っている時に、僕はなんてことを」
ヒューゴは全身の力を抜いておれの上に重なり、「少しこのままでいさせてくれ」と何度も深呼吸をして荒い呼吸を整えている。
「まだ信じられない」
しばらくして、ヒューゴは大きいため息をひとつつくと、おれから離れて隣に仰向けになった。
顔の上で腕を交差させて、「あぶなかった」と呟いている。
気遣いは嬉しいけれど、もう少し触れて欲しかったな……
でも正直なところ、ホッとしている自分もいる。
急に組み敷かれる戸惑いと……そこに未知の喜びがあることを知って、自分がどうなるのか予想ができない。あと、なにをすればいいのかも。
「透、いままで男とは?」
「女性だけ」
「じゃあ、やっぱりちゃんと話し合っていこう。いずれにせよ、僕が性急過ぎた。ごめん」
「念のために聞くけど、ヒューゴって今パートナー居ない、よな?」
ずっと避けてきたこの問いをとうとう口に出す。念には念だ。
ヒューゴは大きく目を見開いて、「この1年、僕の何を見てたんだ」と呆れ顔だ。
「キミ意外、眼中にない。……少しは気付いてただろ?」
口説かれていた記憶はないけれど、とても大切にしてもらっている実感はあった。
時間も優しさも、たくさん与えて貰っている。
でも、それがおれと同じ意味の好意だとは思いつかなかった。そこまで自惚れてはいない。
「いつから?」
問うと、ヒューゴはおれの腹に腕を回して引き寄せた。さっきのヒューゴの言葉がひっかかる。13年とは……前か?
「後で見せたいものがある」
ヒューゴはおれの額に軽く口付けた。
腰のあたりに甘い痺れがくすぶる。
なのに、ヒューゴはとっくに、もう何事もなかったみたいな素振りだ。
元はと言えば、ヒューゴが……
「ベッドに投げ出されたのなんて初めてだよ」
「ごめん。自分でも、どうかしてたと思う」
ヒューゴは手首をそっと握り、申し訳なさそうに軽く口付けてくれる。
「痛かった?」
痛くなかったし、それどころか。
覆いかぶさっていた熱い身体を思い出す。
「……まあまあ好きかも」
ヒューゴの喉仏が動くのが分かった。
「透、ちょっと黙ってくれる?」
「さっきのヒューゴ、金色の獣みたいできれいだった」
「おい」
「食べられても、もうどうなってもいいって、ああいう感覚なんだな」
「黙れって。焚き付けるな」
ヒューゴは枕を顔に押し付けて両手で耳を覆って聞かないようにしている。かわいいところ、あるな。
「わかってるよ。からかっただけ。時間ならこれから……」
「ん?」
「何十年も、あるもんね?」
おれの美しい獣は唸ると、再び覆いかぶさってくる。
「好きだ、透」
金色の獣は絞り出すように低く低く呟くと、おれを締め付けるほど抱きしめた。
ああ、言葉にしてくれた——
もうこのまま潰されてしまってもいいくらい。
「もっと……キス、したい」
舌を重ねてゆっくりと吸われると、それだけで足が震える。
足も同じように絡められて、髪の毛に差し込まれている手は何度も顔を撫で、全身でキスされているみたいな錯覚。
これ続けられたら、おれもう……
「ん……、ヒューゴ、」なんとか身体を押し返して唇を離す。
薄い唇から覗く赤い舌が煽情的で、もう一度吸い付きたくなる。
「いきそ」
止まってほしくておれが耳元で囁くとヒューゴはどさりとおれの体の上に落ちてくる。
「I'll be a gentleman」
「なに?」
ヒューゴはため息で再び同じ言葉を繰り返した。
ああ、自分に言い聞かせてるのか。
「夕飯にしようよ」
もう大概に切り替えてあげなくては。
反省してヒューゴの身体の下から抜け出す。
受け入れてもらえた安心感からか、すごくお腹が空いて。シュニッツェルのことを考えると胃袋がキュウキュウする。
ヒューゴは仰向けになると両手で顔を覆い「YES」と短く言うと足元にある薄掛けを蹴っ飛ばした。
うん、やっぱりかわいいな。でもからかうのは大概にしないと、おれがもたないかも。
************
ヒューゴのPC画面に、競技トラックの全景が映し出される。周囲はざわついていて、なにかの競技大会なのは明らかだ。
カメラは徐々にズームし、何かを探すようにグラウンドをゆっくり移動し始める。
見て取れるのは、走高跳、走幅跳、砲丸投、棒高跳……陸上のフィールド競技の大会らしい。
そこで、「Hugo!」と突然大声が入って思わず肩をすくめた。撮影者がマイクに近い位置で大声を出したせいだ。
発音から、日本人でないことは明確だった。
「Where's your...」と同じく撮影者が言ったところで、「Don't」と短く制止する別の声。
カメラが素早く右に向くと、グレーのパーカーを着た長身の男の子が着席しようとしているところだった。フードを深く被っているが、見事な金髪と、澄んだ青い瞳は隠しきれていない。
おれは絵に書いたような美少年っぷりをからかいたくなる衝動を抑えて、動画を静観することにした。
「Don't shoot me」
カメラのレンズを手で覆ったのか一瞬真っ暗になり、映像は再びトラックへと戻った。
今よりも少しだけ高いトーンで端々がかすれているが、間違いなくヒューゴの声だ。
画面に映し出される映像は、見る側への配慮はお構いなしにどんどん競技トラック上の各種目を映し出していく。
「...there he is」
撮影者がそう言ったところでカメラは止まり、徐々にピントが合わされていく。
そこでは、棒高跳の競技が行われていて……ちょっと待て、この大会は……
おれは突然、会場の熱気を感じるくらいありありと思い出した。
たしか2回目は足がポールに微かに接触してギリギリのところで失敗したんだ。3回目は成功。
映し出されている時はその3回目のはずだ。スタートラインへと向かう自分の顔から、緊張が見て取れる。
カメラが再び右にパンされると、ヒューゴは顔の前で両手を組んで祈るように、トラックを見つめている。その横顔は、おれよりもずっと緊張した面持ちだ。
映像はそのままヒューゴの横顔を映し出していたが、ワッとカメラマンから歓声が上がる。
ホゥっと大きなため息に続いて組んだ手を額に当てると、「...'s beautiful」とヒューゴが呟いた。
「heard that for millions of times!」
カメラマンは笑ったがすぐに少し沈黙し、「you know, you should... we're leaving...」小声でヒューゴに何か伝えている。
ヒューゴはそこで初めて一瞬だけカメラに目線をやると再びトラックの方へ視線を戻し「I know」と強い口調で言った。
映像はそこで止まった。
「高校、一緒だったんだよ。半年だけ」
そう言いながらヒューゴは夜のバルコニーへ出ていった。おれが後を追うと、カチリとタバコに火をつけて、仕草だけで「吸う?」と聞いてくる。
「初めて人に観せた。もし、透と再会することがあったら一緒に観ようって、夢みたいなこと、一人で決めてたんだ。名前も連絡先も知らないのにね」
バルコニーの手すりを背にしたヒューゴの後ろには夏の夜が広がり、その瞳のきらめきがまるで星の一つのようだ。
「僕は……辛くてね、日本に戻ってきたのに、もう日本人として振る舞えなくて、でも数年じゃスウェーデンに馴染みきれてもいない。自分が中途半端で。アイデンティが崩壊してたんだと思う。ずっと日本に居させてくれなかった親を恨んだりして。
交換留学生がクラスに1人はいただろ?僕ら全員、日本語の基礎クラスが必須で、でも僕には必要ないから嫌気が差してね、教室の窓からずっと校庭を見ていたんだ。
そうしたら、ちょうど棒高跳びの練習風景が良く見えて」
ヒューゴは一拍置いて、再び煙を吐き出した。
辛い思い出だろうに、微かに笑顔で。
「ずっと跳べないコがいてね。毎日見ているうちに、いつ跳べるのか僕も気になり始めて。日本語クラスが無いときも、週末も見学するようになったんだ。そうしたら、何時間も、何日も、ずっと練習していて……失敗しても笑顔で、いつも瑞々しくて、絶対に諦めない意思が鮮烈だった。
その姿がね、僕の腐った思考を断ち切ってくれたんだ。僕は一体何をやっているんだろうと。留学までさせてもらってるのに、自分のあり方の問題を周囲のせいにして不満だらけの自分が、ものすごく情けなくて。
もう、どっちかでいようなんてこだわりは捨てて、僕は僕のままで、持っているものを磨こうと思えるようになったんだ。僕の中にあるヨーロッパの要素も、記憶の中の日本の要素も、どちらも等しく大切なものであることに気付いた。そうして、僕はどんどん彼から目が離せなくなった。
帰国の数日前、いつものように練習風景を眺めていたら、突然、ツバメのように跳んだんだ。
校舎から見える水平線と同じ高さで、ちょうどトワイライトの頃、終わりも始まりもないような空間で、透だけが宙に舞っていて……その笑顔を見た時、僕は」
ヒューゴは息を吐いてタバコをもみ消す。
「一瞬で恋に落ちた。透は綺麗だ。だれよりも」
ヒューゴ……
「結局、透に話しかける勇気がないまま、あの映像の日の午後に帰国した。勇気が出なかった自分に、また大学で留学すれば会えると言い訳して、高を括ってたのが失敗だったな。まさか、あんな酷い怪我で引退していたとは……」
空に落ちるような感覚の虜になっていた。
あの日、おれはより高く跳ぼうと……
悔しかった。
怪我を起こした自分の身体能力が恨めしかった。
何のために10代の全てを捨てて努力してきたのか。
1度の怪我で全て失うなんて、そんなバカな話があってたまるか。
何も残せなかった。悔しくて、情けなくて、足を切断してやりたいほど腹が立った。
でも周囲には大したことないような素振りをして、平気なふりをして学校も変えて。
すぐ立ち直ったよ、なんて自分を騙して。
「あの跳躍と、透の強い精神力は僕の身であり、骨になった」
おれはヒューゴにすがりついた。
どんなに抑えようとしてもこぼれてくるおれの涙をシャツで受け止めながら、そっと背中を撫でてくれる。
「僕が全部覚えている。透は、この世で最も美しくて尊い」
見てくれている人がいたなんて。
「ヒューゴ……」
「とは言え、再会してからの透の方がもっと素敵だよ。お腹を空かせて、僕が作った料理を本当に美味しそうに食べる姿がかわいくてね。僕はまた透に惚れてしまった。どうしようもないほど」
おれは泣き笑いで、もう一度この愛しい男の名前を呼んだ。
「透、僕を見つけてくれてありがとう」
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