第4話


 電車から降り、少し歩いた先に見えたのは、広い空間のホーム。どうやら最近工事が終わったようで、ガラス張りの壁や特徴的な石柱もありモダンな雰囲気を感じるデザインとなっている。


 「陽乃はさ、この駅よく来るのか?」

 「うーん……たまに買い物しに行くくらい? でも、もっと色々ある大きいとここの先にあるし……いつもは通り過ぎちゃうかな。地元は地元なんだけど、あんまり降りたことないかも」


 「俺も似たような感じだな……でも、降りてみてこういうとこなんだって知れるのは、なんだかちょっと楽しさはあるよな」

 「うん、そうだね。今でこそもっと大きい駅とかに人は集まっちゃうけど、こういうお祭りも昔からあるってことは、思ってるよりずっといいところなのかも」


 だからこそ、この賑わいなのだろう。主要駅からのアクセスも悪くないからかもしれないが、行事の内容自体が良くないと人はまた来よう、とは思わない。

 時刻は既に十八時を回っていた。お祭りに向けて歩く人の流れができており、地図によるガイドは不要と感じるほどだ。客層として電車で見たように若者が半数ではあるが、家族連れも少なくはない。


 「なんか……いよいよって感じだね」

 「そうだな……」

 「ふふ、何だかまたちょっと緊張してきちゃった」

 「緊張? ワクワクとかじゃなくて?」

 「あ……そうかも。なんていうのかな、ドキドキみたいな」

 「楽しみでドキドキしてるのかもな」


 幼い頃遊園地に遊びに行った時に車から降りた時のような、あの会場の現地に着いた時特有のワクワクを二人は懐かしんでいた。だが、この高揚感の理由はそれだけじゃ決してない。輝樹の方も、会場に近づくに連れ高鳴る胸を抑えたくて気が気でなかった。

 多くの初めて見るものに目移りしながら、駅のホームを出る陽乃と輝樹。屋外に出ると視界が更に開け、一気に空気が変わるのを肌で感じた。


 「……あ、こんなところにも車の屋台あるんだね」


 夏の夜風が湿気と共に甘い香りを運んでくる。その先に目を向けると、駅前の広場でクレープやらタピオカやらのキッチンカーが出ていた。


 「そうだな……なんか見てくか?」

 「んー。まだ大丈夫かな。荷物増えちゃうし」


 このイベントに乗じて店を構えたのだろう。同じような策略として、ティッシュやうちわのノベルティを配っている人も見受けられる。


 「良かったらどうぞ、はーいどうぞ〜」

 「あ、どうも……」

 目の前に勢いよく差し出されたうちわに対して、咄嗟に手が伸びてしまう輝樹。


 「そちらのお嬢さんも是非!」

 「あ、私はこれあるので大丈夫です……ありがとうございます」

 ハンディーファンを鞄から取り出し、遠慮する意を見せる陽乃。結局輝樹だけうちわを受け取り、二人はその場を離れた。


 「……こういうの、つい貰っちゃうんだよなぁ」

 「あ、わかるかも」

 「こういうの友達と行く時にさ、よく貰ってるとお前詐欺とかに引っかかりやすいタイプだから気をつけろってよく言われるんだよなぁ……でもその言い種はないんじゃないかと思うんだよ。だって、ただいいもの無料で貰ってるだけじゃん?このうちわも欲しかったし」

 「あ……うん、そうだよね。どっちかって言うと、私も断りづらい人だから、よく言われる」


 輝樹は人の好意を疑わないタイプ、陽乃は人の誘いを断れないタイプである。

 彼は誰にでも底抜けに優しい故に、その裏面として正しい好意の受け取り方がまだ身についていない。そんなところが愛おしくて堪らないのだが、それ故に少々未来が心配になる陽乃だった。


 一つ救いがあるとすれば、彼の目つきが普通の人より鋭く見える事だろうか。以前、一緒に下校していた際に寝不足な彼とすれ違ったおばさまが目と口をかっ開いて振り返っていたのを思い出して、陽乃は少し吹き出してしまう。


 「ん?」

 「ふふ、何でもない。えっと、ここからちょっと歩くんだっけ」

 「うん、向こう側に十分くらいかな」

 スマホを取り出し、地図を見て確認する輝樹。


 「でも、この辺りの人って皆そうじゃないかな。浴衣着てる人について行けばいいよね」

 「多分そう、だと思う。でも、一応地図は見とくね」

 「うん。ありがとう」


 二人が歩いていると、夜の帳が降り始め本格的に暗くなってきていた。それと同時に、視線の奥にある目的地の場所が目立つようになる。


 「……あ。あそこ、かな」


 次第に増えていく声が纏まり、ざわつきとなって耳に届くようになる頃。タレが焦げ付くような濃い香りも同時に鼻腔に届く。


 「わあ……」


 提灯の光と屋台の看板と共に出迎えるのは、太鼓と笛の音色。決して少人数から生まれないような雑音をかき消すようなその音頭と、複数の出店から香る食べ物の匂い。それらの光景が、今回の目的地に着いたのだと陽乃と輝樹に実感させる。


 「お祭りって、こんなだったっけ……」


 陽乃が小さい頃に行った時は、周りのものが全部自分より大きくて、少し怖かった。親に繋いで貰っていた手を離してしまったら、このまま誰も知らない人混みの中に一人取り残されてしまうのではないかという断片的な記憶と不安しかなかった。


 しかし、今は違う。


 幼い頃には見えなかった、たくさんの笑顔とその活気が見える。ああ、私も大きくなったのだなあと、陽乃は改めて自分が高校生になったことを実感するのだった。

 陽乃がお祭りの雰囲気に浸っていると、不意にトントンと軽く右肩を叩かれる。


 「……陽乃」

 「え? あ……」


 ばつが悪そうに頬をかきながら、それでも、差し伸べてくれた左手。


 「人、多くなるから……その。は、逸れないように、な。うん」

 「……ふふ、ありがとう。これで安心だね」

 「お、おう。まかせとけ」

 「………」


 自分より一回り大きい、彼の手の感触。これが初めてではないとはいえ、陽乃はまだ慣れていない。

 少し乾燥してかさかさしている長い指が、弱すぎず、強すぎず丁度いい加減で包み込んでくれる。彼の一部に触れている感触がその肌を通して直に伝わってきて、余計に脈動が加速してしまう。


 「……」


 一方、輝樹は陽乃と手を繋ぐたびに思うことがある。


 (手……ちっさ……)


 瑞々しく、もちもちしている小さい手。少し力を入れたら簡単に折れてしまいそうな細い指と手首。その彼女の暖かさのせいで、唾を飲む回数が多くなってしまう。何より手を繋いでる時、時折その小さい手できゅっと軽く握り返してくれるのが可愛くてたまらない。

 最初からこんなに可愛くてどうなってしまうんだ、と途端に今日のこの先が心配になる輝樹だった。


 二人が大通りを歩いていると、沢山の色が変わるがわる見えてくる。呼び込みの野太い声や、不意に漂ってくる香ばしい匂い。その活気を肌で感じるだけでも、案外楽しいものだった。

 そこに、早速声が降りかかる。


 「お、そこの若いお二人さん! どうだい、やっていかないかい⁉︎」

 「………」


 無言で自分達の背後を振り返る陽乃と輝樹。

 生憎、その屋台の周りで一番近い若いお二人さんは自分たちしかいなかった。その答え合わせの如く、射的屋の店主のおじさんと目が合ってしまう。


 「……あはは、バッチリ目合っちゃったね。どうする?やってみる?」

 「逆に、ここまで呼ばれてやらないのはな……いや、でもこういうの苦手だしなぁ……」


 二人が立ち止まってたじろいでいると、視線の先にいる店主がこっちおいでとジェスチャーをしてくる。


 「……私も、全然得意じゃないけど。でも、やってみたら案外できるかもだよ。やってみない?」

 「う、うん……」

 おずおずと二人が屋台に近づくと、彼のくしゃくしゃの笑顔が待っていた。


 「来てくれてありがとな! ほいじゃ、十発で三百円ね!」

 軽快な声と共に、コルクの弾と射的用の銃が手渡される。予め細かいものに崩してきておいて正解だったな、と懐から取り出した巾着袋にある小銭を数えながら輝樹は思った。


 「陽乃。どれ狙う?」

 「……えー。そうだなぁ……」


 目の前にある棚には、お菓子の詰め合わせからぬいぐるみ、果ては倒すとゲーム機本体までもが景品として手に入る駒が置いてあった。景品の種類は一等二等三等などで分けられているが、やや下の狙いやすい場所にある比較的細々としたお菓子が狙い目だと店主が二人に教えてくれた。


 「……あ」

 右端にたくさん並べられている、小さいひよこの手乗りぬいぐるみが陽乃の目に止まる。最近ショートアニメ化までされた、誰もが知る有名マスコット『ピヨパンダ』である。


 「じゃあ……あれかな。テルくんは?」

 「いや。俺もあれが欲しいな。頑張って取ってみよう。取れるかわからないけど……」

 撃ち方すらままならないが、他の人の見様見真似でなんとか引き金に指をかける。


 「とりあえず、適当に……よっ」

 輝樹が二発ほど試しに撃ってみるが、両方虚しく風となった。


 「あー、ダメだぁ」

 「えっと、じゃあ私も……」


 陽乃が弾を込め終え、いざ撃とうとすると背後からの声に遮られる。


 「ああ、違う違う! お兄ちゃんたちそれじゃ全然当たらないよぉ! お金、無駄にしとるよぉ?」

 「え……⁉︎」


 陽乃に近づき、隣に立ってきたのは浴衣姿の初老の男性。


 「ええかお嬢ちゃん。こういうんはな、そう持っちゃいけんのよ。ええか、こう。こう持ってな……」

 「あ……え、えっと……」


 陽乃のパーソナルスペースはかなり狭い方である。知らない人に急に近づかれ、話しかけられてしまった時には常人より緊張し、身構えてしまうのだ。


 (ち、ちょっと近いなぁ……)


 彼は全く気にしてなさそうであるが、その近さはちょくちょく肩がぶつかるほどだった。


 「あ、ちょ。ちょっと……!」


 陽乃が近づいてきた男性の対応に困っていると、輝樹が彼の肩を叩く。


 「すみません。教えていただくなら、まずは自分に教えてくれませんか」

 「……!」


 少し普段より低い声、鋭い目つきの輝樹がそこにいた。陽乃でもあまり見たことのない、緊張とはまた違う彼の真剣な表情。


 「お、おおう! こりゃすまんかった、ええよええよ〜! そうだよなぁ、ますは彼氏さんがお手本になってカッコつけないとなぁ! えぇ、なぁ!」


 輝樹の牽制も意に介さずといった風に大声で笑いながら、肩を組んでくる初老の男性。漂ってくる酒臭さに輝樹は苦笑を浮かべながら、彼の意識をなんとかこちら側に移せたと安心していた。


 そこで、輝樹がおじさんに絡まれている事に気づいた屋台の店主が助け舟を出す。

 「おい、やめねえか俺の客に! あんた酔っ払ってんだろ!」

 「いやあ、俺は善意でなあ……」

 「それでもだってんだよ。アレだ、おめえ。こういうことしてっと、最近はアプリだかなんだかでネットに晒されちまうぞ! 今の若えのはそういうのに敏感なんだよ、もう昔とは違えの!」


 初老の男性はんん? と顎をさすりながら眉をひそめる。店主は彼の顔見知りなようで、状況を説明された男性は今の状況を理解したのか、後頭部をかきながら二人に頭を下げた。


 「あらまあ……そうなんかぁ。こりゃ悪いことしちまったなぁ。すまねぇなぁ、お嬢ちゃん達」

 「い、いえ……お構いなく……」

 「アンタ達、悪ぃなぁ。俺らみたいな歳になってくっと、なんかにこじつけてアンタら若いのに絡みたくなっちまうのよ。ま、取れなくてもあのヒヨコ人形一個つけてやるからな! それで堪忍してくれや、な!」


 軽快に笑いながら、場を収めてくれた店主。その後も、彼のおかげで関係が改善した初老の男性にアドバイスをもらいながら、無事に射的を楽しむことができた。


 「ふぅ……なんとかなってよかった」

 「ね。最後、取れてよかったね」


 ピヨパンダの手乗りぬいぐるみは、結局輝樹の最後の一発で落ちてくれた。

 景品が落ちた時に、店主とおじさん二人が我が事のように喜んでくれ、輝樹と陽乃もつられて頬が緩んだのはいい思い出になりそうである。


 「あ、あの……。さっきのこと、ありがとう。いきなりで、ちょっとびっくりしちゃったから……」

 「いや、俺こそごめん。ちゃんと周り見れてなかったから。怖い思いさせちまった」

 「ううん、怖くはなかったよ。ただびっくりしただけで。あの人も悪い人じゃなかったし。それに……その」


 陽乃の手を握る力が、少しだけ強くなる。


 「テルくん、かっこよかった……から」


 輝樹の方こそ人見知り気質であるはずなのに、見ず知らずの男性を声をかけ止めてくれた。

 陽乃にとってはあの時、輝樹が誰よりも眩しく見えたのだ。


 「いや。結果的には良かったけど、陽乃を最初守れなかったのはな……」

 それでも元の性格が根暗だからなのか、気まずそうに目を逸らす輝樹。


 「……それは違うよ、テルくん。テルくんがあそこで動いてくれたから、楽しい思い出になったんだよ」

 だからね、と陽乃は笑顔で付け加える。


 「テルくんは私と、今日の二人の思い出を守ってくれたんだよ。すっごく助かっちゃった。ありがとう」

 「……!」


 輝樹に向けられた向日葵のような温かい顔と声は、彼女の本心から来る純粋なものだった。

 そんな笑顔を浴びて、くよくよしている方がかっこ悪い。何より、そんな心持ちではまだ終わっていない今日を楽しめないと輝樹は切り替える。


 「……うん。そっか。なら、いいんだけど」

 「えへへ、そうだよ」


 陽乃は彼と同じ時間を過ごす度に、これ以上好きになることなんてあるの?と思う。

 しかし、好きの上限があると思っても、彼は毎回それを軽く超えてきてしまうのだ。


 彼の新たな一面が見える度に、毎秒変わる表情を見る度に、どんどん好きになってしまう。今の拙い言葉だけじゃ、先ほど貰った気持ちと感謝を返すにはこれっぽっちも足りやしない。

 まだまだ喉の奥に浮かんでくる言葉たちを、陽乃は溢れる想いと一緒に今は飲み込んだ。


 「あ……そうだ。丁度私、お腹空いちゃったかも」

 「……うん。そう、だな。ちょっとなんか食べるか」


 財布を片手に、二人は屋台の列を一通り見渡す。

 どの出店も胃に働けと直接訴えるような香ばしい匂いが充満し、食欲が刺激されてしまう。また、輝樹は目立ったもの勝ちのような独特の看板デザインが嫌いではなかった。


 「思ったより色々あるな……陽乃は、どれが食べたい?」

 「え、迷っちゃうな……ちょっと、他も見ていい?」

 「うん、勿論。色々見て回ろう」


 たこ焼き、たい焼き、イカ焼き、肉の串焼き。同じ店の中でも、その中でまた様々な種類があるのでつい目移りしてしまう。

 あらかた全ての屋台を回ったあと、陽乃は一先ず抑えておきたいところを口にする。


 「うーん。とりあえず、たこ焼きと焼きそばかなぁ」

 「分かった。じゃあ、その後で色々また食べよう。だってそれだけじゃ陽乃は足りないだろ?」 

 「……っ!」

 完全に切り替えたのか、先ほどとは打って変わった様子で彼は口端を広げた。


 「た、足り……多分、足りないかもだけど! 普通の女の子だってこれくらいは食べると思うよ! なんか、その言い方だと私がいっぱい食べる人みたいになっちゃうから!」

 「ははは、でも食べてる時の陽乃はいい顔してると思うよ。美味しそうに食べる陽乃見てるの好きだし」

 「む〜……」


 目を細め、口をすぼませる陽乃を隣にたこ焼きの屋台に並ぶ輝樹。軽いご機嫌斜め状態だった彼女であったが、目の前でたこ焼きが次々と作られている光景とその匂いに、すぐさま目を輝かせた。


 「わあ、美味しそう……」

 鉄板があるからか、少し離れていても熱気を感じる。この暑さの中熱い鉄板の前で作業をするのに改めて敬意を持った輝樹だった。


 「いらっしゃい! 何にしましょう!」

 「えっと……チーズたこ焼き、と。あと……これ?」

 程なくして、輝樹のたちの順番が来る。並んでいる間に六つの種類の中から選ばなければならないが、悩んだ末に陽乃が指差したのは明太子マヨネーズたこ焼きだった。


 「はい、明太子で。あと、焼きそばを。あ、一つで大丈夫です」

 一人一つはこれからのことを踏まえて量が多いため、半分こにすることにした。

 素早い手際で注文のものを用意する店主。予め手に出していた小銭と商品を交換する。


 「テルくん。私、焼きそばの方持とうか?」

 「ん。大丈夫」


 輝樹は中身を崩さないように二つの袋を並行にして持つ。

 じゃあ、私これ持ってるねと陽乃は両手が塞がって輝樹の指に挟まっているうちわをひょいと拝借した。


 「はは、ありがとう。じゃあ、ちょっとどこか人気のないとこ行こうか」

 

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