殺し屋と少女

yaasan

殺し屋と少女

 男は荒い息を鼻から吐いていた。口にはサイレンサー付きの銃口が突っ込まれている。時折、意味不明なくぐもった声も男からは漏れ出ていた


 男の歳は五十歳手前だと聞いている。男が乗るベッドは馬鹿でかかった。その上で見事な般若の入れ墨が入った男の胸と、醜く突き出た腹が荒々しい鼻息に合わせて波打っていた。


「そんな顔をするな。今まで誰かに命じて、あるいは自分の手でも、たくさん殺してきたんだろう? だったら、てめえも死に際をいくつも見てきたはずだ」


 俺はそこで言葉を切って、少しだけ両肩を竦めて見せた。そして再び口を開く。


「なら、潔い死に方ってのを知っているんじゃねえのか?」


 銃身を咥えたまま、男の禿げ上がって剃り上げられた頭が左右に少しだけ振られた。その頭には玉のような汗があって、男の顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。


 銃身を咥えさせられて苦しいのか、それとも死の恐怖からなのか。それともその両方なのか。男の目尻には涙が浮かんでいた。


「まあいい。どう死のうが俺には関係ねえからな。だらだらと恐怖を与える趣味もねえ」


 この言葉で直後の運命を察したのか、男の細い両目が極限まで見開かれた。

その瞬間だった。俺は三度、立て続けに引き金を引いた。





 引き金を引くとともに、冗談みたいな間抜けでくぐもった音が周囲に響く。口腔内で銃弾を受けた衝撃から男の両目が飛び出し、耳や鼻といった穴からどろりとした血が溢れ出る。


 こんな口径の小さな銃では後頭部から銃弾が抜けていくことはない。頭蓋骨の中で銃弾が跳ね回るだけだ。


 俺にもたれかかってくるようにして事切れた男の体。それを俺は足で後ろに蹴り倒す。


 銃を握っていた俺の片腕も含めて、ベッドは血でまみれていた。いや、血だけではないのか。銃弾で掻き回された脳みそとやらも、そこには含まれているのかもしれない。


 そんなどうでもいいことを考えながら、俺はベッドの端にいる少女に顔を向けた。歳は十代半ばぐらいだろうか。胸の膨らみもあるのか分からないような、随分と痩せた少女だった。


「何だ、お前は怖くねえのか?」


 俺の問いかけに少女は少しだけ首を傾げて見せた。


 人が目の前で死んだというのに、恐怖や怯えといった類いの物は少女の顔に浮かんでいなかった。無表情と言った方が近いのかもしれない。今時としては珍しい黒髪の少女だった。伸ばされた真っ直ぐな黒髪は腰にまで届きそうだ。


 誰かに似ている。そう思った瞬間、封じていたはずの記憶が脳裏に浮かんだ。


 そう。妹の髪も腰にまで届く真っ直ぐな黒髪だった

 俺は溢れ出ようとする記憶を再び閉じ込める。


 この少女と殺した男の関係は分からない。だが、ベッドの上で男も少女も裸だったのだから、推して知るべしといったところなのだろう。


「まあ、お前の怖い、怖くないなんて、俺にはどうでもいいわな。俺はお前を殺さねえ。殺す理由がねえからな」


 俺の言葉に少女は再び少しだけ首を傾げた。


 何だ?

 こいつは単なるあれなのか?


 俺の疑問を知ってなのか、少女が口を開いた。


「殺さないの?」


「殺す理由がねえからな」


 俺は同じ言葉を繰り返す。


「あなた、殺し屋でしょう?」


 俺は首を左右に振った。


「殺し屋じゃねえな。そもそも、殺し屋なんて職業はこの世にはねえよ。テレビや映画じゃねえんだ。これでもちゃんと組織に属している」


「……組織って、ヤクザでしょう?」


 まあ、当たりだな。

 俺は心の中で呟いた。


「シノギって言うの? 殺すこと以外に、あなたがしていることってあるのかな」


 俺は舌打ちをする。どうやら馬鹿ではないらしい。


「うるせえよ」


 その返事で少女は全てを悟ったようだった。


「単にヤクザに雇われ続けているだけじゃない。そういうのを殺し屋って言うのよ」


「ふん。うるせえな。さっさとお前はどっかに行け。いつまで素っ裸でここにいるつもりだ」


 言葉に少しだけ怒気を込めてみたが、それに少女が動じる気配はなかった。舌打ちが自然と漏れてしまう。

 

「俺はもう行くぞ。この男とお前がどういう関係だったかは知らねえが、お前はもう自由だ。好きにするんだな」


 そう言って俺が踵を返そうとした時だった。少女が俺を呼び止める。


「ねえ、待って。ついでに私も殺してから帰ってよ」


 やはりこの少女は少しだけイカれているようだった。

 ついでにってどういうことなのだと俺は思う。

 人はついでに殺すものなのか?


「聞いていなかったのか? お前はもう自由なんだよ。それとも死ぬ理由でもあるのか?」


「死ぬ理由?」


 少女は少しだけ自虐的に笑って言葉を続けた。


「十五歳でクスリ漬けになっていれば、死ぬ理由には十分じゃない。そんなの誰だってそう思うでしょう?」


 少女は目を伏せる。言葉を返さない俺を見て、少女はさらに言葉を紡いだ。


「それにここから逃げたって、行きつく先はもぐりの風俗かチンピラの情婦よ。それも、そんなのは若いうちだけ。歳を取ったシャブ中のババアなんて、どこにも行き場がなくなるわ」


 少女は最後に顔を大きく顰めて、言葉を吐き出すようにしながら言う。


「そうかもしれねえが、俺には関係ねえな」


「そうね。そんな話は関係ないわよね。だけど、あなたは殺し屋でしょう? 殺し屋として私を殺してって言ってるの」


 面倒な理屈を振り回すガキだと思いながら、俺は肚の中で溜息をつく。


「仕事でもねえのに、俺は人を殺さねえんだよ。殺人鬼じゃねえからな。それに、俺は殺し屋じゃねえ」


「あなたが殺し屋かどうかなんて、どうだっていいのよ」


 俺が殺し屋だと決めつけたのは、お前だろうと俺は思う。


「仕事だったら、私を殺してくれるってこと?」


「まあ、そうだな」


 うまく乗せられている気はしたが、俺は反論することなく頷いた。


「仕事ってことは、報酬ってことよね」


「そうなるな。金だな」


 俺の言葉に少女の表情が曇る。ヤクザ絡みである男の情婦をしていたシャブ中の少女が、大金を持っているはずがない。


「諦めな。大体、そんなに死にたければ、自分で死ねばいいだろう?」


 正論のはずだったが、少女は怒りがこもった黒目がちの瞳を俺に向けてきた。


「自分で死ねないから言っているんでしょう? 自分で死ぬ勇気があるんだったら、とっくに死んでるわよ。十五歳でクスリ漬けなのよ。生きていく理由なんてあるわけないじゃない」


 死ぬ勇気。

 それが本当に勇気というものなのかは知らない。だが、確かにそういう側面もあるのだろうと俺は思う。


 俺だってそうだった。積極的に死ぬつもりもないが、別にいつ死んでもよかった。俺が殺し屋じみたことを続けているのは、きっと自分がまだ死んでいないからという理由だけなのだから。


 別にいつ死んでも俺はよかったのだ。きっとあの時から……。


「報酬ならあるわよ。私の命。誰よりも安っぽいけどね」


 俺の思考を断ち切るようにして、少女が低い声で呟いた。


「お前、舐めてんのか? 俺は死神じゃねえぞ。命なんぞを貰ったところで、嬉しいわけがねえ」


 反論する俺を見て少女は少しだけ笑った。


「あら、殺し屋のくせに、随分と面白い言葉を返すのね。でもこれまでに、たくさんの人を殺してきたんでしょう? 人の魂でも集めているのかと思ったのだけど」


「言ってろ。俺は行くぜ」


 これ以上は話してはいられない。そんな感じで踵を返そうとした俺を少女が再び呼び止める。


「ねえ、待って。お願い。殺して。本当にもう嫌なの。クスリ漬けの自分も。こんな世界に自分がいるのも」


 その時、少女の口調にはそれまでとは違って、切実な響きがあった。少なくとも俺にはそう聞こえた。


 まあ、気持ちは分からないでもない。クスリ漬けでヤクザの情婦をしていて、この先に輝く未来があるとは思えない。目を背けたくなるような結末。それが待っているのは確定事項のように思える。


 ……十五歳。

 俺は肚の中で呟く。

 その単語に触発されたように、昔の記憶が再び蘇りそうになる。それを俺は半ば反射的に押さえ込んだ。


「私にはこの命ぐらいしか払える物がないのよ。でも、どうしても私は死にたいの」


 俺は派手に舌打ちをした。若干、面倒になってきていた。それが正直な今の感想だった。


「特別だ。口を開けろ」


 少女は意味が分からなかったようで、呆けたような顔をする。俺はサイレンサー付きの銃を取り出して、少女の眼前にそれを向けた。


「こいつを咥えるんだよ」


「咥えろだなんて……何だか卑猥よ」


「うるせえ、馬鹿。ガキが何を言ってやがる。さっさとしろ。俺の気が変わらないうちにな」


 少女は一瞬だけ逡巡をみせたようだった。視線がベッドの上で横たわる死体に移る。一瞬、少女の唇がわずかに歪んだようだった。


「いくら死んでいるって言っても、この姿になるのはちょっとね。もう少し綺麗に死ねないのかな。頭を撃ち抜かれるとか、心臓を撃ち抜かれるとか」


「生憎とこいつは口径が小さい銃でな。威力がねえんだよ。頭や心臓だと、頭蓋骨とか肋骨で弾が弾かれる。苦しんで死ぬのは嫌だろう?」


「それはそうだけど……」


 少女は言い淀みながらも意を決したようだった。俺が差し出している銃身を咥えようとして、軽く身を乗り出す。だが、それを咥える直前に少女の動きが止まった。


 気が変わったか。

 俺は溜息をついた。そんな俺に向けて少女が口を開いた。


「一つ、お願いがあるの」


「あ? ガキ、あまり調子に乗るなよ」


「うん。叶えてくれなくてもいいけど、一応は言っておくね。東新宿を拠点にしているヤクザの組があるの」


「あ?」


 東新宿にある組と言えば、思い当たる組は一つしかなかった。そこの組長の顔も知っている。


「この界隈で薬をばら撒いているのも、中高生を変態ジジイたちにあてがっているのも、辿っていけば、そこの組が仕切っているのよね」


「……なるほどな」


 俺の相槌を受けて、少女はさらに言葉を続けた。


「その男にも一因があるのよ。私がこうなったのはね。ま、その大半は私が悪いんだけど」


 そう言って少女は少しだけ笑う。


「意味ねえぞ?」


 言われた言葉の主旨が分からなかったのだろう。少女は小首を傾げた。


「椅子は空きやしねえ。殺したところで、次の奴が空いた椅子に座るだけだ。相変わらずクスリ漬けの奴は生まれるし、変態にあてがわれるお前みたいなガキもいなくなりはしない」


「やっぱり、あなたは殺し屋のくせに、まともなことを言うのね」


 少女は少しだけ口を尖らせて、皮肉まじりに言う。


「うるせえ。余計なお世話だ。それに俺は殺し屋じゃねえ」


「言ったでしょう? どちらでもいいわよ。あなたが殺し屋じゃないのか、そうではないのかなんて。それと同じぐらいどちらでもいいのよ。今後も私と同じような女の子が被害に遭うってこともね。私はただ復讐したいだけだから。復讐、それも根っこは私が悪いわけだから、逆ギレに近いのかもね」


「そうかよ」


 俺はそれだけを言って、銃身を上下に少しだけ振った。


「ほれ、早く咥えろ」


「全く、卑猥なんだから。でも、やっぱり少しだけ怖いわね。眠剤とかはないのかしら」


「睡眠薬なんて持ってるか、馬鹿。怖けりゃシャブでも喰らってろ」


 少女は少しだけ考える素振りを見せたが、黒い頭を左右に振った。それに合わせて長く黒い髪の毛が、まるで意志を持った別の生き物であるかのように宙を踊った。


「止めておくわ。それが原因で死ぬのに、最後もそれに頼るってのもね」


 少女は少しだけ苦笑する。ベッドの上に座るその体は痩せていて、胸の膨らみなどは微々たるものだった。その体を少しだけ前屈みにして、少女はサイレンサーが付いた銃口を咥えた。


 その瞬間だった。俺は引き金を三度、立て続けに引いた。





 「お久しぶりです、オヤジ」


 俺は頭を下げる。俺が属している組の組長はでっぷりと太った体を黒色のソファに沈ませながら、そんな俺に向かって鷹揚に片手を上げた。


「久しぶりだな。ま、座れ。もうすぐ、斉藤の奴も来るはずだ」


 斉藤さんは俺の兄貴分で、若い頃はいつも一緒にいた。歳は俺の二つ上で今年、三十五歳になるはずだった。


 今は一緒に行動することはないのだったが、斉藤さんも組の中では俺と同じで荒事専門だった。ある意味で俺と同じように、頭のネジがどこか外れているのだろうと俺は思っている。


 そういえば、斉藤さんの下に若い男がいたなと俺は思う。確か組を抜けて破門状が出ていたはずだった。名前は……。


 俺がそこまで考えた時、オヤジが鷹揚な口調で口を開いた。


「まあ、座れや。この間はご苦労だったな。予定外にガキの死体もあったようだが、別に問題はねえ。気にするな。話はつけてある」


 オヤジの言葉に従って正面のソファに座った俺は黙って頷いた。それを見てオヤジはさらに言葉を続ける。


「金は受け取ったのか?」


 俺は再び黙ったままで頷く。


「そうか。しばらくはそいつで羽を伸ばせ」


 俺は頷きながら口を開いた。


「オヤジ、俺の母親はシャブ中だった。ひでえ母親で、殴られた記憶しかありませんがね」


「あ? 何の話だ」


 唐突な俺の言葉に、オヤジが訝しげな顔をする。


「俺には二つ下の妹がいたんですよ。十五の時に、そのシャブ中の母親にぶち殺された妹がね」


 言葉を続ける俺にオヤジは嫌そうな顔をする。


「てめえ、だから何の話だ? いきなり、てめえの身の上話を始めやがって」


 オヤジの声は苛つき始めているようだった。


「いやね、俺は思ったんですよ。俺らみたいのがいるからなんだってね。際限なくクスリ漬けの奴は生まれるし、それが原因でよく分からねえ理由で死ぬ奴がいる。俺らは害虫と同じだってね。いや、そんなことは、認めなかっただけで、とっくに知っていたのかもしれねえ」


 俺はそこで言葉を区切って、オヤジの顔を見つめる。不穏な物を感じてなのか、オヤジの片頬が微妙に引き攣っている。


 俺は懐から拳銃を取り出した。オヤジは引き攣った顔でソファから腰を浮かせた。


「こんなシノギをしてるんだ。俺はいつ死んでもよかった。いや、違いますかね。俺は死にたかった。クソみたいな母親から妹を守れなかった時からね。だから、きっとこんなクソみたいなシノギも続けてきた」


 俺は淡々と言葉を紡いだ。そこには何の感情も込めてはいない。


「でも、俺はまだ生きている。だから、そろそろ自分で幕引きをしてもいい頃合いなんじゃねえかと」


 俺はそこで言葉を区切って、ひと呼吸を置いた。そして、さらに言葉を続ける。


「まあ、俺らがいなくなったところで、何かが劇的に変わるはずもねえ。ただ、害虫の俺らがいなくなれば、クスリ漬けの奴や、意味もなく死ぬ奴が少しは減るのかもしれねえ。少しは世の中ってのが、よくなるのかもしれねえ……何となくそう思ったんですよ」


「てめえ、イカれたのか。何を言っていやがる? 意味が分からねえぞ。シャブでも喰らってんのか」


 そんなオヤジの怒声が合図だったかのようにして、俺は銃の引き金を三度引いた。オヤジは驚いた顔のままでソファの上に崩れ落ちる。


 次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。怒声や銃声を聞きつけた数人の組員たちが、何事かを叫びながら姿を見せた。銃声を聞いたからだろう。既に銃を手にしている気の早い組員もいる。


 部屋に飛び込んできた組員たちは全て顔見知りだった。俺はそいつらに銃を向けた。それを見て、銃を持った組員も顔を引きつらせながら俺に銃を向ける。


 あまり焦ると人は殺せねえよ。

 心の中でそう呟きながら、俺は引き金を三度だけ引いてみせた。


 それとほぼ同時に、俺の右肩と腹部に衝撃があった。その勢いで右手から銃が離れる。膝が折れそうになるのを俺は辛うじてこらえる。


 そんな俺に向かって、血走った目をした組員たちが怒声を上げながら殺到してきた。

 

 やれやれだな。ご苦労なこった。

 そういえば、オヤジを殺した俺の報酬は何だ?

 俺自身の命か?


 ……死神が最後に自分の魂を喰らうって奴だな。


 俺は肚の中で呟いて、顔に少しだけ笑みを浮かべてみせた。


 不意に脳裏で妹の顔が浮かぶ。

 もう何年もの間、まともにその顔を思い出すことはなかった。記憶を封じ込めていたはずだった。


 小さな頃から二人ともシャブ中の母親と、その情夫から殴られてばかりだった。大きくなったら自分が必ず守ってやると、何度も誓った妹の顔だった。そして、守ることができなかった妹の顔だった。

 

 妹は笑顔だった。

 どこか懐かしい。

 名前も知らないあの時の少女が少しだけ笑った顔。そして妹の笑顔が俺の脳裏で重なった。


 脳裏に浮かんでいた彼女たちの顔が唐突に消えた時、頭の奥でぷつんと鳴った音を俺は聞いた気がした。

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