赤い魔女の襲来4

(傷口を見る限り、たぶん猛毒の類いは仕込まれてない)


 二人はガルを生きて捕らえたがっているから即死してしまうような毒は使わないはず。だからといって安心はできなかった。死なない程度の毒が仕込まれていないとは限らないからだ。


(早く調べないと……でも、僕にはこれを触ることができない)


 触れなくては抜くことができない。抜かなければ傷口や毒の有無を調べるのは不可能だ。いっそ無理やり引き抜くかと思ってしまった自分に呆れた。


(僕は魔女だ。魔女のまじないがどれだけ危険かよくわかってる僕がそんなことでどうする)


 シャツに滲む血が目に入ると気持ちばかりが焦ってしまう。なんとかしなくては、でもどうしたら、そんな言葉が頭をぐるぐると駆け巡った。


(落ち着くんだ。まずはあの二人を森から追い出す。そうしないと何もできない)


 もしかするとほかにも厄介な道具を用意しているかもしれない。これ以上何かされるわけにはいかなかった。


「ガル、ちょっと待ってて」


 そうつぶやいた僕の肩をガルが掴んだ。僕が何かしようとしていることに気づいたのだろう。


「大丈夫だから」


 だって、僕はこの森に住む足枷グレイプニールの魔女だ。ばあちゃんから引き継いだのは名前だけじゃない。

 ガルの腰をポンと叩き、そっと腕をほどいた。最後まで僕の腕を掴もうとしたガルの手を握り、「大丈夫」と指先に口づけてから立ち上がる。


(二人はまだ気づいていない)


 言い争っている二人を見ながら、ゆっくりとエルダーの木に近づいた。右手で幹に触れながら小さく息を吸い、つぶやくように契約の呪文を口にする。


「エルダーの木々よ、汝等を穢した魔女たちに復讐の鉄槌を。汝等の威厳を示し魔女たちを遠ざけよ」


 僕の声とともに枝が擦れ、葉がざわめき出した。一本の木から始まった音は一気に森の奥へと広がり、森全体が揺れるようにざわざわと音を立て始める。

 その音にハッとしたソルが周囲を見渡した。それから僕を見て「チッ」と小さく舌打ちをする。


「マイニィ、一旦引こう」

「どうして? いまの人狼ならあたしたちでも連れ帰って閉じ込めることができるわ」

「駄目だ。木々の波動がおかしい。というより、森全体の波動が、……っ」

「きゃあっ」


 二人目がけてヒュンと鋭い音がした。続けてヒュンヒュンといくつもの音が二人に襲いかかる。咄嗟に躱した二人だが、なおも鋭い音は彼らを追撃するように鳴り響いた。

 二人が立っていたあたりには何本もの枝が突き刺さっていた。刺さっているのはオークの枝だ。でも、普通の枝と違って先端が槍のように鋭く尖っている。入り口より少し奥に茂っているオークの木たちがエルダーの木によって解放され、魔女たちを排除するために攻撃を始めたのだ。


「くそっ。あいつ、森を使役する魔女だったのか」

「ちょっと、どういうことよ!?」

足枷グレイプニールの魔女は鉄の森を支配していた。鉄の木々がなくなった森なら何もできないと思っていたが、いまは鉄じゃなく普通の木々を支配下においているんだ」

「何よそれ! っていうか、森全体を使役するなんて無理に決まってるじゃない!」

「どんなまじないを使っているかはわからない。ただ、このままじゃ俺たちのほうが囚われの身になる」


 ソルの言葉に「捕らえたりなんかしないよ」と答えた。その声に反応するかのように、降り注いでいたオークの槍がぴたりと止まる。身を躱し、さらにまじないで木の槍を防いでいた赤毛の魔女たちが僕を見た。


「たしかに僕は森と契約を結んでる。それが足枷グレイプニールの魔女にとってもっとも重要な役目だからね。でも、僕の役目はあくまで森を守ることであって魔女であるあなたたちを捕らえることじゃない」

「……どういう意味だ」

「この森は魔女を嫌っている。憎んでいるといってもいい。だから、あなたたちには出ていってもらう。そして、できれば二度と戻って来てほしくない。でないと、次は森自身があなたたちを捕らえて殺してしまうかもしれない。この森はそういう森なんだ」


 ソルの赤い眼が細くなった。隣ではマイニィが悔しそうに唇を噛んでいる。少し考えるような表情をしていたソルが、ため息をつくように小さく息を吐いた。そしてマイニィに近づいたかと思うとその手を掴み、「行こう」と口にした。


「ちょっと、せっかくのチャンスを逃すつもり!?」

「チャンスなんかじゃない。というより、この森に入った時点でチャンスなんてなかったんだ」

「何を言ってるのよ! やっとここまで追い詰めたのよ!? また新しい銀の狼を探そうったって、そう簡単に見つかりっこないわ!」

「それでも、この森は駄目だ」


 ソルがピュウと指笛を吹くと、森の遥か上に大きな烏が現れた。広げた翼は大人の背丈三人分くらいはあるだろうか。そんな大烏は何度か降下を試みたものの、諦めたのか上空で旋回している。


「やはり近づけないか」

「ちょっと、ソルってば!」

「いいからじっとしてろ」


 マイニィの腰を抱いたソルが、右手を空に向かって突き上げた。するとどこからともなく集まってきた蛇たちがソルの体を這い上がり始める。そのまま腕にシュルシュルと巻きつくと、まるでロープのように互いの体を絡ませ始めた。それが段だと天に向かって伸びていく。

 先頭の蛇が巨大な大烏の足に絡みついた。烏はそれに驚くことなくバサバサと大きく羽ばたくと、一気に上空へと浮上した。

 少し離れたところにいた二人の体が浮き上がった。そうかと思えば大烏に引っ張られるかのように一気に空へと舞い上がる。そのまま街のほうへと移動しているようだが、「せっかく見つけたのに!」と叫ぶマイニィの声が遠くから聞こえてきた。


「お願いだから、二度と戻って来ないで」


 黒い点になった二人にそうつぶやいた僕は、急いでガルの元へと戻った。太い針のようなものが鈍い光りを放ちながらガルの背中に何本も刺さっている。肩越しに見たときよりもずっとひどい状態に両手をギュッと握り締めた。


「どうしよう」


 早くどうにかしたいのに僕では抜くことができない。こうして近くで見てもどんなまじないかわからなかった。これじゃあ手当をすることもできない。

 二人にまじないの解除をさせてから逃がすんだった。しくじったと焦る僕に、ガルが「大丈夫だ」とつぶやく。いつもよりずっと弱々しい声に、心配するよりも頭にカッと血が上るのがわかった。


「大丈夫なわけないだろ!」


 こんなときくらい僕を頼ってくれてもいいじゃないか。そう思い、「僕、そんなに頼りない?」と言いながら俯いていたガルの顔を覗き込んだ。


「そうじゃない。今夜は満月だから、大丈夫って言っただけ」


 そう言ったガルが弱々しい笑みを浮かべた。隣にしゃがみ込んでいる僕の手に触れながら、「だから大丈夫」と口にする。


「満月を浴びれば俺は狼の姿になれる。体が変化するとき、異物は外に押し出されるから」

「それって、狼になればこれが抜けるってこと?」


 銀色の髪がわずかに揺らしながらガルが頷いた。キリッとした眉は苦しそうに寄っていて、額にはとんでもない量の汗が浮かんでいる。グッと歯を食いしばるように目を閉じた表情は左足を怪我したときよりずっとつらそうだ。


「わかった」


 これまでガルが狼の姿になったことはない。いままで何度も満月を見ているけれど人の姿のままだった。そんなガルが本当に狼になれるのかわからない、でも、いまはガルの言葉を信じるしかない。


「家に帰ろう。ガル、歩ける? 無理そう?」

「……歩ける」


 立ち上がろうとしたガルが一瞬グラッと揺れた。慌てて支えたものの、本当は座っているのもつらかったのだろう。そんな状態でも僕に心配をかけたくないのか、ゆっくり立ち上がったガルが一歩踏み出した。


「本当に大丈夫?」

「大丈夫」


 慌てて肩を貸した僕にガルがふわりと笑った。そんな強がりのガルに涙が出そうになり、「僕に寄りかかっていいからね」と言いながら前を向く。

 途中、何度も休憩を挟みながらなんとか家にたどり着いた。急いでガルをベッドに寝かせると、いつもより明らかに息が上がっている様子で「心配しなくて、いい」とつぶやく。


「止血剤と痛み止め、増血剤も用意しておくから」

「アールンの薬なら、すぐによくなる」


 ベッドに横たわったガルは、そうつぶやいてから眠るように目を閉じた。

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