7-2

 カフェの扉を開けると、柔らかな空気が二人を迎え入れた。

 静かな音楽と香ばしいコーヒーの香りが、初日に訪れたときの記憶を呼び起こす。窓際の席に座った紫乃は、紅茶を手に取り、静かに目を伏せた。

 差し込む日差しが、彼女のブラウスと淡いピンクのスカートを柔らかく照らしている。

 初めてここを訪れた時とは違う穏やかな表情に、聡太は目を奪われた。


「ここで、初めて聡太さんと友達として初めて話をしたんだよね」


 紫乃がぽつりと呟く。その声には、懐かしさと共に感慨深さが滲んでいる。


「あの時はお互い緊張してて変な空気だったな」


 聡太が笑いながら言うと、紫乃は「あはは」と控えめに笑い返した。


「うん、すごく緊張してた。こんなお店来たことないし、何を頼めばいいのか分からなくて……。聡太さんが『甘いのが美味しいって聞いたことある』って言ってくれたからあのフラペチーノ、頼んだんだよね」


「今だから言うけど、俺もここに来たの初めてだったんだよ。甘いのが美味しいって言うのも又聞きだったし」


「ふふっ、それ気付いてたよ。私が驚いてる横で聡太さんもキョロキョロしてたもん」


 紫乃は悪戯な笑みを浮かべる。その仕草に、聡太は思わず吹き出した。


 笑い声が静まり、ふと店内の静けさが戻る。紫乃はカップを置き、テーブルの上でそっと指を組んだ。そして、小さく息を吸い込み、静かに口を開く。


「……ねぇ、聡太さん。友達って、どういうものだと思う?」


 突然の問いに、聡太は一瞬考え込んだ。紫乃の表情は真剣そのもので、軽い返事をすることができない。


「……なんだろうな。気を使わずにいられて、一緒にいて楽しい相手……か?」


 その言葉に、紫乃は少しだけ笑みを浮かべた。


「それ、すごくいいね。気を使わない相手か……」


 紫乃は視線をテーブルに落とし、静かな声で語り始めた。


「私ね、最初にも言った通りずっと友達が欲しかったんだ。普通の友達。一緒に笑ったり、悩みを話したり、ただそばにいるだけで楽しい……。そういうのに、ずっと憧れてた」


 聡太は何も言えず、ただ耳を傾けた。紫乃の声には、どこか遠い記憶を辿るような響きがあった。


「でも、それがどれだけ難しいことかすぐに分かったの。周りの話題にもついていけないし、空気も読めないって言われちゃうし」


 紫乃の指先がわずかに震える。それに気付いた聡太は、心の中で拳を握り締めた。


「いじめられるようになってからね、毎日どうやって死のうか考えてた。……でもやっぱり、行動にうつすことはできなかったんだ」


 聡太は黙って紫乃の話を聞く。


「それでも、もう限界だった。最初ね、聡太さんのお店を見つけた時何でか分からないけど『私の求めるものはここにある』って思ったんだ」


「求めるもの?」


 聡太が尋ねると、紫乃は小さく頷いた。


「うん。私はね、早く死にたかった。でも――」


「友達も欲しかった?」


 聡太が静かに問いかけると、紫乃は一瞬驚いたように彼を見つめた。そして、ゆっくりと微笑む。


「そうなの。死にたいって思って全てを諦めてるくせに、都合がいいでしょ」


 紫乃は自虐気味に笑みを浮かべながら、こちらを見つめる。

 その言葉に、聡太の胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。

 紫乃の瞳には少しずつ涙が滲み、震える声が彼女の本心を物語っている。


「でもね……私はもう、本当の意味で誰かを信じることはできなくなってるんだ。心の奥底で、どうしても疑っちゃうの」


「紫乃さん……」


「きっとこれ以上、友達はできない。仮にこの先、友達になれるような人が現れるとしても……私はもう、同じようには信じられないと思う」


 その言葉の重さに、聡太は言葉を失う。

 ただ彼女の言葉を受け止めることしかできなかった。


「でも、聡太さんは違った」


 紫乃が再び口を開いた。その目には決意のような光が宿っている。


「『死』を引き換えにしたから、私は信じることができたんだ。聡太さんと過ごした時間は、嘘がないって思えた。……だから、楽しかった。幸せだった」


 紫乃の涙が頬を伝い落ちる。その姿を見て、聡太は何も言えなかった。


「だからね、自分でもびっくりするくらい悔いが残ってないんだ。この一週間で、私は本当にたくさん笑ったし、嬉しかったし……。聡太さんと友達になれて、最後にこんな思い出を持つことができた」


 紫乃が絞り出すように言う。その声には、悲しみではなく感謝が込められていた。


「……俺も、紫乃さんと友達になれて良かった。最初は、ただの仕事だと思ってたけど……今はちゃんと友達だと思ってる」


 聡太の声は震えていたが、確かな思いが込められていた。

 店内の静けさが二人を包み込む中、窓から差し込む柔らかな光が紫乃の涙を照らしていた。彼女の表情には、切なさと安堵が同時に浮かんでいる。


 紫乃はカップを手に取り、最後の一口を飲み干した。そして、そっと微笑む。


「……聡太さん、本当にありがとう」


 その言葉は静かだったが、確かに聡太の心に響いた。

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