2‐11

 ルクスが目を開けると、視界に飛び込んできたのは不安そうな顔でこちらを覗き込むベオだった。




「……ベオ……?」


「起きたか! ……まったく、心配を掛けさせおって」




 腕を組み、ルクスからそっぽを向くベオ。その表情がどんなものかを、こちらから窺うことはできない。




「……ここは?」




 見たところ、何処かの家の中のようだった。とは言っても残された家具はどれも使い物になるわけもなく、ルクス自身も床に敷かれた申し訳程度の布の上に寝かされているような状況だったが。




「見ての通りだ。この周辺の建物が臨時に負傷者の収容施設になっている。格下の我々は、こんな狭い場所に押し込まれたがな」




 不満そうにそう言ったベオだったが、むしろ好都合だった。


 ルクスが気を失っている状況で、彼女が周囲の人と揉め事を起こさないわけがない。勿論、ベオだけが悪いというわけでもないが。




「僕はどのぐらいの間……つっ」




 上半身を起こして、脇腹から響く痛みに顔を顰める。


 見ればそこには痛々しく包帯が巻かれ、今も血が滲んでいた。




「あまり動くな。……矢には毒が塗ってあった。一応、解毒用の薬草は使ってあるが、すぐに効果が出るわけではないらしい」




 ルクスのすぐ傍にある壊れかけた椅子を引いて、ベオは苛立ちを隠そうともせず、そこに勢いよく座り込む。




「奴等が連れてきた魔導師共は役に立たん! 大半が攻撃ばかりで、治癒魔法を使える者はほんの数人だけ! それも他の奴等の治療を優先しているような有り様だ! あの戦いで最も活躍したのが誰だかもう忘れたというのか!」


「仕方ないよ……。彼等だって、自分達の仲間の方が心配だろうし」


「しかし……!」




 拳を握り、尻尾と獣耳を逆立てて怒るベオだったが、すぐに意気消沈してそれらをしんなりと撓らせてしまった。




「……いや、これは私の落ち度でもあるな。面倒くさがらず、エリアスの言うことを聞いておけばよかった」


「……ベオ……」




 彼女がそんなに落ち込んでいるのもまた、珍しい。




「おかげで無駄に取り乱してしまった。別に、貴様を心配したわけではないぞ。いや、心配はしたが……その、何だ……こういった余計な苛立ちを感じたくないんだ、私は!」




 窓の外へと顔を向けながら、ベオが誰に言うでもなく、そう言い捨てた。


 彼女と同じ方向を見てみると、既に外は夜の闇に染まり、篝火の光だけがその中でゆらゆらと燃え盛っている。




「と、とにかくだ! あまり私を驚かせるな。別にあんな女捨て置いてもよかっただろうに」


「そう言うわけにもいかないよ……。助けられる命は、助けたいんだ」


「……奴が、私達を人間と思っていなくてもか?」




 彼女はベオを、獣人を人間のように扱ってはいなかった。


 だとすれば、ルクスが人造兵とわかれば対応を変えてくる可能性も充分にあり得る。




「……そうだね。それでもあの人は、大勢の人を救えるだろうから」




 フィンリーがここの隊長で、彼女の指揮によってこの街を取り戻したのは紛れもない事実だ。


 どうやら生き残りの民間人もいるようだし、そんな彼等の命を救ったのは、間違いなくフィンリーだと言える。




「お人好し過ぎるぞ、お前は。人間に憧れ、媚びを売るのも程々にしておけ。お前は……」


 何かを言いかけて、ベオが口噤む。


 恐らくそれは、ルクスにももう理解できていることだった。


 どれだけ人を助けても、人間になることはできない。受け入れられることはない。


 それを口にしなかったのは、ベオの優しさだった。




「いいんだ、それでも。……僕は憧れたから」


「英雄か。まるでその言葉は呪いだな」


「ああ、まったく。同感だ」




 第三者の声がして、その方向を見る。


 壊れた扉の位置に立っていたのは、オーウェンだった。武装して、手には槍を持っている。




「オーウェンさん」


「具合はどうだ、少年。あんまりよさそうじゃないが」




 答えるまでもなく、ルクスの顔色を見てオーウェンは勝手にそう判断していた。




「時間だ」




 オーウェンがそう言った直後、周囲から叫び声のような号令が木霊する。


 それらは口々に、敵襲を告げていた。




「……来たか」




 驚くことではない。元々、その予定で作戦は立てられていた。


 この街を速やかに再占領し、防衛拠点として周囲に散った魔物達の襲撃に備える。そして可能なら、それを殲滅する。


 だが、今の戦力で果たしてそれができるだろうか。


 それは、ルクス達にはわからない。フィンリーには何か作戦があるのかも知れないが、詳細は知らされていない。




「……やれるか、少年? 何なら寝ててくれても構わんが」




 頭を掻きながら、オーウェンがそう口にする。




「……オーウェンさん……」


 それは不器用ながら、彼の気遣いだった。首を縦に振れば、オーウェンはルクス達を戦わせることはないだろう。


 ベオに視線を向けるが、彼女は何も語らない。


 魔獣と戦うことを決めた時と同じだった。なんだかんだ言いながら、彼女はルクスの決断を尊重する。


 そして、英雄に憧れる少年が次に言う言葉を、恐らくもう理解してしまっていることだろう。




「僕は、戦います」


「……はー……。なんで若い奴が死に急ぐかね」


「死ぬつもりはありません。僕とベオなら生き延びれる自信があるから、やるんです」




 その根拠のない自信に、ベオも異論はないようだった。




「やれやれ。こういう奴だ、目が離せん」




 ただ呆れたように苦笑するだけ。


 それにつられて、オーウェンも思わず笑ってしまっていた。




「なるほど、流石魔獣を倒したってだけのことはある。なら、精々生き延びるとしようか」


 轟音が近付く。


 既に時間は残されていない。


 痛みを堪えながら立ち上がり、ルクスは剣を取る。


 既に家屋の外では、残った兵士達が何重にも防備を固めているところだった。


 ルクス達の新たなギルド、その力を示す戦いはまだ終わっていない。




 ▽




 街の中心部にある一軒の建物。


 比較的損傷も少ないその一室に、鈍い打撃音が響き渡る。


 フィンリーによって頬を殴られ、その身体を地面に転がしたのは、先程報告に現れた兵士の一人だった。


 その横では、もう一人が次は自分の番ではないかと身を震わせている。




「なんで、ここに来たあんた達に足を引っ張られるのよ!」




 床に倒れている男の名はホルガー。フィンリーの前にギルドの支部長、つまりは彼女の前任者に当たる男だった。


 それがフィンリーと言う女によってその座を追われ、自分よりも年下の部下に付かざるを得なくなった。


 故に、彼はフィンリーを軽んじていた。フィンリー自身もそれは理解していたが、大事になるとは思ってもいなかった。




 結果として、ホルガーはもう一人の同僚と一緒に独断で他ギルドに追撃命令を出してしまった。


 自分達も同様に部下を連れて深追いしたが、すぐに逃げ戻ってきた。


 結果として、ここに留まっている戦力は予定よりも少なくなっている。




「お、お言葉ですがフィンリー隊長……。貴方の立てた作戦では、ここを護り通すことは不可能だと判断しました。ですから、俺達は独断で……うぐっ!」




 倒れたままのホルガーに、フィンリーの長い足による蹴りが炸裂する。


 男の身体は勢いよく蹴飛ばされて、床の上の数回転がり、棚にぶつかって派手な音を立てて止まった。




「何度も言わせるな、馬鹿者が! あたしはできると思った作戦を立ててんのよ。そもそも、フェンリスの掟を忘れた?」


「し、しかし……支部長に先任していたのは俺で……」


「上はあたしを指名したの。その意味がおわかり?」




 ぎろりと彼女に睨まれて、ホルガーもその同僚も言葉を失う。それだけの怒気と迫力が、女ながらにフィンリーには備わっていた。


 まだも何かを言おうとするホルガー達の声を遮って、怒号が木霊する。


 それは外から迫りくる、魔物達の鬨の声だった。




「ちっ。精々戦って死になさい! 生きて帰れたら、あんたらのやらかしは全部上に報告して、牢屋にぶち込んでやる!」




 腕を大きく振って、二人に部屋から出ていくように促す。


 ホルガーと同僚は立ち上がり、怯えるように建物から出て行った。


 それでもまだ苛立ちが収まらないフィンリーは、傍にあったテーブルに握った拳を叩きつけると、派手な音を立ててそこに穴が開いた。




「……こんなところで負けるもんか。あたしは勝つのよ、勝って、出世してやるんだから! そのために、わざわざアレまで持ち出してきたんだから!」




 冷めやらぬ怒りを纏い、フィンリーは一人建物の地下へと向かって行く。


 そこには、彼女がこの街に来た時に一緒に馬車で運ばせていたある物が眠っていた。

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