第30話 もみほぐしは得意です

旅館に着く頃には、日が落ちてきて夕焼け空が広がっていた。人気の旅館らしく、オフシーズンとはいえ来客はそれなりに多いようだ。

受付係から促されるままにエントランスで待機していると、しばらくして関係者用出入口から恰幅の良い男性が現れた。彼は玲華と目が合うや否や、小走りでこちらに駆け寄ってくる。


「おぉ、玲華ちゃんよく来たねぇ。遠路はるばるご苦労さま」

「はいっ、お久しぶりです堺さん!父がお世話になってます」


玲華と対した男性はこの旅館のオーナーであり、健一郎さんとも旧知の仲らしい。話には聞いていたが、目皺が深くて優しそうな顔つきをした好々爺だ。


「いやぁ、健一郎さんにお世話になったからねぇ。それに、勉強熱心な玲華ちゃんには大きくなったらご学友とウチの旅館に遊びに来て、羽を伸ばして欲しいと常々思ってたんだ」

「えへへ……そんな、大袈裟ですよぅ」

「それにしても、まさかこんな男前の彼氏を連れてくるとは思わなかったけどねえ」

「……っ!?///」


堺さんになにやら耳打ちをされた玲華は、顔を赤くしてその場で跳ねた。内容は流石に聞こえなかったが、明らかに動揺している様子だ。


「か、かか彼氏じゃないですよっ!?この人は義兄ですっ!私の兄ですからっ!!」

「ああ、君があの……。勘違いして申し訳ない、この歳になるとついいらぬ事ばかり口走ってしまう」

「いえ、お気になさらず……。こちらこそ挨拶が遅れてすみません、義兄の蓮也です」


堺さんに会釈をしつつ、自己紹介を済ませる。彼は俺の手を取って朗らかな表情のまま握手に応じてくれた。


「蓮也くんだね、よろしくどうぞ。ではそちらのお嬢さんは、もしや妹の冬華ちゃんかな?」

「……あ、えーっと。ども……」


姉の背中に隠れていた冬華だったが、名前を呼ばれては流石に顔を出さざるを得なかったようだ。しかし軽く会釈をする程度で、またすぐに顔を隠してしまった。人見知りの冬華らしい。


「はは、背は大きくなっても性格はあまり変わらないようだね。髪の色も少し暗くなったかな?」

「これは、その……染めてるから……」


それだけ口にして、冬華は恥ずかしそうに俯いてしまった。そういえば、小さな頃は二人とも赤茶けた髪色をしていた覚えがある。玲華のやや明るい髪色と比べると、艶のある綺麗な黒髪をしているなと常々思ってはいたが……。まあ、高校生デビューというやつだろうか。


「……じろじろこっち見ないでよ。ばか」

「え、ああ。悪い、ついな……」

「はは、兄妹仲が良さそうだね。今どき兄妹だけで家族旅行に来るなんて、珍しいから驚いたよ」


堺さんの何気ない一言に、俺たちは固まってしまった。確かに、兄妹だけで1泊2日の旅行に来るなんて一般感覚とはかけ離れているだろう。しかもそれが思春期真っ只中の行いともなれば、尚のこと不可解に思われただろう。変な汗を拭いつつどう返答すべきか思案していると、玲華が先に口を開いてくれた。


「あ、あのぅ……。堺さん、今回ここに来たことは、父には黙っていて貰えませんか……?」

「どうしてだい?」

「ええっと、えーっと……。ち、父に心配をかけたくないんですっ!ですよね兄さん!?」

「あ、ああ……。実はその、どうしても妹たちがここに来たかったみたいで。俺はあくまでその引率ってだけで、義父には内緒で来たんです」

「はは、そうかそうか。健一郎さんはやけに心配性だからねぇ、その気持ちはわかるとも」


うんうんと頷く堺さんの姿に、俺たちは揃って胸を撫で下ろした。玲華からのキラーパスが飛んできた時は焦ったが、我ながら機転が効いたのではないか。


「さて、長旅で疲れただろう。部屋でゆっくり休んでおいで」

「はいっ。お世話になりますね!」


にこやかに戻っていく堺さんに手を振って、俺たちは受付を済ませて部屋へと案内された。ドアを開けると、そこには樫の木の内装が映える居間が広がっていた。


「わぁー、素敵なお部屋ですね!」

「そうだな。まさかこれほどとは」


玲華は目を輝かせながら辺りを見渡す。俺もなんだか新鮮で、童心に帰ったような気持ちだ。俺たちは早速荷物を置いて、畳へと上がった。

居間に飾られた掛け軸はいかにも格式高そうで、なんだか気後れしてしまう。テレビや空調設備も真新しく、水周りも掃除が行き届いているようだ。


「……ふーん、結構綺麗じゃん」

「ふふ、冬華も気に入ってくれたんですね」

「まあね。汚い部屋だったら速攻帰るつもりだったし」

「おま、なんてこと言うんだよ……」


冬華の相変わらずの鋭い発言に、思わず振り返ってしまった。玲華は慣れているのか、そんな様子を微笑ましそうに見守っているのであった。


それから俺たちは居間に座って、テレビを見ながらのんびりと備え付けのお茶菓子を頬張った。熱湯を注いで溶かしながら食べるタイプの桜最中の甘さに、旅の疲れが癒されていくのを感じる。


「はぁー、にしても歩き疲れたなぁ。2人とも足とか平気なのか?」

「全然。普段の走り込みに比べたら余裕だし」

「私も平気です。楽しさが勝っちゃいました!」

「はは、二人とも若くてたくましいな……」

「大学生が何言ってんの。じじくさいこと言うな」

「病み上がりですししょうがないですよ。そうだ兄さん、マッサージでもしましょうか?」


玲華が手をわきわきとさせながら俺に近づいてくる。マッサージの申し出はありがたいが、なんだか嫌な予感がした。冬華も鋭い視線を向けてきて怖いし。


「いや、遠慮しとくよ。玲華も疲れるだろ」

「私のことは気にしないでくださいっ。というか、兄さんの筋肉をマッサージすることでむしろ回復する気がします!」

「お、おう……。でも流石になぁ……」

「もちろん無理にとは言いませんけど!でも、私ってば射的でもなにもあげられなかったし、せめて兄さんに喜んで欲しくて……」

「あー……。じゃあ少しだけ頼もうかな。冬華もそれならいいだろ?」

「なんであたしに聞くわけ……。別に、少しくらいならいいんじゃない。勝手にすれば」

冬華は素っ気なく応えると、お手洗いの方向へと消えていってしまった。居間に残されたのは俺と玲華の二人だけ。なんだか気まずさを感じつつも、俺は玲華に促されてうつ伏せに寝そべるのであった。


「玲華、これでいいのか?」

「はいっ。じゃあさっそく始めちゃいますね」

玲華がそう言うと、俺の肩甲骨のあたりを掌底で押し始めた。ぐっ、ぐっと体重をかけて指圧されると、筋肉に溜まった疲労が押し流されていくような感覚を覚える。つまるところ、やる前から自信を見せただけあってかなり腕が良い。


「兄さん、加減はいかがですかー?」

「あー……。癒されるよ、プロみたいだな」

「えへへ。実は中学生になってから、部活後の冬華にマッサージをするのが日課になってたんですよね」

「なるほどな、通りで上手いわけだ」

「はいっ。それに、お父さんみたいな立派なお医者さんになるには、人体について詳しくなきゃいけませんから。座学ばかりじゃ飽きちゃいますし」


そう呟きながら、指圧を強めていく玲華。努力家の彼女らしく、何事にも一生懸命なのだろう。

そういえば、玲華は子供の頃からずっと医者を目指して勉強をひたむきに頑張っていたっけ。夢に向かって研鑽を積む彼女は、家族贔屓のようになってしまうが、本当に見上げた性格をしているなと常々思う。


「玲華ならなれるさ。いいお医者さんにな」

「ふふ、そう言って貰えて嬉しいです」


それからしばらく、俺は彼女に身を任せて施術を受けた。やがて背中周りから腰まで丁寧に揉みほぐされた頃。何を思ったのか、玲華は俺の背中に跨ってきたのであった……。


「ちょ、玲華……?なにもそこまでしなくても……」

「こ、これは仕方の無いことなんですっ。インナーマッスルに関わる腰方形筋は指圧しづらいので、力を込めやすい体勢にしているだけですからっ!」


そうは言われても、この体勢は流石にまずいだろ……。背中には玲華のお尻が押し付けられているし、彼女の体温や息遣いも直に感じられる。だが真剣にマッサージをしてくれている分、なんとも指摘しづらい……。


「玲華、悪いんだけどさ……」

「あ、もしかして……。私、そんなに重いですか……!?」

「えっ。いや、言うほどは重くないけど」

「『言うほど』ってどういうことですかっ!?気にしてるんですから、嘘でも軽いって言ってくださいよっ!!」

「え、えぇ……」


玲華は俺の背中をドスドスと弱拳で叩きながら、半泣き状態で癇癪を起こしている。だいたいいつも不機嫌な冬華といい、地雷に触れると厄介な怒り方をしてくる点は、さすが姉妹と言ったところか……。


「わ、悪かったから落ち着けって。俺はただ乗られたのが気になっただけで、別に気にするほどの重さじゃ……」

「重かったのは否定しないんですねっ!?」

「いいやそうじゃなくて……。あーもう、なんで変な受け取り方すんだよお前は……」


前々から思っていたが、玲華は少しばかり早とちりで妄想気質なところがある。以前も俺と冬華の関係を疑ったり、吐いてしまった際にも自らの料理のせいだと誤解したりとその兆候はあった。まあ、精神が成熟していない10代の少女ならばこんなものだろうと受け止められるが……。俺もまだ、玲華については知らないことばかりらしい。

ここは大人しく、玲華をどうにか穏便に諭そうと背面を振り返った。その時、運悪く後ろの襖ががらりと開いて、席を外していた冬華が戻ってきたのだった……。


「ちょっと何なの。さっきからやけにうるさ……。って……、えっ……」

「あ……」


跨られた俺と、涙ぐんだ玲華の姿がはっきりと目に映ったらしい。冬華は一瞬フリーズしたかのように無言になると、そのままこちらに近付いてきて俺の足裏を容赦なく踏み抜いた。


「いぎゃああっ!?」

「……ちょっと目を離した隙にこれとか、信じられないんだけど」

「おまっ……俺、一応傷病者なんだが……?」

「黙れ変態。乗られて喜んでるくせに」

「ち、違うんです冬華!これは兄さんにマッサージを施す過程で仕方なく……」

「言い訳は聞いてないし。どーせお姉もこれ見よがしに変なことしようとしてたんでしょ。この変態兄妹め」

「ああう……。ほ、ほっぺ、そんにゃにつねらないでくだひゃい……」


妹に頬をつねられながら、俺から引き剥がされて行く玲華。そして首根っこを掴まれて、みるみるうちに玄関側へと引き摺られていく……。


「と、冬華っ?わたし、これからどこに連れていかれる感じですか……?」

「どこって、お風呂だけど。さっさと浴びて着替えたいし」

「し、沈められたりしないですよね!?」

「沈めないってば。これ以上変なことでもしない限りはね」

「ひぃ……」


妹の言葉に縮こまって萎縮する玲華。その姿に、俺の方も不思議と背筋が伸びてしまう。


「……分かってるとは思うけど、あんたは別風呂だからね。入ってきたら通報するから」

「言われなくても分かってるよ。さっき堺さんに二部屋分のカードキーもらったばかりだろ」

「ふん、分かってるならいいんだけどさ。お兄、そこのキャリーケース取ってよ。あとあたしとお姉の分の浴衣もね」


俺に軽蔑の視線を向けながら、冬華は部屋の隅に置かれた荷物を指さした。このくらい自分でやれよと思いつつ、俺は二人の荷物と浴衣をまとめて手渡した。


「ほらよ、この使いっ走りめ」

「ありがと。じゃあ行ってくるから。絶対のぞいたりしないでよね」

「何回釘さしたら気が済むんだよ……」

「あはは……。じゃあ兄さん、行ってきますね。また後ほどです」


そう言葉を残して、冬華に襟を引っ張られつつ部屋を後にする玲華。俺はその姿を見送ってから、ひとりため息をついた。……いや別に混浴にならなくてショックとかではなく、単にまた要らぬ誤解を与えてしまったことが悲しいのだ。せっかくの思い出作りなのだから、なるべく冬華にも、もちろん玲華にも笑顔でいて欲しい。


「なんでこう、いつも空回りするんだか……」

独り言を吐きつつ、俺も汗をかいた分さっさと洗い流そうと風呂場へと向かうのであった。

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