第10話   私を選んだ理由

 初めて耳にする情報だった。


「魔素なんて息を吸うように使うモノを、それも目に見えないモノなのに、管理可能な者がいると言うのか?」


「うん。みんな困ってるんだ」


「困るほど使用量を制限しているのか。なんのために、そのような面倒事を。祖母も含めて、私のように毎日のごとく使っている魔法使いもいるだろうに」


 少なくとも、どこかで暮らしている祖母の安否を不安に思わぬ程度には、祖母は魔法に達者であった。山奥での一人暮らしだって、祖母なら難なくこなせるだろう。


「僕ら魔法使いは、自由な民だ。いっそ魔法を使わずに生きていけるくらいには、自由だよ。でも、一度使っちゃうと、手放せないよね。そうしてどんどん、新しい魔法を生み出して、ときには弟子を取って教えてあげちゃったりするんだよ」


「何が言いたい?」


「番人は僕らに意地悪して、魔法の発展を遅らせてるんだ。魔素の濃度を制限して、大きな魔法は使えないように仕組んだの。だから今どきの若い魔法使いは、威力の低い魔法しか使ったことがない。って言うか、大きな威力の魔法が使えないんだから、覚えたって誰も撃てないんだよね」


 ベネットは壁の柱の、数字の彫られた傷を眺めた。誰かの身長の記録だろう、細かい感覚で刻みこまれている。


「君みたいに、森を焼いちまうくらいの威力なんか、もう誰も出せっこないんだ」


「焼いた焼いたと言ってくれるが、丸焼けにしたわけじゃないだろ。焼けてしまったのは小さな家だけで、となりの畑は無事だった」


「たしかに焼けた範囲はそこまで広くなかったけど、焼けた箇所が炭になってたよ。火力が強い証拠だよ」


 炭って……私だって、日常の糧を与えてくれた森を損傷させてしまったことに、なんの罪悪感もないわけではないんだぞ。あまり焼いた焼いたと責め立てられると、兄への復讐心がぶれてゆく感覚がする……。


「ヒューリは番人が管理してる魔素を、自然とぶん取って、自由に使うことができるんだ。きっと番人と互角か、それ以上だよ。だから僕は、君を捕まえた。君に可能性と希少価値を見出しているんだ」


 次から次へと、なんて勝手な……さすがラファエルと対等に付き合っているだけあるな。


「ヒューリは新しい魔法が欲しいんだよね、じゃあ魔素の番人を倒して、僕ら先輩魔法使いからいろんな魔法を教えてもらおうよ。魔素さえ自由に使えたらさ、教えるのが下手な魔法使いがいたって、実演して教えてくれるよ」


 教えてくれること前提なんだな。こういう、目先の些細な楽しみに期待を大にして生きていけたら、さぞ楽しい人生だろうに。まるで見るモノ全てが輝いて見える、小さな子供だ。


 ベネットは天井を見上げた。そんなところを見ても、蜘蛛の巣なんてないぞ。掃除する時間は、いくらでもあるのだからな。


「ヒューリなら〜って、僕は君にいろいろと期待してる。それは勝手なことだなぁって、自分でも思うよ。でも、夢を見たい気持ちが止められないんだ」


「私は魔素の番人よりも、兄に会いに行きたい。今はまだそれしか、考えられないんだ」


 ん? ……? 私は、今後の予定を、無意識に立てているだと……? どういうことだ、兄への復讐心で何もかもいっぱいになっていたというのに。この家で老夫婦の面倒を見ているのだって、兄のもとへ行くための過程の一つに過ぎなかったはずなのに、いつの間にかマリアとも打ち解け始めているし……。私の覚悟とは、そんな程度のものだったのか?


「君のお兄さんっていう人のこと、僕とラファエルで調べてみたよ。案の定、時計塔の修理士みたいな仕事も手伝ってたみたいだね」


「ああ。以前はあの街にも修理士が来ていたらしいんだが、修理士は人数がとても少ない職業らしくてな、次第に足を運ぶ回数が減ってきたそうだ。それで兄が、見様見真似で時計塔の修理を担っていたんだ」


 ベネットが頭部にかけていたゴーグルを、目元にはめた。レンズから見えるヤツの翡色の両目がとんでもなくでかくなっている。


「つまり、ヒューリが行きたがっているお兄さんの居場所には、別の時計塔が魔素を管理している可能性がゼロじゃないんだ。番人として機能してるかはわからないけど、君みたいにさらっと大量の魔素を消費して魔法使っちゃう子が来たら、警戒して戦闘モードに切り替わっちゃうかも」


「切り替わったら、どうなるんだ」


「うーん、殺されないように逃げないとね。逃げ切れるかは、運だけど」


 ……追ってきたり、戦いをしかけてくるのか? あの時計塔が? 足も生えていない、普通の建物だったぞ。私の放った魔法で、時計盤が外れて転がり落ちたほどボロボロなのに、専門の修理士が必要だったりと……そこまで過敏に気を遣わねばならない代物には、思えないのだが。


「番人は気配が強いから、近づいてきたら広い領土のどこに居ようが、僕にはわかる。なんとか守ってあげられる。でも、ヒューリがこの領土外へ出ちゃったら、さすがの僕でもお手上げだ」


「お前の言い回しは、わかりづらい。つまり、番人との戦いを避けたければ、ここにいろと?」


「直球にお願いするなら、そういうこと。だけど、君の意思は固そうだ。どうしてもお兄さんに魔法を使って復讐したいなら、僕も同行させてくれ。番人に気付かれたら、すぐに僕の魔法で逃げようね」


 ……。すぐに逃げてしまっては、私に復讐された兄がどのようなツラをぶら下げてくれるか、見られないかもしれない。それでも、自分の命を優先して逃げる道を、選べるだろうか。


「僕は君の夫だよ? 頼ってくれ」


 ……自信ありげに、胸を張っているこの少年は、いったい何者なんだろうか。


 まさか、本気で私の夫であると自負しているのか? あれはラファエルを納得させるための詭弁ではなかったのか? 少なくとも私にとっては、ただのママごとのような感覚だったのだが。


 ……その番人というのも、実際に目にしたことがないから、到底信じられないな。私自身、特に不自由なく魔法とともに暮らしているのでな、魔素を制限している存在がいるだなんて説明されても、ピンとこない。


 ふと、ずっと片手にしていたカップのお茶を思い出して口を着けると、すっかり冷たくなっていた。飲むとよけいに体が冷えるので、とりあえず床に置いて立ち上がると、弾みで寝台が軋んだ。


 着替えの入ったクローゼットに手を伸ばそうとした。


 ベネットが「ええ!?」と声をあげて驚いていた。


「まさか、僕が目の前にいるのに着替えるつもりなの?」


「寝巻きを着るだけだが、なにを驚いている」


「僕が夫だって言ったから?」


「ん? なんの話をしている」


「まさか、部屋に誰がいても着替えられるの?」


「このままでは風邪をひくだろ。なぜ部屋に人がいたら、裸のままでいなきゃならないんだ?」


 体に巻いたバスタオルを寝台に投げたら、自称夫が血相変えてタオルを拾い、私に押し付けてきた。ゴーグルも押し上げて、素顔のベネットが鬼気迫る。


「なんでそこまで平然としてるんだよ! 着替えるから出て行けって怒れよ、僕に! 大事な体を、不審な男の目に晒すなよ!」


「なんでお前が必死になる」


「ほら、僕を押し退けろ! 抵抗しろよ!」


「お前がそこに立っていても、クローゼットの扉は開くぞ」


 ほら、と開けてみせたら、バンッと閉められた。


「ああもう、様子見程度で来たのに、君がここまで変だとは……」


 なんかぶつぶつ言っている。


 とりあえず、タオルだけ受け取っておいた。濡れた体に巻いていた物だから湿っている。寝巻きに着替えるから、今はもうこのタオルに用事はないのだが、受け取らないとこいつがまた拾って持ってきそうだった。


「あんたをそんな状態で外に連れ出すわけにはいかないよ。理不尽に襲われたって、なんにも言わなそうだから」


「そんなわけないだろう。家に誰も入れまいと、魔法で抵抗してきたぞ」


 ベネットがまだ何か言わんと口をぱくぱくしていたが、やがて怒気をこめたため息とともに後退して離れた。


 ん〜? ……あ、そうなのか。こいつは本気で私を妻だと思っていたんだな。


「交尾がしたいなら、好きにしろ」


「こっ」


「言っておくが、なにも面白いことはしてやれんぞ。私も勝手がわからん」


 ベネットが顔を両手で覆っていた。


「も〜、ほんっとなんなの、君……」


「夫なんだろ?」


「そうだけど〜! あんたはすごい魔女なんだ! ガキだってバカにしてるヤツに、簡単にヤらせんじゃねーよ〜」


「んん? では何をしに来たんだ。めんどくさいヤツだな。私に期待したって無駄だと、わからないのか?」


「な〜にがあんたを、そこまでダメにしてんだよ……」


 何を失望されているのか、さっぱりわからん。


「せっかく、番人に対抗できる戦友を見つけたって思ったのに……。運命だって、ガラにもなく喜んだりしてさ……」


 どこへ行くのかと目で追うと、窓から土足のまま外へ出るところだった。


「帰るのか」


「明日また来る」


「は?」


「明日、あんたの行きたい所に連れてってやる」


 理解不能なまま、ヤツは窓から消えた。飛び降りたという意味ではなく、霧がかったように消えてしまった。


 なんだったんだ、いったい……。しかし、明日にでも兄に復讐ができるかもしれない予定が立ったのは幸運だ。 


 兄に復讐したその後のことは……わからない。何も決めていない。ましてや、恋愛や結婚なんて……私が結ばれる相手は、兄であればいいと願い続けてきたから、そうでなくば一生一人身でもかなわないとさえ考えていた。


『僕の奥さんだよ』


『僕は君の夫だよ? 頼ってくれ』


『運命だって、ガラにもなく喜んだりしてさ……』


 お前の言う『夫』とは、本当にママごと遊びではなかったのだな。いつの間にか既婚者になっていたとは……これでは、兄のことを一方的に責められないではないか。


 不思議だ、なんで呆れで笑みがこぼれる……。


「クシュンッ!」


 うぅ、寒い、寝巻きに着替えよう。


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