愛は悪法を超える

「傘は……どうした?」


蓮はその子を見るなり、傘を差したままその子を上から凍るような冷たい眼差しで見据えた。


「無い……です」

「ほう。雨はここから強くなるぞ。そのままでは濡れるのは時間の問題だ」

「でも、ボク、病院に行かなきゃいけないんです」

「病院?」

「おばあちゃん、もう具合良くなくて……だから今日お見舞いに行きたいんです」


すると、蓮はその子を睨みつけた。


「キサマ、正気か?いくら子供でも、濡れたまま病院に行けば即射殺だぞ」

「分かってます。でも、もうおばあちゃんいつ死んじゃうか分からないんだ!こうしてる間にも、もう……」


泣き出しそうな顔をしているその子の側にいる優美は、蓮をキッと睨んだ。


「蓮さん、見逃してあげて下さい!この子、今逃したらおばあちゃんに会えないかもしれないんです!」


けれど、蓮の表情は変わらない。


「例外は無い。傘を持たずに濡れたまま病院に入れば、俺はこの子を射殺する。法通りにな」

「なんでよ……なんで蓮さん、そんなんになっちゃったの?!ねぇ!教えて!あの時私に刑事としての本当の意味と優しさを教えてくれた……私の好きな蓮さんは、どこに行っちゃったの?!!」


優美は、心の底から湧き上がる気持ちと共に生まれた言葉を蓮にぶつけた。

すると、蓮の脳裏に浮かんだ。

優美と共に過ごした、笑顔に溢れるあの日々が。


「優美……」

「蓮さんお願い。目を醒まして……!」


優美は涙を零しながら蓮に訴えると、蓮にスッと凛とした眼差しを向けた。


「蓮さん、私、この子に傘を渡すわ」

「なっ?バカな。そんな事をすれば優美、キミは……!」

「えぇ。分かってるわ。でも……」


優美はそう言うと、その子供にそっと傘を手渡した。


「お姉ちゃんは大丈夫だから、これで早くおばあちゃんのお見舞いに行って」

「で、でも、それじゃお姉ちゃんが!」


優美は雨に濡れながらしゃがみ、その子に目線を合わせてニコッと微笑む。


「大丈夫♪初めてだからすぐに出て来れるから。それよりも、早くおばあちゃんのとこへ行ってあげて」

「お姉ちゃん……ありがとう!」


その子は優美から受け取った傘を差しながら、優美に向かってお礼を言いながら病院に向かって行った。

優美はその微笑ましい姿に笑顔で手を振ったが、優美を見つめる蓮の顔は怒りと苦しみに満ちている。


「優美……キミは、自分が一体何をしたのか、分かっているのか?!!」


蓮はスマートな顔を苦しく歪めながら優美を問い詰めるが、優美は凛とした顔を崩さない。

むしろ、さっきよりもスッキリとした顔を蓮に向けている。


「分かってるわ、蓮さん。私みたいな公僕がそんな事になればスキャンダルだし、何より公僕がこれを犯した場合……即射殺なのも」

「だったら、だったらなぜ?!」


雨の降りしきる中で怒りと悲しみを交叉させ問い詰めてくる蓮に、優美はハッキリ言い放つ。


「決まってるじゃない、蓮さん。人間だからよ!」


その瞬間、蓮はハッとして目を大きく見開いた。

優美のその姿が重なったのだ。

かつて蓮が誰よりも愛し将来を誓い、そして……この法律により、もう二度と会えなくなってしまった愛しい女(ひと)の姿に!


蓮は少し目を伏せ想いに耽ると、サッと顔を上げて優美を見つめ優美にスゥーッと銃口を向けた。


「いいわよ蓮さん。私がここまで来れたのは蓮さんのお陰だし、私、人である内に死にたい!それに、いいよ、蓮さんなら。私蓮さんの事、昔からずっと大好きだもん」


優美が蓮に向かいニコッと微笑んだ瞬間、蓮の銃口からドォォォォォンという銃声が響いた。

雨の降りしきる中、銃口から煙が立ち上がる。


が、その銃が貫いたのは優美ではなく、蓮が差していた傘だった。


「フゥッ。優美、手が滑って傘に穴が空いてしまった。この傘は、もう、使い物にならない」

「蓮さん……」


蓮の事を唖然とした顔で見つめる優美の眼の前で、蓮は手に持っていた傘をバキッとへし折りその場にバサッと放り捨てると、降りしきる雨の中、優美を置いてサッと歩き出した。


一体何が起こってるのか分からず立ち尽くす優美だったが、ハッと我に返ると蓮の背中に向かって強く呼びかけた。


「蓮さん!どこに行くんですか?」


すると蓮はピタッと足を止めて、優美に背を向けたまま告げる。

今までとは違い、かつて優美が恋をした優しく澄んだ、そして凛とした意思を湛えた瞳で。


「優美、決まってるだろ。このまま濡れて帰るんだよ。で、調べて戦うのさ。この法律を廃止にする為に。優美の事は、俺が必ず守る。誰にも撃たせない」

「蓮さん……!」

「まあ本当は、この法律を作ったヤツに今すぐ銃を突きつけてやりたいけど、それじゃ何も変わらないからな」


そして、蓮はそのまま優美にサッと左手を差し出し微笑みながら告げる。


「何してんだ?早く行くぞ。おばかさん♪」

「はいっ♪」


優美は瞳に涙を浮かべながら蓮に駆け寄り、その手をギュッと握った。


その時、蓮の手には、銃からは決して流れて来ない優美の愛が流れ込んでてきた。

それは優美も同じで、蓮の手からは自分を守る強さと優しさがしっかりと伝わってきている。


二人の手は雨に濡れて冷たかったが、手を繋いで見つめ合う二人の心はぽかぽかと温かった。



《終わり》

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『狂った世界の真ん中で』 〜傘はさしませんし、いりません〜 ジュン・ガリアーノ @jun1002351

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