第24話 茜と天音。
日曜日だから、居残りレッスンも早めに終わった。
外に出ると、夕方を通り越してほぼ夜の時間なのに、まだ日が高かった。
初夏って感じだ……。
うーん、けっこう涼しいし、追加で基礎練してもいいかも。
川沿いをランニングして、零奈のマンションまで行こうかな。
そう、川に向かって歩いていこうとすると。
「あ、いたいた」
目の前にひょっこりと、金髪でキャップを被った女の子が、飛び出してきた。
ほとんどすっぴんでスポーティな装いだけど、サングラスの奥から輝く瞳は、見間違いようがない。
だって、そこにあったのは何度も見た
「久遠天音……!?」
私は思いっきりのけぞる。
天音は私の目の前で、ニコニコと手を振った。
「はーい、久遠天音でーす。はじめましてだね〜、茜っ」
なななな、
「なんで」
「ん~。きみたちの初ライブ観てさ。後輩っていいな〜欲しいな〜、ってなったの」
……初ライブに来てたの、やっぱり天音だったんだ。
「それで、『あ。あたし、エストワ卒業したけどOGだから先輩じゃーん! ていうかSNSできみのこと後輩って言ってたや! よーしかけにいっちゃお、迷惑!』と思って」
迷惑を!?
「会いに来ちゃいました。ぱちぱち」
ご機嫌にセルフ拍手をする天音。
「……会いに来たって、どうやって」
「今日あたし二ヶ月ぶりのオフだから、レッスン終わりを見越して、事務所の近くで張り込んでた!」
「トップアイドルが出待ちなんてしないでください」
じ、自由すぎる……。
「というか、トップアイドルがこんなとこいていいんですか」
ここ、事務所の近くだし。結構、街中だよ!?
天音、ラフな格好してもオーラありまくりだし。
「あ、大丈夫。存在感ってその気になれば消せるから~」
天音は、顔をしゅっ……と手で覆って、ぱっ……と離した。
すると天音の雰囲気は、キラキラ全開のオフのアイドルじゃなくて、すんっとした無表情の、ちょっと綺麗なだけのお姉さんに切り替わった。
多分。百人に一人しか振り返らなくて、その一人も「今の天音? 似てるけど違うよな……」ってなるくらいの、美人にあるまじき存在感のなさだ。
え、こわい。天音って、アイドルと忍者を兼業してるの……?
これなら安心なのかな……。
いや、私は気配消せないし、見た目だけはピンク髪ギャルらしいし、私が目立ったら天音も見つかる!
私は恐れ多くも、天音に進言する。
「……とりあえず、目立たないように橋の下行きましょう」
「あはー、タイマンっぽい」
橋の下はひと気がないけど、スペースにはゆとりがあって、広場みたいになっている。
「……ここならいいかな」
日はまだ高いけど、影になっているから人にはあまり見つからないだろう。
「それより。きみ、あたしのこと『推し』なんでしょ? もっと、キャー! とか黄色い悲鳴あげないわけ? あわあわしないの? 好きです大ファンです! って言ってくれないのー?」
「いや、充分緊張してますけど」
「でもそれ、きみにとっての
……なんでわかるの?
「配信見てたらわかるよ~」
……今、心読んだ!?
天音の言う通りだ。私は緊張しやすい。
だから、今、初対面の天音に緊張しているのは当たり前で。せいぜい、初めて零奈に会った時や、ひめ先輩たちに会った時と同じくらいの緊張しか、していなかった。
「おかしいな……他のファンと同じように、感激してくれると思ったのに……」
天音は、むー? と首をかしげる。
あ~、その動作、すごく可愛い。流石私の推し。
でも、感激とか興奮とかは、
私は理由を答える。
「……確かに、久遠天音は推しです」
私は、推しって殿堂入りシステムだと思う。だから推しじゃなくなることはないし、一生推すって誓いに嘘はない。
「だけど、私はエストワのアイドルになってエストワのファンは卒業したから。だから、天音のファンも卒業したんです。
先に武道館に立った久遠天音は、今のエストワにとって──目標で、
推しの動向は追うけど、ライバルになった相手にファンとして夢中になるのは、もう違う。
だから私は、会えて嬉しいとは思うけど、浮かれることはない。
けっして、天音ってパワハラ気質だったんだ……とか、幻滅してるわけじゃないから。パワハラっていうかあれ、音楽性の違いみたいなものでしょ。
音楽性の違いで解散←→アイドル観の違いで卒業、みたいな。
天音は、ぱちくりと目を見開いて。
笑った。
「ウケる! 好きになりそう!」
ガシッ、と私の手を握る。
ちょ……ファンじゃないからといって、肉体接触が平気とは言ってませんけど!?
突発握手会の覚悟はできてませんけど!?
あわわわ、と私は顔に血が上るのを感じる。
だけど、天音の頬も、ほんのりと赤くなっていた。
「あたし、アイドルだから『ファンと恋愛しない』って決めてるの。でもあたし、最高のアイドルだからさ。全人類、ファンにする予定だから、これじゃ一生恋愛できないな〜、残念だな~? って、思ってたの」
天音はきらきらとした瞳で、私を見つめる。
「
……!?
え、私、
血迷ってるのかな、このトップアイドル!
私は天音の手の中からすっと逃れる。
「……いや私、『アイドルは恋愛しない』って決めてるんで」
百合営業も友情百合の範囲まで、までのはず、なので。
「あはっ、アイドル観の違いだ。ざんねーん。アイドル観って音楽性みたいなものだから、わかりあえない時はぶつかるしかないよね」
「うわ、同じこと考えてる。思考盗聴してますか……?」
「ううん。多分、あたしときみが
光栄、なのか……?
天音は無邪気にころころと笑って。
瞳を獰猛に光らせた。
「いいね、いいね。あたし──きみのこと、本気で好きになりそうだ」
私は。
ずささ、と後退りする。
えっ、怖い……。
なんだろ。天音って背もそんなに高くないし、筋力では私が絶対勝ってるはずなのに、押し倒されたら全然勝てなさそう。
カリスマ性っていうか、圧があるっていうか、すっごく大きい虎が目の前にいる感じ……。生まれもっての捕食者って顔してる……。
わ、わたっ私なんて、所詮、角が大きいだけのヘラジカです、すみません! って気持ちになる~!
(たすけてぇ〜〜零奈ぁ〜〜)
うわーん。気まずいままだと助けも求められないよ〜。絶対あとで誤解解く……。
「まあまあ。そんな怯えないでよ。
あたし、ただ先輩風吹かせたいだけだよ?
ね、ね。ほらなにか、この
確かに。
今をときめくトップアイドルが、忙しい久遠天音が、オフにわざわざ会いに来てくれるなんてきっとこの先一生、ないだろう。
……ないよね?
質問するとしたら、なんだろう。
そうだ。あれを聞いてみよう。
「あの、『自分は天才じゃない』ってどう言う意味ですか?」
私はあの言葉を、『天才じゃなくてもトップアイドルになれる』っていう意味で受け取った。それは、アイドルを目指す励みにはなったけど。
それはそれとして、天音にはきっと、アイドルの才能がすごくあるとも思うわけで。
だって、歌って踊れて映画に出れて曲まで作れるんだよ?
才能がないわけがないよね。
じゃあどうして、天才じゃないなんて、言ったんだろう。
「うん、あかね後輩、いい質問だ!」
天音はサングラスをくいっともち上げる。
「それはね。アイドルでいるために、歌とかダンスとか演技とかビジュとか、別に天才的なセンスはなくていいよね? って意味かな。
天才は120点取れるけど、あたしは全部100点
うわ。こっちは80点取れたら生き残れるかも、とか考えてるのに。
さすがトップアイドル、基準が違う……。
「じゃあ、アイドルの才能って何か! これは諸説あります、例えばあたしと甘利ちゃんじゃ全然考えが違う。でも、あたしはこう考えてるわけ」
天音は、ぴんと人差し指を立てる。
「アイドルの才能は
……なんか難しい話、はじめたな!?
「アイドルっていうのは、生身の人間を『かわいい』とか『かっこいい』とか、パッケージを被せて 売るコンテンツなわけじゃん? そうすると、大体、本当の自分と
ペルソナっていうのは、よくわからないけど。
「猫を被るってことですか?」
「大体合ってる! そして──その内面と外側のズレが、
全然、ピンとこなかった。
零奈とか、アイドルとしての表と
いや、かわいいけどね。
「零奈ちゃんだっけ? あの子はがっつり被ってるよね。筋は悪くないけど、被ることに疲弊してるのが透けて見えるから、魅力値にずっとデバフかかってる感じ。無理するとダメなんだよね〜」
そうかな? 零奈、猫を被ることに無理してる感じは、特にないけど。
確かに、アイドルをやることに無理してる感じは、少しあるかも。
あのトゲトゲ感は、焦って余裕なくなってるからだったんだな~って、今ならわかる。
それを零奈はファンにはきちんと隠してるけど、ファンは私たちが仲良くしているところだけ見せても、違和感に気付くほど勘がいい。
零奈の焦燥感が無意識に漏れてて、新規ファンを遠ざけているのかもしれない……。
「逆に、ひめちは面白いアイドルだよね。すっごくあからさまに猫被ってるのに、ウラも同時に見せるから、ちっとも無理がない。まーアクが強くなりすぎて、魅力値プラマイゼロなのが惜しいっ!」
アクが強いのはわかる。好きな人は好きだけど……って感じだ。
私は、アイドルのぶりっ子はお約束だと思ってるから好き。
素は、先輩としては好き。
……ひめ先輩のダンス動画は人気なのって、喋らないからアクがなくて一般ウケしてるのかな?
「凪桜はてんでダメ。あの子、
ええ……なんでそんなこと言うの。凪桜先輩、優しくて真面目でいい人なのに。
「さっき無理するとダメって言った通り、見せる自分とズレすぎると、人間のメンタルって壊れるわけ。そこで本題、
……え、私?
「きみはすごく、それがうまい」
「い、いや……全然、何も猫被ってないですけど……」
ただ、なんか周りが誤解していくだけで……。
「無意識なの?」
天音はきょとんとした。
「あー……きみの場合は最初から、本当の自分と周りから見える自分がズレてるんだ。それがずっと当たり前だったから、ナチュラルボーンで、なんの代償もナシに、アイドルのペルソナを被れるんだね。なるほど!」
待って、何がなるほどなのかわからない。
天音はびしり、と指を私に突きつけた。
「つまり――きみはアイドルをやることに対して、あらゆるストレスを無効化できる! 頑丈! 耐久性Sクラス! 長期的に見ればかなりいいアイドルだよ!」
な、何言ってるかわかりません。
こわい、怖い人だ……。
私の推し、宇宙人だったんだ……。
天音はぶつぶつとつぶやく。
「でも、見た感じ、頑丈以外にすごいセンスとか…………なさそう…………。いや、アイドルに天才的センスとかいらないって言ったけどさぁ。
…………甘利ちゃん、もしかして、アホ? 頑丈なだけの子を脳筋プレイでトップアイドルにしようとしてるのかな?」
しかもセンスないって罵倒されたんですけど……。
私が裏でへなへなしてると、それが表にちょっと漏れていたらしい。
天音は訝しそうな顔をした。
「……でも対人で受けるストレスが常人よりデフォルトで多そうだから、プラマイゼロで耐久性A
「わかんないのはあなたです」
対人ストレスを与えてるのもね、あなたです!
『推しに会えて嬉しい』のプラス感情、とっくに差し引きゼロだからね!?
「うん、ごめんね? 要約する。つまりー、アイドルには裏表があるほど魅力的で、裏表があるほどアブナイってこと!」
それは、まあ。
共感はできないけど理解はできるとして。
「じゃあ、天音は?」
性格はおかしいことがわかりつつあるけど、アイドルとしてはとびっきり魅力的な、天音には。隠している裏があるの?
「あたしは特別だから、表しかないよ☆ 嘘は吐かないアイドルですっ」
私は納得した。
なるほど……天音の話……。
――眉唾だこれ!!
だって、天音の言っていることはおかしい。
それだと、私に
しかも、言ってる
(天音って……本当はパワハラ気質な上に、変人だったんだ……)
いや……ウラ、あるじゃん!? 本人、自覚してないだけじゃん!?
……あ、あれ? じゃあ、天音の論が正しいのか!?
いいや、もう。
疲れたから何も考えない……。
私は頭脳派じゃなくて肉体派なんだってば……。
「まあまあそんな顔しないで。あたし、後輩に迷惑をかけるつもりできたけど。ちゃんとついでに世話も焼くつもりで来たんだよ? 才能なんてあやふやなものじゃなくて、
天音は石づくりのベンチに腰掛ける。
「あたしの前であの曲を歌って、踊ってみてよ。『キミと金星エスケープ』を、さ」
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