バケットとホタテのクリームシチュー

レシピ・23「ゲートと卓上行き」

「…ここが、私たちが【ゲート】と呼ぶところだ」


 いくつかの身体検査に消毒作業…それらの長い工程を経てへルン室長が私たちを連れてきたのは階段を下った先にある十字路の道。


 しかし、その先にあるのは行き止まり。

 左右の通路の奥にも壁しか見えない。


「――なにこれ、何のために作ったの?」


 首を傾げる千春。だが、私は思うところがあり「もしかして、【つじ】を模したものか?」とへルン室長に尋ねる。


「いかにも」


 室長は壁の一部を開けてタッチパネルを出し、数字をタップする。

 ついで、天井から降りてきたのは木製のたまで作られたシャンデリア。


「頭上に一万八百の数珠じゅずを下げ、交差をする道――異界の境とされる【辻】の天井にこれを設置し【ゲート】とする…二年後の私が送ってきた図面の通りだよ」


 数珠は私たちの上で動きを止め、ジャラリと珠がこすれ合う音がした。


「――確かに。三叉路さんさろや辻は異界の境界線だと聞いたことがあるが。人工的に作ったこの場所が【ゲート】になるとは…」


 信じられない気持ちで見上げる私。


 そのとき近くでバチンと派手な音が聞こえ、見れば私がポケットに入れていた数珠が紐ごと真っ二つに分かれていた。


「…あ!【アマビエ】からもらった数珠じゃん」


 驚く千春に「おや、これもレポートの通りか」と、落ち着いた様子でへルン室長は白衣のポケットから崩れた数粒の数珠を出す。


「これは、娘がいなくなる直前に壊れた【ゲート】の破片だ。この時に出てきた調査員以降、【ゲート】は機能しなくなっていたんだが…」


「――あ!上の数珠が光ってる」


 千春の声に顔を上げれば…確かに。

 私の持つ数珠と対応するかのように頭上の珠のうち一粒が光っていた。


「それを繋げることで【ゲート】はこの時代と接点を持つ…私が、二年前に受け取ったレポートにも、そう書かれていた」


 ついで、壊れた数珠と一緒に昨日と同じ外観の封筒を室長はこちらに寄越す。


「内容は前のレポートとほぼ同じだ。昨日渡したものは破棄して…」


 だが、それを言い終わる前に千春は封筒を取り上げ、間髪入れずに外見を破いてレポートをめくる。


「ちょっと待て…!」


 思わず注意する私を無視し「変更したのはどの点?」と、室長を見る千春。


「――安心してほしい。変えたのは以前にモール内で【順応】した調査員三人の名前と意識を異界に飲まれた調査員の名前のみ。彼らは、以前読んだレポートと違う名前の人物だったにも関わらず、同じ結果を迎えたからな」


「…要は、レポートに書かれていた名前の人間を止めたとしても。別の人が同じ行動をするってことか――私たちと今の状況みたいに」


「だから、神は傲慢だと私は言ったのさ」とため息をつく室長。


「まあ、それに少しでもあらがいたいとも正直思っているがね」


 ついで、彼女は別のポケットから折りたたんでいた封筒を取り出す。


「…中は好きなだけ読みこんでくれて構わない。終わったらこの封筒にレポートを入れて再度指定した場所に出してくれ――まあ、嫌なら出さなくても良いが」


「そりゃ無理ね」とページをめくりつつ答える千春。


「そうすると、元の時代に帰る方法が無くなっちゃうし」


 結局、換えの封筒と数珠は私が受け取る。


「――おじさんは、光っている数珠に集中。こっちは内容を読み込んでおくし、分担した方が効率が良いからね」


 そんな千春の言葉に壊れた数珠をポケットにしまいつつ、私は人知れず小さくため息をつく。


 ――昨日から変更前のものも含め千春が(半ば強制的に)レポートを独り占めしていたため、私は内容を見ていない。


 そも、二年後に死ぬことを知っただけで私自身が相当落ち込んでしまったことも確かであり、彼女も私には荷が重いと思って自分が読むことを選択したのだろうと感じていた。


(年上である以上、こちらの方がしっかりしなくてはならないのにな)


 だが、そんな考えばかりに振り回されるわけにもいかないので私は彼女に言われるままに数珠の先端を上に近づける――と、二つの珠は瞬く間に接合し、吊るされた珠全体が輝き出す。


「さて、【ゲート】が完成する瞬間を目にするのは初めてだが…」


 いつのまに離れたものか、遠く聞こえる室長の声。

 そうしているうちに珠は次第に透明度を増していき…


 ――見れば、透けゆく珠の中に何かがいた。


 それは小さな球体。


 中心にあるその物体は小さく分裂していき、魚のようにも、爬虫類のようにも変化していき…次第に小さな赤子の姿へと形成していく。


「――あれ、人ができていく過程に似ている?」


 レポートから目を離したのか、かすかに千春の声が聞こえた気がしたが、そうしているうちに視点は赤子の皮膚へと、さらに内部へと移動する。


 肉体を構成する細胞、核…小さな粒子の集まり、そして紐状の部分へと移行し――瞬間、それは弾け銀色の線となって上から降ってくる。


(!)


 気がつけば、私たちの前方には見覚えのある駅の階段。

 壁にはスプレーで【I'm going homeアイムゴーイングホーム(帰るぞ)!】の文字が見えていた。



『…どうやら、うまくこちらと異界を繋げられたようだな』


 見れば、背後にはへルン室長の姿。


 ――しかし、彼女の姿は半透明なカーテンを引いたかのようにぼんやりとし、本来なら頭上にあるはずの数珠も確認できなかった。


「…レポートによれば、今の私たちは二つの空間が重なった状態にいるみたい」と千春。


「室長のところに、行けばさっきまでいた場所。向こうに行けば異界らしいよ。これが正式な【ゲート】の状態みたい」


 ついで、千春は自分の背負ったリュックや私の荷物を見て「――ん、おじさんと私が持ってきたものも問題なし」と、ぼんやりと見える室長に声をかける。


「…というわけで【ゲート】は繋がったけど、他にも何人か連れてくる?」


 それに室長は『――いや、やめておこう』と、くぐもった声で首を振る。


『前のレポートにも二人以上の人数を送り出すことは書かれていなかった。下手に動いて犠牲を出してもよろしくないからな。【ゲート】の近くで待機しているから、何か入り用なときには声をかけてくれ』


「――ん、その方がこっちも動きやすいわ」


 ついで「おじさん。行こう!」と、歩き出す千春。


「へルンが待ってる。今のうちにレポートも出しておかないとね…あ、ここか。封筒ちょうだい」


 ひったくるように私の手から畳まれた封筒を取り、あっという間にレポートを入れて付属の両面テープから封をしてしまう千春。


「――ん、なんか文句ある?」


 そうしている間にも彼女の手は右にあった棚の奥へと突っ込まれ、引き抜かれた手に何もないことを確認した私の口から思わず「ああ…」と、ため息ともつかない声が漏れる。


「大丈夫。重要そうな部分はちゃんと読んでおいたし――ああ、そうそう。本来のおじさんは二年後に死ぬ運命じゃなかったみたいだよ」


「…え?」

 

 私は千春の指摘に驚く。


「――報告の通りだとすると、レポートをここに送る直前までおじさんは生きていて、私とへルンは二人共同で異界について研究を行っていたんだけど、その最中にへルンが行方不明になったらしいのよ」


「…そういえば、へルン女史も千春のことを以前から知っているような素振りをしていたな」と、私。


「――そうなると、今の彼女は千春と異界を研究していた頃の記憶を共有している可能性もあるのか?」


「うーん、その辺は直接彼女に聞かないとわからないけど…」と渋る千春。


 その時、階段の下から小さな子供の笑い声が聞こえ「――あ、これ。ウチらが呼ばれてるんじゃあない?」と構内の階段を下りだす千春に私も続く。


「大丈夫なのか、行ったところで死ぬ可能性だって…」


 心配する私に「大丈夫、レポートには私たちが元の時代に必ず戻ってきていたことが書かれていたもの」と千春。


「ともかく、へルンたちを見つけることが優先。話はそこからだよ」


 私はそれにうなずきつつも、ガスコンロ三台を載せたカートを必死に階段から下ろすことへと専念した…



 目の前には覚えのある駅のホーム――しかし、その景色にはいつまでもたどり着けず、私たちは階下をどこまでも降りていく。


「…なあ、思ったよりも長くないか?」


 私の疑問に「うん、それ私も思った」と千春。


「まさか、同じ場所を足踏みしているのかも?」


「それは違うと思うが…というか、壁の落書きがかなり遠い気がするんだが」


 背後を見れば、スプレーで書かれた【I'm going homeアイムゴーイングホーム(帰るぞ)!】の文字がはるか遠くに見える。


「階段が伸びている…いや、違う。ここは駅の階段じゃあないのか?」


 気がつけば、手すりの先には吹き抜けの空間と縦に伸びたガラス窓――向こうにはプラットホームと壁が見え、見覚えのあるビルが乱立していた。


「そうか、空間は常に変化しているんだから、階段を降りたところで周囲にあるビルに移動している可能性もあったんだ!」


 駆け出す千春に釣られて走れば、下に見えていたはずの構内の風景はだまし絵のように四角い枠の向こうの景色へと変化し、さらに階段を進むと私たちの頭上よりも高い位置に枠のみが浮いていた。


「…どうする。このまま降りるか、上に無理やり登ってみるか?」


 私の提案に「――声がまだ階段から聞こえるから、私たちは正規ルートを通っているんだろうけれど…」と、腕組みする千春。


「ぶっちゃけ、このまま歩き続けるのもしんどいしさ。いっそ、連中の名前を口にすれば、向こうが引っ張ってくれるような気がするんだけど?」


 ついで、口を開ける彼女に私は「ちょっと待て…」と言いかけるも「私たちを引き寄せなさいよ、【ヒダル神】!」と千春の口から言葉がほとばしる。


「だから、そんな挑発するような言い方は――」


 その瞬間、目の前に長方形の空間が出現し――先には、白いクロスを引いた長テーブルが見える。


「あ!」


 テーブルには皿が左右綺麗に十枚になるように設置され、それぞれの席には、眼窩の落ち窪んだ子供たちがフォークとナイフを持ちながらこちらを見ていた。


「…やっぱ、こっちの方が早いじゃん」


 そう、千春がつぶやくと階段が前方に動き――

 私たちは飢えた子供達のいる卓上へと勢いよく突っ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る