2 - 途中下車

 それから私たちは、今までと変わらず何かを話して過ごそうとした。だけど、どう話し始めても、二、三言ですぐに言葉が尽きてしまう。

 無理もない。ここに来るまでの長い旅路で、私たちは考えうるすべての話題を喋り尽くしていた。四年間の大学生活の思い出。就職活動の体験談。来年から社会人になるにあたっての覚悟。中学校、小学校の思い出。他にも、私たちの昔話と未来の話、最近ハマっていること、車窓を流れていった「焼肉満腹」と書かれた赤い看板について、などなど。

 だから、今になって話したいことなんてほとんど無い。沈黙の時間が増えていく。壁にかけられた時計の音が聞こえる。時刻は十一時。まだ全然眠たくない。

 

「紗弥ー、なんかおもろいこと言って〜」


 話題が尽きてきたせいか、優子の発言も適当になってくる。

 

「また? それさあ、会社だとハラスメントになるからやめなよ」

「紗弥以外に言わへんよ、そんなん」


 優子の度重なる無茶振りに、そう何度も「おもろいこと」を言うほどのユーモア脳を私は持ち合わせていない。結局また、会話が途切れてしまう。

 こうやって話が止まると、頭の中には色々な考えが思い浮かび始める。

 その中でも、無意識に何度も何度も考えてしまうのが、未来のこと。

 今この瞬間、明日の朝までの未来じゃない。もっと先。来月、大学を卒業した後、離れ離れになる私たちの未来のこと。

 

「遠距離恋愛って、どんな感じなのかな」


 思ったことを、ぽつりと、何の気も無く呟いてしまう。

 

「今とそんな変わらんと思うよ」


 優子はこちらを見ずに答えた。

 

「そうかな」

「だって、うちら今までも月に一回か二回くらいしか会ってなかったやん」

「まあねえ」


 私と優子は、大学で専攻している学科も違えば、バイト先も、生活習慣も全然違う。そもそも大学のキャンパスで会うことすらめったに無い。

 むしろ、月に数回会う程度で、遊んで、恋仲になって、よく三年半もこの関係を続けてこられた、とすら思う。「こんなに続くとは思わなかった」なんて言葉は、もはや私たちの口癖みたいになっていた。

 

「就職してからも月に一度はこっちに帰ってくるし、紗弥やって会いに来てくれるんやろ? なんも変わらへんよ」


 優子が明るく優しい声で言う。


 就職してから私たちの関係をどうするかは、就活を始める前、つまり一年以上前から話しあっていた。

 優子は実家の京都に戻って地元で就職する。私は東京に残って自分の夢を追いかける。これはお互い譲れないことだった。でも、そのために二人の関係を清算して、新しい場所で新しい人を見つけられるほど、私たちの付き合いは浅くない。もう、お互いに引き返せないところまで来ていた。

 だから、私たちの関係は遠距離恋愛として続けることにした。さらにその先、どうしていくのかはまだ決まっていない。それでも、まずは遠距離恋愛をしてみる。それが、私たちがたくさん話した末に導き出した結論だった。

 二人で決めたことに今更どうこう言うつもりはない。それでも、選んだ道が本当に良い方向に進むのか、私たちの選択が正しかったか、その未来がはっきりと見通せるわけじゃない。

 

「不安が顔に出てるって」


 私の顔を見た優子が、笑いながら頬を指でつついた。まだ表情が硬いままの私を見て、優子はおもむろに座り直し、私に体を寄せる。暖かい優子の腕が、私の腕にぴたりと触れ合った。


「なあ、うちら出会った時のこと、覚えてる?」


 それももう、ここに来るまでの電車の中で話した。だけど、私は優子の話を遮らなかった。

 

「覚えてるよ」


 忘れるわけがない。

 

 入学式の数日前、複数のサークルがグラウンドにブースを出して新入生を勧誘するイベントがあった。とくに興味もやりたいこともなかった私は、ふらふらと各ブースを歩き回って、たまたま声をかけられた英会話サークルの飲み会になんとなく参加した。その時、隣に座っていたのが、同じく新入生の優子だった。

 その時の優子は、同い年のはずなのに、私よりもずっと大人びていて、度胸もあって、私に無いものを持っているように見えた。その時は聞いたこともなかったノンアルコールカクテルを飲みながら、先輩たちに混ざって楽しそうに笑っていた。

 髪が長くてチャラチャラした、やたら声が大きい先輩の自慢話に飽きてきたころ、優子がいたずらっぽく笑いながら私の耳元で囁いてきた。

 

――一緒に逃げへん?


 トイレに行くと嘘をついて、二人でお店を抜け出した。なぜかは忘れたけど、その時から私たちは手をつないでいた。

 優子の希望でゲームセンターに行って、クレーンゲームで飲み会代以上のお金を使った。優子が大きなくまのぬいぐるみを取ろうとして、アームが思い通りに動かず雄叫びを上げるのを、私は横でお腹を抱えて笑っていた(あのぬいぐるみは、まだ優子の部屋にあるはずだ)。

 それから、まだ肌寒いのにコンビニでアイスを買って、そのへんの歩道に座り込んで食べながら、お互いの高校時代のこと、地元のことについて、飽きもせずに朝まで喋り続けた。

 それが、私たち二人の最初の思い出。

 それから私は、優子に導かれるまま、ひとりでは絶対に縁がなかった世界へと何度も足を踏み入れた。おしゃれなカフェレストランとか、見向きもしなかったコスメとか、一生無縁と思っていたテーマパークとか。

 二人でいろんな場所へ行った。

 学生時代最後の思い出に、行く宛の無い電車旅をしようと言い出したのも優子だった。貯金はまだそれなりに残っていたし、国内なり海外なり卒業旅行に行ってもよかったのに、なぜか私たちはこの不思議な電車旅を選んだ。

 でも、私たちにとって、この旅に大きな意味はない。他の人から見たら変な旅かもしれないけど、私たちにはこれが当たり前の世界で、二人の日常の延長線上にあった。

 とにかく、こうやって優子とデートするたびに、微かな不安と恐怖、あと少し面倒くさいという気持ちもあったけど、それよりもずっと、優子と一緒に新しい世界を見られることに胸が躍っていた。今まで見たことも聞いたこともなかった景色を、優子と並んで見られることが幸せだった。

 優子と一緒に手をつないでいれば、どんなことでもできると信じていた。

 手をつないで、隣にいるかぎり、ずっと。

 

「一目惚れやったんよ」

「知ってる」


 優子のその言葉も、もうここに来るまでに、今日この日までに、何度も聞いた。

 私に一目惚れしたと言う優子。

 優子の自由奔放な、でもどこか私よりも大人びた性格に惹かれた私。

 お互い対照的なようで、実は似ているところもある。優子には自分勝手に振舞っているように見えて、実は繊細な時もある。そんなギャップも愛おしくて、可愛くて、たまにからかったりもして。

 

――うちら、いつまで続くと思う?


 付き合って半年くらい経った頃、優子にそう聞かれた。

 私は何て答えたっけ。

 

「これからも、うちは紗弥のこと、ずっと好きやと思う」


 私の腕に頭を埋めながら、優子は言った。

 

「どこに行っても、どれだけ時間が経っても、うちはずっと、紗弥のことが好き」


 思い出した。優子の質問に対する答え。

 いつまで続くと思う?

 そう聞かれて、私はこう答えたんだ。

 

「線路が続く限り?」


 私が言うと、優子はふ、と鼻で笑った。

 

「好きやなあ、その例え」

「いいじゃん。人生はよく電車に例えられるんだってば」

「聞いた聞いた、何度も」


 優子の声が、微かにまどろみを帯びていく。指を絡めてつないだ手が、赤ちゃんみたいにあたたかい。

 行く宛ての無い旅。長く続く線路の途中、列車が途切れて足を止めた駅。

 その駅に座り込んだ私たちの行き先に待ち受けるものは、まだわからないままだ。

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