【番外編】ファントム・ティアーズ
畔戸ウサ
第1話 勉強させていただきます
如何ですかね?
これでも精一杯勉強させていただいたのですが……。
脂ぎった鼻をテラテラさせて、見積りの束を差し出したのはベッツ出身の設計士だ。丸々太った顔に、ペタッと張り付くような黒い髪……簾のように薄くなった生え際に汗を浮かべ、中年の男はパンパンにはち切れそうなジャケットからハンカチを取り出した。
並べられた設計図には部屋の内装はもちろん、造り付けの家具に至るまでその仔細が書かれていた。
以前住んでいた部屋の数倍はあろうかという執務室。続きの寝室には天蓋付きの大きな寝台が備え付けられ、ソファーセットまで準備されていた。建物全体が、防火、防水、耐魔のフル装備である。有事の際の避難場所として利用されることを見込んで、防火や耐魔は良いにしても、自分の執務室や寝室にこれほどのお金を掛ける必要はない。
居住者が快適に暮らせるように、という配慮だと分かっていても、そこにお金を掛けるのならもっと村の人間のために使った方が良いのではないかという疑問が湧いてきた。
前々回の打ち合わせで、ギラギラゴテゴテの装飾を施された図面を渡されたので、落ち着かないからもっと質素な部屋に変えて欲しいと訴えたのはニヒトだ。そして、前回、業者は新たな図面を持ってきたのだが、部屋の広さが三分の二になっただけで、迎賓館のような豪華な造りに再びダメ出しをして今回、三度目の正直となる図面を手渡されたのだった。
それでもまだニヒトの希望には届かなかった。自分の寝所は布団が敷ければ十分だと伝えたはずなのに、天蓋付きのベッドは大人二人が寝ても十分に有り余るほど大きく、その脇に供えられた応接セットには足載せ用のスツールまで付いている。
「あの……」
「やっ……やはり、これはいくら何でも質素すぎますよね!」
寝室のベッドはこのソファーぐらいの大きさにしていただけませんか?
そう提案しようとしたニヒトの言葉を遮るように、設計士の男は慌てた様子で鞄の中を探り始めた。
「ええ、ええ。もちろん、承知しております。クロフォード様からも、絶対に手は抜くなと仰せつかっておりまして……。それを忘れたわけではないのでございますよ! ただ、先日のお話で、ニヒト様が華美な装飾は落ち着かないと仰られておりましたので、なんと言いますか、派手さよりも、シンプル且つ、気品の漂う内装に変更をと思いまして……。お二人のお住まいですので、あまり質素すぎるのも問題がございますよね。大変失礼いたしました。やはりこちらの図案で……」
そう言いながら、男は第二案として椅子の上に置いてあった別の設計図を広げようとした。
「ああっ! いいえ、結構です!」
「結構と言うのは……!? あの……もし、お気に召さないのであれば、何でも仰ってください。私にできることでありましたら、何度でも図面を引かせて……」
「いえいえいえ、違うんです。大丈夫です。あの……その……そういう意味ではなくて……」
自分の発言が不用意に業者を傷付けてしまったのだと思ったニヒトは机の上に広げられた図案を必死に手繰り寄せた。
「僕はこういうことに詳しくないので、クロフォードにも相談してから……と思いまして。お返事はそれからでも……?」
「もちろんでございます! 私を初め、職人一同、ニヒト様のお役に立ちたいと望んでおります。ご所望とあれば王宮にも勝るとも劣らない、立派な御殿を建ててみせますので、遠慮なく何なりと申し付けてくださいませ」
部屋の図面よりもよほど華美な営業トークに圧倒されながら、深々と頭を下げる設計士にニヒトは引きつった笑顔で応じた。
ユーフィンの村の限られたコミュニティーで育ったニヒトにとって、押しの強いこのタイプの人間の対応は最も苦手とするところである。のべつ幕なしに繰り広げられる会話に割って入ることも出来ず、例えその機会が訪れたとしてもじっと聞き入っている相手の気配を感じると、どうしていいのか分からずしどろもどろになってしまう。相手の目を見て話せ、というのはコミュニケーションの基本かもしれないが、人と目が合うと脊髄反射のように視線を逸らしてしまうのは、幼い頃からの習性でどうにもならなかった。
無くなってしまった村の再建は自ら望んだことではあるが、実際にその業務に着手すると、単に土地を馴らして家を建て、生活の基盤を整えるだけでは終わらず、政を行う側の大変さを痛感する結果になった。
ユーフィンの村が安定していたのは、両親や姉、そしてニヒトにとってはあまりいい思い出がない村の古参たちの努力の結果だということを理解するにつれ、ニヒトは自分の素質の無さに気付いて自信を失っていった。憂鬱な気分に拍車をかけるのは、自分の中に根強く残る劣等感だ。どうしたら姉のようになれるのだろうと考えると、失ったものの大きさをひしひしと感じて更に気分が落ち込んでしまうのだった。
とにもかくにも、クロフォードに相談しないことには始まらないと、ニヒトは表へ出た。再建途中の村にはベッツから派遣された多くの職人たちでごった返している。ニヒトたちが仮住まいとしている建物や敷地にも職人たちの活気のある声が響いているのだが、そんな中、ニヒトは建物の軒先で談笑している集団を発見した。たっぷりとしたドレスに身を包む女性たちは、皆美人ぞろいで若々しい。流行の最先端を行く華やかなメイクと髪飾りもよく似合っていた。そんな彼女らのエスコート役は、クロフォードだ。
再建される村の見学にやってきたらしい彼女らの興味が、村そのものだけではなく、クロフォードに向いていることはその笑顔や猫なで声からも一目瞭然であった。
業者から受け取った図案がニヒトの手の中でぐしゃ、と潰れる。
自分がこんなに困っている時に、クロフォードは一体何をやっているのだ!?
そんな怒りがメラメラと燃えてくる。
「クロウ!」
普段、人前では絶対に口にしない呼び名で呼んで、ニヒトは談笑している集団に水を差した。
ニヒトの不満に気付いているのか、クロウはその姿を認めると女性達に向けていた外向きの顔とはまるきり違う笑顔をこちらへ向ける。
ニヒトの姿を見た女性たちは、「まぁ!」と驚きに目を見開いた。
「後で私の部屋に来てください」
あくまでも事務的に、しかし、いかにも経験豊富そうな女性たちにバカにされないよう、威厳を持ってニヒトはそれだけ伝えると、すぐさま踵を返した。去り際に妙に浮足立った様子で互いに目くばせしている女性たちの姿が視界に映り、ニヒトはますます嫌な気分になる。
「ふんっ……!」
執務室に戻ったニヒトは、机の上に見積書と新住居の図案を投げつけてソファーにどっかりと身を預けた。行儀が悪いと分かっていても、ひじ掛けに足を乗せてゴロンとそのまま横になる。
村の再建のために色々な人間がこの土地にやってきて、賑やかしいのは結構だが、クロフォードに纏わりつく女性たちはどうにかならないものだろうか。彼女らはニヒトが知っている女性とは身なりも性格も全く違う。無遠慮でどことなく高飛車で、いつも派手な恰好をして香水の匂いをプンプンさせている。名家の夫人だか、商家の娘だか知らないが、ニヒトがこれまで接したことのないタイプの人間だ。
ただでさえ都会の人間は苦手なのに、ペラペラペラペラと椋鳥のように騒がしい。圧倒されっ放しで王都の人間の前ではろくに会話も出来ないニヒトに代わり、クロフォードがそれらの対応を一手に引き受けてくれていることは理解しているのだが、今度は和気あいあいしている彼の姿に苛立ちを覚えてしまう。
なんて最低なんだろう。
この環境が、ではなく、自分自身が。
不満を露わにするだけで、何の役にも立っていない自分自身の不甲斐なさをニヒトはひしひしと実感していた。クロフォードがどれほど自分たちに——ユーフィンの村のために尽力してくれているか理解しているはずなのに、感謝の一つも口に出来ないなんて、当主としての資質以前に人として問題があるのではないか。
しかし、不安で不安でたまらないのだ。
今までとは全く違うコミュニティに置かれ、突如として周囲が賑やかになり、皆親しげに話しかけてくれはするものの、ニヒトと面識のある人間は片手で数えるほどしかいない。
家族に会えない寂しさが、クロフォードへの想いに重なって、ニヒトの瞳にジワリと涙が浮かんだ。
「ニヒト。入るぞ」
ニヒトは身体を起こしてグシグシと袖で涙を拭った。
「どうぞ」
「どうした?」
部屋に入るなり、クロフォードはそう言って、ニヒトがいるソファーの方へ歩いてきた。
「屋敷の図案が来たんです」
「お、これか……」
クロフォードは大きな用紙を器用に捲っていたが、そのうち、はぁとため息を吐いて「こりゃまた随分質素な造りに変更したものだな」と感想を漏らした。
「お金をかけ過ぎです。ここまで大きなお屋敷、僕には必要ありません。そんなことにお金をかけるのなら、村の方に回してください」
「お前は自分の立場がわかっているのか? 今や国内のみならず、国外の要人からも注目されているんだぞ? そんな人間を掘っ立て小屋のような邸宅に住まわせるわけにはいかないだろ」
掘っ立て小屋という単語にカチンときて、ニヒトは隣の男を見上げた。村のためを思って予算を削ろうとしているのに、それを『掘っ立て小屋』という言葉で全否定されてしまったニヒトは悔しくて仕方がない。
「どうせ僕は掘っ立て小屋がお似合いの田舎者ですよ!」
「ニヒト……俺は別にそこまでは……」
「第一、僕が困っている時に貴方はなにをやっていたんですか? ご婦人方と楽しそうに談笑して……! そんな時間があるなら、もっと家のことを考えてください! ここはあなたが住む家でもあるんですよ! 分かっているんですか!?」
「……分かっているから、それ相応の家にしろと言っているんだ、俺は」
やれやれ、とため息を吐いて、クロフォードは隣の仏頂面を見た。
「しかし、お前がそこまで言うのなら……そうだな。では、俺の部屋は作らなくていい」
その瞬間、ニヒトの顔からサッと血の気が引いた。二人で住むはずの新居に、クロフォードの部屋がいらないとは、一体どういう意味なのか……。
「あっ……あの、クロフォード……」
卑屈が過ぎて、とうとう三下り半を突きつけられたのだろうか。
しかし、不安一杯のニヒトをマジマジと見つめたクロフォードは余裕綽々の様子で、代替え案を口にした。
「二人の部屋ということにすれば、確かに予算は浮くな」
「え?」
「いずれ、ここには国内外の要人が訪れるようになる。だから、お前の希望を全て叶えることは出来ないが、広い部屋が気になると言うのであれば、二人で一緒に部屋を使うことにしよう。お前は部屋の広さが気にならないだろうし、俺も毎日お前の顔を見て安心できる」
「え? えっ?」
「よし。後は俺に任せろ」
「いえ、あの……」
何が何だか理解が追いつかないニヒトを他所に、クロフォードはほっそりとした顎を取って自分の方へ向かせた。
美しいコントラストの瞳が、不安と、驚きに震えている。
「そんなことより、ニヒト」
「はい」
「お前とはもっとじっくり時間をかけて話をする必要がありそうだ」
何の戦力にもなっていないニヒトを嘲るでも、下に見るでもなく、クロフォードは真面目な顔でそう言った。
ニヒトにだってわかっている。
子供染みた意地でクロフォードを困らせていることも、もう自分が昔の自分でないことも。
しかし、余りにも目まぐるしく変わっていく日々に、気持ちが全く追いつかない。そして、そんな自分とは対照的にどんな相手であろうと、そつなく対応するクロフォードの姿を見る度に、力量の差を思い知り、取り残されたような気持ちになってしまうのだ。
自分は彼に相応しくないのではないか。
元来の自己肯定感の低さが仇となり、ニヒトの中の不安はますます大きくなる。
いつも自信に満ち溢れていた姉のように、堂々と胸を張って生きていけたらと願いはするものの、これまでの人生で培われた性格はちょっとやそっとで変わるものではなかった。
「何があったんだ? 全部話してみろ」
何も答えないニヒトを、クロフォードはそっと抱きしめた。
ニヒトはクロフォードの背に自分の腕を回しながら、慣れ親しんだ彼の匂いと温もりに身体を預ける。たったこれだけのことで懐柔され、毛羽立っていた心が凪いだ海のように静かになった。何と情けないことか。しかし、そこに見えたのは、ニヒトが無意識のうちに押し込めていた寂しさだった。
「……どうしたら良いのか分からないんです……毎日焦るばかりで気持ちが全く追いつかない」
「色々なことが一度に起こったんだ。不安になるのも当然だ。……忙しさにかまけて俺も気付いてやれなかった。すまなかったな」
「いいえ……僕の方こそ。……子供じみた我儘ばかり言ってすみません」
素直に謝るニヒトの頬に指を伸ばし、クロフォードはゆっくりと顔を近づける。
ニヒトはそれを拒むことはせず、温かい口づけを受け入れた。
余計な雑念が払われると、本当に伝えたかった気持ちだけが鮮明に浮かびあがり、ニヒトは焦燥感に駆られ、こんなに自分のことを想ってくれているクロフォードの気持ちすら疑いそうになったことを反省した。
皆、優しいので決して口にはしないが、間違いなくニヒトは何も出来ない子供のままだ。貴族社会のマナーも知らず、王都の流行にも完全に乗り遅れている。無縁であった世界に触れて、その大きすぎるギャップに自分自身すら見失いそうになっていた。
「……反省しています。こういうのを“
「何だそれは?」
ニヒトの言葉にクロフォードはククッと息を詰めたように笑った。そして、その髪に鼻を埋める様にして額にキスをする。
「相手の事情も考慮せず、常に自分に関心を惹こうとする人間のことです。聖女の手紙に書いてありました」
「聖女の手記にはしばしば不可解な言葉が出て来るからな。……とどのつまりお前は、そのKamattechanとやらで、俺の気を惹こうとしていたわけか?」
正面から真っ直ぐに見つめられ、ニヒトは脊髄反射のようにクロフォードから顔を反らしてしまった。幼い頃から習性で、人と目を合わせるのは今でも苦手なのだ。そして、妙に楽しそうなクロフォードの顔が気になりつつも、グルグルした頭で考えてみると、違うような違わないような、何が正解なのか次第に分からなくなってきた。
「…………そうかもしれません」
ニヒトは観念して、自分の正直な気持ちを認めた。
「分かった。今度の休暇は、二人でどこかに出掛けよう」
「でも……」
「ずっと働き詰めなんだ。気分転換も必要だろう?」
優しい瞳で見下ろすクロフォードの提案に、ニヒトはまた我儘を言ってしまったと微かな申し訳なさを感じながらも頷いた。
もっとしっかりしなくては、という自戒とともにクロフォードの気持ちに応えられる人間でありたいというささやかな願いが生まれる。
逃げないこと、自棄を起こさないこと、新しい世界に常に挑戦し続けること。
いろいろと課題はあるもののまず最初に改善すべきは、卑屈なこの心だろう。
「クロウ…………」
ニヒトは、勇気を出してその男の顔を見上げる。
黒曜石の輝きを宿した黒い瞳がこちらを向いた。
「貴方と話ができなくて、ずっと寂しかったのです」
華やかな女性の姿と、不甲斐ない自分を比べて、嫉妬して、勝手に落ち込んでいた。
「……今夜、貴方の部屋に行ってもいいですか?」
思いがけない言葉に目を瞠ったクロフォードは、二つ返事で承諾し、幸せ一杯の笑顔でニヒトの身体を強く抱きしめた。
【番外編】ファントム・ティアーズ 畔戸ウサ @usakuroto
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