拡大解釈大和物語

主水大也

 人の心とはどこに寄るべきなのか。私はそんなどうしようもないことを反芻しながら電車に揺られていた。勿論典拠など、どこにも存在しない。数十年前の辞書が使い物にならないように、人の心とはどこにも寄りかかることなく、絶えず泡沫を弾けさせながら流れていくのみである。こう思うと、心は時間に寄りかかっているとも考えられるかもしれない。窓の外は、暗い。どうやら地下鉄のようだった。

 反芻した思いが饐えた匂いを発し始めた頃、外がぱっと明るくなった。そして、よくわからない駅で電車は停まった。人は、いない。どうやら無人駅のようだった。私はそのがらんどうのコンクリート壁に惹きつけられ、妙に浮足立つ気持ちでその駅に降りた。

 駅の外には田んぼしかなかった。冬であるのに視界の奥はかげろうでゆらゆらと揺れている。私はハンカチで顎を拭いながら、そのかげろうを目指して歩いて行った。

 何時間歩いたか知れない、ふくらはぎに甘い疲労が立ち込めて来たころ、目指していたかげろうが目の前にまで来たとき、それは粘土のようにぬちゃぬちゃとかき混ぜられた。どうやら何かが作り上げられていくようである。私は顎に溜まった結露を、濡れそぼったハンカチで拭った。

 一つ、瞬きをすると、私の目の前に小さな寺がたっていた。何とも自信ありげに屹立している。耳を澄ますと、中から大勢の人間の声が聞こえる。私は気になって、その指紋だらけの寺の中に入っていった。

 金堂の奥から、がやがやと縁日のような楽し気な、移り気な声が聞こえてくる。どうやらその声は大講堂の中から聞こえてくるようだった。私はその声に混ざりたく思って、ハンカチをポケットにしまってそこに向かった。

 大講堂の中は、夥しい数の「後世の人々」が座っていた。胡坐をかいて談笑するもあれば、いやに礼儀正しく正座をして、大和綴じの古めかしい書物を読むもの、寝転がってスマートフォンを眺めるものもあった。私はその光景を見ながら、ただほっと息を吐いて、丹塗りの柱にもたれながら、あせもが出来た首を掻くことしかできなかった。

 大講堂の最奥には、菩薩像らしきものがあった。否、いたと言った方が正しい。その菩薩像擬きは、悟りを開いたとは思えぬ凡俗な目つきでもって、私達のことを見つめていたのだった。

 「後世の人々」は、その目線を感じて一様に静かになった。菩薩像擬きは満足そうに笑ったと思うと、私をジッと見つめ始めた。どうやら私も仲間に入れてもらえるらしい。私はかんざしが可愛らしい女性の横に失礼して、正座をした。

 「後世の人々」は色とりどりの座り方で、一様にその像を見つめていた。この如何わしいものに何を教わるか知れない。ただ、凡俗な、頼りない、泡沫ですら剛健に思える、そんな人の心を知れる気がして、ここに座っているのである。

 菩薩像擬きはゆらりと口を開いた。「後世の人々」は、何も知らぬ子どものように目を輝かせた。

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