第9話「血塗りの肥後守」


 ディスティニーシーのシンボル、ヘスティア火山を望むヴォルケイニア・ギャレー。簡単な軽食を食べられるそこのテーブルに腰掛けて、俺は下根しもねと対峙していた。

 日没後のパークは昼間とは趣を変えている。ここミスティックアイランドエリアは煌びやかな灯りに彩られ、より一層の神秘さを醸し出している。それに。夜のパレードの時間が近く、見えない位置になるここには俺たちの他に客はいなかった。


 そんな半貸切みたいな雰囲気の中、下根は頬杖を付いてこちらに目を合わせない。空いた手でコーヒーの入った紙コップを持ち、ゆっくりと口許へ運んでいる。だから俺もそれに倣って温かいコーヒーに口をつけた。

 鼻腔に抜けるのは深く芳醇な香り。ここのコーヒーは間違いなく美味しいのだが、しかし下根は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 続けて下根は何がおかしいのか、クスリと小さく笑ってみせる。それは何かを諦めたようにも見えて。俺は下根に何も言えなくなって。しばらくまた無言の時間が続くのかと思ったが、それを破ったのは下根のセリフだった。


「……ディスティニーリゾートってよ、いちいちクオリティが高ぇんだよな。コーヒーひとつ取ってもウチの店スターダックスに引けを取らねぇレベルだろ。しかもコレを宣伝しねぇんだぜ。他に宣伝することたくさんあるからなァ」


「まぁ、同感かな。純粋に美味いよな、ここのコーヒーは」


「だよな。アイツも昔、言ってたわ。どんなにストアの雰囲気良くしても、パークの雰囲気とは勝負になんない、ってよ」


 下根は自分の情報をあまり語らない。だからここからは俺の勝手な想像だ。っていうのは多分、失踪してしまった漆草市店しっそうしてんの店長なのだろう。確か、一番最初に失踪したのは女性店長だったハズだ。

 その店長と下根には関わりがあった。同僚という単純な繋がりではなく、強固な絆のようなものが、きっと。


「いい子だな、あの子。とても幽霊にゃ見えねぇよ」


 下根はコーヒーを持ったまま、視線をミスティックアイランドの海へと向ける。そこにはニモ船長が乗る潜水艦「ノーチラシ号」が浮上していた。もちろんそれを模したギミックオブジェであるが、ユウはそれを間近で見ながら目を丸くしている。幽霊らしからぬ、輝いた目をして。

 ユウは俺と下根の会話には参加せず、「向こう見てくるね」と言って今は席を離れている。空気も読める素敵なヤツ。これで地縛霊だってんだから、世の中はやっぱり不思議である。


 ユウが楽しそうにしている姿を見ながら、俺は下根に言葉を返す。きっと穏やかな会話にはならないだろうなと思いながら。


「やっぱり見えるんだな、下根。お前にもユウが」


「まずレアなオレのメガネ姿に気づけよな、阿部ェ。これはあの肥後守ひごのかみとセットで手に入れたモンだ。コイツでが見えるってことはよ、多分この肥後守にもそれなりのチカラがあんじゃねぇのかって思えるよなァ?」


「……そのナイフでユウをどうするつもりだ?」


「それよりお前な、恋ストーリーマニア乗った後でハナシ聞くつってたのに、次はそのままスタンバイでテラーオブタワーに乗るってどういうワケだよ? 思わずタマがヒュンヒュンして飛んでイキそうになったろうが。で、その次はアンダーオブジアースで地底探検してよ、続く冒険は海底2万ヤードだと? 船体の電力が枯渇してよ、もう浮上できねぇと思ったけど魚人に助けて貰えて涙出たぜマジで。あのまま海の藻屑になるかと思ったわ。んで挙句にソワリン・ファンタジー・アビエーションに乗って空中散歩してよ、休憩がてらにシンドバッド・シナリオブック・ヴォヤージで船旅を楽しむだァ? てめぇ結局フルに楽しんでんじゃねぇか!」


「いや、その言い方だとお前も思い切り楽しんでただろ。それにお前めちゃくちゃ詳しいじゃねーか」


「あぁ楽しんださ! めちゃくちゃ楽しめたよ最高だよ冒険の海は! いろいろ予習してきたんだよクソッ、復讐しにきたオレがバカみてぇだよ!」


 言葉とは裏腹に、下根は満足げな表情だ。見た目は確かに顰めっ面だが、唇の端が僅かに上がっている。それにさっきの発言、あれはこの冒険の海を本気で楽しんだヤツのセリフだろう。止めようと思えば下根はいつでも止められたのに。あの妙な雰囲気を醸し出す肥後守で。

 でもそれをしなかったってことはきっと、下根も心からこの冒険の海を楽しんでいるってことだろうと思う。

 やっぱすげぇな、ディスティニーリゾート。復讐しにきたヤツさえも思い止まらせる魔力。それを有しているのは間違いない。


「この数時間な、傍でお前らを見ててわかったよ。あぁ、幸せそうだなって。相思相愛ってお前らのためにある言葉なんじゃねぇのかな、とさえ思う。世界に誇るテーマパークで、幸せに満ち満ちた空間で、愛し愛される二人。きっとお前らは世界で一番幸せな二人だよ」


 下根はそこで一旦言葉を止めて。そしてセリフを継いだ。刃物のような切れ味のそれを。


「──でもいびつだ。あの子は生きていねぇから」


 下根はゆっくりと紙コップを置き、俺に向き直る。表情をより一層硬くして。何かを決めたに違いない下根は、また一呼吸置いて続けた。


「お前らがさ、ベニス・ゴンドラで仲良く手を繋いでてもよォ、SSコスタリカ号から眺める夕陽を仲睦まじく見ててもよォ。つまるところ、このパークでお前らが一番のカップルだとして、いや実際にそうなんだろうが、とにかくそうだったとしてもだ。忘れちゃいけねぇことがあるだろう?」


「……ユウが、幽霊だってことか?」


「そうだ、あの子は幽霊だ。現にオレとお前にしか見えてねぇ。あの子が悪い幽霊だとは言わねぇが、幽霊と幸せになれると本気で思ってるのか? そこまでバカじゃねぇだろ、阿部」


「幸せになれる、とは思ってない。ただユウには幸せな最後を迎えてほしいと思う。それを手伝えるなら手伝ってやりたいし、今がその最中だと思うんだ」


「いいやもう終わってんだよ、あの子の最後は。いいか、あの子はもう死んでんだ。こっちで調べたよ、あの子の事はな。交通事故で亡くなった女子高生、それがあの子の正体だ。結局のところ、この世ならざる存在なんだよ」


「それがどうしたってんだ。ユウはここで楽しそうにしてる、それでいいだろ? これが終わればきっとユウは成仏する。俺はあいつに、幸せな思い出を持って天国に行ってほしいんだ」


「根拠はあんのか? この旅が終われば満足して成仏するってあの子が言ったのか? 仮に言ってたとして、信ずるに足る根拠はあんのかよ?」


「それは……」


 思わず言い淀んでしまう。ユウはそんなこと言ってないし、この旅を思いついたのだってユウを成仏させようとか、そんなことは思っていなかった。ただ、ユウが楽しそうならそれでいい。そんな軽い気持ちで連れて来たのだ。

 だから俺には、ここでユウが成仏すればいいなんて思っていない。その嘘を、下根には見抜かれている。それだけはわかった。


「回りくどいのは好きじゃねぇから端的に言うぞ。あの子から手を引け、今なら間に合う。コイツが効くかはわからねぇが、多少の効力はあると思う。コイツの触れ込みは、どんな幽霊でも殺せる呪いの肥後守だ。あの子を渡せ、俺があの子の存在を消してやる」


「どうしてそうなるんだ? ユウは人間に害を与える存在じゃないんだぞ!」


「充分与えてるだろうが! あの子はの住人だったんだぞ! あの子が死んだ以降、あの部屋の住人はみんな失踪してる。あの子が原因じゃねぇなら何が原因なんだよ?」


「だからそれは、」


「それは? まさか別の幽霊のせいだって言うんじゃねぇだろうな?」


 下根はいつの間にか例の肥後守を取り出し、鈍色に光る刃を剥き出しにした。見ているだけで気分が悪くなる。これはやはり本物なのだろうか。これで刺されたら、ユウは……?


「あの子はお前にとっちゃいい幽霊なんだろう。それは否定しねぇよ。ただオレにとっちゃ悪霊だ。あの子のせいでオレのは失踪した。オレにはそれが全てなんだ。そしてあの子はこの世ならざる存在。あの子を消せば、可能性はゼロに近いが失踪したアイツが戻ってくるかも知れねぇ。オレはそれに賭けるしかねぇんだよ。いいか、オレはそれに賭けるしかねぇんだ!」


 下根が右手でもてあそぶ肥後守に集中しすぎて、ヤツの左手に注意が払えなかった。素早い動作で繰り出された左のフックをモロに貰い、俺は椅子から転げ落ちてしまう。まさか下根がここで直接的な暴力に訴えるとは思ってもみなかった。

 クソ、やられた! 下根は瞬時に振り返り、肥後守を持ってユウの方向へ走っていく。俺は無様に地面に転がり、下根の背中を目で追うことしかできない。


「ユウ! 逃げろ‼︎」


晴明はるあき? え、なになに、なんで転んでるの?」


「やめろ下根ッ! ユウは悪霊じゃない!」


 ちらりと下根は俺を一瞥して。すぐさまユウに向き直り、その距離を詰める。俺も体勢を整え、下根を追う。

 絶望的な距離だ。下根とユウの間は数メートル。これではもう間に合わない。


「下根、やめてくれ! 頼む!」


 下根は例の肥後守を腰だめに構えると、流れるような動作でそれを前に突き出した。

 ──しかし。その体勢を取ったまま、下根はピクリとも動かなくなる。下根の肥後守を止めた存在。それはだったのだ。


「クソ、なんだコイツ……! どっから湧いて出た?」


 下根は渾身の力で黒ユウの呪縛から逃れようとするが、逆に腕を捻られ回転しながら地面にひれ伏した。軽い金属音と共に、例の肥後守が下根の足元に転がる。

 ──そしてそのナイフを拾ったのは、黒ユウだった。黒ユウは振り返り、そのナイフを


「……残念だけれど時間切れね。ごめんね、こんな終わり方になるなんて」


「あ、あなたは誰……?」


「あなた自身よ、私の半身。晴明にあなたを満足のうちに成仏させるよう言ったけれど、もう楽しい時間は終わりだわ。私が終わらせる。これは私が蒔いた種だから」


「それ、どういう……」


「私は交通事故で死んだ。修学旅行の前日に。それがどうしても受け入れられなくて、この世に未練を残して幽霊になって。でもどうしたって未練を解消できなくて、結局後悔し続けて。だからあなたを生み出した。何も知らない純粋無垢なあなたを。私の代わりに、少しでも幸せになってほしかったから」


「私は……、あなたが望んだもう一人の私ってこと?」


「そんなところね。あなたが満足に逝けたら私も逝ける。そう思っていたけれど、もう時間がない。それに晴明は、あなたを成仏させようとしていない。そうでしょう?」


 黒ユウが俺の方に視線を投げる。否定しようと思うが、声が出なかった。何故ならそれは、黒ユウの言うとおりだったからだ。

 俺は、ユウを成仏させられない。下根にはああ言ったが、本心は全然違う。いつまでもユウと一緒にいたい。たとえユウが幽霊でも、俺の心はそう望んでいた。それを黒ユウに見透かされていたのだ。

 黙る俺を見つめて、黒ユウは残念そうに溜息をつく。もうこうする他ないと、小さく言いながら。


「さよなら、私の光。自分で蒔いた種は自分で刈り取る。それが私の責任だと、そう思うから」


 待て、待ってくれ! 俺は叫びながら走り出していた。近づいてどうなるワケじゃあない。だけど立ち止まってはいられない。

 ユウを満足させて成仏させたい気持ちはある。だけどやっぱりそれ以上に、俺はユウとこれからも一緒に過ごしたいんだ。


 全ての動きがスローモーションになって。黒ユウが振り上げた肥後守がキラリと光って。手を伸ばすけれど絶望的な距離が俺とユウを隔てていて。

 じゃあね、と黒ユウの声が聞こえて、肥後守は冷たく振り下ろされた。


 ──が、しかし。それを止めたのは下根太一。下根は黒ユウが持つ肥後守に胸を貫かれるが、渾身の力で肥後守を抜かれないよう黒ユウの手首を掴んで離さない。


「お前が元凶か……! 会いたかったぜぇ、闇堕ち聖女サマよォ!」


「は、離して!」


「いーや離さねぇ! ハナシ聞いてだいたい理解できだぜチクショウ、クソ痛えけどなァ! てめぇのお気持ちであの部屋の住人消して、挙句勝手にあの子生み出して、時間がねぇから今度はあの子を消すだァ⁉︎ 通らねぇだろハナシがよォ!」


「あなただって、あの子を消そうとしてたじゃない!」


「当たり前だろ! 勘違いすんな、俺に取っちゃどっちでもいいんだよ! お前を消してもあの子を消しても、同じ存在ならどっちも結局消えるだろうが! けどお前を先に消したほうがスッキリしそうだぜ、だろォ?」


「離して、それは私の役目……!」


「うっせぇな黙ってろ! 何かを決めるのは生きてる人間の権利だ! 死んだお前らにそんな権利はねぇ! まして生きてる人間に迷惑かけてるようなヤツにはなァ!」


 下根は黒ユウを振り解き、胸に突き刺さった肥後守を抜いた。飛び散る鮮血、くずおれる下根。血に塗れた肥後守を俺の方に滑らせ、渾身の力で下根が叫ぶ。


「阿部ェ、お前が決めろ! これはお前の物語だろ!」


 血に染まる肥後守を拾って握り締めて。俺は黒ユウとユウの方を見た。どうすればいい。どうすればいい?

 黒ユウをこれで刺してもきっとユウも消えてしまう。それにユウの方を刺すことなんで出来やしない。好きなんだ、あいつのことが。

 でもユウとずっと一緒に生きていくなんてのも無理な話なのはわかっている。だって、ユウは既に死んでしまっているのだから。


 極まる状況に、俺はどうしていいかわからなくなる。ユウを消すのは選べない、ただ一緒に生きることもできそうにない。それに時間がない、放っておけば下根が死ぬだろう。


 ──深く深く深呼吸をする。そして肥後守を握り直し、俺はある決意と共に一歩を踏み出した。


 これは俺の物語。

 結末を決めるのは、俺だ。




【羽間さんの最終話に続く!】



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ホーンテッド・オンボロアパート 薮坂 @yabusaka

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