世界樹の喪失

『アリア。大丈夫だからね』


 母親の声は心地よくてお腹の痛みなんて忘れてしまえる。異変はアウレールに伝わっただろうか。


 世界樹の根に黒い斑点が生まれ始めていた。それは魔穴と呼ばれていたものと同様の物のに見えた。根についたものではなく、根が喪失して生まれたもの。そんな感じがする。


『ごめんね。アリア。一緒に居てあげられなくて。でもアリアはこっちにこなくてもいいの。ううん。来ちゃいけない。だからね。あなたに祝福を捧げるわ』


 もうひとつの異変が起こり始める。


 カタリナの花が一斉にこうべを垂れた。その光景は誰もが思わずため息をついてしまうだろう。一斉に雫が花弁からこぼれ落ち、地面へ落ちると同時に弾けた。それが合図だった。


 一斉に地面が光り輝き始める。あまりの眩しさに目を開けてられない。それは物語とおんなじだ。世界樹が生まれた瞬間の光。知らないはずの光景なのにそれが間違いないと確かに知っている。


「こ、これは。まさか、世界樹が」


 それが誰の言葉だったのか確認しようがない、光の渦に巻き込まれてそれは叶わない。


 その光がアリアの中に流れ込んでくる。同時に痛みが薄れて、意識もはっきりしてくる。


 次の瞬間なにかが弾けた音がした。


「くっ。国に報告しなくてはいけません。すぐに撤退します」


 幻影騎士団長の号令だけが聞こえる。アリアはまだ目が慣れなくて開けることすらままならないと言うのに。行動が早い。


「そ、そんな。世界樹が」


 村長の声は震えている。そこに先ほどまでの殺気もない。


「アリア。大丈夫か?」


 アウレールが近寄ってきたのが分かった。目を閉じたまま手を差しだすとその手を取って引き寄せてくれる。この手にまた助けられてしまった。


「は、はい。なぜか刺された部分も治っているみたいです」

「ああ。あれだけのマナが流れ込んだのだ。そういうこともあるだろう。だが、これはまいったな」


 アウレールの声は戸惑っている様に聞こえる。ようやく目が慣れてきて辺りを見渡す。


「えっ」


 見慣れた光景が広がるはずだった。そのはずだったのに。


 お気に入りの場所がどこだか分からなくなるくらいに辺りには何もなかった。木がないと、草花がないとかではない。地面もそれ以外のすべての物がないのだ。変わらりに存在するのはすべてを飲み込んでしまいそうな大きな黒い穴。そこの中では何かがうごめている様に見える。でも、アリア達はその上に立っているのだ。訳が分からなかった。


「これは一体……」

「ああ。これが魔穴だよ。世界を混沌に陥れた原因であり、俺が封じたはずのもの。世界樹がなくなったのだから当然のように現れやがった。昔のままだ」

「そんな。世界樹が消えた?」


 先ほどの声は母だったのか。実感はない。でも大切なものを失ってしまった。そんな気がする。


「ああ。世界が変わっちまった。でも俺からすればこれが知っている世界だ。それも間違いない」


 物語の中でしか知らなかった世界へ逆戻りした。その事の重大さをアリアは知るはずもない。


「だがなアリア。これから何が起きようとも。君を犠牲にすることは俺が許さない。先ほど見たいな真似はもうよしてくれないか」


 その言葉の真意を理解できなくて。アウレールを見上げた。その顔は今にも泣きそうなくらい寂しげな表情をしていて。思わず手をその顔に添えてしまう。


「アリア?」


 驚いたのはアウレールだけでないアリアもだ。アウレールと会ってから自分の行動が説明できない。


「分かりました。約束しますから。泣かないでください」


 その言葉を聞いて優しく笑うアウレールが見たこともないほどに輝いて見えて、鼓動が早くなるのが分かる。


「世界はどうなってしまうのでしょうか」

「ああ。どうだろうな。俺の頃と比べてもしょうがないだろうな。大体、世界樹があれば魔物はいないはずだったのだ。それが違った以上、俺の想像も意味をなさない。もしかしたら誰にも分からないのかもしれない。でも、今は君と生きていることをうれしく思うよ。さ。今はここから離れよう」


 アウレールはそう言ってアリアを引き離して歩き出そうとする。それが妙にさみしく思える。


 そんなことを考えている間にアウレールとの距離が開いてしまった。駆け寄ろうとしたその時、目の前にカタリナの花弁がひらりと舞い降りてきて思わず両手ですくい上げるように受け止めてしまう。


 あの、声はなんだったのだろうか。母だったとして、なぜ聞こえたのか。考えても仕方がないのかもしれない。でも、助けて貰ったのは間違いない。


「ありがとう」


 その花弁をしまい込み、駆け足でアウレールのもとへと向かった。




 世界樹の喪失を契機に世界は動き始める。英雄と呼ばれる白銀の騎士団長と世界樹の巫女が世界に変革をもたらすのはよっとだけのお話。

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