第16話

 翌朝。

 バルボはランチア・ラムダでガルダ湖畔を北へ向かっていた。

 副官が運転すると言うのを断って自分でハンドルを握っている。以前乗ったときに、どうも後部座席の座り心地がだいぶ悪かったのを覚えていたからだ。下手をすると日本で乗った四輪駆動車よりもしんどかったのではないか。

 後部座席で二時間近く耐えるよりも運転でもしておいたほうが気が紛れる、と思ってのドライブだったが、乗ってみると運転席の乗り心地は後席とは大分ちがって快適だった。運転する人間最優先で作られているのだろう。らしさが出ていると言えば言えなくもない。

 木々と丘との間にときおり垣間見えるガルダ湖を左に眺めながら、益体もないことばかり考えている。

 バルボは気づいていた。この思考がこれからの会見の重圧から逃避しているだけだということに。


 邸宅に到着すると、主人は庭に出ているという執事の言葉を聞いて、バルボは自らそちらへ赴いた。そうするべきだと感じたからだ。副官も伴わず、一人で庭に向かう。

 周囲より少し小高い丘にある邸宅の庭からは、ガルダ湖が一望できた。

 邸宅の主人は背筋を伸ばし、まっすぐにガルダ湖を見つめている。

 その後姿にバルボは歩み寄り、その隣に並んだ。


「君なら止められるかもしれんと思っていた」

「申し訳ありません」


 この男バルボにはめずらしい、恐縮しきった声だった。


「やはり王室かね?」

「は…」言いよどむバルボに、邸宅の主人、タリエド伯は微笑みかけた。

「いいんだ。君が止められぬというのなら、想像はつく」

「……」バルボはなにも答えられない。

「しかし、本当にイギリスと戦争になるのか」

 国王手ずから爵位を授与されたばかりの主人、ジョバンニ・バティスタ・カプロニは独り言のように呟いた。


 その言葉に答えを求められていないことに気づいたバルボは、静かに次の言葉を待つ。


「最大多数の最高品質」


 唐突にカプロニは言う。長い沈黙に焦れていたバルボが声を発する寸前だった。


「戦争には、それを達成したものが勝つ。

 もっとも多くの、もっとも優れた機械を戦場に送り込んだものが勝つ。

 君の計画は、そこに踏み出したことが評価できる」

 いままでがダメすぎただけだがな、とも付け加えて小さく笑った。

「ありがとうございます」

 バルボはそう応じるのがやっと。反対はされないと分かった安堵のほうが大きい。カプロニ傘下のメーカーは数多ある。昨日のレッジャーネはその一つに過ぎない。企業規模という点ではアンサルドには及ばないかも知れないが、影響力は(航空に関するかぎり)絶大。イタリア航空の黎明を切り開いてきたパイオニアというカリスマ性を加味すれば、この男を説得することなしに先に進むことなどありえない。


 カプロニがイギリスとの戦争に反対しているのはバルボも知っていた。

 だから当初は避戦の方向で共闘できないかと検討してみたものの、それでも断念せざるを得なかった。バルボの周りに集まる反戦・避戦論よりも、深く広い参戦論の包囲を崩すのは困難と悟ったからだ。一時的な人気を獲得できても、内乱に陥る。それを掌握しきれるかどうか、バルボはついに自信を持てなかった。


 カプロニはそのことにはもう触れるつもりはないようで、バルボに訊ねる。

「それで私はどうすればいいのかな。

 大まかな話は、アントニオ(レッジャーネ社副社長)に聞いているが」

「カプロニ・ヴィッツオーラの戦闘機開発の中止をお願いします。カプロニもです」

 即座に答えたバルボは、正面からカプロニを見返した。

 カプロニはそれに動じず、笑みを浮かべたままだ。

「レッジャーネに新型戦闘機の開発を任せるということだから、それは当然だろうな。グループ全体でそれを支援しろということだろう?」

「そのとおりです」

「それで、ほかには」

「エンジン開発と生産を整理するため、多量にエンジン換装の必要が出てきました。その換装作業をカプロニ社グループにお願いしたい。それと」

 ここまではカプロニも予想どおりの要求だろう。

 バルボもそれは想定済み。

 ここからが伸るか反るかの博打になる。

 バルボは日本で得た知見をカプロニに披露する。

 カプロニを瞠目させたのはそのあとのセリフだった。


「同じものを、昨日の飛行場の近郊、空軍基地に隣接する形で建設する予定で……もとい、します。

 つきましては、その経営をタリエド伯にお願いしたいのです」


「最大多数の最高品質!」

 カプロニは目を見開き、大声で叫んだ。

「やるじゃないか!

 そこまで踏み込むつもりだとは思ってもいなかったぞ。

 なるほど、これは他の連中には任せられんな!」


 驚くバルボを尻目に、興奮冷めやらぬカプロニはせかせかと歩き回りながら呟く。


「そうなると当然、そこで作るのは我がレッジャーネの新型戦闘機となるな。

 いや別に我が社のものでなくても良い、最高品質のものであれば何だって作ろうじゃないか。

 いや、愉快だな。

 イギリスと戦争するなどと世迷い言を言ってる連中には分からんだろうが、やるからにはここまでしてようやく、だ。

 これに尻込みする程度の軟弱者を、指導者と仰ぐつもりはないぞ私は」

「タリエド伯」

 踏み込みすぎたセリフにバルボは諫める口調で声をかけた。


 カプロニもすぐに気づく。

「ん、ああ、スマン。少し興奮した。

 しかし思い切ったものだ。君をそこまで変えた12試艦戦A 6 Mだったか。

 乗ってみたいな。いや、作った男に逢いたいな!

 まあ今はそれより、だ」

 歩き回るのを止めて立ち止まったかと思うと、カプロニは邸宅に戻るのに付き添うようにバルボに促す。バルボがその隣に並ぶとすぐに早足で歩きはじめる。


 歩きながらカプロニはさらに言葉を続けた。興奮はまだ収まっていないようだった。

「元帥のアイデアはどれも素晴らしい。

 機種を絞り、多量生産に方針を転換するのも良いし、何といってもそれを拡大する断固たる意志を示しているのが良い。

 爆撃機が削られるのが少し残念だが」

「それは」

「みなまで言うな、元帥。説明された大まかな話ならごまかせると思ったか?

 多少数字のわかる者なら、落ち着けばすぐに気づくぞ」

「いずれあらためて説明するつもりではいました」

「そうだろうな。反発が多いから後回しにするというのは理に適っている。

 しかし元帥、君はざっくりと方針を示すのは得意だが細々としたきっちりとした指示を出すのは得意じゃないだろう」

「恥ずかしながら……」

 図星をかかれたバルボの答えは歯切れが悪い。

「リビア総督の頃からそうだったんだろう? いや、もっと昔からか?」

「何故それを」

「着いたぞ」

 バルボの驚きをまったく意に介さず、カプロニは扉を開く。

 扉の影から現れた人物にバルボは言葉を失う。


「対英戦に反対しないと聞いた時には、このまま帰らせようと思っていたが……

 今の元帥にいちばん必要なのはこの男だろう」

 カプロニは得意そうに笑う。

「……久しぶりだな」

 カプロニに肩を押され、バルボの目の前に立ちすくむ男が言葉少なに言う。


「レンツォ!」


 バルボも一言、そういうのがやっと。

 どちらともなく固く抱擁を交わす二人を、カプロニは静かに見守っている。

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