第2楽章

第57話 新たなる日常

 20XX年9月12日。


 放課後、村上光陽高校吹奏楽部1年、トランペットパートの片岡誠也せいやは、同じくトランペットの小寺えり子、そして佐々木穂乃香ほのかと共に音楽室へ向かった。音楽室内には机が授業隊形に並べられており、既に数人の部員が着席して談笑している。

 えり子はその生徒の中からよく見知った後姿を見つけると、トレードマークのツインテールを躍らせながら駆け寄った。

「おじょ~! お疲れ~!」

 後ろからえり子に声を掛けられて同時に振り向いたのは、ユーフォニウム1年の吉川萌瑚もこと、ホルン1年の佐藤奏夏かなだ。

「あ、リコ~!」

「お疲れ~」

 えり子は同じパートの櫻井恵梨奈えりなとニックネームが重複しないよう、「リコ」と呼ばれている。同様に恵梨奈は「リナ」。ちなみに奏夏のニックネームはフルネームの短縮形で「さかな」である。萌瑚と奏夏は笑顔で3人を迎え、誠也たちは萌瑚たちの後ろの席に着いた。

「うじゅ~、9月も半ばだって言うのにさ、まだまだ暑いよね~」

 早速元気に世間話を始める女子4人を横目に、誠也は大きく伸びをしながら1日の授業で凝り固まった筋肉をほぐした。


 徐々に部員たちが集まり、音楽室が賑やかになった頃、今日から新たにこの部の部長を務める「まりん」こと青山 りん先輩が指揮台の前に立った。それと同時に、副部長の竹内隼人はやと先輩が号令をかける。

「起立!」

 その号令と共に音楽室は一気に静まり返り、全部員が一斉に立ち上がる。

「礼!」

「よろしくお願いします!」

 竹内先輩の号令に合わせ、皆が一斉に挨拶をするが、誠也にはその声がいつもよりも随分と小さく感じられた。

「着席!」

 再び竹内先輩の号令で全員が着席すると、指揮台に立つまりん先輩が一呼吸おいて話し始める。

「改めまして、本日より村上光陽高校吹奏楽部、第44代部長を務めます、青山です。よろしくお願いします」

 そう言ってまりん先輩がお辞儀をすると、部員たちからは拍手が起こった。

 

 村上光陽高校吹奏楽部は、一昨日の文化祭をもって3年生34名が引退。昨日の文化祭振り替え休日を挟んで、今日から新体制がスタートした。一昨日まで93名の大所帯だった吹奏楽部は、2年生27名、1年生32名の計59名となった。音楽室には通常、授業用の机が50席ほど用意されている。そのため、一昨日まではおよそ半数近くの部員がミーティング時には席が無く、壁際に立っていた。しかし今日はほとんどの部員が着席してる。誠也はまりん先輩の話に耳を傾けながらも辺りを見回し、先日までとは明らかに人数の減った光景に寂しさを感じていた。先ほど、部員たちの挨拶の声がいつもより小さく感じたのも、気のせいではないのだろう。

 そんな寂しさに加えて、誠也の心をざわつかせる要因がもう一つあった。先の部長選挙において一部の身勝手な2年生の部員により行われたとされる、裏工作騒動だ。最終的にはまりん先輩の采配により多くの部員が納得する形で決着を見たが、未だ裏工作を起こした首謀者たちの火種はくすぶっており、禍根を残したままの新体制スタートとなった。

 

「みんな、色々な思いはあると思いますが、まずは全員が一致団結して、誰一人欠けることなく、先輩から受け継いだ『光陽サウンド』を大切にしていきたいと思ってます。そのためにみなさん、力を貸してください。よろしくお願いします!」

 そう言ってまりん先輩が挨拶を締めると、再び音楽室は温かい拍手で包まれた。


 新部長の挨拶のあとは、今後の予定が示された。新体制初の演奏の機会は、来週の土曜日に予定されている「体育祭」での演奏である。今日はこの後楽譜が配付され、パート練習となる旨のアナウンスがあった。

 

 ミーティングが終わると、早速パート練習の準備となる。皆が一斉に動き出し、楽器庫は混雑する。誠也とえり子がいつものように楽器庫入り口付近の廊下で混雑が収まるのを待っていると、後ろにいたテナーサックス2年生の武藤優奈ゆうな先輩が誠也たちにぶつかりながら追い越した。

「ちょっと、邪魔なんだけど。どいて」

 そう言って優奈先輩は誠也たちを睨み、抜かしていく。誠也は舌打ちしたくなる気持ちを抑えて「すみません」と一応謝り、壁際に避ける。えり子もそれに続くが、えり子は謝りもせず完全に明後日の方向を見ながら誠也に耳打ちする。

「はにゃ~。なんだか、相変わらずですねぇ」

 優奈先輩は、部長選挙で裏工作を企てた中村美羽みう先輩や三浦涼乃すずの先輩らのグループのメンバーである。グループと言っても首謀者である美羽先輩や涼乃先輩とは対等な関係性ではないらしく、いわば「腰巾着」的な存在である。そんな優奈先輩らを誠也たちは密かに「トリマキ」と呼んでいた。

「むしろ最近、首謀者よりトリマキの方が態度悪いよな」

 誠也もえり子に合わせて、周りに聞こえないようにそう呟いた。


 楽器庫が空いてきた頃合を見計らって、誠也たちは廊下から室内に入る。その入り口で誠也はオーボエ1年生の松本多希たきとすれ違った。

「お疲れ」

 誠也が多希に挨拶をするが、多希は誠也と挨拶を交わすことなく、あからさまに誠也から目を逸らせて去っていった。そんな多希の様子を見て、誠也は小さくため息をついた。

 

 誠也とえり子がそれぞれの楽器を携えてトランペットパートのパート練習が行われる教室へ向かうと、他のメンバーは既に音出しを開始していた。誠也もケースから楽器を取り出し、早速ウォーミングアップを開始する。誠也は丁寧にロングトーンを始めながら、先ほど無言ですれ違った多希の事を思い出す。


 文化祭前日、誠也は多希が子どもの頃に父親から受けたという虐待の跡を見せられた。多希の胸元に残る痛々しい火傷の跡。彼女はそれを「呪いの刻印」だと言った。

「誠也がこの私の呪いを解放してくれるというの?」

 帰りの電車の中で多希はそう言った。しかし誠也は多希の孤独を知っていてもなお、それに対し上手く答えることが出来なかった。すると多希は、こう続けた。


「私の全てを受け入れてくれる覚悟がないのに、中途半端に優しくしないでよ!」


 誠也は力なく「ごめん」と言うことしか出来なかった。

「私に関わらないで」

 それがその日、多希が発した最後の言葉だった。


 多希の左腕にはリストカットの跡もあった。多希曰く、ちょうど去年の今頃、父親から受け継いだ「呪いの血」を抜きたくて、自らの腕に傷をつけたとのことだった。その傷跡が忘れられず、誠也は昨日から一抹の不安を抱えていた。多希がまた、自分の身体に傷をつけてしまうのではないか。そして、ややもすると自ら命を絶ってしまうのではないか、と。

 今日誠也が部活に来て、多希の姿を発見した時、それだけでまずは安心した。部活に出席しているという時点で、恐らく深刻な自傷行為などもしていないだろう。当初は心配していた文化祭当日も、えり子がフルート1年の浅野陽毬ひまりに根回しして、多希が孤立するのを防いでくれた。また一連の話は部長であるまりん先輩にも話している。先ほどの多希の態度は気になるが、まずは様子を見ても良いのではないか。

 誠也はそう考えて、一旦は気持ちを切り替えることにした。

 

 15分ほど音出しをしたところで、まりん先輩が声を上げる。

「そろそろ、基礎練やりまーす」

「はい!」

 まりん先輩の号令に従い、教室の方々で音出しをしていたメンバーは速やかに基礎練習の隊形に移動する。これまで3年生の清水直樹なおき先輩が担ってきたパートリーダは、部長であるまりん先輩が受け継いだ。

 村上光陽高校吹奏楽部では、部長等の役員と係のリーダーの兼任は認められていないが、パートリーダーに関しては役員若しくは係のリーダーとの兼任が可能である。業務の偏りを考えれば極力兼任しないに越したことはないが、パートリーダーには楽器の習熟度、音楽的な知識、そして経験などが求められるため、他の役職についていない者から機械的に役職を振るというわけにはいかない。そのため、他の業務との兼任が避けられないことがある。実際に今年も部長以下7名の役員全員が、各パートのパートリーダーと兼任になった。

 パートリーダーは2年生の中から互選で決められるが、トランペットパートの場合、まりん先輩、岡崎拓也たくや先輩、工藤陽菜ひな先輩で話し合いがもたれた結果、楽器の力量などを勘案し、部長であるまりん先輩がパートリーダーも務めることとなった。


 まりん先輩はメトロノームを準備しながら、早速指示を出す。

「では、いつも通りロングトーンから」

「はい!」

 これまでの直樹先輩の優しい雰囲気とは異なり、まりん先輩のサバサバした口調がこれまでとは異なる緊張感を生む。誠也は練習の場面に相応しい適度な緊張感の中、新鮮な気持ちで楽器を構えた。

 ところが、である。

「1、2、3、ハイ!」

 まりん先輩の号令で初めの音が一斉に鳴った瞬間、誠也は思わず眉間にしわを寄せた。

(……薄い!)

 誠也がまず初めに浮かんだ感想はそれだった。これまで11人で吹いてきた音が今も誠也の耳に残っている。そこから3年生の先輩がたった3人抜けただけでこんなにも薄っぺらい音になるものかと、誠也は驚いた。それは単に音量が下がっただけでは説明がつかない、何とも未熟で軽薄な音に感じられた。途中でえり子と目が合うと、彼女は苦笑いするような表情を見せた。きっと誠也と同じ感想を抱いているに違いない。

 最初のロングトーンが終わった段階で、パート内は微妙な空気に包まれた。

「なんか、よくわかんないけど、すごい違和感……」

 今年の4月にトランペットを始めたばかりの穂乃香でさえ、思わずそんな感想を口にする。メンバーがざわつき始める中、まりん先輩は半ば自分に言い聞かせるかのように言った。

「まずは、ここから。ここからスタート、だな……」

 

 ♪  ♪  ♪


 17時半、新体制初日の部活が終わった。先週の文化祭までは全校の最終下校時刻である19時まで練習を行っていた吹奏楽部であったが、今週以降は「オフシーズン」の扱いとなり、原則として最終下校時刻の1時間前に当たる18時に音楽室を閉めることになった。

 誠也とえり子が楽器を片付けて音楽室隣の教室に入ると、奏夏と萌瑚が身支度を整えて待っていたが、いつも一緒に帰っている陽毬の姿が見えない。

「おじょ~! 萌瑚ちゃん、さかな~、おまたせ~! ひまりんは?」

 えり子が問うと、奏夏が答える。

「なんか今日は用事があるって、急いで帰って行ったよ」

「そっか、うじだねぇ。じゃ、私たちも帰りますか~」

 誠也はそんなえり子と奏夏のやり取りを特に気にせず見ていた。

 

 駅に着いてスクールバスを降り、萌瑚と別れると、誠也とえり子、奏夏の3人は地下のコンコースへと降りていく。階段を降り切ったところで、誠也と同じ高校の制服を着た女子生徒二人が談笑していた。彼女らとは面識がないはずだが、その二人はえり子を見るなりパッと表情を明るくする。

「あっ! 『ぺぺち』のリコちゃんだ!」

「リコちゃ~ん!」

 そう言ってその二人はえり子に手を振ってくる。

(……ペペチ?)

 聴き慣れぬ名称に首を傾げる誠也をよそに、えり子は笑顔で手を振り返す。

「おじょ~! こんにちは~!」

 するとその女子生徒たちもますます大きく手を振る。

「きゃ~! リコちゃんの生『おじょ~』聞けた~」

 そう言って喜ぶ彼女たちの前を通り過ぎたあと、奏夏が驚いたように言う。

「リコ、すごい大人気だね! アイドルみたい」

 そう言う奏夏にえり子は少しお道化て言う。

「いやいや、そんなことはありますけどぉ~」

「なんか、『ぺぺち』とか言われてたけど……」

 えり子と奏夏の後を歩く誠也がそう呟くと、えり子は笑顔で振り向きながら答える。

「うじ! 何かね、ファンの子がつけてくれたみたい。可愛いでしょ?」

 それを聞いた誠也は、ついていけないといった雰囲気で苦笑し、首をすくめた。


 一昨日の文化祭では、えり子は萌瑚や陽毬たちと共に、「ぺぺち」こと「あ~りお♥お~りお ぺぺろんち~の!!」という即席のバンドを結成して舞台に上がった。一度限りの即席バンドとはいえ、現役アイドルである陽毬のもと、厳しい練習を重ねたの末、本番ではメンバー全員がほぼ完璧なパフォーマンスを披露。文化祭の最優秀賞に輝いた。「ぺぺち」はメンバーのかわいいルックスも相まって人気を博し、特にヴォーカルを務めたえり子は、廊下で知らない上級生からも声を掛けられるほどの、言わば「時の人」となっていた。

 

「しかもさ、トランペットは文化祭でカップルが2組も誕生して、今日のパー練は大盛り上がりだったんじゃないの?」

 地下のコンコースを歩きながら、奏夏は笑顔でそう言う。

 一昨日の文化祭2日目、誠也とえり子は晴れて交際をスタートした。その前日には穂乃香もチューバの「黒ヤギ」こと青柳 そらと付き合い始めている。その二組のカップル誕生が明るみになったのは、一昨日の文化祭後に行われたトランペットパートの「3年生追い出し会」の場である。その時はそれこそ蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、当事者である誠也も多大な祝福を受けた。ところが、昨日の振り替え休日を挟んだ今日、一転してトランペットパート内では一切その話題が出なかったことに、誠也は今更ながら気が付いた。いつもの賑やかなトランペットパートなら奏夏の言う通りになりそうなのに、と、誠也が怪訝そうな顔をしていると、えり子が飄々と奏夏の問いに答える。

「うにゃ~、確かにさ、今回私と誠也、それに穂乃香と黒ヤギが新たに付き合い始めてさ。リナと颯真そうま君は、元からそれぞれ相手がいるじゃん? だからこれでペットの1年生はみんな、彼氏・彼女がいるようになったでしよ? でもさぁ、2年生がね~」

 えり子がそこまで言うと、奏夏はこの時点で納得の表情をした。

「あ~、そっかぁ」

 自動改札機にパスケースをかざし改札口を抜け、ホームへと続く階段を降りながら、えり子が続ける。

「ほら、陽菜先輩と拓也先輩はじゃん? そんでもってまりん先輩はじゃん!」

 えり子は「アレ」の部分の言い方を微妙に変えて話す。

「うわ~、それは迂闊に話題にできないわ~」

 そう言う奏夏に、1人置いてけぼりの誠也が眉間にしわを寄せる。

「その、ってなんだよ」

 3人は始発駅で空いている電車に乗り込み、席に座るとえり子は苦笑しながら言う。

「はにゃ~! もう、これだから誠也は!」

 そう言いつつも、えり子は陽菜先輩と拓也先輩の関係性を誠也に説明した。えり子曰く、陽菜先輩と拓也先輩はお互いに相手を好きでいながらも、自信の無さなどからどちらからも告白できないでいるらしい。そのため、この話は部内ではナイーブな問題とされているようだ。

 

「へぇ~、そうだったんだ」

 誠也は目を軽く見開きそう言うと、えり子は呆れたような顔をする。

「まったく、誠也はホント、そう言うの疎いんだから~」

 えり子にそう言われた誠也は、少しムッとしながら続ける。

「ほっといてくれよ。で、まりん先輩のっていうのは?」

 それに対し、えり子と奏夏は互いに顔を見合わせ、苦笑する。それでも先に誠也への返答の義務を果たしてくれたのはえり子の方だった。

「まぁ、まりん先輩にも好きな人がいるんだけどねぇ……」

 そのえり子の発言に、誠也は再び驚いた。これまでまりん先輩に関してそんな浮いた話は聞いたことが無かったし、その相手も想像が出来なかった。歯切れの悪いえり子の口調に誠也は不審そうに聞く。

「何か、その好きな相手に問題でもあるのか?」

 ちょうどドアが閉まり電車が走り出すと、えり子は相変わらず苦笑いをしながら小さくため息を漏らす。そんなえり子の代わりに、今度は奏夏が誠也の疑問に答える。

「まぁ、そのまりん先輩の片思いの相手がね、一昨日から同じパート内のリコと付き合い始めちゃった、って言うわけですよ」

 

「え? ……えぇ?」

 奏夏の口から紡がれた予想だにしない答えに、誠也は言葉を失った。そんな様子を見て、えり子と奏夏は苦笑する。

「そんなことあるわけないだろ~」

 そう言って誠也は否定する。本当に心当たりはないようだ。

「いやいや、違うパートの私から見ててもわかるよ~」

 そう言う奏夏に、えり子も続ける。

「まぁ、だからこそ私たちも部長選挙の時に、まりん先輩との交渉を誠也に託した訳でして……」

「はぁ~?」

 驚きのあまりつい大きな声を出してしまった誠也に、えり子はわざとらしく怯えた表情をする。

「うぎゃ~! お願い、顔だけはやめてっ!」

「……おい、人聞きの悪いことを言うな。誰が殴ると言った?」

 誠也は平静を装ってはいたが、内心穏やかではなかった。記憶の限りを振り返っても、まりん先輩に関しては全く心当たりはなかった。しかし、周りの生徒たちはそれに気づいていて、だからこそ部長選挙の後、まりん先輩が苦しい状況にいたときの交渉役を誠也に託したのだと言う。

「……だとすると、友梨先輩や直樹先輩とかも?」

 眉間にしわを寄せたままそう呟く誠也に、えり子は言う。

「まぁ、恐らくそう言う意図もあっただろうね」

「なんだよ、それ……」

 誠也は複雑な心境だった。

 

 途中の駅で奏夏と別れた後、誠也は改めて先ほどのまりん先輩の話をえり子に聞く。

「その、まりん先輩が俺に対してアレだって言う……」

 えり子は半ばあきれ顔で言う。

「ほじょ~。誠也は本当に気づいてなかったんだね。まぁ、誠也らしいけど」

「俺らしいって何だよ。結奈ゆいなの時は俺だって気付いたぞ」

 結奈とは、中学生時代に誠也とえり子が一度破局した際、誠也に好意を抱いていた後輩の女子生徒である。

「にゃ~! 私の前で未だに結奈ちゃんの名前出すんだ~」

 えり子はいたずらっぽく言う。

「べ、別に良いだろ? 結奈とは何もなかったし……」

 誠也が迂闊に結奈の名前を出したことを後悔しながらそう言うと、えり子はそんな誠也の気持ちを知ってか知らずか、更に畳みかける。

「でもさ、誠也、去年の秋、結奈ちゃんに告られたんでしょ?」

 その瞬間、誠也は目を見開いた。

「え? なんでそれをえり子が知ってるんだ?」

「本人から聞いたから」

 そう飄々と答えるえり子に対し、誠也は焦りを隠せずにいた。

「本人からって……。お前まさか……」

「いや、ちょっと! 私だって無理やり結奈ちゃんから聞き出したわけじゃないからね。むしろ別に聞きたくなかったし……」

「でもさ、そのこと知ってたって、えり子今まで言わなかったじゃん。何で今更……」

 納得のいかないような表情でそう話す誠也に、えり子は再び飄々と答える。

「それは、今までは誠也の『お友達』だったからですよぉ~。でも、今は誠也の『彼女』ですからねぇ~」

 

 すっかり自信を喪失した誠也は、ため息交じりに問う。

「ちなみに、俺が結奈に告られた件も、俺が知らないだけでみんなは知ってる話なのか?」

「それはないんじゃない? 結奈ちゃんが私に教えてくれたとき、『誰にも言えなかった』って言ってたから」

「そっか。ごめん……」

 そう言って肩を落とす誠也にえり子は笑顔で続ける。

「まぁ、結奈ちゃんはいいとして。まりん先輩の他にもまだ心当たりない?」

 う~んと唸りながら、誠也は遠慮がちに言う。

「まぁ、例えば真梨愛まりあとか?」

「そうだね~。他には?」

「……多希とか」

「うんうん、他には?」

「まだ居るのか!?」

 再び目を見開く誠也に、えり子はいたずら顔で言う。

「知~らない!」

 

 えり子との会話にすっかり意気消沈した誠也は、がっくりとうなだれた。そんな誠也に、えり子は少しだけ声のトーンを落として言う。

「なんかさ、昨日一日お休みだっただけで、世の中すっかり変わっちゃった気がするよね」

 そんなえり子の言葉に呼応して、誠也はもたげていた頭を上げる。

「ホント、そうだな」

 そう言いながら、誠也は今日一日を振り返る。音楽室の風景、部長の挨拶、パート練習で響く楽器の音色。何一つとっても一昨日までとはまるで違っていた。

「うじゅ~。やっぱ3年生の先輩方って、偉大だったよね~」

「今日のパー練、酷かったもんな」

 そう言って、誠也も同意する。今日の練習では、今まで3年生の陰に隠れていた拓也先輩と陽菜先輩の楽器の未熟さが、特に目立つ結果となってしまった。


 誠也は小さくため息をついた後、湿っぽくなった空気を一新するかのように明るく言った。

「世の中が変わったと言えばさ、えり子も一気に有名人になったじゃん!」

 そう言って笑顔になる誠也とは対照的に、えり子は浮かない表情のままだった。

「それも、良いんだか悪いんだかね……」

「あんまりうれしくないのか?」

 誠也が怪訝そうにえり子の表情を伺う。えり子は少し考えたそぶりをしたのち、柔らかい笑顔で言う。

「ねぇ、誠也」

「何?」

「とりあえずさ、私たち、学校ではイチャつかないってことにしよ?」

 えり子の言葉に誠也は問い返す。

「学校では?」

「うじ。学校では、ね」

 そう言ってえり子は、誠也の左腕に自身の右腕を絡めて手を繋ぐと、頬をピッタリと誠也の肩に寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る