第55話 問われる覚悟

 文化祭2日目。14時過ぎに吹奏楽部のステージが終了し、誠也せいやたち吹奏楽部員は楽器をステージの裏に片づけた。この後、体育館で行われる全てのプログラムが終了するまでは楽器を体育館から搬出できないため、16時までいったん休憩時間となった。


 誠也は今日、えり子と「今後の話」をするとならば、この時間しかないと考えていた。解散となるなり、誠也はえり子に声を掛ける。


「えり子、この後、いいか?」

「ほよ? うん、もちろん!」


 えり子もそのことを理解しているのだろう。特に何も聞かず、笑顔で誠也の誘いにのる。


 混雑する体育館を出た二人は、どこかゆっくり話せる場所を探しながら校舎内の廊下を歩き始めた。やや難しい表情をしている誠也の後ろを、笑顔のえり子がご機嫌な様子で付いてくる。

 歩きながらも誠也は「今後の話」の結末を迷っていた。自分がどのような選択をすることが、えり子にとって幸せなのか……。


 暫く歩いてみたものの、校内は文化祭真っ只中。教室は当然のごとく全て使用されているか、閉鎖されているかのどちらかだった。ゆっくり話が出来そうな場所は見当たらない。


「とりあえず、そこに座ろうか」

 誠也は仕方なく、廊下の途中にある休憩スペースの一角を指さす。

「うじゅ~、外のベンチよりはマシだよね~」

 

 9月に入ったとはいえ、今日も外は30度越え。日影でもさすがに外は厳しいので、誠也たちは校舎内で比較的通行量の少ない廊下の休憩スペースを選んで腰を下ろした。

 

 暫しの沈黙。しかし時間が潤沢にあるわけでもない。その沈黙を先に破ったのは誠也だった。


「えり子、あのさぁ……」

「何?」

「俺さぁ、昨日も色々考えたんだけどさぁ……」

 

 そこまで言うとえり子が遮る。


「今日の私たちのバンドのステージ、どうだった?」

 突然えり子にそう聞かれた誠也は一瞬驚いたが、すぐに笑顔で答える。

「そりゃ、もちろん大成功だったよ! 客席もすごい盛り上がってたし」

 すると、えり子も笑顔で更に続ける。

「じゃ、約束のご褒美、ちょうだい」

 

 誠也は言葉に詰まった。この場合の「ご褒美」が何を意味するのか、いくら鈍感な誠也にでもはっきりとわかる。

 誠也は戸惑いながら視線をえり子からそらすと、えり子が続けて言った。

 

「誠也がご褒美くれないなら、他の人にもらっちゃおうかな」

 

「他の人?」

 誠也が驚いて視線をえり子に戻すと、えり子があっけらかんと答える。

 

「さっきね、クラスの中西君に告白されちゃったんだ」


「え? いつ?」

 誠也は目を見開いて、あからさまに動揺した。

「バンドのステージ終わってすぐだよ」

 

 確かに、えり子たちのバンドのステージが終わって軽音のステージが始まった後、えり子の姿が見えなくなった時間があった。心当たりがあるとするならば、タイミング的にその時だろう。

 

「……そ、そうか」

 誠也はそう言って、再び視線を下にそらした。予想外の出来事にそれ以上反応が出来なかった。

 

「中西君って野球部でしょ? 私、体育会系のノリとかってわからないからさ、あんまり想像できないけど。でもこの際、新しい世界を覗いてみるのも楽しいかもと思って」

 えり子は笑顔でそう話す。

 

「返事はしたのか?」

 誠也は視線をそらしたまま、そうえり子に問う。

「まだ。保留にしてる。さすがに誠也の事、このままにして次には行けないよ」

「そっか……」

 

 誠也は自分でも不思議なくらい、落ち着いてその事実を受け入れていた。

 えり子は明るく元気で可愛い。えり子に告白してくる男子がいたってそれは当然だろう。


 再び二人の間に沈黙が訪れる。


「で、誠也はどうする?」

 次にその沈黙を破ったのはえり子の方だった。

 

「どうするって、俺の返事次第ってことなのか?」

 誠也は怪訝そうにえり子を見遣る。

「まぁ、誠也の意見も参考にしますって事」

 誠也は笑顔でそう言うえり子から再び視線を逸らしつつ言った。

「酷なこと言うなぁ……」

 

 大きなため息をひとつつくと、誠也は視線を落としたままゆっくりと話し始める。

「俺、自信ないんだよ」

「自信?」

 首をかしげるえり子の横で、誠也は続ける。

 

「おとといの多希たきの件もそうだしさ。いつもえり子を不安にさせたり、悲しませたりする」

「うじゅ~。ホント、それ~!」

 えり子はそう言いながら、頬を膨らませる。

 

「誠也はさ、誰に対しても優しすぎるんだよ。それでもう、誠也の事、好きになっちゃった女の子が少なくとも5人はいるよ」

 誠也は下を向いたまま、えり子の話を黙って聞いていた。


「でもさ、私も考えた。それが誠也なんだよ。私がいくらヤキモチ焼いて、『他の女の子に優しくしないで』って言っても気にしちゃう。それが、誠也なんだよ」

 

 えり子にそう言われ、誠也は更に肩を落とした。

 

「ごめん、ホント俺最低だな」

 誠也はそれ以上、返す言葉が無かった。


「私さ、実は中学校の時から、そんな誠也が嫌でたまらなかったけど……。けど、今はもう平気。そんな誠也と一緒にいる覚悟が出来た」

 

「覚悟?」

 不思議に思った誠也が顔をあげると、そこにはえり子の穏やかな笑顔があった。

 

「そう。もう、中学校の時の私じゃない。今の私なら、誠也と一緒にいる覚悟があるよ。誠也は?」


 えり子の大きな瞳がまぶしくて、誠也は再び視線を外す。


「俺は……、正直、今凄く自信無くしてて……。今日のステージもそう。えり子がどんどん遠い存在になっていく気がしてさ……」

 

 そう言いながらますます肩を落としていく誠也に、えり子は追い打ちをかけるように言う。


「私さ、今回のステージ、正直すっごく練習したし、研究もした。これからもどんどん、上を目指してやっていきたいと思う。誠也の為に待ってなんかあげない。私ね、去年誠也にフラれて、気付いたんだ。『ちゃんと、生きたい』って。私は今、誠也と一緒にいる覚悟が出来たんだよ? だからさ、誠也も今の私といる覚悟を見せてくれなきゃ、嫌っ!」

 

 誠也はハッとした。

「覚悟……。そうだな」

 そう言って誠也は丸めていた背中を伸ばして、上体を起こした。


「俺だって、このまま腐った高校生活を送るつもりは微塵もねーよ」

 それを聞いたえり子は、笑顔で問いかける。

「だから?」

「だから……、そうだな。えり子のように俺も上を目指してやって行かなきゃいけないよな」

「うん! で?」

 えり子はまっすぐ誠也を見つめる。誠也はその圧に困惑しながらも答える。

「だから、まぁ……、俺も今のえり子と一緒にいれるよう頑張るからさ」

「頑張るから?」

「頑張るから……」

「頑張るから?」


(わかってる。えり子が何を求めているのか、わかってる)


 誠也は深く呼吸をすると、おもむろに口を開く。

 

「なんて言うかさ。もう一度さ、俺と……」

 

「ちゃんと言って!」

 頬を膨らませたえり子の鋭い視線にぶつかり、誠也は今度こそ観念した。


「えり子。もう一度、俺と付き合ってください!」


 そう言って誠也が頭を下げるが、えり子は何も言わない。不審に思って顔をあげると、そこには誠也の見慣れた、ひまわりの様な笑顔が咲いていた。


「えっと……」

 誠也が困惑してそう言うと、えり子は笑顔のままスマホを誠也に向ける。差し出されたスマホにはボイスメモの録音画面が表示されている。


「言質、取らせて頂きました♪」


 誠也は一瞬の自失の後、目を見開いた。

「え……。えぇ~!?」

 

 えり子がスマホを操作すると、録音された音声が流れる。


【えり子。もう一度、俺と付き合ってください!】


 誠也は耳まで赤くしながら、声を震わせて言う。

「消して……くれないか?」


 そんな誠也を前にえり子は飄々と答える。

「それって、前言撤回するってこと?」


「撤回はしないけど、その録音は……」

 苦悶の表情をする誠也に、えり子はいたずらっぽい笑顔で答える。

「消しません!」


 誠也が眉間にしわを寄せながらえり子のスマホに手を伸ばそうとすると、えり子は素早くスマホを制服のスカートの中に隠した。

「スカートの中に手を入れたら、大きな声出すよ?」

 そう言ってえり子は口元に手を当てて叫ぶような仕草をした。


 それを見た誠也は、諦めたように大きなため息をついて言った。

「もう、分かったから。で、えり子のお返事は?」

 

 えり子は微笑みながら言った。

「はい、喜んで。こちらこそよろしくお願いします」

 そう言って深々と頭を下げるえり子を見て、誠也はようやく安堵の表情を浮かべた。


「しまった! 俺もえり子のお返事を録音しておけばよかった」

 態勢を立て直すついでに誠也も意地悪くそう言うと、えり子も笑顔でスカートの中からスマホを取り出しながら言う。

「大丈夫。まだ録音中~♪」

「えぇ~!」

 やはりえり子の方が一枚上手だったようだ。呆れる誠也をよそに、えり子は今度こそ録音を切りながら言う。

「さて、そろそろ体育館戻らないと」

 えり子は椅子から立ち上がる。誠也も立ちあがりながら、解決していない問題をえり子に問う。

 

「あの……、中西の事はいいのか?」

「中西?」

 そう言いながら首をかしげるえり子に、誠也はぶっきらぼうに言う。

「告白されたんだろ? 同じクラスの奴に」

 それを聞いたえり子は、さも忘れていたかのような表情で言った。

「あぁ~。うじゅ~、もう誠也ったら~!」

 怪訝そうな顔をする誠也に、えり子はいたずらっぽい笑顔で返す。


「うちのクラスに中西君なんて男子、いないよ」


 えり子はそう言うと、踵を返して体育館の方に歩き始めた。

 

「はぁ~?」

 

 誠也はただ茫然とえり子の背中を見つめるしかなかった。

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