第53話 星が瞬いても

 午前9時。副部長の号令で、今日も定刻に部活が始まる。


 部長の友梨ゆり先輩から今日の流れについて説明があった。まずは文化祭全体のスケジュールから。昨日、文化祭の準備が途中で終わってしまったため、文化祭自体の開幕が10時から13時へと変更になった。ちなみに2日目のプログラムも一部変更になっていたが、明日予定されている吹奏楽部のステージとえり子たちのバンドのステージは、予定通りのようだ。

 続いて、吹奏楽部の動きについてアナウンスがあった。音楽室は自由に使えるが、打楽器などの大きな楽器は昨日のうちに体育館へ運んでしまっているため、音楽室では合奏はできない。加えて、体育館も今日発表する団体のリハーサル等が午前中から入っているため、ステージ発表の終わる16時までは使えない。よって、16時までは自由時間となった。


「16時までに遅れずに体育館のステージ裏へ集合してください。では、一旦解散」

 友梨先輩の号令で部員たちは一斉に動き出した。とは言っても、文化祭のスタートが午後になってしまったため、吹奏楽部員たちは行くところもなく、音楽室に事実上の軟禁状態である。13時までは音楽室内での音出しも可とのことで、早速音出しを始める者もいれば、気の合うグループで文化祭のパンフレットを片手に午後から展示会場を回る順番を予定を立てる者など、皆それぞれだ。

 

 誠也せいやは早速、昨日の多希たきの件について話すべく、まりん先輩に声をかけようとしたが、逆にまりん先輩の呼びかけでトランペットパート全員の招集がかかった。元々トランペットパートのメンバーは近くに固まっていたため、まりん先輩が呼びかけるとすぐに11人全員が集合した。

 

「えっと、決して忘れていたわけではないんですが……」

 まりん先輩がそう話し始めると、さっそく3年生の直樹なおき先輩からヤジが飛ぶ。

「ホントは忘れてたんだろ~?」

 同じく3年生の彩夏さいか先輩と咲良さくら先輩も続く。

「そうだそうだ~」

「私たちなんてどうでもいいんだ~」

 3年生のヤジが飛ぶ中、まりん先輩は耳を塞ぐ仕草をしながら、構わず話を続ける。

 

「もう、すみません。いろいろあって忘れてました! っていう訳で、このうるさい3年生の『追い出し会』をします!」

「いえ~い!」

 その瞬間、1・2年生も含めメンバー一同、盛り上がる。

 

「日時は明日の部活終了した後、会場は駅前のいつものファミレスです。全員強制参加ですが、一応、参加できない人いますか?」

 まりんの問いかけに誰も声を上げず、一瞬静寂となる。

「では、明日で開催決定!」

「いえ~い!」

 再び、全員で盛り上がる。

「前日に決めるな~!」

「もっと早く予定を出せ~!」

 3年生も部長選挙のゴタゴタをもちろん承知しているため、ヤジももちろん本気ではない。

「嫌なら来るな~!」

 とうとうまりん先輩も3年生のヤジに応戦すると、皆で大爆笑した。誠也は音楽室の一角で盛り上がるトランペットパートに対する冷ややかな視線を感じつつも、やはりこのパートで本当に良かったと心から感じていた。

 

「まりん先輩、ちょっといいですか?」

 トランペットパート恒例の「追い出し会」の開催が無事決定し、なんとなく解散となったタイミングで、誠也はまりん先輩に声をかけた。

「おう、どうした?」

「ちょっと先輩にお伝えしておきたいことがありまして」

「もしかして、外に出たほうがいい?」

 誠也の表情からまりん先輩は、ここではないほうが良いと察してくれたらしい。

「そうですね、できれば」

「オッケー」

 そう言って、まりん先輩は廊下の方へと向かう。誠也はその後に続いた。

 

 二人は廊下を進むが、文化祭当日で空き教室がない。何かと重宝する倉庫も、今日は文化祭準備で人の出入りがある。結局、廊下の端にある外階段まで辿り着いた。

「ここなら落ち着いて話せるかな。さぁ坊や、『まりん先輩が好き』って告白してごらん」

 そう言って、まりん先輩は階段に腰を下ろす。

「誰が『坊や』だ! それにまりん、相変わらず足癖悪いよ」

 下の段にいた誠也からは、いつもの如くまりん先輩のスカートの中が丸見えだった。ちなみに最近、まりん先輩と二人の時は誠也もタメ口で話をすることが多い。

「また見せパン脱ぐ? 暑いし」

 そう言うまりん先輩に誠也は一瞥をくれると、「結構です! 暑いし」と言いながらまりん先輩の隣に座った。この位置ならば視線を気にせず話ができる。

 

「で、話って何?」

 まりん先輩は誠也の悪態を気にせず、話を促す。

「この前の真梨愛のリードケース事件と、昨日の体操服事件の話なんだけどさ……」

 誠也は今朝えり子に話した内容をそのまま、まりん先輩に伝えた。


「なるほどね。多希もやるねぇ~」

 誠也が一通り話を終えると、まりん先輩は感心したようにそう言った。どうやら多希の分析と行動を肯定的に評価しているらしい。

「とりあえず、この件は一旦預かるわ。それから事態が落ち着くまで、多希にはこれ以上の行動は控えてもらいたいんだけど、多希のフォローは誠也に任せていい?」

 まりん先輩にそう言われた誠也は、困り顔をする。

「うーん、どうかなぁ……」

 誠也は昨日から多希との関係性が良くないことをまりん先輩に伝えた。

 

「多希もかぁ……」

 そう言ってため息をつくまりん先輩に、誠也は首をかしげる。そんな誠也の様子を見てまりん先輩は、パッと表情を明るくする。

「まぁ、いいや。この話、友梨先輩は知ってるの?」

「いや、まだ話はしてない」

「オッケー。まぁ、この期に及んで3年生に余計な心配かける必要もないだろうし、明日まで何事もなければ、うちらで対処するわ」

 まりん先輩にそう言われ、誠也はこの件についてはまりん先輩にお任せすることとした。そして、話が終わると二人は音楽室へと戻った。


 

 13時過ぎ。校内放送で軽やかなBGMが流れ始める。どうやら文化祭が開幕したらしい。「らしい」と言うのは、誠也たちは音楽室でのおしゃべりに没頭して、体育館で行われた開会式に行きそびれてしまったからだ。もちろん開会式の参加は任意だが、誠也はせっかく高校生活初めての文化祭なので参加してみたいと考えていたため、少々残念だった。

 

「さぁて、私たちもそろそろ行くとしますか!」

 えり子に促されて、誠也は展示会場巡りへと出発した。メンバーは奏夏かな萌瑚もこを加えた4人だ。 いつもの「Osteriaオステリア」のメンバーだが、今日は陽毬ひまりがいない。

「ひまりんは一緒じゃないの?」

 誠也が素朴な疑問を口にすると、先頭を行くえり子が答えてくれた。

「ひまりんはねぇ、今日はフルートとオーボエのメンバーで回ってるよ~」

 それを聞いて、誠也は安心した。恐らくえり子は今朝の電車の中での話を踏まえて、多希が孤立しないように陽毬に根回しをしてくれたのだろう。

 

 もう一人、気になったのが同じパートの穂乃香ほのかだ。穂乃香は「Osteria」のメンバーではないが、誠也やえり子とはクラスもパートも同じため、学校内では大抵いつも一緒に行動している。

「穂乃香は?」

 誠也が再び問いかけると、えり子は歩みを止めて振り返った。

「ねぇ、片岡。さっきからそんなに他の女の子が気になるわけ?」

 そう言って、えり子はふくれっ面をする。

「あ、ごめん……」

 誠也は若干の理不尽さを感じつつもとりあえず謝ると、えり子は「わかればよろしい」と、再び笑顔で進み始めた。

 

「誠也、今日はリコが主役の日なんだから、ダメだよ」

 横を歩く奏夏にそう言われ、誠也は肩をすくめた。

 

 ♪  ♪  ♪


 誠也はその後もえり子たちと文化祭を楽しみ、16時前には体育館へと集合した。本番前の最後の合奏。明日の文化祭のステージを最後に、3年生は引退する。即ち、このメンバーで行う最後の合奏だ。そう考えると誠也は感慨深くも思ったが、一方で引退する当事者である3年生があまりにもいつも通りなので、先輩が引退するという実感があまり湧かないまま、最後の合奏が終わった。

 部活が終わると、今日は「あ~りお♥お~りお ぺぺろんち~の!!」のバンド練習だ。こちらも明日のステージ発表前、最後の練習だ。しかもこれまでは、練習会場として借りているスタジオ「Galaxyギャラクシー」のオーナー、「ヤマさん」のご厚意により無料で借りていたが、今日は自分たちでお金を出し合っての練習だ。その分、若干の気持ちの上乗せもあったのかもしれない。

 

「じゃ、ゲネ行こうか! さかなちゃん、タイムキーパーお願いね」

「オッケー!」

 陽毬に依頼を受けた奏夏は、既にストップウォッチの表示にしてあるスマホを掲げて返答した。


 オープニングの楽曲は「アイドル」。ヴォーカルであるえり子の合図で曲が始まる。

「じゃ、行くよ~」

 センターに立つえり子が軽く振り返ってそう言うと、メンバー一同、サッと緊張が走る。誠也は記録用のビデオカメラをスタートさせた。その時だった。

「ちょっと待って~」

 まるで緊張感のない陽毬の声が、スタートを抑止する。皆の視線が集まると、陽毬は笑いながら言った。

「もう、みんな緊張しすぎ~! コンクールのステージじゃないんだから~」

 それを聞いた一同は苦笑した。

「私たちが楽しまなくちゃ、ね!」

 陽毬の一言で笑顔が広がると、再びえり子が、今度はにこやかに言った。

「いっくよ~」

 そう言って一呼吸置いたのち、マイクを一旦軽く上げて振り下ろす。それを合図に演奏が始まり、奏夏はストップウォッチを押した。


 えり子が歌い始めると、誠也はすぐにそのパフォーマンスに思わず目を奪われた。それは単に歌が上手いとか、表情が豊かだとか、そう言ったありきたりの表現では表しきれない、圧倒的なパフォーマンスだった。

 これまでも誠也は幾度となくえり子の魅せるパフォーマンスに感服してきたが、今日のパフォーマンスは今までのどれとも違う、また新たな魅せ方だった。練習の初期の頃、陽毬が披露したパフォーマンスとも異なる表現スタイル。どこが違うかと問われると誠也はその違いをうまく言い表すことはできなかったが、少なくとも優劣をつけるものではなく、魅せたい表現の違いなのだということは理解できた。

 今までえり子や陽毬たちと「魅せる」ということについて何度も語り合ってきたが、今まさにえり子のパフォーマンスを見て、聴いて、感じて、人は音楽で他者をこんなにも魅了することが出来るのだということを全身で思い知った。それと同時に、誠也がこれまで追い求めていた「魅せる」ということの意味や本質は、漆黒の闇を感じるほどに恐ろしく深いのだという真理を悟り、全身が粟立って震えが止まらなかった。

 

 ♪  ♪  ♪


 帰り道。誠也はえり子と共に電車に揺られながら、先ほどのえり子のパフォーマンスを思い出す。何度もその光景を脳内でリフレインしているうちに、誠也は自身の心がざわつき始めたのを感じた。

 誠也はふと、隣に座るえり子を見る。えり子はいつも通りの笑顔で、機嫌よくグミを口に運んでいる。先ほどのゲネの時とは別人かと思うくらい、あどけない表情に見える。

 

(果たして俺は、この人の隣にいて良いのだろうか?)

 

 そんな考えが誠也の脳裏をよぎる。自分がくだらないことで悶々として時間を浪費している間に、えり子はどんどん先に行ってしまった。今の自分とえり子では、不釣り合いではないだろうか?

 

 そんな誠也の心中を知ってか知らずか、えり子は誠也の視線に気づくと、ひまわりのような笑顔を向ける。

「はにゃ? グミ食べる? おいしいよ」

 そう言ってえり子はグミの袋を誠也に差し出す。

「いや、大丈夫」

 誠也がそう断って視線を逸らすと、えり子はグミを1粒つまんで袋から取り出すと、誠也の口元に持っていった。

「ほいっ!」

 誠也は一瞬ためらったが、拒否するのも大人げないと思い、そのままえり子のつまんでいるグミを口に含む。その瞬間、誠也の唇がえり子の指に触れた。それくらいの事、今まで何度も経験してきているはずなのに、今の誠也は妙に気恥ずかしく、再び顔をそむけた。


 

「ねぇ、誠也」

 駅からの帰り道。それまで他愛もない会話を続けていたえり子が、いつも二人が分かれる公園の前で足を止めた。

「どうした?」

 誠也はえり子を見る。そこには先ほどまでのひまわりのような笑顔はなく、えり子はややトーンを落とした微笑み顔で続ける。

 

「私ね、今の誠也との関係性を、もう終わりにしたいって思ってる」


「え?」

 誠也は突然の事に目を見開く。えり子が続ける。

「だからさ、明日、ちゃんとお話ししよ?」

 

 誠也は街灯のLEDに照らされたえり子の姿を見て、そんな事を考えている場合じゃないと思いながらも、素直に美しいと感じた。

「わかった」

 誠也がそう答えると、えり子は再びやや明るい笑顔を向ける。

「それじゃ、また明日ね!」

 そう言って踵を返すえり子の背中を見て、誠也はえり子が遠い存在になってしまうのではないかと思い、戦慄が走った。


 誠也がえり子と初めて出会ったのは中学2年の10月の事だった。それからまもなく2年が経とうとしているが、誠也がえり子の誕生日を共に過ごしたのは今日が初めてだった。

 去年は7月に二人が破局し、部活も引退していたため接点がない時期だった。一昨年はまだ、二人は出逢ってすらいない。


 誠也にとって、今日は特別な日であるはずだった。しかし、実に淡々と、いつも通りの一日が今まさに終わろうとしていた。


 いや、今日はまだ終わっていない。今日は特別な日であるべきだ。

 そう考えて、誠也は声を掛ける。


「えり子、待って」

 

 えり子が誠也の声に呼応して歩みを止め、振り返る。誠也は言った。


「お誕生日、おめでとう」


 

 えり子は一瞬目を見開くと、すぐに穏やかな笑顔になる。

 

「うん、ありがと」

 

 そう言うと、再びえり子は踵を返し自宅の方向に歩き出したが、3歩ほど歩いたところで立ち止まった。そして、誠也に背を向けたまま言った。

 

「あと、夜中のLINEも、……うれしかったぞ!」

 

 そう言ってえり子は走り去っていった。後半は明らかに涙声だった。


 

 誠也は暫くえり子の背中を見送った後、自宅の方向へ歩き始めた。ふと空を見上げると、朝から空を厚く覆っていた雲は姿を消し、いくつかの星が瞬いていた。


 (そう言えば、あの日も星空が見えていたな……)


 風雨が止み、雲も去り、夜空に星が瞬いても、現実はドラマの様にはうまくいかない。誠也はそんな星空から目を背けて、家路を急いだ。

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