第34話 魅了する楽曲

 吹奏楽コンクール県大会の予選から一夜明けた6日、日曜日。この日も村上光陽高校吹奏楽部の部員たちは、朝9時に音楽室へ集合した。

 外は久しぶりの雨模様だったが、音楽室では部員たちの明るい笑顔が咲き乱れる。学校としては約10年ぶりの本選大会進出に、コンクール前の不穏な雰囲気は一掃され、12日に開催される本選大会に向けて、練習にも気合が入った。

 

 一方、コンクールメンバー以外の部員たちは、今日から練習の参加が任意となった。トランペットパートの1年生は、当面は5人とも練習に参加予定だが、恵梨奈えりな穂乃香ほのかは家族の帰省に合わせ、11日以降は休むとのことだった。他にも家庭の都合に合わせて休む部員も散見された。


颯真そうまは夏休み出かけたりしないのか?」

 パート練習の教室に移動しながら、誠也せいやは颯真に問いかける。

「親は実家に帰省するけど、俺は今年は行かないことにした」

「それは、あれか? 夏葵なつきちゃんと会えなくなるからか?」

「うるせーよ」

 颯真は口ではそう言うものの、表情は照れくさそうにしているので図星なのだろう。

「誠也は札幌に帰らないのか?」

 今度は颯真が誠也に問う。

「あぁ。今年は秋田の母親の実家に。でも、俺は遅れて13日から行くことにした」

「それはやっぱり、リコと会えなくなるからか?」

 今度は颯真が誠也をからかうが、誠也は表情一つ変えず答える。

「いや。別に」


 その時、後ろを歩いていたえり子が話題に入り込んでくる。

「もにゃ? 今、私の話してた~?」

「誠也が家族と別に13日から帰省するって言うから、ギリギリまでリコに会いたいからだろ? って」

 颯真がそう言って笑いながら言うと、えり子はパッと表情を明るくする。

「そうなのよ! 片岡が『今日から両親いないから、俺んち来ないか?』って~!」

 それを聞いた誠也は、あきれ顔で答える。

「おい、えり子。本当にそういう声が聞こえたんなら、病院行った方が良いぞ」

「むぎゃ~! ひど~い!」


 相変わらずのバカ話をしているうちに、パート練習の教室に到着。早速練習の準備を始める。午前中は各自音出しの後、全員で基礎トレーニング。その後は個人練習に充てた。

 午後からは文化祭の楽曲を5人で合わせていく。


 午後。1時間ほど皆で合わせた後、小休止を取るが、なんとなく再開する雰囲気にならない。

「なんか、どこも静かだね」

 恵梨奈がそう言って笑う。他の教室からもほとんど楽器の音がしない。部活の参加自体が任意となった今日からは、比較的モチベーションの高い部員たちが練習していると思われるが、それでもきっと、どのパートも午後は似たような雰囲気なのだろう。


「なんか、不気味な音がしない?」

 突然、穂乃香が不穏な表情を浮かべる。誠也が耳を澄ますと、かすかにオーボエの音色が聞こえた。


「『亡き王女のためのパヴァーヌ』だね」

 誠也が穂乃花に曲名を教える。聞こえてきたのは言うまでも無く、多希の音色だ。

「よく聞くと、綺麗な曲ね」

 穂乃香に笑みが戻る。

「『ボレロ』で有名なラヴェルの楽曲だよ」

「ボレロ?」

 誠也の説明に穂乃香は再び首をかしげる。それを受けて誠也はスマホを操作し、ボレロを流す。

「あ、この曲聞いたことある! これが『ボレロ』ね!」

「そうそう」

 誠也はいったん音楽を止め、今度は「亡き王女のためのパヴァーヌ」を再生する。

「あ、さっきの曲!」

「この曲はラヴェルがまだ音楽院の学生だった頃に作曲した曲なんだ。元々はピアノの楽曲で、のちにラヴェル自身によってオーケストラ版が編曲されたんだよ」

 真面目に解説する誠也に、えり子が茶々を入れる。

「でました! 誠也の楽曲解説! 久しぶり~」

「前にリコが言ってた、マニアックな『プレイ』ね!」

 そう言って穂乃香も笑う。

「お前ら、茶化すともう教えてやらんぞ」

「ごめん、ごめん」

 誠也がむっとした表情をすると、穂乃香は素直に謝る。


「あれ? 曲変わった?」

 恵梨奈が再び多希のオーボエに耳を傾ける。

「今度は、あれだな。バーンズの交響曲第3番、『ナタリーのために』だ。多希のやつ、なんだか暗めの曲ばっかりだな」

 そう言って誠也が笑う。

「誠也先生、解説を」

 穂乃香が興味津々の表情で促す。

「これは、第3楽章でね。作曲者のバーンズが、生後半年で亡くした愛娘、ナタリーを思って書いた楽曲だよ」

 誠也がそう言いながら、今度はスマホで「ナタリーのために」を流す。穂乃香は楽曲を聞きながら切ない顔になる。

「だから、ちょっと悲しげなメロディーなのね」

「うん。ただ、そうとも言い切れないのが、実はこの交響曲が完成した直後に、息子さんが誕生してるんだよ。だから、きっとただ、ナタリーへの悲しみを表現したかったのではなくて、新しい命が生まれてくる前に、文字通りナタリーのためにその思いを残しておきたかったんだろうね」

「深いね~」

 誠也の解説と楽曲を聴きながら、穂乃香が腕を組む。


「ちなみに、バーンズは誕生日が私と同じで、9月9日生まれだよ!」

 そう言って、えり子が笑う。

「リコもバーンズ、詳しいの?」

 恵梨奈が目を軽く見開きながらそう言うと、えり子が笑顔で答える。

「去年、コンクールでバーンズの曲やったからね。『当時の彼氏』に色々教わったから~」

「おい、その言い方……」

 誠也が露骨にしかめっ面をすると、皆笑った。


「それにしても、そんな昔の話、誠也良く知ってるよね」

 改めて穂乃香が感心したように言う。

「昔と言っても、ラヴェルと違って、バーンズはまだご健在だからね」

 誠也が補足すると穂乃香が驚く。

「え? そうなの? なんか、ベートーベンとかと同じ時代の人かと思ってた」

「いやいや、『ナタリーのために』も90年代の楽曲だから、まだ30年くらいしか経ってないよ」

 これは颯真たちも知らなかったようで、えり子以外は皆驚いていた。


「あ、すっかり練習時間を削ってしまったね」

 そう言いながら誠也はスマホの音楽を止めた。

「いやいや、これも立派な練習よ。こういう練習ができるのも、夏休みの醍醐味だよね」

 そう言ってえり子が笑った。


 ♪  ♪  ♪


 その日の夜は1週間ぶりにバンドの練習が入った。スタジオを課してもらう条件が「予約が入っていない事」なので、どうしても練習が不定期になるが、贅沢は言っていられない。


「今日は『夢見る』を重点的にやろうか~」

 バンドの練習は陽毬ひまりがリーダーとなって進められていく。それぞれウォーミングアップと自主練習をしたのち、一度通してみることになった。いつもの通り、陽毬が三脚を立てて、練習の様子をビデオで録画する。


「そんじゃ、一回やってみようか~。柚季ゆずきちゃんカウントよろしく~!」

 陽毬の呼びかけにドラムスの柚季が応える。

「いくよ~! 1、2、3、4!」

 柚季のカウントに合わせて、遥菜はるなのベースから演奏が始まる。


(なかなか、悪くないな)

 演奏を聴きながら、誠也は正直にそう思った。特にえり子はこの一週間で相当動画などを研究したんだろうなと言うのが、パフォーマンスを見ていてよく分かった。一方で、相対的に遥菜と柚季のパフォーマンスの低さが目立った。技術的な問題ではなく、「魅せ方」が足りない気がした。


「誠也くん、どうだった?」

 通しで1回演奏した後、誠也は陽毬に感想を求められた。

「うん、なかなか良くなったんじゃない? 正直えり子は随分良くなったと思うよ」

 誠也が素直にそう言うと、えり子はVサインを返してきた。

「誠也くん、私と遥菜はどう?」

 柚季にそう問われて、誠也は言葉に詰まった。

「私もさ、やるからには成功させたいから、正直に教えて」

 遥菜も同じように言う。誠也は頭のどこかに、下手なことを言って彼女たちが不愉快になったり、バンドを抜けてしまうのではないかという思いがまだ巣食っていたことを恥じた。彼女たちの思いは本物だと。

「うーん、技術的には悪くないと思うけど、やっぱりえり子やひまりんに比べると、『魅せ方』が足りないかな。正直言って、棒立ち感が凄く目立つ」

 誠也が正直に感想を述べると、遥菜が頷く。

「ありがとう。ひまりん、今撮った動画チェックしよう」

 

 このバンド、ひょっとしたらすごく化けるんじゃないか? 誠也の中で期待が大きく膨らんだ瞬間だった。


 ♪  ♪  ♪


「ほにゃ~、今日も充実した一日だった~」

 帰りの電車の中。空いた車内でえり子が伸びをする。

「まぁな。今日も長い一日だったな」

 そう言いながら誠也は首を回し、肩をもむ。

「片岡の楽曲解説も久しぶりに聞けたしね~」

 笑顔でそう言うえり子に、誠也は肩をすくめて答える。


「多希ちゃんって、ホント綺麗な音色で吹くよね~」

「あぁ、俺も多希の吹くオーボエは好きだな」

「オーボエじゃなくて、多希ちゃんのことが好きなんでしょ?」

「あのな……」

 そう言って誠也はため息をつく。


「それにしても、昼に聞いた『ナタリーのために』と、さっきの『夢見る少女じゃいられない』って、実は同じ年代の楽曲なんだよな。そう考えるとちょっと感慨深いかもな」

 誠也が思い出したように言う。

「そう言えば、そうだよね。でもさ、吹奏楽にしても、ポップスにしても、ロックにしてもさ。毎年たくさんの楽曲が生まれるのに、30年経っても愛されて、こうして歌ったり演奏されたりする曲って、凄いよね」

 えり子も目を輝かせる。

「まぁ、やっぱそれこそ、人々を魅了する楽曲だってことだよな」

「だとしたら、やっぱりそれを演奏させてもらったり、歌わせてもらったりするときは、『魅せる』ことが出来ないとだめだよね」

「そうだよな。大事だよな」

 えり子にそう言われて、誠也は改めて「魅せる」ということの重要性について考える。


「ねぇ、片岡」

「なに?」

「片岡って、ホント音楽、好きだよね」

 いつものいたずらっぽい笑顔ではなく、純粋な笑顔をえり子に向けられて、誠也は思わず目をそらした。

 

「それは、えり子も一緒だろ?」

「うん、そうかも」

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