第8話 理不尽と孤独
村上光陽高校吹奏楽部は、個々のメンバーの実力よりも、3年生から優先して選出する伝統があった。ここ最近、その選出方法に反対する生徒の不満が燻っていたが、昨日のコンクールメンバー発表をきっかけに、ついに反対派の1年生が表立って声を上げることとなった。
これまで多希の挑発に乗りかけた誠也を何とか抑えてきたえり子も、もはやお手上げとばかりにこめかみに手を当てる。
その時、「あのー」と、遠慮がちに声が上がった。その声の持ち主はユーフォニウムの吉川
「吉川さん、どうぞ」
このディベートを取り仕切っている
萌瑚は立ち上がり、澄んだ声で静かに語りだす。
「私、中学校時代、部長をしててさ。今と同じような『コンクール問題』で部を二分するような事態を経験して、散々胃を痛めて……。だからあんまり積極的に関わりたくなくて、今まで黙って見てたんだけど。
私は片岡くんの意見に賛成するわ。でも、どっちの意見が正しいとかじゃなくて、これは私のポリシー。私はどんな環境でも合わせてみせるって、いつもそう思っているから。正直言って、私も大塚さんや松本さんのように、実力は学年に関係なく相応に認められるべきだとも思うわ。でもね、ここの部が3年生優先でコンクール出ますって言うんなら、それでいいじゃない。その与えられた条件の中で、最大限の成果を発揮するにはどうしたらいいかを考えた方が早くない? 私はそう思うわね」
そう言って、萌瑚は席に着いた。
「改革を諦めろというの?」
そう、
それに対し、萌瑚は穏やかに答える。
「いえ、改革を否定するつもりわないわ。でも、現実的に考えて、今は難しいと思う」
真梨愛は深いため息をつく。多希は、何やら神妙な面持ちのまま黙っていた。
「私も思ったこと、言っていいですかぁ~?」
先ほどまでの誠也たちの罵り合いとはまるで違う、甘ったるい声が突然上がり、誠也は思わずズッコケそうになった。先月、1年生の自己紹介でみんなの記憶を独占したアイドル、浅野
「あ、浅野さん。どうぞ」
奏夏が一瞬怯んだのち、発言を促した。
「陽毬は~、どっちかって言うと、誠也くんや萌瑚ちゃんの意見に賛成かな~。でもね~、真梨愛ちゃんや多希ちゃんの意見を否定するつもりもないよ~。努力が正当に評価されないって、やっぱ理不尽だと、陽毬も思うの。でもさ、その理不尽を何とかしようと努力するよりも、今は萌瑚ちゃんが言うように、その条件の中で~、自分が発揮できるスキルを磨くことの方が、簡単じゃな~い? そもそもさぁ、世の中理不尽なこと、ば~っかりじゃん! それなのに~、いちいちそれを何とかしようとしている時間がったら、陽毬なら密かに来年のために練習しちゃうかも~♪」
場違いなほどの甘ったるい口調と、高校1年生にして既に世の中を達観しているかのような主張のギャップに、皆は驚きつつも、その主張は自然と耳に入ってきた。
「浅野さんから意見が出ましたが、大塚さん、松本さんからは反論ありますか?」
奏夏が二人に話を振る。
「でも、ここで諦めたら、この部の方針はいつまでたっても変わらないじゃない?」
なおも真梨愛は反論する。
「じゃぁ~、真梨愛ちゃんは具体的にどうしたらいいと思う?」
陽毬が問い返すと、真梨愛は眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「松本さんは?」
奏夏が多希に発言を促す。
「まぁ、私は陽毬の言っていることも理解はできるわ」
多希が発言する。
それを見た陽毬はパッと表情を明るくして更に提案をした。
「そしたら、陽毬から提案なんですけど~。真梨愛ちゃんや多希ちゃんが言っていることも、陽毬と~ってもよくわかるよ。でもね~、陽毬は~、つい現実的に考えちゃうの~。友梨先輩やヤマセンにこれからお願いして、『今年のコンクールからやり方を変えてくださいっ』って言うのって、すご~く大変だと思うの。しかもさ、来月には定演もあるでしょ? 陽毬ね、定演もと~っても楽しみなの♪ だからさ、まずは目の前の定演、みんなで絶対に成功させてさ! それからまたみんなで、『どうしたらいいかな~』って考えるのは、どう?」
誠也は陽毬の口調に正直イラッとしたが、主張の内容は至極真っ当で、この場合、唯一の正解にすら思えた。
「俺は賛成」
誠也は素直に賛成することにした。
「それがまぁ、現実的であることは分かるわ」
多希も概ね賛成のようだ。周りの生徒たちもそれぞれ異論がない様子でうなずく。
「もし他に意見が無いようなら、ひまりんの意見で決をとってみたら?」
えり子が提案をすると、陽毬はえり子に向けて小さくウインクした。
「そうね。では、他に意見はありますか?」
奏夏がそう言って見渡すが、これ以上意見は出なかった。
「では、意見が無いようなので、決をとります。浅野さんの意見に賛成の人」
奏夏がそう言うと、
「反対の人」
奏夏が反対の挙手を求めても夏鈴は手を挙げなかった。
「では、賛成多数で、浅野さんの意見を採用したいと思います」
奏夏がそう言うと、どこからともなく拍手が起こった。
「ありがとうございます。今話をした内容は、私から友梨先輩に報告します。では、遅くなりましたが、パート練習にしましょう」
奏夏がそう言うと、皆はそれぞれのパート練習会場に移動を開始した。えり子はホワイトボードにまとめた内容をスマホのカメラで写し、早速画像を奏夏にLINEで送った。
「あ、私も手伝うね!」
そう言って、萌瑚がホワイトボードの片づけ作業に加わった。
「ありがとう!」
えり子が笑顔で答える。誠也も手伝おうとすると、先ほど罵り合いをした多希から声をかけられた。
「片岡くん。あのさ、今日の帰り、ちょっと付き合ってくれない?」
「え? 俺?」
誠也は一瞬目を見開いた。
「そう。話がしたいの」
多希は無表情のまま、そう言った。
誠也は返答に困った。
「あ~、今日はえり子と帰る約束してたから……」
誠也は咄嗟にえり子に助けを求めた。
「あ、私は一人で帰るから大丈夫よ」
えり子にそう言われ、誠也は断る理由を失った。
「わかった。いいよ」
誠也は、多希の誘いを渋々受けることとした。
「じゃ、練習終わったら声かけるから」
そう言って、多希は教室を後にした。彼女の目的が何なのか誠也にはわからず、気が進まなかった。
深くため息をつく誠也の横で、えり子が突然大きな声を上げた。
「あっ! 思い出した!」
誠也と萌瑚は驚いてえり子を見ると、えり子は萌瑚の方を向いて言った。
「萌瑚ちゃんって、海辺中だったでしょ?」
萌瑚が怪訝そうに答える。
「う、うん。そうだけど……」
えり子はパッと明るい笑顔で言った。
「私と片岡は潮騒中でさ。海辺中との合同練習会の時に、萌瑚ちゃんに会ったことあるよ!」
萌瑚は目を見開いた。
「合同練習会って、おととしの秋だよね? え~、懐かしい!」
誠也も驚いて言った。
「でも、えり子よく吉川さんのこと覚えてたね」
「だって、萌瑚ちゃん部長で挨拶したじゃん。顔も声も名前も、全部かわいいから覚えてたよ!」
えり子はドヤ顔でそう言う。
「え~、うれしい! ありがとう」
萌瑚も笑顔になる。それからしばらく3人は後片付けをしながら当時の思い出話に花を咲かせた。
♪ ♪ ♪
午後6時。今日の部活が終了した。
誠也といつも一緒に帰っているえり子は、今日は奏夏、萌瑚と一緒に帰ることにしたらしい。
誠也が帰り支度をしていると、多希が真顔で誠也に話しかけてきた。
「おまたせ」
「ああ。いや、俺も今準備出来たところ」
誠也は若干緊張しながら答える。
誠也と多希は音楽室を後にして、バス停に向かった。どちらからも話しかけることはなく、無言の時間が流れる。バスに乗ってからも車内が混みあっており、話の出来る雰囲気ではなかった。
誠也は2人の間に流れる重い空気に耐えながら、頭の中で多希の目的を探っていた。やはり、先ほどの罵り合いを根に持っているのだろうか。彼女の表情や取り巻く空気から推察するに、そう考えるのが妥当だろう。だとすれば、ここは穏便にまず自分から謝るべきだろうか。先に挑発してきたのは彼女とはいえ、それに乗ってしまった自分にも非があるだろう。
そんなことを考えているうちに、バスは駅に着いた。
「どこか店に入って、ゆっくり話す?」
誠也は尋ねると、多希は相変わらず表情一つ変えず答える。
「そうね。お腹空いた」
誠也たちは駅近くのファミレスに入った。まずは食事のオーダーをする。そして、ドリンクバーでそれぞれのドリンクを選び、席に戻った。
これでようやく、落ち着いて話のできる環境が整った。
誠也は再び訪れた沈黙に緊張を隠しながら、まずは先ほどの罵り合いについて非礼を詫びようと思った。
「あの、松本さん……」
「多希でいいわ」
相変わらずの真顔で多希はぶっきらぼうに話す。多希の態度がさらに誠也の緊張を高める。
「多希ちゃん、あの……」
「多希」
多希はまっすぐ誠也を見たまま、呟く。
「あ、ああ。多希……」
「男子に『ちゃん付け』で呼ばれるなんて気持ち悪いわ」
「あ、ごめん」
誠也はすっかり多希のペースに飲み込まれていた。
「あの、片岡くんはさ……」
「だったら俺も、誠也でいいよ」
今度は誠也が訂正をすると、多希は素直に受け入れた。
「わかった。誠也ってさ、リコちゃんと付き合ってるの?」
誠也は目を丸くした。
「多希がそんなこと聞いてくるなんて、ちょっと意外」
誠也は正直な感想を話すと、多希は少し怒ったような表情で続ける。
「勘違いしないで。私は男なんかに興味ないから」
「あ、興味があるのは、えり子の方か」
「そうじゃない。恋愛に興味がないっていう意味」
多希が呆れたような表情をする。
「じゃ、なんで聞いたの?」
誠也が問うと、多希はまた、真顔に近い表情に戻って続けた。
「今日のやり取りを見てて、なんか忖度無く言える関係性が羨ましいなと思って」
(多希も十分、忖度無く言ってたよな)
誠也は心の中でそう呟くと同時に、罵り合いの件について先に詫びようと思っていたことを思い出した。
「あ、今日はごめん。色々言い過ぎた」
そう詫びる誠也に対し、多希は意に介さずといった表情で答える。
「あれは、ディベートの中での出来事でしょ。まぁ、正しくはルール違反だとは思うけど、終わればノーサイド。気にしてないわ」
誠也の予想をことごとく覆す多希の態度に、誠也はお手上げだった。
「なんか、多希ってすげぇな」
「何が?」
多希が怪訝そうに聞く。
「俺の予想の遥かに上を行ってる気がする」
「それって誉め言葉?」
多希が真顔のまま聞き返す。
「うーん、一応?」
「誠也って変な人」
そう言って、多希は初めて誠也の前で微笑んだ。
「多希だって。ずっと真顔で何考えてるかわからないし。そうやって笑えば可愛いのに」
誠也がそう言うと、多希は視線を誠也からそらして再び真顔になった。
「バカ」
多希はアイスティーをストローで啜る。
ちょうどそこにオーダーしていた料理が運ばれてきた。多希がオーダーしたのがパンケーキというのも、誠也には意外だった。
2人は食事を進めながら、話題は今日のディベートでの話に移った。
「誠也はディベート、どう思った?」
「どうって、まぁ、落としどころとしては浅野さんの提案で妥当だったと思うけど。多希は?」
多希はやや険しい顔になり続けた。
「私は不満」
「でも最後、浅野さんの案に賛成してなかった?」
誠也が言うとおり、あの時、夏鈴以外は賛成に挙手したはずだった。
「結論に関してはね。そもそも、友梨先輩やヤマセンが感情だけで動かないということは納得できたし、むしろ組織としてまともだと思う。それに定演もあるし時間的な制約もあるのも事実。だから、落としどころとしては妥当だったと思うわよ。もちろん、完全に納得はしていないけど。でも私が不満なのは、周りの人たち」
「周りの人?」
誠也は怪訝そうに問う。
「そう。あの場に30人以上いて、何人が発言した? 私と誠也、真梨愛、陽毬、萌瑚ちゃん、それに進行してくれた奏夏ちゃんにリコちゃん、これだけよ?」
「うん、そうだったね」
多希は、多くの人が傍観者だったことが不服だったようだ。
「何も言わなければ、意見があっても言えなかったのか、それとも、そもそもどっちでもいいと思っているのかすら、わからないじゃない」
そういう多希に対し、誠也は大半が後者だろうなと思ったが、火に油を注ぎそうなので口には出さなかった。多希が続ける。
「結局、私と真梨愛に対し、明確に反対意見を出してくれたのって、誠也だけじゃない」
「まぁ、確かに」
文脈からして、多希は誠也が反対意見を出したことに対しては、好意的に受け止めているということが推察され、誠也は少しだけほっとした。更に多希は続ける。
「そして、一番許せないのは、夏鈴ね」
「それは俺もちょっと思った」
夏鈴が早くからコンクールの選出方法に強い不満を持っていたことは奏夏から聞いていたが、結局メンバーが発表されてから、懸念していたパート内での表立った混乱も起こさず、今日のディベートでも一切発言はなかった。
「しかも彼女、最後の決でどちらにも手を挙げなかったでしょ? あれが一番許せないのよ」
多希は口調こそ荒ぶってはいなかったが、その瞳には強い憤りを宿していた。確かに多希の言うとおりである。夏鈴は意見を述べず、賛成もしない。かといって反対も示さない。そんな態度では仲間からの信頼を得られるわけがない。
「それについては、俺も多希の意見に完全に同意するね」
誠也も多希も、夏鈴の真意がわからず、なんとなくこのトラブルは長引きそうな予感がした。
食事を終えた2人は店を出た。多希も帰りは誠也と同じ路線と言うことで、そのまま2人で駅に向かった。既にホームに止まっている電車に乗り、誠也は座席に座る。
「お隣、いいかしら」
多希が律儀に聞いてくる。
「一緒に帰ってるんだから、断らずに座ればいいのに」
多希が誠也の横に座って言う。
「私、本当は男の子、嫌いなのよ。近くにいると怖い」
誠也は戸惑った。
「……えっと、俺、引き続きここにいていいか?」
誠也は何と言っていいかわからず、とりあえず多希を気遣った。
「嫌なら隣に座らないわ」
「まぁ、確かに」
誠也は肩をすくめて笑った。電車が走り出すと、多希がおもむろに語り始めた。
「私ね。小学校4年生の時、父親が浮気して、両親が離婚したの」
「え?」
多希は突然、過去をサラッと告白し、誠也は言葉に詰まった。
「初めは私も悲しかったし、子ども心に母のこともかわいそうって思った。だけど翌年、母は別の男の人と再婚してさ。もう何なのって。それからかな。私の人間不信は」
「そっか」
誠也は適切な言葉が見つからず、何も言えないでいた。暫しの気まずい沈黙が続く。
「ありがとう」
突然、多希は礼を言った。
「え? 何が?」
「誠也が本気で気遣ってくれてるのが分かるから。適当な人はこんな時、適当な言葉を紡げるもの」
「はぁ」
多希のその一言は、気の利いた言葉の一つもかけられずに焦っていた誠也の気持ちを、幾分か和らげた。
「誠也、この話は誰にも……」
「言わないよ。約束する」
誠也は多希の言葉を遮る形で、明確に言った。
「ちなみに、他にこのこと知ってる人は?」
誠也が問う。
「いないわ。誠也だけ」
「そっか、わかった。約束は守る」
「ありがとう。誠也なら信じられる気がする。不思議」
多希はそう言うと、ほんの少しだけ、横に座る誠也に体を密着させた。それは本当にわずかであったが、誠也を再び緊張させるには十分だった。誠也の左腕は不自然に力が入った状態で、それでも多希の体温をしっかりと感じていた。
「あの、多希……?」
「……嫌だったら、離れていいから」
多希はぼんやりと自分のつま先を見つめながら呟いた。
(きっと多希は孤独なんだ)
そう思うと、誠也はその温もりを拒むことはできなかった。誠也は多希の呟きには答えず、その代わり、左腕の力を抜いた。多希と接触する面積が自然と広くなる。
「ありがとう。今だけ。今だけでいいから」
多希はそう呟くと、静かに目を閉じる。その閉ざされた瞳から、一雫の涙が頬を伝った。
♪ ♪ ♪
誠也が帰宅し、私服に着替えるとスマホが鳴った。多希からのLINEだった。
ベッドの上に胡坐をかき、LINEを開く。
「今日はありがとう。誠也と話ができてよかった。今夜はゆっくり休んで」
そう記されていた。
「こちらこそ。多希も今日はゆっくり休めよ!」
誠也は短く返信すると、左手にスマホを持ったまま、不意に右手で左腕に触れた。
多希の温もりを思い出しながら、多希の孤独を思う気持ちと、自分がその受け皿となる是非について葛藤を感じた。
そんなことを考えていると、突然えり子から電話がかかってきた。誠也は驚いて思わずスマホを手放した。ベッドの上で鳴り続けるスマホを拾い上げ、電話に出る。
「もしもし、片岡?」
いつも通りの聴き慣れたえり子の声に、誠也は動揺を抑え、冷静に応える。
「お、おう。えり子、どうした?」
「多希ちゃんに刺されなかった?」
誠也は拍子抜けした。
「何でだよ」
「昼間、片岡が多希ちゃんに暴言を吐いたからさ、心配で」
誠也は半ば呆れながら続けた。
「それはお互い様だっただろ?」
「まぁね。片岡が刺されてたら包帯持って手当に行こうと思ってたけど、大丈夫みたいね」
「ありがと。まぁ、実際に刺されてたら包帯どころじゃ済まないけどな」
誠也はこれがえり子流の気遣い方だと知っているので、とりあえず感謝は表した。
「ところで、片岡。今度は私のお願い聞いてくれる?」
誠也は首をかしげる。
「お願い? 何?」
「私、今、東京の荻窪駅にいるんだけどさ」
「は? 何で」
「わかんない。帰りに電車乗って、気が付いたらここだった」
誠也は心底呆れた。えり子はどうやら寝過ごして東京まで行ってしまったらしい。
「片岡~、お願い、助けてぇ……」
えり子が泣きそうな声を出すが、誠也はそれが演技だとは見抜いていたため、冷静に返答する。
「まったく……。今、駅のどこにいるの?」
えり子も再び落ち着いて話す。
「改札出たところ。とりあえず、地下鉄乗ったらいい?」
「ダメダメ! 良いか、指示出すからよく聞いて」
地下鉄に乗ったらルートが複雑になるため、誠也は慌ててえり子を制止し、えり子がいる駅の様子を思い出しながら、なるべくわかりやすく指示を出すようにした。
「まず、もう一度駅の改札口から入って、降りたホームに戻って。それから、2番線から黄色か水色の電車に乗って」
「もう一度、2番線で、黄色か水色ね」
えり子は誠也の指示を受けながら移動しているようだ。改札機にカードをかざす電子音が電話越しに聞こえる。
「そう。オレンジ色の電車には絶対に乗っちゃだめだぞ」
「うん。今、2番線に向かってホームに上がってる途中。あ、電車来るって!」
幸い、すぐに電車は来たようだ。
「何色?」
「黄色い電車! 津田沼行き。これで大丈夫?」
「うん大丈夫。とりあえずそれに乗って。後はLINEで指示出すから」
「わかった。じゃ、一旦電話切るね」
誠也はえり子が乗ったであろう電車の時間をアプリで調べながら、地元の駅まで迎えに行くことにした。
(まったく、世話が焼けるな)
こうして、誠也の長い一日はまだまだ続いた。
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