第5話 親睦と恋バナ

 4月24日。ゴールデンウイークを間近に控えた月曜日の放課後。


 誠也せいや、えり子、穂乃香ほのかの3人が音楽室に入ると、すでに多くの部員が集まっていて、にぎやかだった。授業隊形の座席は既に満席で、誠也たちは壁際に立った。

 

 程なくして部長の友梨ゆり先輩が前に出て、副部長の号令により部活が始まる。まず初めに、友梨先輩から連休中のスケジュールが告知された。


「連休中の部活の予定を共有カレンダーに入れておきました。授業の無い日の練習は、朝9時から夕方5時までです。日曜日は練習ありません。曲の練習はもちろんですが、定演に向けて各係の作業も進めてください。このあと1年生には係の希望調査を行います。調査フォームをメールで配信するので、URLを開いて必要事項を入力してください」


「はい!」

 1年生が元気よく返事をする。


「今日は最後までパート練習です。それでは、今日も頑張りましょう。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」


 挨拶が終わると、部員は一斉に動き出した。


「はにゃ~! 希望調査、Web入力だって! すごいね~」

 えり子が嬉しそうに言う。程なくして、部の公式メールより希望調査の案内が届いた。


「早っ!」

 穂乃香がスマホを開いて驚く。


「もうフォームは組んであって、全員にアナウンスした後すぐに送信したのね」


 ひとりで電車に乗ることもままならないえり子だが、ICT関係はなぜか強いので、誠也も助かっている。


 そんな話をしながら誠也たちが1年6組の教室に移動すると、程なくしてトランペットパートの練習が始まる。今日は始めにパートリーダーの直樹なおき先輩からアナウンスがあった。


「1年生のパート配属が正式に決まったので、今後は随時、曲の練習にも参加してもらうことになるんだけど、まだどの曲でどのパートに入ってもらうのか、決まってないみたいなんだよね。ヤマセンの方で決まり次第、部長経由でパーリーに連絡が来るので、決まったら楽譜渡します。それまでは……どうしようか?」


 彩夏さいか先輩が提案する。

「折角だし、2部の曲とか、適当に振って練習始めてもらえばいいんじゃない?」


 直樹先輩も納得する。

「よし、じゃそれで行こう」


 パートの方針が決定すると、譜面係のまりん先輩が楽譜を取りに行ってくれた。1年生の面々もこれで曲の練習に参加できると、安堵の表情を浮かべていた。


 ただ一人、穂乃香を除いて。


「はにゃ? 穂乃香ちゃん、どうかした?」

 異変に気付いたえり子が穂乃香に声をかける。


「リコ! まだ、パートって決まってなかったの?」


 えり子は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに穂乃香が何を心配しているのかを悟った。

 吹奏楽の場合、同じトランペットパートでも曲によって更に3つから4つのパートに分かれる。主に主旋律や高い音を吹く者から順に、1st、2nd、3rd、4thと呼ばれるのが一般的である。先ほど直樹先輩が話題にした「パート」とは、正にこの1st、2nd等の事であるが、それを穂乃香は楽器のパートだと勘違いしたのだ。


 穂乃香にしてみれば、トランペットパートの配属されて安心していたのになぜ? と焦ったことだろう。そのことをえり子が丁寧に説明すると、穂乃香は理解し、安心した様子で、更に質問する。


「パーリーって言うのは何?」


 これには拓也たくや先輩が答える。

「それは単純に、パートリーダーの略」


 直樹先輩も、

「そう。俺、パーリー」

 と、笑いながら自分を指さす。


 咲良さくら先輩が続ける。

「穂乃香ちゃん、分からないことがあったら、今みたいになんでも聞いてね! 私たち、リコとかも含めて経験者は、業界用語とか無意識に使っちゃうときあるからさ」


「はい!」


 穂乃香が笑顔で答えたのと同時に、まりん先輩が楽譜を抱え、「お待たせ!」と、音楽室から戻って来た。


「ありがとうございます!」

 誠也たちはそろって礼を述べた。


 この後、個人の音出しから始まって、パートメンバー全員で基礎練習、そして楽曲の個人練習となった。


 今日楽譜が配られたばかりの1年生は、「譜読み」と呼ばれる、まずは楽譜をさらう練習から始めた。初心者である穂乃香はまだ楽曲の練習は難しいので、彩夏先輩が基礎練習の個人指導を行った。今日もトランペットパートは終始和やかな雰囲気で練習が進む。


 パート練習の時間も半分が過ぎたところで、直樹先輩が15分間の休憩を指示した。唇を休めるためにも適度な休憩は不可欠である。皆、楽器を置いて、思い思いの時間を過ごす。


 誠也は集中して譜読みをしていたため、気づけば体が強張っていた。足を投げ出し、暫しボーっと過ごす。えり子は何やら一生懸命スマホをいじっている。


 そんなまったりした時間を過ごしていると、不意に咲良先輩が声をあげた。


「そうだ! 1年生も入ったことだし、トランペットパートで親睦会やらない?」


 その一言で、パート全体がまったりムードから、にわかに活気づく。


「いいね! どう? パーリー」

 彩夏先輩が直樹先輩に振る。


「やりますか、久しぶりに!」


 直樹先輩の一言で開催が決定し、メンバーは盛り上がった。咲良先輩が早速、日程調整を仕切る。


「さっき部長が『日曜日は部活なし』って言ってたから、今度の日曜日、30日はどう?」


 皆が賛成する中、颯真そうまが遠慮がちに声をあげる。


「ごめんなさい、その日はちょっと……」


「予定あり?」

 拓也先輩がそう言うと、颯真が続ける。


「30日、俺、誕生日なんで、一応家族と過ごす予定で……」


「OK! そしたらさ、29日の部活終わってからはどう?」

 咲良先輩が再度提案する。この日は全員大丈夫なようだ。えり子が更に提案する。


「せっかくだから、颯真くんの誕生日祝いも兼ねてやりませんか?」


「リコ、ナイスアイディア! 賛成!」

 咲良先輩も乗ってきた。一同盛り上がるなか、颯真はちょっぴり照れ臭そうにしていた。


(いいな、この雰囲気!)

 誠也もうれしさを隠しきれずにいた。


 ――4月29日夕方 トランペットパート親睦会&颯真くんお誕生日会。

 

 早速、トランペットパートの共有カレンダーに、咲良先輩によって予定が書き込まれた。



 ♪  ♪  ♪

 

 4月29日。部活終了後、トランペットパートの11名は、高校の最寄り駅近くのファミレスに集合していた。


「みんな、ドリンク用意できた?」

 幹事の咲良先輩が呼びかける。


「大丈夫で~す!」

 咲良先輩は、全員ドリンクを用意できたのを確認して、パートリーダーである直樹先輩に挨拶を振る。


「では、パートリーダー、直樹! 挨拶よろしく!」

 

 直樹先輩はグラスを片手に挨拶を始める。

 

「えー、まずは5名の1年生のみなさん。改めましてようこそトランペットパートへ。皆さんがうちのパートに入ってくれて、本当に嬉しいです。早速6月には定演、8月にはコンクールと忙しい時期になるけど、一緒に頑張っていきましょう!」


「はい!」

 1年生の面々も笑顔で答える。


「そして、颯真。お誕生日おめでとう!」


「あ、ありがとうございます」

 突然の呼びかけに、颯真は照れくさそうに答えると、直樹先輩が挨拶を続ける。


「今日は、新たに仲間になった1年生5人の歓迎と、2、3年生も含めた親睦を深めることと、そして、颯真の誕生日を祝って、楽しい時間を過ごしましょう! 乾杯!」


「乾杯!」


 11名はそれぞれ隣や向かいのメンバーとグラスを交わした。乾杯を合図に料理が次々と運ばれてきたが、食欲旺盛な高校生を前に、テーブルに並べられたそばからあっという間に空になっていった。


 そんなメンバーの食欲も徐々に落ち着いてきたタイミングで、咲良先輩が皆に声をかける。


「えっと、宴もたけなわですが……」


「なんか、オヤジくさいぞ!」

 直樹からヤジが飛ぶ。


「もう、直樹、うるさいな! トランペットパートの皆から颯真くんに誕生日プレゼントがあります!」


 咲良先輩がそう言うと、颯真は驚いた様子で皆を見回した。実は事前に誕生日プレゼント用として皆が500円ずつ出し合って、プレゼントを用意していたのだ。とは言っても、咲良先輩が取り仕切ってくれていたので、プレゼントの中身は誰も知らない。


 場所が広くないので、プレゼントはたまたま颯真の隣に座っていた彩夏先輩から手渡された。


「颯真くん、お誕生日おめでとう!」


「あ、ありがとうございます!」

 颯真は照れくさそうに頬を赤らめて受け取った。


「中身見せて~」

 と、拓也先輩に促され箱を開けると、中からマグボトルが現れた。


「これから夏場の練習に重宝するわよ!」

 代表してプレゼントを選んでくれた咲良先輩が言う。


「ありがとうございます!」

 颯真が礼を言うと、皆から拍手が起こった。


「さて、まだまだ時間はあるので、引き続きみんなで親睦を深めましょう!」

 

 咲良先輩が歓談を促す。


「今夜は無礼講だ!」

 直樹先輩がおどけて言うと、すかさず咲良先輩が突っ込みを入れる。


「自分の方がオヤジくさいじゃん!」


 そんな夫婦漫才を見ているかのようなテンポ感に、一同爆笑する。


「咲良先輩と直樹先輩、とっても仲いいんですね! もしかして先輩たち、ラブラブなんですか~?」


 目を輝かせながらえり子がそう言うと、咲良先輩はわざとらしく作ったしかめっ面で言い返した。


「リコ! おまいう感ハンパないんですけど~」


「うじ?」


 無自覚なえり子の表情を見て、誠也は呆れたと共に、今後の展開が大方予想ついたのだが、口火を切ったのは意外な人物だった。まりん先輩が突然挙手して言う。


「はいっ! わたくし青山 りん、この場をお借りしてハッキリさせておきたいことがあります!」


 多くのメンバーが「いよいよ、今日までトランペットパートとして触れられてこなかった件について、明らかになるのか!」と期待の眼差しで、まりん先輩に注目した。


 ――恐らく当事者であろう一名を除いて。

 

「はぎゃ? まりん先輩って、『まりん』っていう名前じゃないんですか?」


 本気で驚くえり子に、誠也は呆れて言う。


「今そこじゃない!」


 一同が失笑する中、まりん先輩が律儀に答える。


「『あおやま、りん』の下の3文字で『まりん』なの。それよりもリコ! ストレートに聞くけど、誠也くんと付き合ってるの?」


 全員が「待ってました!」とばかりに誠也とえり子に注目する。


(どうせまた「はい、付き合ってます!」って平然と嘘をつくんだろうな)

 誠也は思っていると、今日のえり子は誠也の想像の斜め上をいく答えを言った。


「まだ、交換日記しか……」


 そう言って、目を伏せるえり子。誠也も一瞬呆気にとられたが、すぐに体制を立て直す。


「してねー! ってゆうか、交換日記なんて誰ともしたことねー!」


 このやり取りに一同爆笑。


「ホントのところはどうなの?」


 そう言って、更に食い下がろうとするまりん先輩に、誠也がキッパリと否定しようとすると、直樹先輩が笑顔で口を開いた。


「実際は付き合ってないんだろ?」


 一同の視線が一斉に直樹先輩へ移る。誠也が怪訝そうに答える。


「はい。そうなんですけど、先輩なんでご存知なんですか?」


 皆の共通する疑問に直樹先輩は答える。


「あぁ、『さかな』から聞いた」


 皆はさらに「さかな」って誰? と混乱した。


「ほげっ! 先輩、おさかなとお話しできるんですか?」


 えり子がどこまで本気なのかわからない表情で聞くと、直樹先輩も引き続き笑顔で、


「そうそう! この前歩いてたら、池の鯉がちょうど話しかけて来てね、っておい! そんなわけあるかい!」

 と、ノリツッコミで返し、一同爆笑。そして、話を続けた。


「ホルンの1年生に『佐藤さとう奏夏かな』っているだろ? 彼女、中学校の時の後輩なんだけど、当時は『さかな』って呼ばれてたんだよね。で、彼女から聞いた」


 誠也とえり子は、合点がいったが、他のメンバーはまだ話がつながらない。


「じゃ、さかなはリコたちのこと、知ってたってことですか?」


 まりん先輩が直樹先輩に問うが、誠也が代わりに答えた。


「この前、奏夏と帰りが一緒になって、そんな話をしたもんですから」


 まりん先輩が続ける。

「なるほどね。それでその後、さかなが直樹先輩に話をしたから、先輩は知ってたってわけですね」


「そういうことー」


 直樹がそう答える。まりん先輩は誠也たちの恋の進展を期待していたのか、それともゴシップのネタとして期待外れだったのか、いずれにしても少し残念そうな表情で続ける。


「なーんだ、『早速1年生にもカップル誕生!』って思ってたのに、つまんないの」


 咲良先輩がそれに同調する。


「ほんとねー。それにしても、『さとうかな』っていう名前でニックネームが『さかな』とはねぇ」


 えり子が得意のいたずらっぽい笑顔で言う。


「まりん先輩みたいですね!」


「ちょっと! リコ!」


 まりん先輩は怒ったふりをして皆を笑わせた。


 この後も事あるごとに皆で大爆笑し、誠也は「一週間分くらい笑ったのではないか?」と思うほど、楽しい時間を過ごした。



 あっという間に時間となり、一同は解散した。


 帰り道、誠也はえり子の他、恵梨奈、陽菜先輩、まりん先輩、直樹先輩、彩夏先輩と、いつになく大人数で電車に乗った。


 女性陣5人は引き続き女子会トークで盛り上がっていたため、誠也は直樹先輩と話ながら帰った。



「さっきは、フォローありがとうございます」


 誠也は改めて、えり子との関係について問われた際の直樹先輩のフォローに礼を言った。


「あぁ、さかなから聞いた話?」


「はい。まりん先輩が口火を切ったのは意外でした」


 誠也がそう言うと、直樹先輩は笑いながら言った。


「意外とまりんはクールそうに見えて、そういうところあるんだよね。中学の時から変わってないな」


「え? まりん先輩って、直樹先輩と同じ松田七中なんですか?」


 誠也はまりん先輩の出身中学校を知らなかったので、驚いた。


「うん。知らなかった?」


「はい。うちのパートすごいですね! 全国大会経験者が二人もいるなんて!」


 誠也は興奮気味にそう答えたが、直樹は冷静に続ける。


「でも、彼女は中学校時代3年間レギュラーじゃなかったから、全国には行ってないけどね」


「あ、そうなんですね」


 誠也は背筋に冷たいものが走った。この会話がまりん先輩の目の前じゃなくて良かったと思った。


「まぁ、当の本人はあまり気にしてないみたいだけどね」


 直樹先輩は笑いながらそう言う。誠也が何気なくまりん先輩の方を見ると、相変わらず女子会トークで盛り上がっているようだった。


「女子って、本当に恋バナ好きだよね」


 誠也の目線を追って直樹先輩が半ばあきれ顔で言う。


「そうですね」


 誠也はふと、興味本位で「直樹先輩は彼女いるんですか?」と聞いてみたい衝動にかられたが、「『女子って』恋バナ好きだよね」という先輩の言葉が気になり、男子である自分が聞くのは野暮な気がして触れられなかった。

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