第四話

 昨今の財政難の影響で、生活保護制度は膨らみ続ける社会保障費を抑制するために、二十一世紀の初めの頃とは大きく様変わりをしている。

数十年前の制度と同様に、国から生活保護費が支給され、その支給額の範囲内で生活ができるのが〈A〉ランク。

 この場合、細かい規定はあるが、基本的に住居は設定された賃料内で選択が可能で、〈フードクーポン〉などの支給もなく、自分の裁量で生活に必要な物や食料品の購入ができる。

 ただし、傷病などで働けない場合を除き、就労支援などを活用して、定められた期限までに仕事をしなければならない。

 次の〈B〉ランクは、軽微の傷病で生活保護制度を利用している住民が対象になる。

 住居は〈A〉ランクと同様だが、食費に関しては〈フードクーポン〉が支給され、その支給されたクーポンの範囲内で食費を賄う必要がある。

 その他、生活に必要な水道光熱費や雑費もギリギリの金額のみが支給され、酒やたばこなどの嗜好品を購入したり、ましてやギャンブルなどに費やす余地はない。

 〈C〉ランクは、生活保護制度を頻繁に利用する住民、言い方を変えれば常習的な住民が対象になる。

 特に傷病があるわけでもないのに仕事が長続きしない住民や、無職の状況から脱却しようとする意志が希薄な住民が対象になる。

〈C〉ランクは、基本的に各市町村にある施設に入り、食事は施設内の食堂で決められた献立で支給される。

 供与される部屋は六畳程度の広さしかなく、粗末な寝具があるだけで、風呂とトイレは共同だ。

 また、テレビやネット環境も共同の娯楽室にしかないという厳しい環境のため、別名〈鑑別所〉と呼ばれている。

 一応、施設の出入りは自由だが、門限が十九時に決められていて、門限時間を過ぎると、その日の夕食はになってしまう。

 ただし、就労の準備のために門限までに帰れない場合は事前に申請をし、施設に戻り次第、客観的なエビデンスを明示すれば夕食は支給される。

 また、完全に自立できるような収入や貯蓄がない場合は、施設を退所する必要はないが、そういったな入居者は一秒でも早く施設を出たいので、住む場所さえ確保できたら一目散に施設を後にするのがほとんどだ。

 そして、犯罪歴等がネックで就労が困難な住民が、生活保護制度を利用する際にランク付けされるのが、〈D〉ランクである。

 それが何故梅本の言うように〈F〉ランクと呼ばれているのか……。

 〈D〉ランクは主に犯罪歴がある住民が対象になるが、このランクも施設に入居をしなければならないが、〈Ⅽ〉ランクの施設とは違う。

 その施設名が〈ファーム(Farm)〉という呼称で、文字通り農場に併設されている施設だ。

 昨今は、生活保護の審査は厳格化されていて、不正な手口での給付は皆無になっていた。

 これは第一に、今世紀前半に実施されたマイナンバーカードの義務化により、給与を含めた所得は全て国に把握をされてしまっているためである。

 また、全ての銀行口座や金融資産の動向に関する情報も、国に把握をされてしまっていて、いかなる誤魔化しも通用しなくなっていた。

 それら経済状況が完全に把握されている上に、更に出生時からの健康に関するデータも国が全てを把握している。

 病気で就労ができないと申請をしても、行政は健康に関するデータを元に、徹底的な検査をして虚偽の傷病を摘発していく。

 このデータが寿命予測、通称〈LEパーソナルデータ(LEPD)〉の基礎となっている。

 その健康に関するデータをベースに、祖父母を含めた血縁関係者、両親、兄弟姉妹の健康状態や病歴、死因などをも加味する。

 併せて本人の学校での生活態度から始まり、成績や部活動、運動能力。

 社会に出てからの就業履歴。更に婚姻歴や犯歴など、様々なデータから、AIが〈LEPD〉の予測を算出する仕組みだ。

 この〈LEPD〉は、〇〇年の前・後半から〇×年の前・後半の間と明示されるが、予測の幅は短くて一年、長い場合でも五年程度となっている。

 その精度はプラスマイナス30%と国は公表しているが、〈LEPD〉そのものは本人にしか通知をしていないので、誤差についての精査は公表されていない。

 ただ、本人が家族などに自身の〈LEPD〉の結果を話しているケースは多くあり、その場合の死亡時期はかなり精度が高いようだと、巷間では言われていた。


「じゃあ、あとでな」

 相沢は役所の案内ロボットに指定された個室の前で、梅本に言った。

「ああ、俺が指定された部屋はまだ使用中みたいだから、少し遅くなると思う。先に終わるようだったら、とりあえず正面玄関に近い待合室にいてくれ」

 梅本は個室に入ろうとする相沢に言い、自分のマイナンバーカードが財布に入っているのを確認した。

 〈LEPD〉を利用することに乗り気ではなかった相沢だったが、PCでの退屈な日々に飽き飽きしてきたようで、何か先の予定を渇望するように、〈LEPD〉を確認しに行こうと言い出した。

 〈LEPD〉の権利を行使するには条件がある。

 一点目は年齢が六十五歳以上であることだが、何歳までという制限はない。

 八十歳でも百歳でも権利の行使はできる。

 二点目は〈LEPD〉の権利を行使する前の半年以内に、医療機関での健康診断を受けていること。

 三点目は本人の認知機能が正常であること。

 六十五歳以上なら何歳になっても権利行使はできるが、認知機能が正常ではないと診断された場合には、権利行使は不可となる。

 これは、直前の健康診断で認知機能のテストもあり、そこで正常か否かも判断が下されている。

 梅本と相沢は刑務所を出所し、更生施設PCに入所する時に健康診断を受けていて、二人共認知機能は問題無しと、診断されていた。

 

 真っ白な壁に真っ白な扉。

 梅本は順番待ち用の質素なパイプ椅子に座り、目の前に広がる愛想も何もない冷たい個室に視線を向けていたが、突然湧いてきた不安感に貧乏ゆすりを始めた。

『お待たせしました。どうぞお入りください』

 生身の成人男性と寸分変わらないイントネーションと抑揚で、いつの間にか目の前に来ていた案内ロボットが、梅本に語りかけてきた。

 自分の腰より低い、大昔の映画に出てくるロボットに似た、上部が円筒形の案内ロボットに梅本は頷き、白い扉の前に立つと、待っていたかのように扉は静かに開いた。

 室内に足を踏み入れると、案内ロボットが音も立てずについてくる。

 外の壁や扉と同様の真っ白な室内に、少し黄みがかったアイボリーの椅子がある。

 やや大きめの肘掛け椅子で、高い背凭れが威圧的だ。

 その目の前に、これもアイボリーのデスクがあって、30インチ程のモニターが載っている。

 キーボードなどはなく、マイナンバーカードを読み取るカードリーダーと、指紋と虹彩認証を識別する小さな機器が、整然と置かれているだけだ。

 案内ロボットがスルスルと、椅子とモニターの間に移動をしたのに合わせ、梅本は椅子に腰を下ろした。

 その瞬間、子供の頃に観た外国映画の中で、死刑囚が座らされていた電気椅子が頭の中に甦る。

 肘掛けに腕を置いたら、鉄の輪がガシャンと音を立てて、我が身の自由を奪いそうな気がして、梅本は一瞬躊躇をしてしまった。

 モニターの前にいる案内ロボットに、狼狽えているところを見られたかと心配したが、ロボットは後ろに反り返るように斜めになって、静かにレンズを覆っている黒いシールドを梅本に向けていた。

『マイナンバーカードをカードリーダーに読み取らせてください』

 案内ロボットは澱みなく言葉を発し、球体を真っ二つに割ったような頭部を、カードリーダーが設置されている方に向けた、というよりも回転させた。

 梅本は指示された通りにマイナンバーカードを財布から取り出し、カードリーダーの読み込み部分に置いた。

 コンマ数秒で、目の前のモニターの下部にパスワードを入力する画面が表示されたので、梅本はタッチパネルのモニターにパスワードを入力する。

 モニターにパスワードが正しいことが認識されると、次に指紋認証の方法が画面に表示された。

 梅本は指示された順番通りに、指紋認証用の機器に、右手の親指から小指の指紋を読み取らせる。

 大昔の反社会組織では、大きな失策や裏切り、あるいは組織を離脱する際に、ペナルティーとして小指を切断したと、年長の受刑者から聞いたことがある。

 その場合の指紋認証はどうするんだろうかと、どうでもいいことを思い浮かべ、少しだけ頬が緩んだ。

 普段ならそんなことは考えもしないが、やはり自分の寿命を知るということに恐れがあるのかもしれない。

 指紋が認証されたことを告げる文字がモニターに映し出され、続いて虹彩認証の手順が紹介される。

 梅本は指示通りに、モニター上部にある虹彩を認識する小さなレンズに視線を向けた。

 これも即座に認証され、これで本人確認は済んだことなる。

『これから〈ライフ・エクスパンシー・パーソナル・データ〉を確認することができますが、その前に注意事項を良くお読みください。尚、注意事項を音声でお聞きになりたい場合は、モニター画面の音声説明の〈必要〉〈不要〉のどちらかをタッチをするか、その旨を案内ロボットに口頭で指示をお願いします』

 梅本は音声での説明が必要かどうか、一瞬迷ってしまう。

 だが、案内ロボットの音声が気に障り始めていたことと、読めない文字などで表示をされないだろうと思い、〈不要〉をタッチした。

 画面が暗転した後、モニター画面に大きな文字で注意事項が表示され始め、梅本は一字一句を真剣な眼差しで読んでいく。

 セクション毎に注意事項が説明され、理解できたかどうかを訊かれる。

 理解ができるとモニター画面をタッチし、次のセクションに進む。

 内容はそれ程難しいものではないが、同じような確認項目があり、結構時間がかかる作業だ。

 最初に〈LEPD〉、つまり寿命予測を知るメリットとデメリットの説明がある。

 要約すると、平均寿命が延びて、定年退職や仕事を離れたりした後、リタイア後の生活設計がますます重要になっている、と統計データが明るい曲調のBGMと共に明示された。

 そして、自身の寿命予測を知ることで、第二の人生の生活設計に役立つことが大きなメリットだと強調される。

 この制度を導入する際に散々聞かされていたことの説明が、字幕と一緒に溌剌とした表情の高齢者が、自身の体験談を交えて紹介をした。

 それが終わると、ついでのようにデメリットの話になる。

 自身の残りの人生の長短に関わらず、それを知ることで希望をもてなくなったり、若い頃に描いていた生活設計の実現が無理だと気づくことがあるかもしれない。

 その結果、精神的に落ち込んでしまうケースが稀にあると、分厚いオブラートに包んだように柔らかなトーンで説明がされる。

 それらに関しては、専用の相談センターがあるので、積極的な利用をするように、といった定型文が表示される。

 そんな制度の導入目的は耳タコだが、画面をスキップすることができないので、梅本はイライラしながらモニター画面を睨みつけた。 

 そして、チラッと案内ロボットに抗議の眼を向けたが、は微動だにしない。

 長々と説明しているが、要するに健康保険制度や年金制度を含めた社会保障費の膨張で、財政逼迫が抜き差しならない状況になっていることが要因だというのは、誰もが知っていることだ。

 寿命を知らしめることで、短命のケースでは通院や延命治療を諦めてもらい、長生きの場合は年金支給額を遅らせることで支給総額が増えるが、途中、事故で亡くなったりしても国は知りませんけど、という酷薄な制度だということを……。

 それでも人間のさがなのだろう。

 〈LEPD〉を利用する人は、対象者の六十%近くもいる。

 もちろん、自分もそのうちの一人で、しかも気乗りのしない友人も誘ってしまっていた。

 

 退屈な説明がようやく終わり、『これから重要事項の説明になりますので、良く考慮されてから〈LEPD〉の確認の有無を決定してください』と、モニター画面に表示された。

 梅本は自然な動作で椅子を座り直し、姿勢を正した。

『お知らせする〈LEPD〉〉には誤差があります。現在その誤差は平均してプラスマイナス30%程度ですが、稀に大きく差異が生じることがありますので、ご承知ください』という文字が映し出される。

 その後、〈確認されましたか?〉と、画面下に表示されている〈はい〉と〈いいえ〉を選択するようになっている。

 梅本が〈はい〉をタップすると、次に進みますか?ここで中止しますか?と問いかけられた。

 梅本は〈次に進む〉をタップした。

 このようにモニター画面の確認事項に対して応えていき、『〈LEPD〉のご確認の前に』という文字が現れた。

 画面に表示された文字がゆっくりと下にスクロールされ、併せてナレーションが、案内ロボットと同じ声で流れる。

『〈LEPD〉に関するお問い合わせ、ご相談は一切受け付けることはできません』

『お知らせした〈LEPD〉はご家族を含めて、第三者に開示はしないでください』

 この他にいくつかの留意点や確認事項が表示され、ようやく最後の確認事項になる。

『上記注意事項をご理解した上で〈LEPD〉の開示に同意をされますか?』

『開示を希望の場合は、モニター画面の署名欄にタッチペンで署名とサインをお願いします。開示を希望しない場合は、モニター画面の下部に表示されている〈終了〉をタップしてください』

『〈終了〉を選択した場合は権利の放棄となり、再度の〈LEPD〉の開示請求はできませんので、ご注意をお願いします』

 梅本は口の渇きを覚え、少量の唾を飲み込んで喉を鳴らした。

 ここへきて、急に怖気ついてしまった。

 本当に寿命を知ってもいいのか。

 何のために寿命を知りたいのか。

 寿命予測が短かったらどうする……。

 寿命予測が長く、この先数十年も生きて行かなければならないとなったら、どうする……。

 様々な考えが頭の中を駆け巡り、梅本は署名欄の四角い枠を凝視したまま、身体が硬直してしまっていた。

 モニター画面は署名欄と、〈終了〉を示したままで、案内ロボットは梅本の葛藤に関心を示すことなく、ただの物体と化している。

 相沢はどうしたんだろうか?

 自分と同じように躊躇、あるいは怖気づいて〈LEPD〉を確認しないで、部屋を飛び出たか……。

 もしくは、切羽詰まった時のクソ度胸で、サインをしたかもしれない。

 そんなことをぼんやりと思い浮かべていると、気配を消していた案内ロボットの頭部であろう半球体が回転し、黒いシールドが梅本に向けられた。

『制限時間はあと五分、三百秒です。制限時間を過ぎますと、自動的にモニター画面が消えて、終了となります。その場合も権利の放棄となり再度の〈LEPD〉の開示請求はできなくなりますので、ご留意ください。残り時間はモニター画面の右上に表示されます』

 案内ロボットが言うと、モニター画面に残り時間が表示され、カウントダウンが始まった。

 梅本は〈LEPD〉の開示に対する署名に、制限時間があるとは知らなかった。

 こんな重要な事を三百秒で判断しろとは、一体どうなってんだ!と憤りを覚える。

 だが、そもそも〈LEPD〉の開示を求めて、自分の意志で役所に来ているんだったなと思い、気を取り直してモニター画面に視線を向けた。

 カウントダウンを示す黄色い数字が〈265〉〈264〉……と、粛々と減っていく。

 暫く減少していく黄色い数字を見ていたが、〈150〉が表示された時、梅本はカードリーダーの横にあるタッチペンを手に取った。

 マット調の銀色のタッチペンを握り、殴り書きをするように署名欄にサインをする。

 タッチペンを元の位置に戻すと同時に、案内ロボットが梅本に頭部を向けた。

『これから〈LEPD〉を表示します。データはモニター画面に一分、六十秒だけ表示されますが、プリントアウトはありません。また、お手持ちのカメラなどでの撮影はできませんので、ご自身で確認をお願いします』

 案内ロボットは平板な口調で告げ、梅本の反応を窺うように、黒いシールドの奥にあるレンズが収縮をした。

 梅本が案内ロボットに頷くと、モニター画面が暗転し、十秒後に〈LEPD〉が表示されるという文字が浮かび、再び黄色い数字がカウントダウンを始める

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