第25話 ディアの神印とサフィのおまじない

 旅支度も無事に終わって、珍しくそわそわと浮足立っているサフィの向かい側。

「えー、何それ。羨ましすぎるんですけど」

 と素直にふくれっ面を浮かべたディアが私の隣から無言の圧をかけてきたランチタイム。

 ちょっと待った。

「王子様の髪を結えるわけないでしょう!?責任重大すぎる!」

「どうしてよ?あのね、何度も言ってるけど神子に比べたら僕なんてたかが王子なんだよ」

「されど王子でしょ!しかも次期国王陛下の!」

 一国の跡取りの御髪を結うなんて、それはもうプロの仕事ですよ。

 ましてや練習台にはできません。

 でもディアは引く気配がない。

「だってサフィールは毎日ユウに髪を結ってもらうんでしょう?しかもアガートは訓練を観てもらうなんて。ともすれば期待のこもった眼差しで「がんばって~!」とか応援されちゃったりしてさ。ずるいよ。僕だけ何も…なくないけど、このブレスレットとイヤーカフがあるけど!だけどそれは二人も一緒じゃない」

 途中微妙に言いよどんで、ちゃんと「自分にもある」って言ってくれるのはディアのいい所だし、それを私は嬉しく感じてる。

 でもね。

「いくらなんでも王子様の御髪を結うなんてプレッシャーが半端じゃないし、王族は身だしなみを整えるのも公務の内でしょ?みっともない髪型させられないよ」

「みっともなくないよ。第一あんなに美味しいマールスパイを作れる人が、そんなに不器用なはずないじゃない」

「それには私も賛成です」

「え?」

 サフィからの突然の援護射撃にディアは嬉々とした顔を彼に向ける。

 一方私は思いもよらない彼の言葉に目が点になった。

「更に言うならユウはアクセサリーを作るのだと材料を買われたでしょう?趣味だとしてもなかなかに器用さが求められるものですからね。恐らく正しいやり方と少しの時間があれば、上達なさるのは早いと思っています」

「買い被りすぎだよ」

「そんなことありませんよ。私たちの神子は何といっても頑張り屋さんですからね。教える身としては成長が楽しみです」

 柔和な口調と微笑みで落ち着いて諭すようなサフィの様子は、さすがシンケールス様の愛弟子。

 照れくさいのに何故か反論できない、不思議な説得力。

 そう言われると張りきっちゃうよね。

 だからと言ってディアの髪を結うわけにはいきません。

 だからちょっとだけ妥協案。

「上手に結えるようになったら、プライベートタイム限定でディアの髪を結ってあげる。っていうのはどう?」

「いいの!?ホント!?」

 見るからにテンションうなぎ上りのディアは瞳をキラキラさせる。

 私がそんな彼に頷くと

「じゃあ約束」

 ディアは私の手を取って指きり。

「また一つ、約束が増えたね」

 指先を見つめたままのディアが呟く。

 横顔はとても静かで嬉し気で、それなのに儚く見えて胸の奥がちくりと痛む。

 この感覚は、何…?

 何となく胸騒ぎがして不安になる。

「ディア?」

 呼びかけた私に視線を向けるディアはいつもと同じ。

 タンポポみたいに温かな笑顔だ。

「こうやってユウとの約束が増えると嬉しいね。何だかね、僕の未来がちゃんと続いていくんだ、って実感できる」

「どういうこと…?」

 問い返せば、ディアは少しだけ遠くへ視線を放る。

 彼にしか見えない何かがそこにあるような気がした。

 私も、サフィも、ゲートも見ることができない、彼だけの世界。

「僕ね…ホントは少しだけ諦めてたんだ。自分の未来はこの国に捧げなきゃいけない。僕に出来るのはそれだけかもしれないと思っていたから。僕自身の未来や希望は夢見ちゃいけないと思って」

「そんな」

「うん、自分でも嫌になるくらい悲壮感たっぷりでしょ。でもね、僕は追い詰められていた。月光神様の加護を信じられなくなるくらい、行き詰ってたんだ。兄様たちが王族の籍から抜けて僕が唯一の王位継承者になった時、もしかしたら僕も同じかもしれないと思った。それって僕とユエイリアンは一蓮托生、どこかの国に身売りしなきゃいけないようなものだからね。それならそれで、絶対この国を大切にしてくれる国に、って本気で思ってたけど…何故か月光神様はこんな僕を見捨てずにいてくれた。一生分の誕生日プレゼントをもらったような気分だったよ。国と一緒に心中覚悟だったのが、急に未来が光に満ち溢れたんだもの」

 それはディアだけが知っている重圧と、そこからの解放感。

 ううん、正確には解放されたわけじゃないけれど、やっぱり月光神様から授けられた神印の効果と意味は絶大だ。

 ディアが背負っているものはここにいる誰よりも重く大きなものだから、想像を絶するほどのプレッシャーを感じていたに違いない。

 私はそっと、彼の手をとる。

 細く長い指は骨ばっていて、掌にも指先にも硬くなったタコがたくさん。

 王子様といえば白魚のように滑らかな白い肌に柔らかな手をしているイメージがあったけど、ディアの手はそれとは正反対。

 自分の宿命と真剣に向き合って、努力を重ねた手。

 特定の誰かではなく、この国に生きる全ての人を護ろうと誓って覚悟した人の、闘い続けた強く温かい手。

 今は私を護るために戦ってくれている。

 彼だけにできる方法で。

「ディア、私も一緒だよ」

「ユウ…?」

 言葉の真意を量りかねた彼の瞳が優しく疑問を投げかける。

 もしも私の存在がユエイリアンを救えるのなら、あなたのことも救いたい。

「一人で戦わないで。月光神様がディアを選んだのは、私と一緒にユエイリアンのために戦えると思ったから。そしてこの国の神子に私を選んだのは、誰よりもこの国のことを大切に思っているあなたを、救いたいと思ったから。そういう事だと思うの。だから約束。私が上手に髪を結えるようになったら、毎日ディアの髪を結ってあげる。ディアがやめろって言うまで」

「っ」

 くるりとしたチョコレート色の瞳がじわりじわりと潤んでいく。

 ディアは何度も瞬きをしながら絶え間なく視線を動かし、懸命に堪えるように時折しかめっ面のようになりながら、それでも笑顔を浮かべようとしていた。

 それはついに失敗して、ダムも決壊してしまったけれど。

 彼の瞳から零れ落ちた雫は真珠よりも綺麗だ。

「ごめん、もう無理」

 そう呟いて、ディアは初めて勢いに任せて私を抱き寄せた。

 少しだけしがみつくように抱きしめる腕の強さを感じて、何だか胸の奥がぎゅっとなる。

 彼の背中をしっかりと抱きしめ返せば、彼の腕はさらに強く私を抱きしめた。

 その瞬間、ふわりと額が温かかくなる。

 これって…。

「ディア、花弁が開いたよ」

「え…?」

「左手を見て」

「これ…神印が…」

 ディアは私を抱きしめたまま、手の甲に浮かぶ神印を確認したらしい。

「五分咲きになったでしょ?」

「うん」

「ディアの未来、一緒に作ろうね」

「ユウ…ッ」

 私を力いっぱい抱きしめなおしたディアは、今度こそ喜びに溢れた笑顔を浮かべることに成功したようだった。






 その日の夜のこと。

 私はのんびりゆったり、サフィのシルクみたいに綺麗な髪を櫛で梳かしていた。

 因みにゲートは入浴中。

 もちろんディアは王宮へ戻っている。

 フリソスさんが私の部屋の前で待機してくれているため、ゲートは少しの間この部屋を離れ、自室で旅支度をしてから戻ってくる予定。

 だからヘアアレンジのレクチャー第一回をお願いしたというわけ。

 それにしてもサフィの髪は本当にサラサラで、ひっかかりもなければうねりもないし、癖もない。

 女性なら誰もが憧れる髪質なんじゃないかな。

「サフィはどうやってお手入れしてるの?すごく手触りが良くてきれいだよね、サフィの髪」

「ふふ、貴女に褒めていただけるのは嬉しいですね。ですが、あまりこれといって特別なことはしていないのですよ。ユウと同じ椿油を洗髪後に馴染ませる程度です」

「ホント?じゃあ生まれつきの髪質なんだね。羨ましがられるでしょ?」

 そう問えば、ディアは小さく笑みを浮かべてから、困ったように首を傾げた。

「どうでしょうか。私はこの教会でも、そしてこの国でも、異端な存在ですから…そんな私を羨ましがるような人はいませんよ」

 紡がれた言葉は胸の奥をぎゅっと締め付けるような苦しいものだけど、サフィには少しもそんな様子がなく、穏やかだった。

 自分を卑下したセリフじゃないことは分かる。

 サフィはそういうものをいつの間にか乗り越えて、淡々と事実を受け止めているだけに見えた。

「でも、そうですね、今なら私を羨む人もいるかもしれません。何しろ貴女の傍にいつもいられるのだから」

 そう言って極上の笑みを浮かべるサフィの瞳は甘く揺らめく。

「ディアマンテ様も仰ったように、月光神様に選ばれたことで私たちは公に認められたんです。何よりも強力な後ろ盾を得たことになります。これまで自分の存在意義や価値を見出せずにいた間は、それなら何ができるのかと自分の使命を必死に探してきました。でも今は貴女のために生きることが出来る。そのために自らの存在を認め、幸せを求めることの大切さを知って…これほどの喜びは他にありません。もう誰に何を言われても、私が揺らぐことはありません」

「サフィ、強くなったんだね」

「ええ。貴女の傍にいられるなら、いくらでも強くなります」

 冗談めかしてサフィは言うけど、それが本音だってことはすぐ分かる。

「さあ、練習を始めましょう。まずは三つ編みからですね」

 パッと切り替えたサフィは手早く髪を一つにまとめて肩から胸元へ垂らした。

 私はそれに合わせてサフィと向かい合う。

「やり方はご存知ですか?」

「うん」

「ではどうぞ、貴女のやり方で構いません。編んでみてください」

「はい」

 促されて彼の髪を手にとり、三つの房を作ってからそれを丁寧に編んでいく。

「お上手です。そのままある程度力をいれて、きつめに編んでください」

「え?そんなことしたら、痕がついちゃうよ?」

「大丈夫ですよ。たまには気分転換になりますから」

 それには一理ある。

 でもあまりに綺麗なストレートヘアに痕をつけるのは、何だか痛めつけてしまうように思えて気が引ける。

 サフィはそんな私の心を見透かして

「ゆるいウェーブがついたら、貴女とお揃いになるでしょう?」

 と、再度嬉しそうに私を促した。

 おっと…それを言われると弱いなぁ。

「お揃いは嬉しいね」

「でしょう?さ、遠慮せず編んでくださいね」

「うん」

 それでも私は細心の注意を払ってサフィの髪を編んでいく。

 時折彼は「良いですよ」「お上手です」と褒めながら、私の手元を見守る。

 そして最後まで編み終えると、髪紐の結い方を教えてくれた。

 無事に完成した三つ編みは均等に編みあがって、艶やかな金糸が明かりを小さく反射させている。

 美しい髪はどんな形になっても変わらず美しいんだなぁ、なんてちょっと羨ましくなりながら眺めてしまう。

「いかがですか?ご自分で結い上げた三つ編みの出来は」

「うーん…まあまあ、かな」

「おや。ここまで均等に編めたのですから、上出来ですよ。やはり貴女の手はとても器用で愛らしいですね」

 そんな事を言いながら私の両手をそっと取って膝の上に乗せる。

 室内の淡い明かりに照らされた微笑みがとても綺麗で、それを目にした瞬間跳ね上がった心臓の音で急に胸の奥が騒がしくなる。

 咄嗟に視線を外して俯いてみたけれど、全然効果はない。

「え、あ、いや、そんなことは…」

 忙しなくきょろきょろと泳ぐ私の瞳は、それでも時々サフィを映しながら落ち着かないまま。

 だから不意に大きくなる影の速さに追いつけなかった。


 ふわり


 額に微かな温もり。

 反射的に閉じた瞳をゆっくり開けば、そこにはサフィの優しい瞳があった。

「あ…」

「大丈夫、おまじないですよ」

「おまじない?」

「はい」

 どんなおまじないなの…?って、聞く気は少しも湧いてこなかった。

 聞かなくてもきっと、何か良いことを願ってくれてる、そんな気がしたから。

 だってほら、おまじないのおかげで私はすっかり落ち着いてしまったし、けれど心臓の奥の奥で、強く鼓動が脈打っている。

「サフィ、ありがと」

 私は彼の手を握り返して、そのままそっと男性にしては華奢な首元へ腕を伸ばした。

 当たり前のように受け止めてくれる腕が温かい。

 デイアともゲートとも違う、サフィだけの温もりは真綿のように柔らかくて、私をすっぽり包み込んでくれる。

 春の木漏れ日みたいに。

「明日は私も三つ編みがいいな」

 そう呟くと

「分かりました。そうしましょう」

 サフィはいつものように微笑んだ。





 

 続く

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