第2話 月光神の神子(その1)

 案内された部屋は簡素だけれど清潔で、ベッドとタンス、スリムなクローゼットが設えられたシンプルな一室だった。

 少し変わっている所と言えば、天井に大きな円形の窓がついていることと、その真下には同じく円形のラグマットがしかれ、そこには新月から満月に移り変わる月の形が描かれている(小学生の頃、理科の教科書で見たことがあるあの図だ)。

 私たちが入室すると、すぐに簡易テーブルとイスが用意された。

 そこに温かなハーブティーとお菓子が並べられる。

「安心してください、これは神殿で採れたハーブをお茶にしたもので、こちらのお菓子も神官見習いたちが作ったものです。お口に合うとよろしいのですが」

「ありがとうございます」

 遠慮がちにそう言って、勧められたティーカップを両手で包み込む。

 薬草臭さみたいなものはなく、スッキリした良い香りがする。

 一口飲んでみると、何だか心が落ち着く感じがした。

 でも。

 じ、と8つの目に見守られている事に気付いて、いたたまれなくなる。

 落ち着かない…!!

 少し肩を竦めて神官様に視線で縋ってしまう。

 すると彼は優しく、大丈夫ですよ、と笑った。

「まずは自己紹介をいたしましょう。私はこの神殿で神殿長をしております、シンケールスと申します。私は月光神様に仕え、神子をお守りすることが何よりの役目にございます。言うなれば神子の親代わりとでも申しましょうか、そのようなものです。神子の生活全般を担うのがこの神殿です。日常の些細な事からお困りごとまで、何でもお話しください」

 シンケールス、という響きは既に私の知っている「世界」とは違っている。

 異国情緒溢れる名前と外見がここは「日本」でないことを如実に物語っていた。

 そして繰り返される「げっこうしん」と「みこ」という言葉。

 目覚める前に会ったあの女性が言っていた「げっこうしん」っていうのは…この世界の神様のこと…?

 声には出さずそんなことを考えていると、シンケールス様は微笑みを深くして彼以外の三人についても紹介しようと片方の手で一人の人物を示していた。

 まだあどけなさの残る、愛らしい顔をした美少年。

 銀髪にチョコレート色の瞳をした彼から気品のようなものが感じて取れる。

「こちらはディアマンテ様、この国の第三王子殿下でいらっしゃいます」

「初めまして、神子。まさか僕に神印が表れるなんて思ってもみなかった。すごく嬉しいよ。これから立派な夫になれるように頑張るから!よろしくね」

 明るく無邪気なその様子はまるでひまわりみたいで可愛らしい。

 そして王子様であるなら醸し出される気品も納得ができる。

 でも待って。

 今「夫」って言った?

 どうみても十代にしか見えないこの少年が「夫」?

 冗談きついわ、やめてちょうだい、私捕まりたくないんだけど!?

「神子?どうしたの?そんな顔して…僕じゃ、嫌、ってこと?」

「えっ?」

 どうやら私の顏は正直だったらしい。

 険しくなった私を見て、正真正銘「王子様」はしょぼんと肩を落として、眉を八の字にする。

 ちょっ、やめて!そんな捨てられた子犬みたいな顔で見ないで!! 

 しかも

「やっぱりこの顔?そうだよね、こんな童顔じゃかっこ悪いよね」

 なんて綺麗な美少女顔を自分で貶し始めた。

「違う、顔じゃないわ!」

 思わず強めに否定してしまうと、一瞬で彼の表情は「ぱあ」っと晴れ渡った。

「顔じゃないの?この顔、嫌じゃない?」

 次第に喜びの色が濃くなっていく。

 今度は期待のこもった瞳で私をまっすぐ見つめてきた。

 これはこれで、やめてちょうだい…私の中の罪悪感が大きくなるから!

「あの、顔の問題じゃありません。そうじゃなくて、いくら何でもあなたのように年端もいかない人を夫に出来るわけないでしょう?そもそもいきなり夫と言われても、一体何が何だか…」

「あ、年齢のこと?僕はこれでも18歳だし、仮成人しているから一応結婚できるんだよ。それに神子も僕とそう変わらないと思うんだけど…」

「え?そう変わらないって、嘘でしょう?だって私さんじゅ・・」

「神子、こちらをどうぞ」

 言葉の途中で差し出された手鏡。

 そこに写っていた姿を見て唖然とする。

 シミも皺もない、ふわりとした肌はたるみもなくピンと張っている。

 頬は薄らピンク色、潤いたっぷりの紅い唇に、丸い瞳にはキラキラした光が宿っていた。

 因みに長く伸びた髪は柔らかく、ミルクティー色をしてふわりと肩先でカールしている。

 元々まつげは長かったけど、こんなにくるんと上を向いてなかったわ。

 これはもはや私じゃない。

 全く別の愛らしい少女がそこにいた。

「ウソ…私…、じゃない、違う、これ…誰…」

 自分の顔を手でなぞってみるけれど、その手も何だかみずみずしくて、触れた頬の感触はやっぱり自分のものとは思えないほど柔らかだった。

 あまりに現実離れした目の前の出来事にショックを受けていると、シンケールス様以外の三人は分かりやすく心配そうにそわそわし始めて、私とシンケールス様を交互にみやっていた。

 この場で誰よりも落ち着き払っているシンケールス様は穏やかな笑みを湛えたまま。

「神子、それはもしかすると月光神様からのご加護かもしれません」

 聞き覚えのある言葉に、私は顔を上げた。

「げっこうしんさまの、かご、ですか」

「はい。月光神様は女神であらせられます。ですから女性のお気持ちは手にとるようにお分かりになるのでしょう。異界の乙女をこの世界に呼び寄せる時、何かしらのご加護をくださるそうです。神子の幸せを何よりも願っていらっしゃいますから」

「まさか、あの夢で会った、あの人が…月光神様…?」

「おや、既に夢でお会いになったのですね。さすが神子。これからも月光神様は神子を見守ってくださいますよ」

 シンケールス様の言葉はその表情と口調と、温かな声音によってすんなり胸に落ちてくる。

 あれが夢の中なら、これは現実…現実…?

 何だかまだ実感できなくて、不意に頬をつねってみる。

 すると

「「「神子!?」」」

 慌てた様子の三人が身を乗り出してきた。

「痛い」

「何をなさっているんですか!?ご自分で頬をつねるなんて」

「そうだよ、神子、どうしてそんな」

「自傷するくらい俺たちが嫌なら、そう言ってくれ」

「え?」

「「「???」」」

 図らずも四人で互いの顔を見合ってしまう。

 その様子にシンケールス様がふっと笑い声をこぼした。

「三人ともそう慌ててはいけませんよ。神子も。頬をつねらずとも、これは現実です。そのご様子だと異界での記憶をお持ちのようですね。きっと何か意味があるはずです」

「…はい」

 異界での記憶も何も、今広がっている目の前の出来事の方がよっぽど夢のようです。

 言外に告げてシンケールス様に視線を向けると、彼は心得ていると言うかのように頷いて、今度は三人の方へ視線を向けた。

「神子はこちらで目を覚ますと大抵は異界での記憶を失っているものです。ですが今代の神子は稀有な存在のようですね。きっと月光神様にとっても特別なお方なのでしょう。戸惑うことも多いかもしれませんが、それをお支えするのがあなた方の御役目ですよ。まずはきちんと自己紹介を済ませてから、月光神様やこの世界のことについてお話ししましょう。夫についてはそれからです」

 シンケールス様の言葉に、三人は神妙な顔をしてこくりと頷いた。






 仕切り直された自己紹介で、ディアマンテ様以外の二人も少し緊張しながら名乗ってくれた。

 金髪に深い青色の瞳をした儚げな美人さんはサフィール様。

 この神殿に仕える神官様で28歳なのだそう。

 もう一人はこの国の近衛兵、アガート様は25歳。

 短く切りそろえられている黒髪はサラサラストレート。

 少し日に焼けた肌が逞しさを増している。

 そして私は「月光神」によってこの国に遣わされた「神子」なのだそうだ。

 シンケールス様は月光神様のお告げにより私が降りてくることが分かり、儀式を執り行ったそうで、その儀式には未婚の男性が国中から訪れて月光神様からの「神印」が授けられるのを心待ちにしていたらしい。

 もちろん王宮の仕事や何かで全員が訪れていたわけではないらしいけれど、ひとまず月光神様からの信頼厚い男性三人に神印が授けられ、その三人というのが目の前にいる三者三様の美男子たち、という事だそうだ。

「この世界は男女比が極端に傾いているのです。現在は8対2といったところでしょうか。女性が生まれにくいのです。かつて「力が全て」と愚かな勘違いをした男たちによって、女性たちが虐げられていた時代がありました。自分たちも女性から生まれてきたのに、男尊女卑の考え方が蔓延し、女性の地位は低く人権も何もないような扱いをしていたのです。そのせいで月光神様の怒りをかい、極端に女児の出生率が下がり、男女比が崩壊してしまったのです。男性ばかりになった世界ではあちこちで諍いが起こり、それが大きな争いに発展し、終いには国同士の戦争にまで発展しました。しかしそんなことをしても国は疲弊し力を失うばかり。更には子供の数そのものが減っていき、非常に危険な状態に陥ったのです。そこで真っ先に考えを改め、女性を手厚く保護し、人々に月光神様の教えを説き始めたのがここユエイリアンでした。やがて人々は男性には男性の、女性には女性の、互いにしか成せない事があると理解し、認め合い、尊重し合うことで少しずつ子供の数も増え、危機を脱することができたのです。それは月光神様のご加護のおかげでした。数百年に一度、神子を遣わすことで少子化を止めたり、女児の出生率を上げたりしてくださったのです」

「つまり、その神子が私、という事ですか」

「はい。神子にはいくつかお役目がございます。一つは満月の夜に祈りを捧げ「生命の水」を作り出すこと。もう一つは複数の夫を持ち、子を成すこと。神子に限っては女児を出産する確率が格段に高いのです」

 至って真剣にシンケールス様は教えてくれるけれど、何だかめまいがしそうな展開だな、と思う。

 困惑しすぎて却って思考は冷静だ。

 そもそも私一人で産める人数なんて限られている。

 いくら女児を生む可能性が高いからって、それで少子化を止められるとは思えない。

 でももう一方でそれくらい国としては何かに縋らなければやっていけないくらい、危機に瀕している、という事…なのかも。

「神子はこの国で、いえ、この世界でとても大切な存在です。何よりも、誰よりも。そのため夫となる人物は月光神様に認められ、さらに神子に愛され信頼される者でなければなりません。ですから特別な印「神印」が身体のどこかに浮かぶようになっています。ご覧ください」

 そう言われて三人を見ると、ディアマンテ様は左手の甲、サフィール様は右側の首筋、アガート様は額に「満月に薔薇」とシンケールス様が呼んだ「神印」が淡く光っていた。

 でも。

「蕾?」

 先に手鏡を通して見せられた私の額に浮かんだ神印は花が咲いた状態の印だったのに対し、三人の薔薇は蕾の状態。

「神印はまだ完成してはいないのですよ。先ほど申し上げたように月光神様に認められること、そして神子からの信愛が得られなければ神印は蕾のまま消えてしまうのです。これも月光神様のご加護のひとつでしょう」

「これも?」

「ええ。神子は月光神様の愛し子ですから、最初は安心していい相手に印をつけてくださるのです。月光神様に選ばれた者であれば、少なくとも神子を悲しませたり苦しませたり、ましてや害することは絶対に有り得ません。側においても安全だとあなたに教えてくださっているのですよ」

 そういえば夢の中で「いつでもあなたの幸せを願っている」って言ってたっけ…。

 ということはこの三人は女神さまのお墨付き。

 信用してもいい人たち、っていう事になる。

 誰を信じていいかわからない所に放り込まれたままより親切だとは思うけど。

「皆さんはそれでいいんですか?」

「「「え?」」」

「だって突然現れたどこの馬の骨とも知れない女性の夫として神様から選ばれたからって、皆さんにも選ぶ権利はあるでしょう?」

「「「…」」」

 三人の動きがそろってぴたりと止まった。

 固まったといってもいい。

 きょとんとした瞳を見ると、多分思考停止中といった様子。

 すると小さなため息と共に

「神子…」

 シンケールス様が憐れむような、やるせないといったような、何やら複雑な表情を向けてきた。

 え?

 私、何かまずい事言った?

 思わずきょろきょろと四人を交互に見渡していると、ハッとしたように我に返ったサフィール様に両手をしっかりと包み込まれた。

 そしてとても紳士的な態度で目の前に跪かれ、まるで古き良き時代のプロポーズでもされているかのような状態になる。

「え、あの、サフィール様?」

「いいんです、私たちの配慮が足りませんでした」

「配慮?」

「そうです。神子は異界の記憶もお持ちなのですよね。この世界とは違いすぎて戸惑われるのは当然です。そういうものかと割り切るには相応の時間が必要です。それに神子はお優しい方ですから、そのように私たちのことを心配してくださるのですね」

「いえ、優しいかどうかは」

「お優しいですよ。そうでなければまずご自分の置かれた状況を嘆くなり憤慨なさるなりして当然の状況ですから」

「…あ…」

 そう言われてみれば確かにそうだ。

 彼等も神様に勝手に選ばれたけれど、それは私も同じ。

 しかも「子を成す」ことが私の役目だ、って言われたんだっけ。

 それだけを考えてみれば、前の世界でだって「セクハラだ」と言われていた案件だ。

 それをズバッと突きつけられたわけだけれど。

 未だに実感が全くないせいか、どこか遠い世界の話に聞こえてしまっていて、あんまりピンとこない。

 嘆く気も憤慨する気も起きない。

 今は三人を巻き込んでしまったような気持ちの方が大きいんだもの。

 どうしてそう思うのか、自分でもよく分からないけれど。

 多分単身でこの世界にやってきた私にとって、今の状況はありがたいものでしかないと思う。

 シンケールス様は神殿長で、その人が私を守ってくれるし親代わりもしてくれる。

 さらには神様が選んだ信頼できる人が三人もいる、しかもそれぞれ浮世離れした美男子揃い。

 こんなに恵まれた特典付きのスタートはそうそうない。

「今の私には過ぎるくらいのありがたい状況です。皆さんのことは信じていい、って事でしょう?」

 サフィール様たちを見回すと、それぞれが安堵したように笑みを浮かべる。

「そう思っていただけて、光栄です」

 ようやく落ち着いたサフィール様はそう言って、私の両手をそっと解放してくれた。







 続く

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