第35話 自分らしさ(2)

言われるままに少し遅めの朝食を取る事になったソウタ。

リビングのローテーブルで、朝ごはんを彼女と友人の3人で囲む。


いつもと変わらぬ風景の中に居る彼女は相変わらず可愛いし、少しだけ気だるそうな友人の姿も珍しい。3人でかわした他愛ない会話すら心地よく、ソウタは楽しい時間を過ごす事が出来た。


その日のカナデ一家は用事があるとの事で、ソウタは早めにお暇することにした。

すっかり世話になったお礼と、昨日の失態をカナデの両親に詫びた後、ソウタはカナデに次のデートの約束を取り付けた。


怪我のせいで休んでいるバイトも、ギプスを外してしまえば復帰しても問題ないように思う。リハビリ期間とは言え、部活をしていた時の事を思えば、普通に生活したり、バイトに行ったりする事くらい、問題の無いように感じられた。


けれどソウタはこのままバイトの休みを継続する事にした。

なんせ、今は彼女が出来たのだ。

ここぞとばかりに二人で出かけるのも良いだろう。


次のデートの約束を取り付けたソウタは、カナデの家を後にした。

そして自宅へ戻るべく、バス停に向かった。

幸いなことに、カナデの家とソウタの家は、バス1本で行き来が出来る位置にある。


一軒家の並ぶ住宅街を抜けて、大通り出れば、それなりに賑やかさを感じた。

それでも平日の朝と雰囲気が違うのは、いつもより車の数が少ないからだろう。


程なくバス停に着いたソウタは、時刻表に目を向けた。

土曜日の10時過ぎとは言え、思ったより本数が多い。

ソウタの家に向かう路線は他の路線よりも長い気がする。

この路線は色々な駅を経由するので、かなりの頻度で走らせているようだ。


「……次は23分…か」


スマートフォンを取り出し今の時刻を見れば、次のバスを待つには長すぎる時間でも無い。

普段のソウタなら、このままここで待っているだろう。


ソウタはふと浮かんだ案に考えを巡らせると、バスを待たずに自宅に向かって歩き出した。

それは、バスに乗ればハルナとの出来事を思い出すからなのか、それともカナデの家で過ごした余韻を味わう為だったのか…自分でも分からない。


ソウタはのんびりと歩きながら視線を上げた。

薄い青色が広がる空は、少しだけ秋の爽やかさが広がっていた。




******




「ただいま…っと???」

「ソウタ兄ぃ!おっかえりぃ!」


ソウタが自宅に戻ると、玄関の先で待っていたのは甥っ子のサトルで、ソウタを見つけるなり胸に飛び込んで来た。


「っと、なんで?今日は、えらい早いやん」


サトルを受け止めながらソウタは考えを巡らせて気が付いた。

カナデの家を出てから、のんびりと歩いて帰って来たから、既に早い時間でも無いのだ。


「昨日の夜に来て、泊まっててんけど、ソウタ兄ぃおらへんかったから、退屈やった」


ソウタの腕から抜け出たサトルは、少し拗ねた口調でソウタに文句を言った。


「あぁ、ごめんな。でも来たん急すぎん?」

「だってお父さんが休みになったから」

「??」


サトルの父の休みが、どうして我が家に泊まりに来る事に繋がるのか。

ソウタは首をかしげながら自室に戻ると、ローテーブルの上に、戦隊もののビニル製の人形が転がっているのが見えた。

そう言えば、玄関に大きさの違う靴が3種類あったような気がする。

どうやら一番下のマナブも一緒に泊まりに来ていたようで、ソウタの部屋で遊んでいたらしい。


カラフルなビニル製の人形を起こし、そのまま一列に並べながら、ソウタは昨夜の事を振り返えった。

カナデの家へ行くのに家を出たのは夜の8時過ぎだった。

母に出かける旨を伝えた時は、甥っ子達が来る話は無かったはず…。


『だってお父さんが休みになったから』


先ほどのサトルのセリフを思い出し、急に決まったかのように思える甥っ子達の襲来に、もしかして姉夫婦に何かあったのか?と、悪い方向を思い起こすソウタ。

それでも姉夫婦の顔を思い出せば、それは無いかと苦笑いを浮かべ、首を横にふり、頭を切り替えてリビングへ顔を出す事にした。


「ただいま…」


リビングに居るはずの母に挨拶をするつもりだったが、そこに母の姿は無く、ソファーに沈みながら携帯用ゲーム端末で遊んでいる長男のヒロムが見えた。

そしてヒロムの足元には一番下のマナブが、熱心にアニメを見ている。

黄色い帽子のおじさんが、ペットらしきお猿さんに振り回されている、ユーモアがあって大人が見ても楽しいアニメだ。


ソウタは家に戻った挨拶を告げようと母の姿を探すと、ベランダに洗濯物を干している背中が見えた。

ソウタはヒロムとマナブの頭をクシャリと撫でて、あいさつ代わりにすると、そのままベランダに向かい母に声をかけた。


「ただいま~」

「あぁ、おかえり。早かったな」

「うん、今日は親戚の家に行く予定があるらしくって」

「そうなんや」

「何か手伝おっか?」


カナデと交わしたデートの約束は明日だ。

予定の開いているソウタが、手持ち無沙汰から手伝いを申し出ると、甥っ子達の布団を干して欲しいと告げられた。


「姉さんは泊まらんかったん?」

「あぁ、今朝は朝一でミツハシさんの所に行くって…」

「ミツハシさん??」

「まぁ、多分そうやから、帰ってからでええんちゃう?」

「???」


どこか聞き覚えのある名前だが、何の名前なのかを思い出せないソウタ。

そしてベランダから戻る母の声は、少し呆れているように聞こえたけれど、どこか嬉しそうな様子にも見える。

ソウタは意味が分からないまま、和室に向かい、甥っ子達の布団を片付けた。




******




ソウタ達が昼食を取っていると、インターホンの音が響いた。

どうやら姉夫婦が戻って来たらしい。


ソウタの母がマンションのオートロックを解除すると、程なく玄関のドアが開いて、姉の妙に高いテンションの「ただいま」の声が響いた。


「あ、帰ってきた」


一番下のマナブがソワソワと落ち着きを無くす頃、いつも通りのご機嫌な様子の姉に続けて、少し気まずそうな顔をした義兄がリビングへやって来た。


「わ、ソウタ!ちょうど良いわ」

「え?何?」


顔を見るなり、ニマニマと得意そうな顔を浮かべたソウタの姉は、リビングのソファーにバッグを置くとゴソゴソと中を漁り出した。


「こんにちは。お義母さん、いつもすみません…」

「いらっしゃい。別に謝ることや無いし…」


姉の言動に恐縮したのか、気まずそうに母に詫びを告げる義兄の姿。

いつも通りの光景のはずなのに、違和感を覚えるソウタ。

安堵の様子を見せる母の顔と、いつも以上に恐縮そうに少し頭を下げる義兄のやり取りに、妙なぎこちなさを感じたのだ。


母親が戻ってソワソワと落ち着かないマナブに、自分の姿を重ねたソウタは、甥っ子を諭し、昼食のオムライスを口に運ぶように促して、違和感を忘れる事にした。


マナブ以外の二人の兄に目を向ければ、彼らは騒がしい母親の言動に慣れているのだろう。何事もないかのように、無心にオムライスを口に運んでいた。

お行儀よく食事を進めている二人を微笑ましく思いながら、ソウタは空になりかけているコップに手を伸ばす。

お茶を注いでいると、ダイニングへ姉がやって来た。


「なぁ、ソウタ見て見て?」


姉の声に目を向けると、どうやらカバンの中から目的のものが見つかったらしい。

ハガキより少し小ささな紙をヒラヒラとさせながら、ソウタに見せつけるように、そのままダイニングテーブルの上に置いた。


「へへ、凄くない??」


反応を促すように、ソウタの肩に手を置く姉。

ソウタは姉の言葉に促されるように小さな紙に目を向ける。

それは荒い画像の黒い写真のようなもの。

見覚えのある画像を目にするなり、ソウタは声にならない驚きの声をあげた。


「っ!!」


驚きと共にソウタの脳裏に蘇ったのは、マナブが生まれる数か月前の騒がしい我が家の風景。そして、恐る恐る手にした黒い画像をソウタが目にするのは、今回で四度目になる。


「じゃ~ん!二カ月!」

「ま、よ…4人…」

「そ、4人目が出来たぞい!」


驚きのあまり、声を出せなくなったソウタの代わりに、姉が事実を伝える。

そしてまだ平らなままのお腹をさすって、再びニマニマと得意そうな表情を浮かべた。


「ま、じで??」


青天の霹靂とは正にこの事だろう。

先ほどの聞き覚えのある「ミツハシ」とは、姉が3度ほどお世話になっている産婦人科の名前である事を思い出したソウタ。


「4人目…」


まだ平たい姉の腹に目を向けながら、あまりの衝撃に戸惑いを覚えるソウタ。

そしてソウタと姉の二人のやり取りを聞いていた甥っ子達は、目を丸くしながらスプーンを投げ出すようにお皿に戻すと、矢継ぎ早に質問をぶつけた。


「え~~~~っ!!赤ちゃん????」

「え、え、お母さんのお腹に赤ちゃんおるん???」

「うそ~~~!?おとうさん、赤ちゃん出来たん???」


どうやら甥っ子達は、口へ運ぶ途中だったオムライスの事は、すっかりどうでも良くなってしまったらしい。

突然の発表に大混乱である。


「こら、まだご飯の途中やろ?」


宥めながら騒ぎを鎮め続ける義兄とは対照的に、なぜかドヤ顔でソウタを見つめる姉。

その様子から、姉はソウタからの祝いの言葉を待っているようだった。


「お、おめでとう?」

「ふっふっふ、ま、ありがとうね」


疑問形で祝いの言葉を伝えるソウタに姉は気付かない。

そんなソウタの戸惑いをよそに、まるで天下を取ったとばかりに得意げな姉。


そして姉の横には、少し困った笑みを浮かべる義兄が、まるで暴れ馬を宥めるように、妻を諫めていた。

なるほど。相変わらず義兄は姉に頭が上がらないらしい。


「お義兄さんも、おめでとうございます…」

「うん、なんかごめんね。いつもありがとうね」


義兄の返事が妙な言い回しになったのは、前回の里帰り出産時にソウタが甥っ子達の世話を任された事を思い出しての事だ。

と言うのも、あの頃の義兄は実家の家業を継いだばかりで、日中の家事や育児の参加が難しかったのだから仕方が無いと言えば、仕方が無い。


「でも、まぁ、流石に今回は、大丈夫かと。うちも職人が揃ってきたから、今なら多少の都合もつきそうなんやけど…」


まるでソウタの心を読んだかのように、フォローを入れる義兄。


「あっ、そうなんですか?」

「えっと…多分…?」


頼りない返事を自覚したののだろう。笑って誤魔化す義兄。

そんな彼の目尻には年齢に合わない皺が見える。

仕事柄、日焼けした額にかかる前髪は、白髪が少し混り出していた。

姉と同じ年のはずの義兄は、若々しい姉と比べると、少しくたびれているようにも感じる。


それでも…とソウタは思う。

朗らかに笑みを浮かべる義兄の顔を見れば、若くして四人の子供の父親になる決意も垣間見える。

そんな義兄に強さの片鱗に、ソウタは憧れのような思いを感じていた。




******




結局甥っ子達は、夕方には家に帰ってしまった。

静けさの戻ったダイニングテーブルには、母とソウタの二人。

会話を持て余したソウタは、まだ帰宅していない父の事を尋ねた。


「父さん遅くない?」

「あぁ、なんか先輩の人が田舎に帰るとかで、今日は送別会らしいわ」

「へぇ、田舎に帰るとかあるんや」

「この年になったら、色々出て来るみたいやなぁ」

「…そうなんや」


少し早めの夕食になったのは、そんな理由かららしい。

母との話題は特にないけれど、今日の騒がしさを思い出せば、何となく自室に一人で居るのも寂しい感じがした。


まだ熱いコーヒーを飲むほど、秋は更けていない。

少しだけ氷の入ったアイスコーヒーのグラスを傾け、カラカラとコーヒーと氷を混ぜながらグラスに口を付ける。


そう言えば、カナデはまだ親戚の家にいるのだろうか。

連絡の無いスマートフォンの画面を見れば、20時過ぎ。

明日のデートは何処へ行こうかと、そんな事を考えていた時だった。


「ソウタは手のかからん子やったのにな」


不意に母の声が耳に入ったソウタは、スマートフォンの画面を閉じて、会話を促した。


「ん?急にどしたん?」

「あの子が学生の時に妊娠が分かった時は大変やったって話」

「あぁ…それは、そうやろうなぁ…」


母のため息に、ソウタは遠い記憶を掘り起こした。

それはソウタがまだ小学生の時の話。

ソウタは昼間の出来事も思い出していた。


「自分の子が、10代で母親になるとは思わんかったけど」

「…俺はよく分からんかったけど、なんか、大変そうやなって…」

「そ、大変やった。ソウタと違って、あの子はずっと大変やった」


ソウタの記憶の中にいる姉は、両親とよく言い争いのような、喧嘩ばかりしている姿だった。

子どもながらに、姉はそういう性格だと思っていた。

負けず嫌いと言うか、我が強いと言うか。


「今更、って感じやけど、あんたも彼女出来たし、言っとこか」

「ん?何の話?」

「お姉ちゃんな、養女で、あんたの従姉やねん」

「えっ?」

「あの子、お父さんの妹の産んだ子で…」

「ちょ、ちょっと待って?」


思いもよらない話題に、ソウタは手にしたグラスをテーブルに戻した。

いったい、何故こんな話題になったのだ?

四人目に生まれる子が、甥っ子か姪っ子の話になるのかの話になるのかと、呑気に構えていたら、まさかのカミングアウトというやつだろうか。

ソウタは、混乱しながら話を思い出すと、先ほどの母のセリフに違和感を覚えた。


『…あんたも彼女出来たし、言っとこか』


そうだ。

カナデの話題にも触れていた。


「えっと、姉さんが養女の話と、俺に彼女が出来た話との関係は?」

「あ…まぁ、アレやん…」

「あれ?とは?」


言いにくい言葉があるのだろう。アイスコーヒーに口を付けて少し考えを巡らせるソウタの母。


「えっと?だから何?」


言いにくそうに言葉を濁す母に、まさか彼女の事を悪く言うつもりかと身構えるソウタ。


「だから、お姉ちゃんデキ婚で、しかも四人目やん」

「…まぁ、そやけど?」


それと姉の養女と、カナデと何の関係があるのか。

身構えるソウタは、返事がとげとげしくなっている事に気付かない。

そしてソウタの母もソウタのとげとげしさに気付かないのは、今から出す言葉を必死に選んでいるからだろう。


「…えっとな、養女にした経緯が、妹さんの育児放棄っていうか、まぁ、未婚からの…出来てしまった感じで…ちょっと、その…な?」

「な?って、姉さんの出生の話?」


カナデの話になるのかと思えば、姉の話に戻す母。

ソウタは訳が分からず、混乱したままで、話の続きを促す。


「うん…あの子…ってお姉ちゃんやけど、ちょっと…その…。まぁ、あれや。少し不憫な所あってな。それでお父さんと相談してうちで面倒見る事になって」


姉の話題に言いよどんだのは、不憫という言葉に戸惑いがあるのだろう。

もしかして、姉と両親の諍いは、根底にこの言葉があるのだろうか。


「…言い争いっていうか、姉さんは、喧嘩っ早いなぁって思ってたけど…」

「う…ん。養女やからってよりも、小さい頃に放置された寂しさってのもあったんちゃうかな…。と、今になって思えば、少しは見えてきたような気がするけど、その時はうちらも必至やったしな、大変やった…」


大変だと言う母の顔は、まるで遠い記憶を懐かしむように思えた。

そして思い出しては、苦笑いを浮かべる母と、現在の姉とのやり取りを思い出せば、その頃の話は両親も姉も既に消化されている話になっているのかも知れない。

とは言え、カナデとの話の関係性が分からない。


「…でもそれと、俺に彼女が出来た話と、何の関係性が…」

「あ~それなぁ…」

「?」


またしても言いにくそうに、口を閉ざす母は、目を泳がせながらアイスコーヒーに口をつけた。

どうやら母からすれば、相当言いにくい話らしい。

訳が分からないソウタ。

仕方が無いとばかりに、一息つこうと、アイスコーヒーに手を伸ばして、グラスに口を付けた。


口にした氷の解けた上澄みのコーヒーは、少し味が薄い。

そんな事をぼんやりと考えている時だった。


「えっとな、避妊はしっかりと…」

「ぶへっ!!って、ゴホっ、へ??って、ゴホっ、ゴホっ」

「ちょ、あんた汚いなぁ」


おそよ母から聞く事の無さそうな単語に、ソウタは完全に不意をつかれ、口に含んだアイスコーヒーをふき出した。

むせながら息を整えるソウタを他所に、母はタオルをソウタにぽぃっと放り投げると、布巾でテーブルを拭きだした。


「ゴホ、ゴホ、ゴホっ」

「ちょっと、大丈夫かいな?」


どうやら、驚きのあまり、勢いからコーヒーの水気が気管に入ってしまったらしい。

苦しさと恥ずかしさで、ごもごと悶えながら、タオルに顔を埋めるソウタ。


「水いる?」

「…だ、だいじょ、うぶ」

「そうか?」


あっけらかんとした母の様子に、血の繋がらないはずの母と姉に似たものを感じたソウタは、可笑しくなって、タオルに埋もながら笑い出した。


「あはは、ひっ…ゴホっ、あかん…可笑し…ゴホっ、ゴホっ、ひっく…あれ?」

「なんや忙しいな。笑い出したかと思えば、今度はしゃっくりかいな」

「いや、俺、ひっくも、訳がわから、ひっく」

「水もって来るわ」


呆れながら席を立つ母の姿に、申し訳なさより、姉と母の関係に妙な安堵を覚えるソウタ。


「ほら」

「う…ん、ありがと…」


受けっ取ったグラスの水を一気に飲み干せば、しゃっくりも落ち着いた。

ふぅと大きく息を吐けば、むせていた肺も落ち着いている事に気が付いた。


「大丈夫か?」

「うん、大丈夫」


少し困ったような顔で、八の字に下がった眉を見れば、ふいに思い出したのは、遠い記憶の姉の顔だった。


そうだ…とソウタは思い出した。

一人で留守番をしている事が多かった子供時代のソウタ。

家で一人で居るソウタに、姉は、家に帰って来るなり、ただいまと言わずに、大丈夫?と言いながら、今の母と似た顔で尋ねて来るのだった。


そんな事をすっかり忘れていいたのは、何故だろう。

そう言えば…と更に思い出す。

姉は自分にはずっと優しかった気がする…。


幼い頃のソウタは、姉と両親とのやり取りを、少し怖いと思っていたのも事実だ。

実際、我の強い姉のエネルギーの矛先が自分に向くのが怖くて、いい子でいようと思いったし、両親に自分の事で手間を取らせるのを避けて来たのも事実だ。


『そ、大変やった。ソウタと違って、あの子はずっと大変やった』


それは、先ほ発した母の言葉通りだ。

ソウタは、大人しく聞き分けの良い子になろうとしていた。

そんな良い子の自分だったから、姉は優しいのだと、どこかで割り切っていたのも事実だ。


『…養女にした経緯も、妹さんの育児放棄っていうか…』


姉は今でいう放置子に近い扱いだったのかもしれない。

早くして結婚したのも、子供が多いのも、もしかしたらそんな理由が姉のどこかにあるのだろうか。


そしてソウタは、母の言葉を思い返した。

デキ婚の姉。四人目の懐妊。そして姉の出生を聞けば、それも予想外の妊娠だったらしい…。

だとすると…。


「あの、もしかして、うちは…」

「ん?」

「いや、家族計画では予定外とか…予想外に出来るとか、そういう家系と言いますか…」

「あぁ…さっきの避妊の話な」

「……マァ、ソウデスネ」

「ま、予定が無いなら、気を付けるに越した事は無いので」

「…ハイ」


いたたまれなさから目を背けたソウタ。だけど母は、少しだけ面白そうな顔をして話を続けた。


「カナデちゃんとは上手くいってるんや?最近、しょげてたのになぁ、良かったな」

「へ?」


どうやらカナデとの行き違いを母は感じ取っているらしかった。


「あんた、変に聞き分けが良いからな。多少振り回されても、尻に敷かれてる位が丁度ええんやで」

「はぁ…」


聞き分けが良い…。

母の些細な一言に、自分の性格を思い返すソウタ。

先ほど交わした姉の話題から自分の過去も振り返れば、計算高い自分の本性は、幼い頃の自分が環境から学んだ部分もあるのも事実のように思う。


「ま、うちらの諍いを見てたら仕方ないかもな」

「……」


まるで自分の考えを覗き込まれたようで、気まずさから母の言葉に気付かれないように小さく息を飲んだソウタ。

けれど母からすれば、ソウタの動揺はお見通しなのだ。


「今更かも知れへんけど…」


ソウタの母は話を続けた。


「ソウタの事、二の次になってたなぁって思う。色々我慢させてたのもあって、悪かったな」


小さなため息を零しながら母は「ごめんな」と言葉を続けた。


「……」


ソウタは無言で答えるしか出来なかった。


たった一言だ。『そんな事ないよ』と返せばこの話は綺麗に終わるはず。

だけどこの時のソウタは、母に返す適切な言葉を上手く発する事が出来なかった。


「ま、今回はソウタも面倒見やんで良いと思うで」

「ん?」


話題を変えたのは意図的だろうか。

ソウタの母は姉のお腹の子供に話題に話を戻した。


「彼女も居る事やし、甥っ子の面倒ばかり見てられへんやん」

「あぁ…」


そう言う事かと言葉を発するより前に、母は言葉を続けた。


「チビらの面倒を押しつけるんも、あの子なりの考えがあるんかもなぁ」

「ん?考え?」

「あの子、家出てから…って出る前からもやけど、あんた、家に一人で居る事多かったやろ?」

「まぁ、そうやなぁ」

「だから自分が寂しかった事思い出して、チビらを連れて来るんかなぁ?って。そういう事なんかな?って、まぁ、ほんまの事は分からんけどな」


母の憶測にソウタは「そうなんや」と返すしか出来なかった。


…そうか。

姉が子沢山さんなのも、甥っ子の面倒をソウタに押し付けるのも、もしかしたら、姉の不器用な優しさから出たものかも知れない。


そう言えば、姉はソウタには優しかった。

あっけらかんと明るい姉を思えば、幼い頃の境遇は想像すら出来ないけれど、姉の中にも複雑な心境が有るのだろう。


けれど、そんなものを吹き飛ばす位のエネルギーを姉は持っていて、自分の生き方を自分で切り開いたのだ。

そんな姉の姉らしい生き方と、それに寄り添う義兄の生き方に、素直に凄いなと、賞賛の思いを抱いた。


そしてふと浮かんだのは、カナデの母の言葉だった。


『…子供が寂しさから大人の顔色を伺うのって普通。気を惹きたくて色々しでかすのも普通。みんなそうやと思うよ。

ただ、そこから、その子がどんな選択をするか、何を学んで行くのかが違うだけで、たまたまソウタ君は、そういう基本の部分が多く残った…』


まさかこんなに早く、自分の性分について心の整理がつくなんて。


「俺、自分の事、ちょっと小賢しいやつかと思ってて」

「なんや、急に」

「さっき、聞き分けが良いとか言ったやん」

「あぁ、そういう意味で」

「面倒見が良いとは言われるけど、まぁ分かっててやってる部分もあって」

「ふふ、えらい急に大人ぶって」

「まぁ、そうかも?」

「お姉ちゃんが子供っぽくて、親に面倒かけてるの見てきたら、そらそうなるわな」

「そうかも?」

「そら、しゃあない(仕方が無い)わ」


笑いながら、仕方が無いと零す母に、ソウタは少しだけ胸が軽くなるのを感じていた。


自分の計算高い性格も、浅ましさを感じていた部分も、実は自分なりの不器用な性分の現れで、自分で嫌悪するほどの事でも無いのかも知れない…。


「でも、また、里帰り出産ってやつ?またするんやろ?」

「まぁ、そうなるやろな」

「なら甥っ子の子守りも俺がしな、しゃあないやん」

「ほんまやなぁ」


呆れたように笑う母の顔を見れば、昔に見た諍いが嘘のように思えた。

そして話がまとまったタイミングを見計らったように、ソウタの父が帰宅したらしく、玄関から「ただいま」の声が響いた。


「あ、帰ってきたやん」

「ほんまやな」


席を立ち、玄関を向かう母。

パタパタとスリッパ鳴らしながら、おかえりと父を迎える母の声に、家族が揃った安堵を感じたのも、遠い昔の記憶だった事をソウタは思い出していた。


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