第1話
「おはようございます」
控えめな声で、朝の挨拶をしながら図書館に入ってきたのはロゼッタ・モンティーニだ。彼女はコロニラ王国王立図書館の司書として昨年から働いている。
ロゼッタは念願の司書になれて、充実した毎日を送っていた。
単調な日々を彩ってくれている理由は、ロゼッタの心を躍らせるようなものだった。
それが何かと言うと、最近になってロゼッタは、職場の先輩からアプローチを受けているようなのだ。彼は柔らかい雰囲気と、人懐っこいところが他人に好感を与える好青年で、名前はマテオ・デュカス。
図書館の考古学分野を担当していて、図書館の仕事がないときは、大学で教授の助手をしている、とても忙しい人らしい。
賢く物知りな男性ってところが、惹かれる最大のポイントだろう。馬鹿な男ほど、退屈なものはないとロゼッタは思った。
彼はロゼッタに、何かと話かけてくるし、私を見つめる目が、とっても甘い気がするのだ。
これは脈アリなのかなって思うと、嬉しくなる。足がフワフワと地面から浮いてしまっているのでは?と、心配したくなるほどにウキウキした。
もしも、デートに誘われたら、どうしよかと頭を巡らせている自分自身に、照れてしまう。
お昼休憩の時間になると、友達がいないロゼッタは敷地内の倉庫の、更なる倉庫のような部屋で1人ランチを食べる。
友達がいないことは寂しいことなのかもしれないけれど、騒々しいのは苦手だし、故郷の幼馴染と手紙のやり取りをするくらいが、丁度いいと思っていた。
ゆっくり大好きな本を読みふけっていられるのも、友達がいない特権ではないか、それに、この倉庫は、なかなかに面白いものが揃っている。
名もなき小説家の駄作や、過去の遺物たちが、埃をかぶって世間から忘れ去られている。まるで存在していないかのように——私みたいだ。だから愛着がわくのだろうか。
誰だか知らないけれど——倉庫の隅で埃をかぶっていた——禿げたおじさんの銅像が、王都で唯一の相談相手で大親友だ。
ロゼッタは、名前が分からなかったので、勝手にフランチェスコと名付けた。
「ねぇ、フランチェスコ、私気づいちゃったのよね、街の女の子たちがデートに着て行くような、お洒落な服なんて、一着も持っていないってこと。もしデートに誘われたらどうしようなんて考えていたけれど、これって一大事よね」
銅像なのだから、当然返事は帰ってこない。
「彼って賢くて可愛いくて、とってもチャーミングなの、きっとモテると思うわ……田舎者の私なんか、相手にされるわけないじゃない、バカね私って。でもね、ちょっとだけ夢見るくらい、いいじゃないって思うのよ。誰もが羨むような、素敵な男性に恋をして、彼も私を離さないってくらいに溺愛してくれて、ときにはケンカしたりしながら愛を育むの、そして、憧れだった海が見える教会で結婚式をあげるの!」
ロゼッタは両腕を自分の体に巻き付け抱きしめた。
「私だって自分が地味で冴えない女だってことくらい分かってるわ。これでも王都に来てすぐの頃は、流行りの服を着て、素敵に髪を結って、出かけてみたいって思っていたのよ。だけど考えてもみてよ、こんな臆病者の私が、キラキラと輝くお洒落な店に入っていくなんて、そんな勇気出せると思う?私ったら、店の前で2時間も足踏みしてたのよ。2時間よ!それでも入る勇気が出なくて諦めたわ」ロゼッタは大きなため息を吐いた。
でも、あのとき、入らなくて良かったのだ。きっと店の人に笑われていたに違いないし、そうなれば立ち直れないほどの、傷を負っただろう。大袈裟かもしれないけれど、ティーンエイジャーにとって、集団に馴染めず嘲笑われるなど、死を宣告されたも同然なのだ。
当時15歳だった少女、ロゼッタ・モンティーニは、心がポッキリと折れてしまった。それ以来、お洒落な店には近寄らず、服は布を買ってきて自ら仕立て、仕事帰りにパン屋と八百屋、それから肉屋に寄って翌日の食料を買うだけとなった。
何年、何十年と王都に住んだからといって、お洒落になれる気はしないし、結婚なんて夢のまた夢かもしれない。
それでも、田舎に帰って、見合い結婚なんてしたくなかった。本に囲まれたこの天国のような職場を、手放したくはないからだ。
女が1人で生きていくとなれば、その人生は過酷なものとなるだろうし、頭のおかしい女だと、人々から陰口を叩かれてしまう。だけど、生涯独身が許されないわけではないのだから、仕事さえあれば、何とかなるのではないだろうかと、ロゼッタは考えていた。
「一生に一度はデートってしてみたいわよね。ランチは川沿いのレストランがいいわ。それから手を繋いで街を歩くの。騎士とかいいんじゃない?強くて、優しくて、カッコよくて、私の素敵なナイト。それから、とびっきりお洒落した私を、道行く人が思わず振り返って見るのよ。なんて素敵なカップルなのかしらってね」
ロゼッタは立ち上がって、身振り手振りを交えながら、銅像フランチェスコに語り始めた。
「夜は軽めのディナーを食べに行って」フォークとナイフで肉を切り、口に運ぶ仕草をしてみせる。「その後は演劇を観る。心揺さぶるラブストーリーよ。最後はお酒が飲める店に行くの。パブなんかじゃないわよ、バーってところがあるらしいわ。彼は常連だから、完璧にエスコートしてくれるのよ」
本を扇子に見立てて、ランチを包んできた布を、ショールみたいに羽織って、ロゼッタは貴婦人のような笑い声をあげた。
「滑稽ね、私には似合わないわ——そろそろ昼休憩が終わっちゃう。私はもう行くわ、また明日ね、フランチェスコ」そう言い、読みかけの本と、肩に巻いた布を鞄にしまって、出て行こうとしたそのとき、本棚が古く、ぐらついていたところに、ロゼッタが暴れたせいで、倒れかかってきた。
身を庇おうとしたロゼッタは、咄嗟に顔の前に手を出した。次の瞬間強い光に包まれたかと思ったら、目の前に金色のイタチが現れた。
「きゃー!何なのこれ!どうなってるの⁉︎」
倒れかかってきたはずの本棚は、金色のイタチのような生き物にあたって、真二つに割れてしまったようだった。
「ねぇ、あなた大丈夫?ケガはしていない?私を庇ってくれたのよね?」
私ったら大馬鹿者ね、動物が人間を庇うわけないじゃない。自分の馬鹿さ加減が嫌になってしまう。
「ケガがないようで安心したわ。でもあなたどこから入ってきたの?ここは危ないわ。もう出ましょう」
明日の昼休憩は、あの憩いの部屋の片付けをしなくちゃならないのかと思うと、ロゼッタは泣きたくなった。
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