記憶5

 望が残さず食べてくれた朝食の食器を食洗器にかけてから机を拭き上げ、また椅子に座る。


「ネットワークに接続します。検索エンジン立ち上げ、検索項目『友達』『作り方』『方法』に設定」


 右のこめかみに手を当てて望の命令を遂行するためヒントを探す。別にネットに接続するのに物理的な操作も復唱もいらないのだが、アンドロイドには必要な動作なようで私もそれを模倣するように命令されていた。


 人間に近づけるのにどうしてアンドロイドと同じ動きを模倣するのかと礼に尋ねたことがあるが、「今のあなたがそうしなかったら逆に不気味の谷の底に落ちてしまうもの、まだ谷を超える段階には至ってないわ。でも『あえて』とか『わざと』だったり必要のない、意味のない行為っていうものこそ人間に近づくための第一歩よ。プログラムされていない行為がアンドロイドと見分けがつかなくなったとき、逆にあなたは人間にまた一歩近づいたって証なの」と説明された。なんだかあまりピンとは来なかったが礼の言う事だ、きっと意味があるのだろう。見た目はかなり精巧に作られているため人間と遜色ないが、言動がまだ経験不足らしい。


 検索してみたところ、


・相手に興味を持つ

・共通の話題を見つけ出す

・オーバーリアクションで話を聞く

・弱みや悩みを打ち明けてみる

・困っていたら全力でサポートする


等があるようだ。なるほど、『あえて』や『わざと』は確かに大切なことなのかもしれない。望の話にリアクションするときワザとらしく驚いて目でも発射できれば良かったのに、実際にやったら指で生々しく取り外して地面に落ちるだけだろうな。それどころかアンドロイドなのがバレてしまうか、あはは。


 思考がどうしようもないものにシフトしてきたので友達については一旦中断し、「検索項目『クッキーの作り方』に設定」する。確か冷蔵庫の中にアプリコットジャムが残っていたので、この際使い切ってしまおう。


 そうしてクッキーの準備をしていると、扉の外で何か動く気配があった。望だろうか、来るにしてはさすがにまだ早すぎる。数十分しか経っていないが勉強に飽きてしまったのだろうか、もしそうなら私も彼女の勉強に付き合うことになるかもしれない。できればその前に生地くらいは完成させておきたいものだが。そう思って生地をこねる手を速めた瞬間、扉が開いた。そこに立っていたのは望ではなくズレたまま直そうともしない眼鏡を掛け、相変わらずぐしゃぐしゃの髪の毛でお風呂に入っているかも怪しい風貌の達平だった。今日は何時にも増して酔いが回っているのか歩みすらおぼついていない。


「おい、ついてこい」


「かしこまりました」


 普段は夜にならないと呼ばれないばかりか、そもそも自室から出てくることもないのに珍しいこともあるものだ。良い日かどうかはさておき、今日は珍しい事が起こる日なのかもしれない。


 達平の後をついていくと、普段は通り過ぎるはずの階段を上って行った。


「あの、研究室は一階にありますが」


「今日はそっちじゃない」


 いつもは返ってこない返事が返ってきて面食らってしまった。そのまま2階に上がり、達平の自室の扉の前で止まったかと思えば錆びついた無骨な南京錠に鍵を差してガチャガチャと回すと錠がゴトリと音を立てて床に落下した。それを見るでも拾うでもなく扉を開けて部屋に入っていく。こんな時代にもはや化石だろう、などと床に落ちた南京錠に目をやりながら私も達平の後に続く。


 中はいつも行く研究室に似た造りの、でもどこか異質な感じの部屋だった。電子機器が並んでいて様々なコードやらチューブが繋いであり、部屋の中心にはあの硬そうなベットに遜色ない手術台の様なものとその上に大きいライトがアームで吊り下げられている。いや、というかこれは……


「ここは手術室ですか?」


「ああ、そこに横になれ」


 「ああ」だったり短い返事が返ってきたり、些細な違いかもしれないがそれでも明確にいつもより彼の機嫌が良いのが伝わってきて不気味だった。そればかりか部屋に漂っているどこか生々しい雰囲気と、達平が持っている手術で使うような執刀用と思われる道具が私の不安を助長させる。


 嫌な予感がする。


「おい、返事はどうした。早くその手術台に横になれ」


 機械である私には、彼と主従関係にある私にはそんな権限はないと解っているしそんなことができるはずがないのだが、どうしても彼の命令に従うことに抵抗を覚えて私は手術台に横になることができなかった。


「なにをしている。私の命令が聞こえていないのか?」


 今私を支配しているのは彼の命令でもましてや恐怖でもなく困惑だった。確かに口調も振る舞いもアンドロイドも演じている部分ではあり、それをする事こそがそもそも私が生まれた意味であり存在理由レゾンデートルである。それでも私はアンドロイドだ。ある程度は自身の個としての自由が認められている部分については自覚していたが、それは主人である者の命令に抵抗できるほどだったのだろうか。一体私は何なのだ。


「はあ。やはり失敗作だよ、おまえは」


 達平は大きなため息をつくと部屋から出て行ってしまう。その様子や言動に攻撃性を帯びているように感じて私は今どうすべきなのか逡巡していた。何故かはわからないがどうやら私は達平の命令に逆らうことができるのでこの部屋から出ることは十分に可能だが、出て、どうする?そのままこの場所を後にしたところで、望を置いていくことはできない。かといって達平を説得しようにも私の言葉は届かない。はたして生まれては消えていく選択肢の中から正解を導き出せずにいる間に、達平は鉄製のハンマーを持って再び現れた。


「そもそも、こんな研究を始めたこと自体が間違いだったんだ。礼を説得する勇気もなく、私はただ見ていることしかできなかった。……もう終わらせよう。どうしてもっと早く決断できなかったのだろう。そうすれば……礼は……」


「何を言っているのか理解できません、達平。あなたは今アルコールの過剰摂取と中毒症状で正常な思考ができていない状態だと推察いたします。一度横になって休まれることをお勧めします。3時間もすればアルコールが抜けますし、それまでは」


 ドン、という音と共に私の言葉は頭部への衝撃と身体の浮遊感で遮断された。直後、床に打ち付けられる感覚と共に重いものに押しつぶされるような圧迫感に襲われる。目の前には虚ろな目をした達平が毎晩するようにまた私に覆いかぶさっていて、いつもと違うのは達平がやけに冷静な事と、されるがままではどうやら私は破壊されてしまうだろうという確信だった。


「どうして、達平。お止め、ください。私は、わたしは」


 先程受けた頭部の衝撃の所為だろうか、うまく言葉が出力されず一世紀前の概念的なロボットの様に片言になってしまう。


「お前がその名で呼ぶなあぁぁぁ!」


 突如激高した達平のハンマーを握った腕が振り下ろされ、ギリギリのところでそれを受け止める。


「お前、お前は、礼じゃない。そして望であろうはずもない。なのにどうして……どうして!」


 私の顔が達平の涎と涙で汚されて、頭部からは先程の衝撃でできた損傷部位の亀裂から油が滲んで流れ出ていく。それのせいでズルズルと床を滑るようにしながらもなんとか達平の腕を受け止めながら、私の頭には疑問が浮かぶ。なぜここで望の名前が出てくるのだろう。礼は分かる。私を礼と重ねて毎晩のように慰み者にしていたのだから、同一視していたとしても不思議ではない。だが望は違う。それに今まで興味どころか存在すら無いものかの様に扱ってきた望の名前がなぜ今出てくるのか。そんな私の疑問は、背中に感じる壁の冷たさで中断された。気づかぬうちに滑るようにしてついに壁まで追い詰められてしまった様だ。このままではまずい。私がもしいなくなってしまったら、望がまた独りぼっちになってしまう。そんな私の心配を意に介さず達平の腕が再び振り上げられる。達平の次の攻撃を受け止められるだけのエネルギーが私には残っているだろうか。


 ああ、礼。申し訳ありません。あなたとの約束を守ることができませんでした。どうか許してください。最善は尽くしたつもりです、信じてください。そして望。どうか私がいなくなっても生きることをあきらめないで。あなたの優しさは弱さでもあり、強さでもあるから。きっと幸せになれるから。生きてさえいれば、きっと。


「ごめんなさい、望。どうか許して」


私の呟きと同時に達平の腕が振り下ろされる。振り下ろす際の筋肉収縮に重力加速度が加わって加速した鉄槌は私の頭部に当たる寸前に僅かに軌道が逸れ、衝撃は床に吸収された。突如押さえつけていた達平の力が抜けたかと思うと、彼はそのまま私の上に倒れる。それに伴って達平の体で塞がっていた視界が開け、そこには朝食を作るときに使った、血で染まったフライパンを持って震えている望の姿があった。

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