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すべてのエピソードへの応援コメント

  • 難しいところですね。名前を「固有名詞」と考えるならば、日本人の名前以外は、どこの国の人であれ、その人の名前の呼び方を、なるだけ近いカタカナで表現する方が、ルールとしてはシンプルになるのでは、と思ったりします。

    ただ、そうすると教科書なども書き換えなければならなくなってややこしくなりますが。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。
    ご指摘の点も、ごもっともだと思います。

    ただ、日中の場合は、同じ漢字文化圏という、他国間にはない特殊性があります。
    しかも、中国語には表音文字がありません。
    だいぶ昔、中国語を齧ったことがあるのですが、先生が出席を取った時、自分が呼ばれても中国式発音だったので、ポカンとしていて呆れられたことがあります。

    私としては、相互主義の原則のもと、両国とも漢字を自国語式に発音するのがいいという考えです。

  • 第31話 煙巻きコラムへの応援コメント

    毎日、字数制限のある中で、何かしらの問題提起となったり、時代を鋭く切り込むようなものを書き上げなければならない、というプレッシャーは大変なものだと思います。

    それはそれとして、隣国は「青いペンキを買いに行った」というのがオチですが、最近の日本の不祥事を見ると、日本も「青いペンキ」でごまかすような出来事が散見されるように思います。

    自民党の「パーティー券売り上げキックバック問題」。最初は5つの派閥で行なわれている、と報道されていたはずなのに、いつの間にか、安倍派だけが取り上げられるようになり、いつしか「派閥の解消」という、まったく次元の違う議論になってしまっています。これこそ「青いペンキを塗る」ようなものではないか、と個人的には思います。

    作者からの返信

    いつも、応援コメントを有難うございます。

    問題のすり替えいというのは、政治家がよくやる手ですね。
    起訴されなかった派閥は、もっけの幸いとばかり、はやく国民の記憶から消えるのを待っているのかもしれません。
    そんなことができるのも、野党があまりに非力なので、自民に慢心が生じているからでしょう。

  • COVID-19での「クラスター」と同様に、同種の動物が狭い地域に集団で生息(畜産業)していれば、必然的に「感染症」のリスクは上がります。

    「鳥インフルエンザ」については、飛来した野鳥が「感染源」となるので、養鶏業の方や、少なくとも私は「野鳥」は「鳥インフルエンザの伝搬者」だと考えています。「犯人の汚名を着せる」と言うほど敵意や悪意を持っているわけではありませんが、それは「科学的根拠のあること」です。

    同様に、ブタとイノシシは、近縁種なので、養豚業者にとって、「豚舎」に「野生の猪」が接近することは「絶対避けたい」と思っていることだと思います。

    「ワクチン」もなく、「治療薬」もなく、「感染力」は強く、「致死率ほぼ100%」の病気が、仮に人間の病気で、しかも隣国で流行しているとなれば、心穏やかではいられないでしょう。おそらく、養豚業者や農水省は、同様にかなり神経をとがらせているだろうと思います。

    感染症の問題は常に、sensitiveな問題を抱えています。少ない字数で、門外漢の人が取り上げるには扱いにくい問題だと思います。

    作者からの返信

    応援コメント、有難うございます。

    おっしゃるとおりだと思います。

    記事にするなら、その時点で知り得る合理的な根拠に基づいて、冷静に記述すべきだと思います。
    媒介者となる鳥獣を、いたずらに「犯人」扱いすることも、逆に「汚名を着せられた」可哀そうな存在とするのも、適当ではないと思いました。

    あのコラムで取り上げるのに適したテーマではないのでしょう。

  • 第29話 言葉のニュアンスへの応援コメント

    藤井八冠が、王将戦を4連勝で駆け抜けたので、「がっちりと守り切った」ニュアンスを出したかったのでしょうか。気持ちはわかるとはいえ、確かに誤用だと思います。

    「足音をさせる」の表現を見て、私は辞書を引かずとも、「あれぇ?」と違和感を感じました。

    作者からの返信

    応援コメント、有難うございます。

    同じご意見である旨お聞きすると、安心します。
    私は国語学のプロではないので、自分の見方にそれほど自信があるわけではありませんので。

  • 新聞社の校正、校閲部門の方々はプライドを持って仕事をされている、と聞いています。先日、毎日新聞社の校閲部員が、同社の週刊誌だったかに連載していたエッセイをまとめた「校閲至極」という本を購入、拝読しましたが、日々気を張り詰めて仕事をされていることが伝わりました。

    その一方で、このような「ちょっとした助詞の使い方」の問題も起きるわけで、「やはり言葉を扱う仕事は厳しいなぁ」と思う次第です。

    妻や息子がしばしばライト・ノベルを読んでいるようです。息子は近頃の若者らしく気にならないようですが、妻は「日本語の乱れがひどすぎる」とうんざりしています。単行本化されたものでも、そのような体たらくとのこと。「出版業界」の「日本語の乱れ」に対するルーズさは相当なもののようです。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを頂戴し、有難うございます。

    いただいたコメントに、校正と校閲の二つの単語があったので、辞書で意味を調べました。それらの意味の違いを、よく理解できていませんでした。
    勉強になりました!

    校正・校閲の仕事は、とても地味で根気がいるようですが、重要な仕事ですね。
    しかも、最終的には、人間にしかできない。

    奥様のように思っておられる方がいて、安心しました。
    自分が言葉に関して細かすぎる、あるいは神経質すぎるのではと、密かに心配していましたので。

  • ご指摘の通りだと思います。無意識のうちに二つの解釈が可能な文章を書いてしまい、周りを混乱させる、あるいはそのような文章を読んで、「さて、どちらの意味だろう」と悩むことは珍しくありません。

    英語に堪能なわけではありませんが、英文では、そのような「二つの解釈が可能な文章」を生み出しにくい言語なのでしょうか?日本語がそのような特性を持つ文法構造を持っているのでしょうか?

    自分で書いた文章、後で見直して手を加える、ということはしばしばです。書いてから少し時間を置かないと、自分では気づかないので難しいことです。

    作者からの返信

    いつも応援コメント有難うございます。

    私は英語や日本語の文法には詳しくありませんが、日本語が構造的に曖昧性を持ちやすい言語だとは思いません。

    でも、おっしゃるとおり、自分では気が付かないうちに、明確性を欠く文章を書いてしまうことはありますね。
    必要な場合は、誰か別の人に読んでもらうと、ある程度防げると思います。

    昨年、自分が書いた学術論文を、はじめて出版しました。
    出版社の編集担当者の方に読んでもらったら、出るわ出るわ、誤字脱字・表記の不統一・不明確な表現などが続出して、恥ずかしかったです。

  • 確かに「歓声」ではおかしいと思います。ただ、「歓声」「喚声」「喊声」の違いを理解している人がどれくらいいるか、と考えると、おそらくかなりの少数派ではないか、とも思います。

    「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉にも通じますが、「違いの分からない人」が増えるほど、その違いにこだわる人が減ってしまう、という事かと思います。

    恥ずかしながら私も、この3つの違い、知りませんでした。「歓声」と「喚声」は「かんせい」と読める自信はありますが、「喊声」はこの文章に出会わなければ正しく読めなかったと思います。

    勉強になりました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを有難うございます。

    私も、「喊声」は辞書を引いてハッキリ認識した次第です。
    でも、「歓声」の「歓」は喜ぶというような意味ですから、違うのではと思いました。

    おっしゃるとおり、誤用も、大多数の人が使うようになれば、間違っていないことになる場合が多々ありますね。
    私は、その先陣を切りたくはないですが。

  • 私の認識も「広辞苑」の認識に近いものです。

    ただ、阿僧祇さんが例文で示された「一介の素浪人の身で、殿に対して何たる口の利き方か!」という文章での「一介」の持つニュアンスと、「トップの決定を一介の派閥職員が覆すとは思えない」という文章の中での「一介」の持つニュアンス、私は等しいと思います。

    「身分」あるいは「立場」の上下、という概念は日本人の中には減としてあるわけで、「派閥のトップ」と「派閥職員」であれば、「社長」と「社員」という関係と同等となると思います。

    なので、「トップの決定を「一介の」派閥職員が覆すとは思えない」という文章については、その価値判断も含めて、実情に即しているように私は感じました。

    ご気分を害されましたら、申し訳ありません。

    作者からの返信

    いつも応援コメントをいただき、有難うございます。
    気分を害するなど、とんでもないことです。
    自分とは異なるご意見がお聴きできるのは、大変ありがたいです。

    川線さんのご意見はもっともだと思います。
    ただ、私としては、新聞記事の文章は、平明かつ冷静で、淡々としているべきだと思っています(コラムなどは少し違うかもしれません)。

    昨年、岸田首相が所得税減税を打ち出しました。
    ところが、国が抱える大借金と明らかに矛盾しており、国民から露骨な支持率向上策だと見抜かれ、支持率向上あるいは低落の歯止めにはなりませんでした。
    はっきり言って、あれは愚策でした。
    しかし、新聞は「首相も馬鹿なことをしたものである」とは書きません。「愚かな」も同じです。
    「馬鹿」「愚かな」は、「一介の」よりさらに、相手を貶める言葉だからです。
    「一介の」が実情に即しているとしても、一面の記事に使うべき用語とは、私には思えないのです。

  • 源氏物語のように、使われている敬語によって、「誰が」「誰に」伝えている言葉かを表し、主語を書かない、というルーツを持つ日本語なので、どうしても文章を書くと、「主語」があいまいになることが多いと思います。ただ、おっしゃるように主語を常に明確にすると、いわゆる「くどい」文章にもなってしまうので、難しいところだと思います。

    同じ意味を伝えるのに、表現を変えて作文する、ということはとても知性、知識と訓練を必要とすることなので、文章を書くことを生業とされている方には、ぜひ精進をお願いしたいところだと思います。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを有難うございます。
    主語を省略できるという日本語の特性は、長短ありますね。
    おっしゃるとおり、文意の曖昧性に繋がる場合もあります。
    今回の「~したい」を使った文も然りです。
    一方、文脈から見て主語が明らかな場合は、省略できると文が簡潔になります。
    書き手は、主語が何なのか読み手に明確に伝わるかどうか考えながら、省略するか否か判断すべきだと思います。
    時々、日本語は論理的でないとかいう人がいますが、それはどうでしょうか?
    論理の厳密性を要求される学術論文も、日本語で十分書き表せると思います。

  • ある意味「理系の人々」である私にとっては、「還流」という言葉はなじみのない言葉ではなく、「還流」と聞いてもあまり違和感は感じませんでした。むしろ「割り戻す」という表現では、「お金がパーティー券購入者→議員→派閥→議員」と流れている感じが伝わらないように思います。

    日本語の悪いところで「主語」が曖昧なので、自動詞、他動詞の使い方があいまいになっているのだろう、と思います。

    ぐるぐる回っている「お金」が主語となれば、「議員に還流する」という表現は適当だと思われるのと同時に、おかねをまわしている「派閥の領袖」が主語となれば、「議員に還流させる」という表現が適切になる、と思います。

    現実にパーティー券を売りさばいて、ノルマ分だけを派閥に渡して、残りは「着服」していた議員も出ているので、大きな闇だ、と思っています。

    私の駄文でも書いていますが、本来は自民党の各派閥で行われていた、と報道されていたのが、いつの間にか「安倍派」に問題が矮小化されつつある、というところに一番危惧しています。

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます。

    なるほど、理系の方には、「還流」は珍しい言葉ではないんですね。
    私は、「還元」だったら「酸化還元」などで馴染みがあるんですが。
    主語の違いによる使い分けは、まさにおっしゃるとおりだと思います。

    ところで、「リベート」の意味を辞書で引くと「支払い代金や利子などの一部を支払人に戻すこと。また、その金銭。割戻し(金)」とあります(『新明解』)。
    『広辞苑』では、「リベート」の二番目の語義として、「手数料。また、わいろ」とあります。
    つまり、「リベート」には、あまり良い印象がありません。
    イメージの悪い「リベート」に結び付きかねない「割り戻す」を使わないのは、どこかに忖度しているためかもしれないと、勝手に想像しています。

  • 本来「星の王子様」は翻訳された本だと思うので、引用するにしても、本当は原文を参照するところまで行かなければならないのでは、と思う次第です。

    日本語ではニュアンスの違う二つの言葉が、原文では一つの単語に集約していたり、なんてことがありそうな気がします。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを有難うございます。

    おっしゃるとおりですね。
    原文を確認すべきでしょう。

    ただ、コラム氏はお忙しいのかもしれません。
    どうも、書いておられるのはお一人のようです。
    365日欠かさずでは、さぞ大変でしょう。
    駄作が出るのことは、分からなくもありません。

  • 私も、「一人ひとり」とは書きません。最近は圧倒的にPCで文章を書くことが多いですが、「一人一人」としていることがほとんどだと思います。

    誤読を招く表記、例えば、「行った」は「いった」なのか、「おこなった」なのかがわかりづらいので、誤用と思いながら、あえて「行なった」と書いていますが、「一人一人」、誤読の心配もない言葉だと思うのですが、なぜ「一人ひとり」と表記するのか、理由がよくわかりませんね。

    作者からの返信

    応援コメントを有難うございます。

    そうなんです。理由がよく分かりませんよね。
    でも、そう書く人は結構多いと思います。
    誤りではないし、書く人の自由らしいですが、気になってしまいます。

  • 新聞の記載、確かに私も意味が分かりませんでした。改善案の方が、うんとわかりやすくていいと思います。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを有難うございます。
    賛同していただけると、とても嬉しく、また、ホッとした心持ちになります。
    私は文章を書いたり読んだりするのが大好きなので、新聞を読んでいると、すぐピンときて、気になってしまいます。
    地域誌やミニコミ紙、広告チラシなどは、突っ込みどころが多くて、読むのが楽しいです。
    最近、中高年層をターゲットにしたサプリの折り込みチラシがたくさん入ります。
    サン〇リーなど大手企業のものでも、怪しい記述が満載です。

  • 確かに書き直した方が、はっきり分かりますね。
    新聞は文章を書くときのお手本だと思っていましたが、今ではその地位も危うくなってきたというか、もはや突っ込みを待つ存在になってしまいました。
    残念なことですが。

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます。
    改善案の方が分かりやすいとおっしゃっていただけると、ちょっとホッとします。
    確かに、一流新聞の記者であっても、文章力にやや疑問符が付く人が散見されるようになったと感じます。
    なぜなのでしょう。
    まさか、スマホやSNSの影響でではないでしょうね。

  • 第18話 違和感がある文への応援コメント

    毎日、これだけの文章量を発信してくれる新聞社には感謝しています。「速報性」を重視する記事には、多少の「文法上の齟齬」があっても良いかと思いますが、「総説」や「社説」など、ある程度時間をかけることを許される記事については、推敲し、簡潔にして美しい文章を期待したいところですね。

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます。

    おっしゃるとおりだと思います。
    ただ、新聞には中高生の手本になるような文章を載せてほしいと思っています。
    なので、読んでいると、つい粗が気になります。

    最近、これまで新聞をとっていなかった子供夫婦が、持ち家したのを機会に新聞を定期購読し始めました。
    私は別に新聞社の関係者ではありませんが、嬉しかったです。

  • 穿った見方ですが、「足元の」という言葉をわざわざ使った理由として、「人のことをつべこべ言う前に、自分のところの問題を考えろよ」という暗喩として「足元」と使ったのかもしれない、と考える、ひねくれた私がいます。

    作者からの返信

    いつも、応援コメントを有難うございます。
    川線さんの発想には、いつも驚かされ、有益なサジェッションをいただいております。
    なるほど、そういう意図で使った可能性もありますね。
    ただ、一般紙の場合は、あくまで事実をありのままに、平易に伝えることが一番の使命ではないかと思いっています。


  • 編集済

    この文章、非常に解釈のわかれるところだと思います。主語につく助詞が「が」「は」なので、私個人としては、動詞「ある」の主語は「狙い」だと思います。単純化すれば、「狙い」(主語)が「ある」(述語)という構成です。では「イスラエルは」という部分はどう解釈するのか、といわれると難しいのですが、それ以下の文を修飾する「副詞節」と考えるのはどうでしょうか?

    「には」という助詞は、主語には使わないはずなので、「イスラエルは~」を「イスラエルには~」と読み替えて違和感がない、という事であれば、文法上の「主語」には当たらないのでは、と考えたりします。もちろん、文章を「意味」としてとらえたときに「意味」としての主語は「イスラエル」になりますが、文法として考えるとスッキリしないように思います。

    「ある」という述語を用いて、「草津には 温泉が ある」という文章を作ると、この文章では文法的には、主語は「温泉」、述語は「ある」、「草津には」は副詞節、となると思います。この構造の発展形ではないか、と考えてみましたが、いかがなものでしょうか?あるいは、長年の議論となっている「象は 鼻が 長い」を文法でどう解釈するか、というところにもつながってくるかと思ったりもしました。

    何気なく使っている日本語、文法に即して考えると、特に口語文ではいい加減なものだなぁ、と思います。もちろん、普段はそこまで文法を意識してはいませんが、最近普通に使われる「全然大丈夫」などという言葉を聞くと、「その言葉、全然よくな~い!」と少しモヤモヤします。

    乱文、失礼しました。

    作者からの返信

    なるほど。
    川線さんのご説にも、一理ありますね。
    とても勉強になります。
    ご意見有難うございました。

    もともと日本語文法は難しいうえに、あまり知らなくても的確な文章が書けます。
    ですので、感覚的に「おかしいな」と感じても、それはなぜなのか文法の観点から説明せよと言われても、困ってしまいます。
    ですので、文法的な正誤を論じるより、より分かりやすく美しい日本語となるよう心掛けたいと思います。

  • 第15話 小中学生的な文への応援コメント

    自分の書いた文章を推敲していて、2)のように書き直すことは多いです。文章の内容を誤解されぬよう伝え、なおかつ文法的にもおかしくないように書くと、そうなります。

    私も、自分で文章を書くときは、指摘されたような文章を書いてしまい、振り返って「あわわわ」となることが多いです。

    作者からの返信

    さっそく応援コメントを下さって、ありがとうございます。

    やはり変ですよね。
    文法的にどうなのか、うまく説明できないのですが……。
    (国語の文法は、英文法より分かりにくい気がします(-_-;))

    あの記事の文を妻に見せたら、「?」という顔をしていました。
    賛同して下さる方がいて、安心しました。😀

  •  戦争は湾岸戦争時、よその国にいたからいたたまれなかった。

     情報が欠落してて、日本は金だけ出すって言われてたけど実は掃海艇出したとき

     滞在国ではやっとここまで来たって歓迎してたらしい。

     機雷、地雷の掃除させたら日本はぴか一で見んな出番を待っていたということなんですが、当時こんな情報出てなかったですよね。

     日本に軍隊がないこと他国は理解してるんです。

     だから日本の自衛官を戦死させるわけにはいかないってことも分かってる。

     分かってないのは日本人。

     戦争の原因は宗教、民族、金ですよ。
     もう宗教一択かもしれん。
     宗教からむと世界大戦ですね。

     うんざりして、もう無神論者でいいです。神が原因。本末転倒。

     曖昧なこと言うから勝手に解釈されて今に至ってるんだから責任取って欲しい。

     gulf war思い出して腹立ってきた。

     

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます!

    おっしゃるとおりだと思います。
    宗教絡みの戦争は、昔から一番厄介ですね。
    しかし、神仏混交、八百万の神でやってきた日本人には、理解が難しいです。

    無宗教でもいいのですが、私は、日本的な八百万の神が好きです。
    山や巨岩、古木など、自然界にある色々なものに神を見出します。
    西洋流の神学では、アニミズムは下等なものと捉えているかもしれません。
    しかし、宗教の在り方は、西洋流あるいは一神教的なものだけではありません。
    アニミズム大いに結構、だと思っています。

  • 確かに、聞く人を間違えていますね。

    N氏は国文学者だけあって、仏教の素養も持っておられるのでしょう。

    「戦争をなくすには欲望を捨て、復讐という悪い循環を断ち切ることが必要です」という一文、執着から離れたところに悟りがある、という仏教思想と重なるところがあると思います。

    「古代にも戦争はありましたが、現代のようにリベンジの感情にとらわれてはいない。」

    これは「そんなわけないだろう」と思いました。小さな子供でも、お気に入りのものを壊されたりしたら怒って泣くわけですから、長じて、「戦で大切なもの、大切な人を失う」と、当然怒りはこみ上げ、復讐の気持ちはわいてくるのは、生き物としての「ヒト」の習性として当然のことだと思いました。

    《人々がモラルを持ち、欲望や復讐心を捨てれば戦争をなくすことは出来る。ウクライナについては、ロシアが侵略を止めるべきだ》

    というのは理想ですが、じゃあ、どうやってそれを実現するんだ、という話になると思います。

    また、逆に、方法論に走りすぎて、上記のような「シンプルな理想」が否定される、というのもよろしくないように思います。

    もう30年近く前になるでしょうか?オウム真理教がいくつもの事件を起こしたとき、教団内で使われていた「ポアする」という言葉をよく耳にしたことを覚えています。

    信者は「誤った考えに陥った人の命をいったん断つことで、その人を真理の教えに近づけることができる」と本気で信じていたようです。

    理念を忘れた方法論、方法論に引きずられる理念、どちらもよろしくないと思います。

    「令和本来の意味にふさわしい社会にしていきたい」と一言で済ますには、大きすぎる問題だと思いました。

    作者からの返信

    いつも応援コメントを有難うございます。

    ご指摘の通りだと、私も思います。

    外交を含む政治学には、大雑把に分けて理想主義と現実主義があり、何回か大論争(グレイト・ディベイト)を繰り広げたと聞いております。欧米の話です。

    理想主義と現実主義の間を行くのが正解のような気がします。

    「理念を忘れた方法論、方法論に引きずられる理念、どちらもよろしくない」とも通じるのではないでしょうか。

    私はどちらかといえば、現実主義者です。しかし、「自由、人権、民主主義を守る」という理想・目標を見失ってはならないと思っています。

  • 第13話 珍妙コラム 第4弾への応援コメント

    天声人語、余禄、編集手帳 どれーーーーー?

    地方紙に「閑話休題」というコラムがありまして、こちらは陶器屋のご主人が書かれてました。夏目漱石が四国の道後で先生をしていた時、辞めて東京に帰る前だったか、この方の家に来た話がありまして(ご本人はまだ生まれてなかったらしいです)。その逸話が面白かったという記憶があります(確か坊ちゃんの登場人物のモデルの一人がこの筆者のお父さんか祖父。どっちか忘れました。職業はお坊さんだったと思う)とってもローカルですが、名文を書かく素人が居るんですよね。
    それを想いだしました。
    大手新聞なのに…… ガンバレよ。

    戦争は地球上で無かった時間は確か有史以降1%だったように記憶してます。ほぼゼロですね。

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます。🙇‍♂️

    私が購読しているのは、日本最多の発行部数を誇る全国紙です。

    ご指摘のような、ご自分の体験に基づく逸話は、興味深いですね。

    我がコラム氏は、辞書やネットでチョコっと調べたような知識を、たいして必要もないのに登場させ、無理やり話を繋げることが多いです。
    こういう手法は、時代遅れじゃないかと思いますが、たぶん、当該新聞社の中では、誰も異論を唱えないのでしょう。
    新聞社自身は、意外に保守的体質のように感じることが多々あります。

  • 第13話 珍妙コラム 第4弾への応援コメント

    極めて難しい問題だと思います。

    個人対個人でも、時にトラブルが起き、関係が断絶する、という事が起きるわけで、それを拡張していくならば、周囲の状況、背景があるにせよ、「戦争」の「種」は人間の本性の中に内在しているのだろうと思っています。

    当然、「平和」を唱える、という事は大切ですが、本当は、自分自身の中の「戦の種」を自覚し、抑制することができるように学んでいく、あるいは訓練していく、という事は重要だと思います。

    アメリカは「平和」を維持するために「圧倒的な軍備力」を道具に使っています。いわゆる"Balance of Power"が、かの国での「平和」の根底にある思想だと思っています。アメリカ建国の歴史を考えると、それはアメリカでは当たり前のことで、その反面として、「銃規制」などの問題にもぶつかるわけですが、ある意味、 "Balance of Power"の思想が、アメリカという国家を護っている、ともいえるかと思います。

    「悪貨は良貨を駆逐する」というわけではないですが、「理性的でない」ならず者国家が現実に存在する以上、ある程度の武力は残念ながら必要だろう、と私は考えています。

    「武道を究めた」人のように、「力」と、それを律する「知性」をともに持つことが、少なくとも今の地球では、「平和の維持」には必要なのだろうと個人的には思っています。

    作者からの返信

    応援コメント、ありがとうございます。
    川線・山線さんがおっしゃることは、とても示唆に富んでいると思います。
    しかし、そのように自分の頭で考える人は少ないように見えます。
    何しろ、長年にわたり米国の拡大抑止に守られ(本当に機能するかは別として)、太平楽を決め込んできましたから。
    何か危機的な状況に陥った時、むしろ極端な方向にブレるのではないかという心配もあります。

  • は?

    え?

    作者からの返信

    当コラムは毎日掲載されていますが、恐らく何人かで分担されているのでしょう。
    とはいえ、すぐ自分の番が回ってくるのかもしれません。
    そうすると、苦し紛れ的文章も出てきそうです。

    そうではなく、お書きになった方ご自身は、洒落た文を書いたと自負しているのかな?😱

  • もう、デスクになって下さいwww

    最近はPCらしいので、赤鉛筆使わないらしいですが。

    昔の原稿に戻ったほうが良いのかな。

    赤鉛筆で校正入りまくりますね、きっと。

    PS.新明解ご愛用とは。さすがです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    身に余る光栄です。

    「大きな活字の」新明解を愛用しております。
    これだと、老眼鏡だけで読めます。
    そうでないと、老眼鏡+ハズキルーペです。

  •  『で』を多用すなと言う例ですか?

     どこの新聞だろう。気になって夜しか寝れない。

    作者からの返信

    どこかの国の党機関紙などを除き、世界でも屈指の発行部数を誇ります。
    私は、その新聞そのものは好きです。

    昼間睡魔に襲われないのは健康的です。
    睡眠障害の心配はなさそうですね。😅

  • 元記者です。

    ロシアもインドも対立と受け取ってしまった。💦

    本来なら突き返される。それでも治らない文だと「もういい、オレが書く」と言われてました。あはは。

    作者からの返信

    初めまして。
    拙文をお読みいただいたうえ、応援コメントまで頂戴し、有難うございます。

    元記者さんですか!
    私の亡父も新聞記者でした。ずいぶんな吞兵衛でしたね。😭
    私の文章についてお気づきの点があれば、是非ご教示ください。

  • >新聞の文章は、巷で生まれては消える「俗用」に惑わされることなく、常に簡潔・明快であってほしいと思います。

    私もそう思う1人です。

    作者からの返信

    応援メッセージを有難うございます!

    賛同して下さる方がおられると、力付けられます。
    これまで本エッセイのような企画は見たことがないので、自分で言うのも烏滸がましいですが、割合面白いかもしれません。

  • 第5話 中国人の人名表記への応援コメント

    これに関しては、日本の事情? のみならずあちらの(政治的な?)事情があったような記憶がありますね。
    相互に相手国の読みにしよう、とかなんとか……

    作者からの返信

    応援コメントを有難うございます!

    おっしゃるとおりだと思います。
    中韓と日本は、それぞれ相互主義だと思います。

    韓国の場合、お互い、音で表します。
    ハングルという表音文字があるので、それが可能です。
    例えば、金大中は、以前は「キン・ダイチュウ」と呼んでいましたが、今は「キム・デジュン」ですね。

    一方、中国は表音文字がないので、お互い、漢字を自国の読み方で読みます。
    ですから、中国語を知らないと、中国で自分の名前を呼ばれても分かりません。
    (日本に住んでいる中国人は、日本語読みしてくれます。)

    同様に、日本では中国人の名は日本語読みすべきなのだと思います。
    ですので、コラムに書いたようなことになるわけです。
    ちなみに、日本のTVニュースでは、中国人の名は日本語読みしています。

  • 俗用としての「なる」、私が子供のころから聞いているので、歴史としてはもう50年近いのではないでしょうか。私はあまり気にならなくなっている(感性が鈍い?)のですが、妻はその辺りが厳しく、レストランで「こちらがハンバーグになります」と言って食事をサーブされると、そのあとで、「『ハンバーグになります』って、もともとはミートスパゲッティやったんか~い!」と私に突っ込んできます(笑)。

    新聞などでの用法についても、私と同世代の人たちがある程度偉いさんになっているので、今後も何の抵抗もなく使われ、読者のほとんどもスルーしていくのだろう、と思いました。

    しかし電話で、「私になります」は滑稽です。直に聞いたら大笑いしていたかもしれません。

    書き出しの「新しい言い回しが生まれ、あるものはすぐ消え、あるものはしばらく残り、あるものは定着します」の文章を読んで、一つは「方丈記」を、一つはビートルズの曲"In My Life"の歌詞、”Some forever, not for better. Some has gone, and some remains."というフレーズを思い浮かべました。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!

    私は、奥様と同じような受け取り方をします。
    奥さまのおっしゃりようを読んで、思わず首肯しました。

    方丈記とビートルズ。
    川線・山線さまの教養の深さが感じられますね。

  • 第10話 下手な三題噺への応援コメント

    いつも思う事ですが、新聞の文章はずいぶん偉そうですね。
    昭和ならいざ知らず、令和にもなってですよ。
    しかも書いている人の中には若者といっていい人達も沢山いることと思います。
    皆さん、染まってしまうのでしょうか。

    作者からの返信

    応援コメント、有難うございます!

    そうですね。
    ご指摘のとおり、「偉そうに」と感じる時があります。

    よく言えばマスコミ人・ジャーナリストとしての矜持(言い換えれば、エリート意識)が、文章にそういう現れ方をしてしまう人もいるのかもしれません。

    それだけではなく、他を批判することは多くても、批判されることがほとんどない、という立場であることも与っている思います。
    批判を受けるということは大事ですね。
    これがないと、お山の大将になってしまいます。

  • 第10話 下手な三題噺への応援コメント

    ずいぶん昔に読んだ本だと記憶していますが、「現代の軍隊」では、兵器、戦術ともに第二次世界大戦と比較して著しく進歩しており、「徴兵制」をひいたとしても、全員を「一定の質を持つ兵士」に育て上げるのは難しく、何らかの形で能動的である「志願制」を取らざるを得ない、と読んだことがあります。

    現在のウクライナのように、国家存亡の危機であれば、「徴兵制」止む無しか、とも思いますが、そうでなければ「徴兵制」のデメリットの方が大きいだろう、と思います。

    私もこのコラムを読みましたが、正直なところ、「何を伝えたい」のか、理解できませんでした。「天声人語」なり、「編集手帳」なり、ある意味その新聞の「顔」でもあるので、非常に残念に思いました(時に名文にあたることもあるので)。

    作者からの返信

    応援コメント、有難うございます。
    とても励みになります。

    まさにおっしゃるとおりだと、私も思います。
    ジャーナリストでも、「軍事」についてあまり勉強していない人が多いですね。

    「天声人語」、昔は学校で文章の手本として読まされたりしましたね。
    当該新聞はとっていないので、読まなくなって長くなります。

  • 新聞とは誰が読んでも理解出来る内容でなくては、新聞と名乗ってはいけない。
    最近、うちでは新聞をとるのをやめました。
    ネットニュースの方が早いし、最早、新聞が届いたときには過去のニュースになってしまっているからです。

    この作品の切り口といい、気持ちが良いデス!

    作者からの返信

    お久しぶりです。
    応援、コメント有難うございます。
    オカンさんに褒めていただくと、とても嬉しいし励みになります。

    ご指摘のとおり、紙媒体の新聞は、いま厳しい状況ですね。
    ただ、特集記事、解説記事、連載物は、参考になる場合があります。
    毎朝、赤ペンをそばに置いて読んでいます。

    憶測にすぎませんが、新聞記者や新聞社は、記事に関して批評されることがほとんどありません。
    そこに慢心が忍び寄る余地があると思います。

  • 推測ですが、映像メディアに対する活字メディアの対抗心を表現しているのではないでしょうか。

    作者からの返信

    応援コメントを有難うございます。

    なるほど、そういう解釈も成り立つかもしれませんね。

    ただ、もう少し単純明快に書いてほしいものです。入試の解読問題ではないのですから……。

  • 第7話 もたついた文への応援コメント

    とても分かりやすくなったと思います。

    「て・に・を・は」、話し言葉ではいい加減に使っていますが、書き言葉(文章)では、適切に選ぶ必要があると思います。と同時に、適切に選ぶことができているか否かが、文章、あるいは「書き手」の知性を反映するものだとも思います。

    新聞社なので、記者が文章を書き、上司が確認し、最後に校閲部を通って記事になるのでは、と思っているのですが、手が入りすぎて、かえって混乱してしまう、あるいは字数制限に引っかかって、「変なまま」で出さざるを得なかったのかもしれません。

    と書いている私の日本語能力もいい加減なものですが(汗)。

    作者からの返信

    分かりやすくなったとおっしゃっていただき、嬉しく思うと同時に、ホッとしました。
    私も、自分の文章にそれほどの自信があるわけではありませんので。
    どうも有難うございます。

    新聞社の内情はよく知りません。
    ただ、父が新聞記者だったので、何となくわかる部分もあります。

    新聞記者は、ひとりひとりがいわば一国一城の主で、よほどの駆け出しでもなければ、上司が文章に手を入れることはないのでは?
    そこらへんは、一般の会社組織とは少し違うと思います。

    また、校閲部は、明らかな誤字脱字や、事実関係の誤りは修正するかもしれませんが、文章の推敲まではしないと思います。それほどの時間的余裕もないでしょうし。

    自分の書いた文章に対する批評を受ける機会がない事も、記者の文章力低下につながっているのではないかと、勝手に憶測しています。

  • 江戸末期から明治中期あたりまで、これまで日本になかった概念が外来語と一緒になだれ込んできたと記憶しています。当時の人はその外来語の意味するところを理解し、漢字を用いた「日本語」としてきたと思っています。

    その時の苦労を考えると、今の時代、なんでも安直に「カタカナ語」で通してしまう風潮はよろしくないと思っています。講演会などに参加しても「本日のアジェンダは…」なんてことを言われ、「アジェンダ」って何だ、と調べると講演会などでは「議題」を表すとのこと。

    苦労して、新たな概念を日本語に落とし込んでいった先達に申し訳なくはないか?と不快に思ったことを思い出しました。

    作者からの返信

    拙文をお読みいただき、応援やコメントまで頂戴して、誠に有難うございます!

    川線・山線様のご指摘に、私も全面的に賛同します。

    安易なカタカナ語の使用は、困ったものです。
    へそ曲がりな私は、例えば政府や官僚が、中身は大したものでもない政策なのに、さも新しくて素晴らしいものだと見せかけ、国民を煙に巻くために、あえて珍奇なカタカナ語を使うのではないか、などと邪推してしまいます。
    企業の企画部などにも、そのような傾向が見られます。

    そこへいくと、明治時代の先人は偉大でした。
    ただ、彼らは漢籍に関する教養が豊かだったから、漢字の新語を創造することができたのかもしれません。
    今は、なかなか難しいかもしれませんね。