船の上、君とわたしと

「さぁ、誰か立候補者は?」

ㅤ高らかに響く声と、挙手を促すように上げられた右手。もちろん、その右手は呼び水であって、彼自身が立候補する気など毛頭ないのは、目を見ればわかる。太陽の光を受けてギラギラと光る瞳は、獰猛さを宿していた。こんなところで終わってたまるかと雄弁に叫んでいる。

ㅤ皆互いに息を潜め、目配せをし合う。ボロボロの帆が風に揺られる音だけが耳に届く。寄り添った少女の頭を撫でる。潮風にさらされた髪は少しペタペタとする。この子を早くお風呂に入れてあげたい。微かに震えるその体を抱きしめながら、私は、片手を上げた。

「私でいいかしら?」

ㅤ皆の視線が一斉にこちらに向く。隣で彼女が声をあげようとしたので、それよりも早く続ける。

「異論はないわね?」

ㅤ怖くはなかった。

ㅤ私が今日の夕飯の食材になることで、この子が明日も生き延びられるのなら、誇らしくさえあった。泣きそうな顔をする彼女を抱き締める。

ㅤ犠牲者の立候補を募っていたリーダーは、破顔すると、「勇気ある者に拍手を!」と手を叩いた。ぱらぱらと拍手が送られる。

ㅤ日が落ちるまではまだ時間がある。それまではこの子と一緒にいようと、手を取って輪を抜けた。何か言いたそうな瞳に微笑みかける。

「これでいいの」

ㅤ自己犠牲精神なんてものじゃない。この子は今晩のことをきっと一生忘れないだろう。もしかすると、この子を庇う私がいなくなったことで明日食卓に並ぶのはこの子になるかもしれない。それでも、この子の記憶に残りたかった。もしかしたら、私の真似をして手を挙げるかも、なんて。誰よりも臆病なこの子はそんなことしないだろうけれど。

ㅤもしも明日、救いの船が現れたとしても、この子は一生この船での出来事を忘れないだろう。きっと、夕餉の度に思い出す。きっと、船を見る度に思い出す。

「美味しく食べてちょうだいな」

ㅤそう言うと、彼女はついに泣き出した。

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