第三話

 どのくらい意識を失っていたのか、鈍い頭痛とともに目が覚めてきた。


 身体の下には固い床の感触。猿ぐつわを嚙まされているらしく、口の端が擦れて痛む上に口の中が異様に乾いている。両腕は体側で、手首は体の前できつく縛られている。下半身も腿と足首を縛られていて、身動きを取るための手段が徹底して封じられている――荒泉はよほど素白を逃がしたくないのだろう。這い回るくらいならできそうだが、このあと荒泉やその他大勢を相手にすることを考えるとあまり現実的ではない。


 素白は歪んだ視界を治すようにぐっと目を瞬いた。周囲をぐるりと見回せば、直角に傾いた景色の隅に揺れる帳と細く差し込んだ明かりが見える。耳鳴りが収まってくると、誰かが明かりの中にいて話し込んでいるらしい声も聞こえてきた。

 素白は物音を立てないよう気を付けながらうつ伏せになった。毒のせいなのか、少し動くだけでもかなりだるい。蛇の姿に戻ればまだ算段もつくが、人間の姿に封じられたような違和感が全身にある。これに逆らって無理に変身するのはまずい、素白は本能的にそう感じていた。

 それでも素白は、手首と膝を上手く操り、明かりの方ににじり寄っていった。影の部分に体をひそめ、そっと隙間を覗き込む。


 会場の中なのだろうか、部屋の中はかなり綺麗に整えられていた。細部に彫り物の施された卓子はぴかぴかに磨き上げられており、椅子も、卓上の香も、壁にかかる絵も、全てがきらきらと輝いて見える。初めて見る豪奢な部屋に、素白はしばし目を奪われてしまった――荒泉の粗雑な高笑いが聞こえなければ、きっと永遠に見入っていただろう。


「本気かよ? あんたの金払いの良さには参ったな」


 荒泉の言葉につられるように、クスリと品の良い笑い声が聞こえてきた。が、素白は目の前がまた真っ暗になるような心地に襲われていた。


 ――金払いの良さ? まさか、ここに縛って寝かされている間に競りが終わってしまったのか?


 荒泉が誰かと話しているが、その内容もまともに入ってこない。絶望が少し過ぎると、今度は悔しさと情けなさが同時に襲ってきた。荒泉と戦うつもりがこの様だ、奪われた仙気を取り戻すどころか、誰かに売られて二度と手に入らなくなってしまった。

 泣くな、耐えろと言い聞かせて猿ぐつわを噛みしめる。誰に売られたにせよ、取り込まれる前に奪い返せばまだ挽回できる。素白は涙ぐみそうな目を瞬くと、もう一度荒泉たちの会話に集中した。上手くいけば、何か情報が掴めるかもしれない。


 素白の目の前には荒泉の薄汚れた背中がある。話し相手は頭巾のついた白い衣を着ていたが、素白からは顔が上手く見えない。が、荒泉よりは身なりを整えているにしても、言われているほど金持ちには見えないなと素白は思った。それとも、こんな場所に来るような金持ちだから、やはり一目でそうと分からない格好をしているのだろうか?


「私の主人がそうせよと仰ったまでのことです。他人の中で練られた仙気をそのまま使うよりも、使い手ごと手に入るなら安いものだと」


 白衣の男が何やら答えている。落ち着いた声音で穏やかな話しぶりをする男だが、その内容はとんでもないものだ。


「だがなあ。修為を奪われた奴は元の姿に戻っちまうんだよ。今回の奴も、蛇に戻ってどっか行っちまった。あれを草やぶ掻き分けて捕まえるのは骨だぜ」


 荒泉は素白のいる空間を隠すように椅子の中で体勢を変えた。


「そうですか。主人は金に糸目は付けないと仰せなのですが……それは仕方がないですね」


「分かってくれて助かるよ」


 男の返答に荒泉が答える。相手を舐めてかかるような口ぶりを聞いていると、口元に笑いを含ませ、牙の先をちらりと見せている様子が目に浮かぶようだ。

 ところが、男はそれに対して何も答えなかった。ふむと呟き、考えに耽るように黙り込んでいる。


 やがて、荒泉の影で、男が頭巾を取るのが見えた。素白は漏れそうになった驚きの声を必死で飲み込んだ――なんと雇われ人を装って荒泉と取引していたのは、素白が敬愛してやまない師の奚宣だったのだ。


「では、芝居はやめるとしよう。荒泉よ、この建物のどこかに人の姿をした妖蛇がいるだろう。それを渡せ」


 底冷えのするような声で奚宣が告げる。荒泉が呆気に取られているのが気配で分かったが、素白もまた聞いたことのない声音に震え上がっていた。叱られたときでさえ、ここまで冷たくあしらわれたことはない。


「何だって?」


 荒泉が含み笑いで答える。すると奚宣は卓子をバンと叩き、「戯け!」と怒鳴ったではないか。


「貴様もよく知っている、色白で、白髪で、紅い目をした妖蛇の青年だ。先に行かせたはずがどこにも姿がないではないか。あれをどこにやったと聞いている!」


 卓子を叩き割ったのかというほどの音に落雷のような怒声が続く。気圧された荒泉が椅子ごと後ろに倒れ込んだおかげで、鬼神のような形相の奚宣が素白からもよく見えた――優しい眉は怒りで吊り上がり、穏やかな眼差しは火を吹くように恐ろしい。さらに目を引いたのは、左目を縁取るように入れられた刺青だった。

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