第2話 共同研究

 とにもかくにも渡辺とジュリーの共同研究は始まった。

最初の研究は、渡辺が二流科学雑誌「ガリレオ」に掲載した 『空間の磁場との相関関係 』についての実証的研究。簡単に言えば、磁場の力を借りて空間を曲げ、物体を瞬間移動する装置の開発である。

 いわゆる、SF小説によく出てくる「ワープ装置」「転送装置」と言われているものだ。

 ジュリーは、この研究は以前やってみた経験もあるが、今ではあまり興味はなかった。しかし、押しかけ助手という立場では、とりあえず協力するしかない。

ただひとつ、共同研究者として選んだ渡辺の力を試すという意図もあった。渡辺はジュリーの期待に十分応えた。今まで一緒にやっていたMITの研究者はジュリーにすれば全然物足りなかった。ジュリーにとってはレベルが低すぎるのだ。自然、コミュニケーションもなくなり大学の中では浮いた存在になってしまう。だんだんと居心地が悪くなってしまい、どうしようかと悩んでいる時に、あの「ガリレオ」に掲載された渡辺の論文を目にしたのだ。自分のレベルにきわめて近いものだ。妙な親近感さえ覚える。よく見ると、助手募集の広告まで出しているではないか。

 

 『こいつだ !』 


 と閃いて早速やって来たという次第だ。

 当然、報酬は格段に少なくなる。しかし、いくら研究をして論文を書いても理解できる人間がいなければ、それはむむなししい徒労と自己満足で終わる。報酬云々の問題ではない。理解者が欲しい。その点、渡辺は初めて出会った理解者だった。


 『おめぇ、すげーな』


 よくこの言葉を渡辺は口にする。悪い気はしない。

 MIT時代は、凄いかそうでないかも分からないのばかりで、その言葉すら聞くことはなかった。その点においては、渡辺には満足している。しかし、科学以外では、こんな愚かな野郎もいたのかと呆れるばかりだ。


「で、こんな物、造ってどうする気?」

 完成に近づいたころ、ジュリーは渡辺に訊いてみた。

「当たり前だろ、運送屋に売るんだよ」

「・・・・・」


“ 単純すぎる。それもあまりに・・・”


「儲かるぞ、俺の取り分の三割やるから、お前も大金持ちだ。感謝しろ」

 渡辺はほざいた。

 もちろん、そんな簡単には世の中いかない。


 “ 発想はなかなかのもの、だが、細かい詰めの部分でミスを重ねる ”

 というのが、ジュリーの渡辺に対する評価である。

 

『500年先の頭脳を持つ男』

 渡辺は自分のことをそう言う。もちろん張ったりなのだが、張ったりオンリーという訳でも無い。実際、物体転送というようなものを現実のものにしようとしているのは世界中で渡辺以外にはいないだろう。

 ただし、以前にはいた。ジュリー本人だ。幼い頃から日本のアニメ「ドラエモン」をビデオで見ていた。その影響で、どうしても「どこでもドア」が欲しくてたまらなくなったのだ。そして、試行錯誤の末、転送装置を未完成ながら造ったのだ。だが、その時は、クロアッサンを50㎝ほど移動させただけで終わった。しかも、移動したクロアッサンは丸焦げになっていて、とても食べられる代物ではなかった。失敗と言えば失敗である。しかし、もっと大きなものを何の損傷もなく長距離移動させる装置を造るのは、多額の費用を要することが計算上はじき出された。ジュリーはこの研究をやめた。ハイスクールの生徒が用意できる金額ではなかったのだ。それに、ジュリーにはもっと大事な事があった。それは、この年頃の女の子が抱く最大の関心事、そう、「恋」なのだった。ドラエモンの「どこでもドア」からは卒業したのだ。


 ハンサム、長身、スポーツ万能、若い女の子が憧れるすべてを持っていた三歳年上の男にジュリーは恋をした。そして、付き合うこと七年、ジュリーの大学院卒業とともに二人は結婚した。そして、生まれたのが、一人娘カレン。カレンが生まれて半年後離婚、カレンはジュリーが引き取り、元夫はその後連絡なし。


「私も悪いのよ」

 渡辺に離婚の原因を聴かれたとき、最初にそう答えた。

 MITの研究員として多忙な日々を送っているうち、夫を粗末にしている自分に気が付かなかった。直接の原因は夫の不倫であったが、その一因は確実に自分にもあるということを言った。


“ 分かってるじゃないか”

 

 渡辺はジュリーを見直した。ここまで冷静に分析できる女というのはなかなかいない。大概は、自分のことは棚に上げて、すべてを男のせいにしてしまうものだ。さすがに科学者を名乗るだけのことはある。

「早く別れたかったから、慰謝料も養育費もなにもいらない。早く出て行ってって言ってやったのよ」

「で…..?」

「すんなり出て行ったわ」

「馬鹿だね、男にとってこんな別れ方、願ってもないことだな」

「そうね、馬鹿だったわ。お金のことならしばらくは大丈夫と思っていたわけ。論文の代筆かなんかで結構稼いでいたしね。それが、あの男、私の口座にまで手を付けてやがっていて残高15ドルよ。15万ドルが15ドルよ。たったの15ドルよ。おんどりゃ、こなくそ、ぶっ殺すぞ」

 女は持っていたコーヒーカップを床に叩き付け粉々に砕いた。科学も冷静さも粉々になって何処かへ吹っ飛んで行った。


「ところで、ミッキー初音のレッスン料どうやって捻出してるんだ。そんなに貧乏しててよう」

 渡辺は、ミッキー初音がカレンのピアノのレッスンを引き受けたことを聞いていた。ワンレッスン30万円は払いきれるものではない。

「ああ、あれね、ミッキー先生、レッスン料タダにしてくれたのよ。ショパン、リスト以来の天才だとか言ってね。ホホホ、この子を私に巡り合せてくれた神に心から感謝するなんて喜んじゃてね。ムーンウォークまで見せてくれたわ。ホホホ、ショパンコンクール最年少優勝を狙うんだって。期待されてちゃって困ってるのよ。ホホホ、オーホホ、オーーホホホ」

「…………」

 そう言えば、以前、ミッキーと焼き鳥屋で飲んだ時、若い頃ショパンコンクールに挑戦して二位に終わったことが自分の人生の最大の無念だとか叫んで酔いつぶれたことがあった。あの無念をカレンに託したのだろう。ミッキー初音にそこまで思い込まれるという事は、カレンは、本当に天才なのかもしれない。どちらにせよ、カラオケでいつも歌う鳥羽一郎とばいちろうの「兄弟船」で、75点以上出したことのない渡辺には、訳の分からない世界の話である。

   

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