宙からの呼び声

錦鯉

第1話 

 ここは、豊かな惑星であった。多彩な草木が茂り、千姿万態の生命が繫ぐ生ける大地。動物たちは星がもたらす恵みに生かされ、またその星を生かすために恵みを生み出し共存していた。


 そして、それは人間も同じ。人は最も繁栄し、広大な生活圏を持った種の一つであった。たった一つの群れ──つまり国を興し、規律を生み出し自然との調和を為して暮らしている──────はずだった。


──響き渡る叫喚。立ち上る砂煙。


 かつてそこには豊かな繁栄を示す巨大な都市があったのだろう、それは無残な残骸の山になろうとしている。

 人々に時間を知らせる巨塔は崩れ、歴史、寓話が記された書物の収まられた建造物は中にあったそれらと共に擦り潰され砂塵と化す。

 日が沈み始めた橙色の空の下、人々は今日も変わらない一日だと、明日も変わらず良い日だろうとそう信じていたはずだった。


 轟音が響き渡る。これは建物が倒壊した音ではない。これは時折起こる地響きの音ではない。

 突如として、宙の彼方から到来した巨大な揺れ。空振によるものだった。

 初めは大きな揺れが襲った。地面が揺れるのではなく、まるで空気が押し流されたような衝撃が襲った。そして追撃するように肌を突き刺すような鋭く微細な振動が襲い掛かった。

 最初の揺れによって壊れかけた全てが二つ目の振動によって崩れ去り、。寧ろよかったのだろうか。崩れた瓦礫が地に落ちることなく砂塵と化す。それによっていくらかの人間が助かったのだから。


 だが、問題はそこではない。

 たとえ瓦礫が消えて助かった人間がいても、瓦礫が消えて助かった人間の数以上に

 鋭くとがった振動が人の体を解きほぐし、細胞は分解され物質の最小単位までに解かれた。揺れとともに飛散する砂塵は濃霧のようにあたりを暗くするほどに寄り濃くなり、揺れとともに去っていく。


 そんな悍ましい光景の中で、生き残りの一人であろう一人の女が少女を抱きかかえ、守るように倒れこんでいた。


「ヴィヌス...!」


 女は抱いた少女をヴィヌスと呼び必死に抱きかかえている。いまだ収まらぬ振動。肌を突き刺し、内臓をかき乱し、脳を揺らしているそれに負けまいと、抱きしめる腕に力を籠める。揺れが来た方向に背中を向け、自身の体を盾に、少女を守る。


 少女の口周りには吐瀉物の跡が残り、臭いを発して気絶している。自身の体躯を覆うほどの豊かな金紗の髪は、砂塵によってくすんでいる。

 だが、彼女の白い肌に傷はなく、抱きしめる女から流れる血によって汚れているだけだった。


「大丈夫。私が守っているから、死なないで...!」

「うぅ...あぁぅ.........」


 小さく聞こえる呻き声。血の気のない顔を見た女は表情を強張らせ少女を抱く腕に力を籠める。できる限り襲い掛かるスプ激辛身代わりになろうと女は女は夢中で少女を抱く。


「おさまった....?」


 どれほど時間がたったのかはわからない。気づけば次第と揺れが静まり始めるのを感じた。全身に走る痛みは余韻を残しながらも沈静化していく。ヴィヌスを見れば、いまだ表情は険しいものの小さく呼吸をしながらまだその命を続いている。

 女は安堵し、腕の力を緩めようとする刹那──


「がッッッ!?」


先ほどよりもさらに大きな衝撃が襲いかかった。自身をすっぽりと覆うほどの巨大な槌に全身を殴られたかのような鈍痛が走り彼女は気絶した。








 光の存在しない暗闇。黒以外の色を許さぬというように、クレヨンで塗りたくったような真っ黒な世界。そこにはぽつんと一人、女が──グラシアが立っていた。

 彼女は先ほどまでの光景を思い出し、自身の体を確認する。


「傷がない?・・・どうして。それにここは・・・?」


 あたりを見回しても暗黒の濃霧以外に何もなし。音も、匂いもありとあらゆる異物が存在しなかった。


「・・・ッッ!?体が、動かない?」


 そして自身の体を動かそうとしても、体と意思とのつながりが切れたように、体はぴたりと静止したままだった。力を籠めようとしても、体に力が入らない。自身の意思だけが空回りして前進しようしても足が動くことはない。


「なんでッ!周りは見れたのに!!」


 どれほど動こうと、踠こうとも体はいうことはなかった。そしてグラシアは気づく。


「そもそも口も動いていない?」


 彼女の口さえ動いておらず、眼もただ正面を見つめる感覚だけがあった。


「(なんで・・・。目も口も動いているはずなのに動いていない。さっきも、今もしゃべっているのに・・・)」


 まるで体と精神が分離したような感覚がグラシアを襲う。体は自身のもので間違いはなく、何ら違和感を感じない。にもかかわらず自分であって自分ではない。別の自分の体である間のようにも思える感覚が、グラシアには気分が悪い。


「(ともかく、ここから抜け出さないと)」


 襲い来る恐怖を払いのけて、脱出に集中しようとすると、


──アアアアァァァァアアァァァ!!!!!!


「(!?・・・なに)」


 突然男性の叫び声が響き渡る。


──なぜッ!  なぜだッッ!!


 姿の見えぬ男の叫び。叫喚に近い叫びに、グラシアは驚き言葉は出ない。

 彼女の存在に気づいていないのか姿なき男は叫び続けた。


──これが!?これが我らの結末だとッ!?末路だとッ、言うのかァ!?


「(・・・結末?我ら?)」


──認めない・・・このような結末など、断じて認めてなるものかァッ!!


 最後の言葉を聞いたとき、グラシアは身体が宙に浮くように感じた。そして上から光が入り、そこへ向けて浮上する。

 彼女は最後に男の姿を見ようとするも、未だに体が動くことはなく、わずかに見えた暗闇の中に男らしき影は見えなかった。











 大震災からおよそ一週間、未だ意識の戻らぬ被災者、行方不明となった者たちが大勢いる中で、生き残った人々が崩れた瓦礫をどかし、集積し復興の準備を進めている。復興の兆しが見えぬ中でも、彼らの目は決して澱んでいない。

 行方の知らぬ者たちが安心して帰れる灯台とするために、亡くなった者たちが安心して在るべき場所に往けるように、かつての姿を取り戻すことが我らの使命だという教皇の言葉に彼らは絶望の淵から抜け出した。

 そんな彼らの姿を横目にグラシアとヴィヌスは瓦礫の除かれた歩道を歩く。街路樹が植えられていたはずの場所には木片が散らばり、根元を残して木々が倒れている。


「ねえ、ヴィヌス。・・・もう体は平気?」

「はい。十分休みましたので、元気が有り余ってるくらいですよ」


 体を案じるグラシアだったが、彼女の心配を払うかのように笑顔で返すヴィヌス。両社はともに弾き飛ばされた後、どうしてか被害を受けなかった都市の中心区画─聖堂街の大聖堂にて従事する修道女たちに救助された。二人は聖堂に隣接する修道院の医療室にて目を覚まし、体力の回復とともに一度帰省した。それからは復興のための瓦礫撤去に従事していたものの、聖堂区画へと召集を受け、向かっているところだった。


「そう、それならよかった。・・・・でもなんで私たちは呼ばれたんだろうね」

「わかりません。けれど、その説明もあるでしょうから、考えなくてもいいでしょう。それよりも、これを機に一度修道院に顔を見せに行きましょう?まだ私たちがあそこを出て、二年。お知り合いの後輩の方々もいるでしょうし、ね」

「・・・わたしは、いいかな。別に。あそこにはいい思い出ないし」


 グラシアはかつて暮らしていた修道院を思い浮かべる。

 母から言われるがままに、修道女としての暮らしを始めた彼女は最初は熱心に行事に従事し、励んだ。だが彼女の意図はそれによる関係の薄まった母親への期待。母親が自身へ目を向けてくれる期待にこそ活動への気力だった。

 しかし、その期待が実ることはなく、次第に気力を失っていったグラシアはついに修道院を抜け出し、一般市民として都市の郊外へ移り住んだ。


「そうですか? ですが彼女たちはあなたにも会いたがっていると思いますよ?」

「そんなっことないよ、そもそも大した関係もなかったし。きみを間に挟んで軽い会話くらいだったでしょう」


  同期や後輩たちへの交流も積極的だったヴィヌスと違い、グラシアのそれはあまりに狭い。彼女たちとの会話も事務的な会話が占め、私的な会話などはなかった。


「それに」

「まだお嫌いですか?」

「・・・・うん、そうだね。嫌いだ。自分でもわかんないくらいに」


 まだ初めの頃は何ともなかった。母への期待が頭の中を占めていた当時はグラシアは自身の感情に気づくことはなかった。だが、期待の幕が開ければ、彼女の中にあった隠れた感情が顔を出した。


「わかってるんだよ? 国民が一丸となって助け合って生きていけば、暮らしは健全で平和に生きていけるんだって、それくらいわかってる・・・」


 自分は、この国で暮らす人間と違う。例外は自分ひとりのみであり、他人との協調を嫌う自分こそが異質であることも理解し嫌っている。

 ─助け合い、愛し合い、慈愛の心を持ちなさい。衆生すべてがその心を以て初めて安寧の楽園が作られる。 この教義を自分以外は皆信じている。

 けれどグラシアはそれに嫌悪と疑問を投げかける。


「ですがどうしても、暗い感情が湧き出てしまう、というのでしょう?」

「・・・うん」

「別にいいではないでしょうか。そんな気持ちを持ってしまっても」

「え・・・?」


 呆けた様子の彼女の前に、サッと移動し向き合うヴィヌス。笑みを浮かべながら、グラシアの両手を掴むと彼女の胸に押さえつける。


「だって、それがシアちゃんでしょう?」

「どういう・・・」

「あなたは私のこともお嫌いですか?困っている方のそばに駆け寄って助けている私は?」


 彼女の質問にグラシアは間を開けることなく即答する。


「そんなことない! 私はずっと君のことを友達だって思っているし、君の行動には時々あきれることもあるけど、嫌いになんてなる訳がない」

「ではいいじゃないですか。あなたはただ顔も知らない誰かより自分の周りにいる人を助けたいと思うような、少しシャイな子なんですよ。だから、あなたは気にしなくてもいいのです」

「うん・・・わかった」


 力なく答える返答にヴィヌスは満足したのか、グラシアの横に再びたち、歩き始める。それにグラシアも続く。


「ですが…ふむ。そうですね。 でしたらせめて顔だけでも見せに行きましょう。それぐらいはいいでしょう?」

「・・・わかった。顔だけだよ?」

「ふふふ。 はい。 あ!でも挨拶はしてください。それくらいは自分でお願いしますね」

「はいはい、わかったから。 さ、行こう。結構時間経ったし、早くいかないと」


 二人は速度を速めて、聖堂街へと入っていく。その国の政治と信仰の中枢──大聖堂へと向かうため、二人は町の蔭へと隠れていった。

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