【転ノ章】
そうして、“長年世話になった”橋元夫妻に別れを告げた翌日、「数宮 楓子」の立場となったフウタは、数多くの武官と相応の数の女官たちに付き添われ、馬車で函東──函根の関の東側へと旅立つこととなった。
これに際して、護衛として数宮を送り届けるための武官はともかく、身の回りの世話をする女官は帝女としての体裁を保てる最小限でよい、また宮中で要職を担う古株は外してほしい──と、「数宮」のほうから父である御帝に事前に申し出ていた。
これは「わたくしに伴い、宮古から離れて函東くんだりまで赴く
そして、そんな宮付き女官たちの若手3人が、旅の途上の旅籠の一室に集まり、寝る前のちょっとした
「それにしても先輩、わたし、宮様に直接お会いしたのはこの旅に同行してからなんですけど、思った以上に気さくでお優しい方なんですね」
一番の新入りで、あまり位の高くない家柄(まぁ、それでも半家に連なる血筋だが)の娘が、最先任の数宮付き女官に話しかける。
「そやなぁ。元々、宮はんは今上はんの娘さんにしては、エラい明るぅて物怖じせん方やったけど……宮古を出てからは、随分と淑やかで思慮ぶこうなられた気がするわぁ」
無論、これは「数宮」が万が一にもバレぬように、深窓の姫君らしく立ち居振る舞いをおとなしくするよう心がけていることが原因なのだが──本物より、お淑やかで女らしく見られる結果になるとは、何たる皮肉!
「それは、嫁入り道中ということで、やっぱり宮様も考えるところがあるんじゃないかしら」
二番目に古株(といっても、数宮に仕えてまだ2年ほどだが)な女官が、「数宮」の小さな変化に対する推測を述べる。
「ほんまお気の毒になぁ。宮はんの立場やったら、どこの摂家や清華家にでも嫁ぐことはできはったやろに」
「あら、それを言うなら、将軍家──
「格さえ釣り合えばエエってもんでもないやろ? それに、数えで十五になったばかりの娘さんが、住み慣れた宮古を離れて函東くんだりまで嫁ぐんやで?」
どうやら最先任女官が今回の婚儀の(消極的)反対派、次席女官が賛成派らしい。
「それは……確かにお気の毒だとは思うわよ。だからこそ、少しでも宮様のお気が紛れるよう、私たちも随行員に志願したんじゃない」
「それは、まぁ、そうなんやけど……」
なんだかんだ言って賛成派の子も数宮には感情移入しているし、反対派の子も決して賛成派の子を嫌っているわけではないらしい。
「まぁまぁ、先輩方も落ち着いてくださいよ。わたしたちだけじゃなく、今回の随行に選ばれた他の女官や武官の方々も、宮様のことを守ってさしあげたいと感じているのは同じなんですから」
「──うん、堪忍な」
「私もちょっと無神経だったわ」
お互い貴族の家柄の娘ながら素直に頭を下げられるあたり、やはり同じ主(数宮のことだ)を頂く者同士、共感と親近感を感じているのだろう。
「出発する前に父から聞いたんですけど、幸いにして宮様の旦那様になられる将軍様は温厚篤実な方だそうですから、降嫁された宮様が針の筵ってことにはならないんじゃないですかね」
「うん、そういう話は私も聞いた」
「ほんま、その噂だけが頼りやわぁ」
このあと、三人娘たちの話題はまだ見ぬ将軍の人柄や容姿、あるいは栄都で自分達にもはたして良縁ができるか、といった年頃の女らしいものに移行していくのだった。
さて、この時代、匡の宮古と栄都を繋ぐ東西街道は、政治的経済的理由から他に例を見ないほど整備されている。
安全快適を旨とする貴人用のものとは言え女性陣は4台の馬車に分乗しており、十数名いる武官も全員騎乗しているため、さすがに徒歩の旅人よりは幾分早く進めるため、結果として数宮一行はちょうど10日で栄都の街に到着することになった。
道中、山賊や天災の類いに遭わなかったのは幸いだった──もっとも、前者については、幕府側の人員が露払いとして半日ほど先行して安全を確保していたから、という理由もあるのだが。
しかし、栄都の、ひいては現在の陽ノ本の政治組織の中心とも言える場所、栄都城を目の前にして、まさかの制止がかかる。
「なぜですか? 何故に宮様が栄都城に入ることを拒まれねばならぬのですか?」
一行の実質的代表(「数宮」はあくまで名目上だ)であり、武官のとりまとめでもある九重史麻呂(ここのえ・ふみまろ)が、目を吊り上げて幕府からの使者を詰問する。
「あ、いや、決して拒んでいるわけでは……」
しどろもどろな対応係の中年役人を制して、もうひとりの(こちらは随分と若い)役人が、「まぁまぁ、落ち着いてくだされ」と史麻呂をなだめる。
「──其の方は?」
「これは失礼つかまつりました。拙者、上様の
御側衆とは、幕府諸法度に正式に定められていない、律令でいうなら令外官に相当する役職のひとつだ。表向きは将軍個人の私的な秘書兼
将軍に重用されて後に老従(幕府における朝廷での大臣に匹敵する役職)に引き立てられることもあれば、あくまで将軍の命令の伝令役に終始することも少なくない。
共通するのは、将軍の諮問に耐えうる頭脳と、いざという時に凶刃から将軍の身を守る盾となるだけの武技を兼ね備えた、文武両道の人材ということだろうか。
(当代将軍の家滋様は、あまり御側衆に重きを置いていないという噂だったが……いや、だからこそ、このように腰軽く動けるのか)
史麻呂はそんな情報を思い出す。
「上様は、遠く匡の宮古からこの栄都までお越しいただいた数宮様に深く感謝し、またそのお身体を案じておられます。
ですが、一度栄都城にあがられますと、上様の正室として諸々の制約が生じます故、旅の疲れを取るのも兼ねて、数日間この城下でお身体を休めていただければとのご意向でございます」
将軍からの直々の指示だという町田の言葉には、確かに一理あった。
多少不機嫌になりつつも、「これは従うしかないか」と史麻呂が承諾の意を示そうとしたところで、その場にいた誰にとっても意外なことに、上座に座る「数宮」が口を開いた。
「将軍様のお心遣いには「感謝します」と伝えてください。それはそれとして──城下に留まる間、身分を隠して栄都の街を見て回ったりはできませぬか?」
史麻呂を筆頭とする武官連中は「はァ!?」と目を見開き、対して最先任&次席女官は「ああ、やっぱり宮様は宮様だ」と(そのお転婆振りに)納得し──対して、町田は「ニヤリ」と微笑んだ。
「下々の暮らす場所へやんごとなき方を内密にご案内することは慣れております。早速段取りは付けさせていただきましょう」
この言い方からして、どうやら将軍ないしそれに近い高位の者がお忍びで栄都城下に出かけることが多々あるのだろう。
「あわわわわ……」とうろたえている中年役人と、「バカな」と頭を抱えている武官たちを尻目に、「数宮」と町田は楽しげな表情で視線を交わすのだった。
それからの数日間は、「数宮」(の立場となっているフウタ)にとって、久しぶりに解放感を味わえる貴重な日々となった。
(未だ着慣れぬ)女房装束を脱ぎ、代りに町田の用意した、いかにも中堅格の
同じ女物とは言え、“時代錯誤な拘束具”、“御転婆矯正用重石”などと揶揄される
髪型も、町田の手配で上流旗本御用達の髪結が密かに「数宮」一行が借り切っている宿屋へ訪れ、女官三人娘も含めて武家風に結い直す。
実際に「数宮」と出かけるのはそのうちのひとり(旗本娘の御付きの女中という形だ)だが、他のふたりも別の護衛付きで、その間栄都見学に出てもよいということになっていた。
「数宮」達には案内役を兼ねた町田のほかに幕府からの直衛がふたり、さらに少し離れて見守り、何かことあれば駆けつける役目を帯びた武士が10人ほど配置された。
──もっとも、後者については巧みに人波に紛れていたため、「数宮」たちが意識することはほぼなかったが。
「数宮様、誠に恐縮ながら、外で“宮様”と口にするわけにはいきませんが、どのようにお呼びすればよろしいですか?」
宿からこっそり出発するにあたって町田がそう尋ねたとき、「数宮」は少し考え込んだ。
「そう、ですね。あまり奇を衒った呼び名だと咄嗟に反応できなくても困りますから……幼名の「楓子(ふうこ)」でよろしいかと」
「はっ、ではそのようにさせていただきます」
ちなみに女官改め“御付きの女中”は(蝶子なので)「お蝶」と呼ばれることになった。
そして、いざ“栄都見物”に出かけると、流石に将軍の御側衆を務めるだけあって町田は非常に話上手で心配りも行き届いており、初めてこの街に来た──どころか、匡の宮古を出たことすらない「楓子」の興味を引きそうな場所へ次々と案内してくれる。
呉服屋、簪などの飾り物・小物の店、花市・植木市など女性の興味を引きそうな店屋へ寄ってみたり……。
菓子屋や蕎麦屋、寿司屋などの庶民の味処の店先を覗いたりもした──さすがに実際にそこで食べることは諸々の理由からできなかったため、炭田川べりのある料亭の桟敷を借りての(庶民観点からは)豪華な昼食となったが、それでも「楓子」にとっては得難い体験であった。
歌舞伎見物や寄席見物などにも行った。前者はともかく後者については“笑い”の質が上方と函東では異なるのかウケはいまひとつであったが、それでも十分に楽しめたようだ。
そんな心躍る日々が“御付きの女中”を入れ替えつつさらに二日続く。
その間、「数宮」たち女性陣ばかりでなく護衛の武官たちも、町田の配慮を受けて栄都の街でいろいろ気晴らしができたらしく、栄都到着直後のピリピリした雰囲気は、随分と薄まっているようだった。
「どうでしょう。楽しんでいただけましたか、楓子さま」
街平将軍家の初代が祀られている闘将宮(日幸の本社ではなく栄都の街中にある分社だが)への参詣に来たところで、町田に問われて、「楓子」は大きくうなずいた。
「ええ、このように興味深い体験は初めてです」
「そう言っていただけると、拙者としてもご案内させていただいた甲斐がございました」
莞爾と笑う青年侍の様子に、「楓子」の鼓動がドキンと跳ねる。
そう、「楓子」(と名乗っている「数宮」……の立場になっているフウタ)は、いつの間にか、この町田新之助という若者に好意を覚えるようになっていたのだ。
初めて会った時は、如才なく気が利き適度に堅苦しくない案内役として、それなりに好感は抱いたものの、あくまで公私の“公”のやりとりをする相手としてだった。
だが、この三日間、彼の案内で街を巡るうちに、新之助のいかにも
最初は僅かに残る
しかし、“彼女”は将軍・家滋の
まして、「数宮」は本当は“十五歳の御帝の娘”ではなく“十三歳の庶民出の少年”なのだ。
(でも、もし、わたくしが本物の女ならば──せめてひと言だけでも、新之助さまに想いを伝えることができたのでしょうか)
たとえそれが相手に重い
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